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No.14「月下厄災(2)」

 そして太陽が月に隠された時、暗闇の空には微かな光の環が浮かび上がる。その瞬間、広場に集まった人々の歓声は最高潮に、少年と少女の興奮も収まらず、その幼い瞳を輝かせて空を見上げる。


「・・・すごい、本当に夜になった!」


「・・・っ。」


 賑やかに騒ぐ人々を含め、二人の小さな子供は生まれて初めて見る光景に夢中になっているが、しかし同時にジェードだけは少しだけ異なる思いを感じた。


(・・・何か、不気味だな。)


 その神秘的な現象を前に多くの人間が盲目的になる中、彼だけは寒気と静けさ、得体の知れない恐ろしさを感じたのだ。ジェードはその直感を気のせいだと思って無視しようとしたが、その恐怖は次第に大勢の人々に蔓延し始める。


「───おい、なんか、変じゃないか。」


 それは皆既日食が始まってから数十分が経過した時だった。群衆の中の1人が最初に疑問の声を上げたのは。


「・・・確かに。」

「ねぇ、なんかさ、長くない?」

「これいつまで続くんだよ。」

「何も見えねー。」

「くそっ、気味悪いな。」


 その声は徐々に波及して、先ほどとは別の意味で騒めく人間たち。やがて膨れ上がる疑心は確かな不安に。どれだけ時が流れようとも、遥か上空で重なった太陽と月は動かずに、その夜が明けることはなかった。空は黒く深く閉ざされて、世界は闇に覆われたまま停止する。

 

 その停滞した予期せぬ状況に、人間たちは生物としての本能的な恐れを感じ、人工的な明かりをつけ始めるが、その不自然な暗闇の中で、彼らに光が灯ることはなかった。


「───どうなってるんだ!」

「誰かライトをつけて!」

「電話もダメだ!」

「寒い、寒いよ!」

「誰か!」


 その暗闇に視界を閉ざされ、光を失った人々の動揺は止まらずに加速し続け、ついには集団的な混乱状態に陥る。それは二人の幼い子供も同様だった。


「なにこれ、怖いよ! パパ、ママ!」


「───っ!」


 パニックになる人々の恐怖心に煽られて取り乱す少女、固唾を飲み込む少年。



 その日、二人の運命は逆転する。それが明けない夜の始まりだった。




「「!?」」


 彼らがそのおぞましい異変を感じ取った時にはもう遅い。その全てが始まった時には、既に終わっていたのだ。


 その瞬間、真っ暗な空の海に浮かぶ光の環は人々の全てを狂わせ破壊する。次から次へと連鎖する悲鳴、広場を支配するのは奇声と狂気、突如として理性を失った人々は見境なく暴れ回る。彼らは大量の血を吐きながら臓物をえぐり、手当たり次第に身体を引き裂きあう。この暗黒の世界において、唯一の空の光を求めて。


 そこに知性や感情はない。あるのは悲鳴と嘆き、恐ろしい呻き声だけ。そして人間社会の秩序は簡単に崩壊し、人が人を襲い、街には死体の山が積み上がり続ける。美しさの象徴であった建物の純白の壁には生々しい鮮血と肉塊がこびりつく。人々の小さな箱庭は一瞬にして崩れ去り、真っ赤な血の海と化して、その上には避けようがない死が蔓延する。


「・・・っ、逃げるぞ!」


「・・・!」


「───っ!?」


 その惨状の最中でも、わずかに正気を保った人々は逃げ惑う。そのあまりの地獄絵図を前に、少年と少女は訳も分からずに涙と血を流し、激しく嘔吐しながらも、彼らは懸命に生き残ろうと手をつなぎ、立ち上がろうとした。しかし深淵は誰一人として見逃さない。それは彼らの勇気を嘲笑うように、容易く、容赦なく。


 その時、僅かな光も届かずに暗黒と化した大地は枯れ果て、そのひび割れた隙間から漏れ出した闇は街を破壊し、人々を飲み込み始めた。


「そんな、どうして・・・」


「くそっ!」


「嫌だ、嫌だよ!!!!」


 少年と少女は崩壊する故郷に呆然とし、泣き叫びながら地面から伸びる闇を拒絶するが、その体の全てを余すことなく取り込まれるのだった。












 (痛い痛い痛い痛い痛い苦しい苦しい苦しい辛いつらいつらいさむいさむいさむいあついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい)


 彼らは虚空の中で悶え苦しむ。その闇は幼い二人の肉体と精神、その魂を浸食し、体の中を暴れ回る。


 その場所には何もない。飲み込まれた存在は底なしの暗闇に沈んでいくのみ。そこでは自由に動くことは叶わず、僅かな声を出すことも、我を忘れて泣くことも、死ぬことすら許されない。ただ血みどろの惨状と、崩壊する世界を永遠と見せつけられる。

 

 その世界では幼い子どもだろうが、大の大人だろうが、経験豊富な老人だろうと関係ない。常人ならば耐えきれずに発狂死できるほどの恐ろしいモノ。


 その終極の世界の中で、やがて人々は心を壊し、己を失い、自我の境界を消し去った。ある者は言葉を忘れ、ある者は思考を奪われ、またある者は記憶すら捨ててしまった。


 そして人々は途切れ途切れの意識で求め続ける。この結末の全ての元凶、この暗闇の世界において、ただ唯一残された一筋の光を。彼らは空を見上げて、死に物狂いで光の環を凝視する。誰もが人としての矜持と誇りを忘れ、同族であったはずの他者を蹴落とし、ただ身勝手に、独善的に、自分だけは、自分だけは、と。


 それからどれほどの時が流れようとも、暗闇の中での人間同士の醜い争いは続いた。彼らは与えられた無限の時間を使い、少しづつ手足の動かし方を覚え、決して朽ちずに死なぬ身体を引き裂きあった。その本来の目的すら忘れて。


 やがて人々は悟ってしまった。自分たちが何を考えても、何をしても、この苦しみは無限に続き、永遠に終わらないことを。その現実を理解して絶望した彼らは、もう空を見上げることもなかった。




 たった二人の人間を除いて。




 それは小さな小さな命であった。それはまだ10年ほどしか人生を刻んでいない、ただの幼い子どもだった。

 

 しかし、その少年と少女だけは、たとえ死を望むほどの絶望が襲ってきても、決して諦めなかった。


 それは幼さゆえの純粋さのおかげか。あるいは偶然にも彼らの精神力が勝っていたのかは分からない。しかし、それでも一切の噓偽りなく、確かな事実なのは、彼らは最後までお互いの手を離さなかった。この終極の中で唯一輝く光の環に、彼らだけは真っ直ぐに手を伸ばし続けた。


(俺は───)

(私は───)


((───あの光が、欲しい!!!!!!))


 ただ眺めて求めるのではなく、ただ誰かを蹴落とすのではなく。あれが欲しい、あれを手に入れたいと、ただ純粋に、自分たちの小さな手で。


((──────っ!?))


 そして最悪なことに、少年と少女は届いてしまった。それを同時に掴んでしまった。


 その瞬間、その刹那。彼らは目を見開き、その光を目に焼き付ける。少年と少女が普通の人間として最後に見たのは、この世の何よりも白く眩い光、その奥で照らされて、不気味に輝く小さな結晶。その異次元からやって来た物質は、彼らの遺伝子を根本から造り変え、その在り方を新たな人類として強制的に進化させる。



 その日、ジェードとテルルは魔法を手にするのだった。



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