No.6「国境なき奇術団」
それはまさにこの世の終わりだった。それは少年と少女が星に呪われた日、それは幼き日の情景。真っ暗な空の上で重なって静止した月と太陽、永遠に明けない夜、暗黒と化す大地、錯乱し狂乱する人々。
彼らの血に塗れた手は伸びる。空にあった唯一の光を手に入れた少年の身体を引き裂き、奪おうとして。
それを少年は振り解いて抵抗するも、いつも最後には虚しく諦めて飲み込まれる。それが彼に残された唯一の贖罪なのだから。
「───っ。」
そしてジェードは恐ろしい悪夢から目が覚めたが、それは夢というにはあまりにも鮮明で、忘れられない過去の追憶だ。
少年の額には滴る汗が、その呼吸は不規則に乱れ、胸の動悸が止まらない。
まだ眠たく気怠い身体を起こし、ジェードは洗面台でやや乱暴に顔を洗っていると、ふと鏡に映った自分の姿が視界に入る。
「・・・はぁ。」
無意識のうちにため息が漏れた。そこにあった少年の灰色の髪に隠れる顔は、それはもう酷いものであり、青い目の下には大きなクマが、その表情は疲労と苦しみに溢れ、軽く死んだような様相だった。
「?」
その時、少年のもとに静かな足音が近づく。それは彼と同時刻に起床したであろうテルルであり、その鮮やかな黄色の瞳は虚で、寝乱れた茶髪の奥にある顔は心底憂鬱そうな表情をしていた。なぜなら少女も毎夜同じ景色を、あの夢を見ているのだから。その少年と出逢った、あの日から。
しかしその辛そうな姿を見てもジェードが驚くことはない。それはテルルも然り、その少年の姿を前にしても特に動揺せずに、ただ当たり前のことのように沈黙する。
「「・・・」」
少年と少女はお互いの顔を見つめ合い、しばらく立ち尽くして朝の静寂を享受した後、その鬱憤を吐き捨てるように苦笑した。
ここはマジックバー「Night Wanderer」の裏側にある木造の建物、臨時の従業員用の宿舎だ。その食堂で2人は黙々と朝食を摂っていた。ジェードは雑に淹れた珈琲だけを、テルルはその珈琲と薄切りにしたフランスパンを。
「・・・」
「・・・」
お互いに目を合わせず、些細な会話もせず、テレビやラジオもつけず。小鳥の囀りと僅かな風の音を聴きながら、決まりきった静かな朝を過ごす。それが彼らの日課であり、お互いの荒んだ心情を配慮した結果だった。
「・・・」
「・・・っ。」
「───っ?」
テルルが素朴な味のパンを食べ終えた時、静寂の食堂には騒がしい音が近づいてきた。そして激しく揺れる宿舎の中、扉の奥から現れたのは2人の女性。
「おっはー!!!!」
「うるさい。」
「んだと!?」
「うるさい。」
朝から早々に啀み合う2人は表の建物のマジックバーの従業員であり、同じ宿舎に住むジェードとテルルの仲間とも言える存在だ。
「はっ!! 」
この騒がしい方の長身の女性はヒルデガルト・アインホルン、27歳。鮮やかなピンクのポニーテールの長髪に眼帯をつけた右目、色白の肌。その耳や舌にはピアスをつけた、マジックの腕は良いが頭は悪いドイツ人。
「・・・まったく。」
もう一方の悪態を吐く女性はセイコ・ムラマツ、26歳。長いストレートの黒髪に黒縁の眼鏡。彼女の表情筋は死んでおり、常に幸薄そうな顔と、その簡素な黒い服装といい、己を着飾ることのない生粋のマジシャン。そのためマジックの腕は良いが性格は悪い日系イギリス人。
「しっかし腹減ったなぁ!!!!」
「だから! うるさいのよ! アンタは耳まで馬鹿なの?」
「お前もうるせぇじゃねぇか!!!!」
「はぁ!?」
彼女たちの仲はお世辞にも良好とは言えない。むしろ朝から元気に喧嘩が絶えないほど、その関係は水と油であり、険悪だ。
「・・・ふっ。」
「・・・あはは。」
しかしジェードとテルルはその様子を軽く笑って流す。彼らにとって目の前の光景は日常茶飯事であり、それを止めることすら諦めるほど、彼女たちの対立は慣れ親しんだものだから。
彼女たちが到来して途端に賑やかになる宿舎。マジシャンたちには今日もまた騒がしい朝が始まる。
「ねぇセイコ、この前のステージどうだった? 」
「まぁまぁね。間の取り方は完璧だったけど、肝心の魅せ方が微妙だったわ。」
「えー、そうかなー。」
「ふっ、だから言っただろうテルル。とりあえず何でも派手にすれば良いってもんじゃない。」
「ジェードだってカッコつけて炎を見せびらかしていたじゃん!」
「カッコつけてねぇよ!」
「いや、あれは随分と気取ってたな!!!!」
「やっぱりそうだよね! ヒルもそう思うよね。ふふ、だってよジェード。」
「はっ、勝手に言ってろ。」
そして過熱するマジシャンたちの一時の談笑。しばらく4人の話は盛り上がっていると、やがて食堂には最後の1人が遅れてやって来た。
「───相変わらず朝から騒がしいな。」
「あっ、おはよ〜マックス!」
「おう、元気そうだなテルル!」
「もうっ、やめてぇよ!」
嫌がりながらも笑うテルルの頭を掴んで揺らす大きな手。それはゴリラのように筋肉質で大柄の男だった。彼の名はマックス・ブラウン、31歳。オールバックにした金髪に渋い面構え。その頭も性格も良いラテン系アメリカ人。
「おはようマックス。」
「おう、ジェード。いつも通り辛気臭い面してんな。」
「はっ、ほっとけ。」
どこか面倒くさそうに冷笑する少年に、マックスは愉快そうに大きく笑った。その様子を微笑んで眺める少女。そこから少し離れた場所ではヒルデガルトとセイコが懲りずに言い争う。
この5人は各々の事情で様々な国から集まった奇術師たち。普段はマジックバーのNight Wandererで働きつつも、その腕と技術だけを武器に、世界各地でマジックを披露する少数精鋭の奇術団だ。
「───そうだ、お前たち、次の行き先が決まったぞ。」
「「「「?」」」」
その時、騒がしかった空間は一瞬で静まり返り、全員の視線が1人の男に集まる。そしてマックスが思い出したように口を開いた。
「場所はイタリア南部、そこでマジックショーを行う。出発は明日になるが、異論はないか、国境なき奇術団の諸君。」
「「「「・・・」」」」
マックスの急な提案を前に沈黙する面々。しかしそれはたった一瞬、瞬きの間ほどの刹那の静寂だった。
「私に異論はない。」
「もちろん行くぜぇ!!!!」
「イタリアか、楽しみだなー。」
「あぁ、俺も問題ない!」
「ならば良し、今日は各々物資を買い込んで、明日の朝に出発だ!!」
マックスの掛け声と共に和気藹々とする奇術師たちは、誰もが新天地への自信と高揚感に満ちている。
その場所が何処であろうと、いつ何時であろうと関係ない。彼らは凄腕のマジシャンの集まりであり、ただ仲間と共に己の芸を披露する、国境なき奇術団なのだ。




