No.2「奇術師の魔法(2)」
テルルは幼子の願望を前にジェードに視線を向ける。その意図を察した少年は肩をすくめて沈黙を続けた。
「えっと、とりあえず。貴女のお名前は?」
「ミリィ!」
「わー可愛い! うん、ミリィちゃんね! 私はテルル、よろしくねミリィちゃん。」
「お姉ちゃん! 魔法を教えて!」
「・・・えっとえっと、まずは、うん、どうして私たちに聞いたの?」
「お姉ちゃんと、そのお兄ちゃん、さっき魔法を使ってた! ミリィ見てたもん!」
「・・・」
テルルはジェードと再び目を合わせるが、お互いに幼子の言いたい事は分かっていた。恐らく彼女は見ていたのだ。満員御礼のコンサートホールの中、先ほど2人が出演していたマジックショーを、その現実離れした驚くべき奇術を。
それを幼い彼女の目を通した認識では魔法と捉えたらしい。それは当然のことであり、また仕方がない事でもある。その幼さ故に、まだ現実との境界線が甘いのだから。
その心理を理解しているテルルは少女に伝える言葉を探るが、その様子を見たジェードは失笑しながら容赦なく呟いた。
「あれはマジック、手品だよ。」
「ちょっとジェード!」
「え?」
「俺たちが見せたのは奇術。この世界に魔法なんかない。」
「ジェード!」
「───っ!?」
テルルは幼子に現実を叩きつける少年の足を蹴り付ける。そして痛がるジェードを放置して、瞬時にミリィの手を握って優しく微笑みかける。
「ミリィちゃん、ごめんねー。あいつは顔を良いのに性格は最悪だから。えっと、それで、どうしてミリィちゃんは魔法を教えて欲しいの?」
「ミリィはね、魔法を使って、お母さんを助けるの。」
「お母さん?」
「うん、ミリィが大好きなお母さん。いつもミリィに優しくて、ご飯を作ってくれて、一緒にお歌を歌ってくれて、それでそれでミリィが困った時は助けてくれるの。だから今度はミリィが助けるの!」
「そっか、ミリィちゃんは優しいね。」
「そうなの、もうミリィは良い子になるの。」
それからミリィの母親自慢は止まらない。少年と少女の存在など忘れて、何も気にせずに楽しそうに語り続ける。その純粋で無垢な様子をテルルは微笑ましく思った。それを横目で眺めるジェードも同じ想いだ。
「───ふふ、そうなんだ。あ、それで、ミリィちゃんのお母さんはどこにいるの?」
「・・・いないの。」
「え?」
「ミリィのお母さん、怖い人たちに連れてかれたの。」
「「・・・」」
その瞬間、ジェードとテルルの顔から笑みが消える。それは冗談とは思えなかった。なぜなら、あまりにも少女の表情が思い詰めた様子だったから。怖い記憶を思い出したように、その声が震えていたから。
「ミリィちゃん、少し、詳しく聞かせてくれる?」
もうテルルは微笑んではいなかった。何か情報を探るように、その真意を見定めるような真剣な表情だ。
「・・・あのね。」
そしてミリィは枷から解き放たれたように全ての事情を話し始めた。
それは母親と訪れたマジックショーのこと。それを見た感想を興奮しながら母親と話していると、日が落ち始めた帰り道に、胸に薔薇をつけた黒服の大人たちが現れて、自分を必死に逃す母親を連れ去ったこと。たった1人残されて道の真ん中で泣いていた少女は、仕事終わりのジェードとテルルを見かけ、その後を追いかけてきたこと。そして母親を助け出すために、藁にもすがる思いで2人を頼ってきたのだ。
「・・・」
沈黙していたテルルは次第に啜り泣き始めた幼子の目を優しく拭い、腕を組んで壁にもたれかかるジェードの姿を見つめる。
「ジェード、これって結構まずいよ。たぶん、ロッザクラブのギャングたちじゃない?」
「・・・かもな。」
深刻な顔をする少女が口に出したその組織の名は、近頃パリの街を騒がせている悪徳な金貸し集団だった。しかも彼らはこの店にも何度か訪れており、その度に揉め事を起こしている。
過程や結果は違えど、結局は人を騙すマジシャンとギャング、それは当然ながら犬猿の仲であったのだ。
「ねぇ、助けてあげようよ? 私とジェードの2人なら───」
「よせテルル、俺たちはマジシャンだ。それ以上でもそれ以下でもない。それに、どうせ子どもの虚言だろ。」
「なっ、こんなにも小さい子が泣いているのに!? ジェードは何も思わないわけ!?」
「・・・・・・思わない。」
「このっ!」
「───ぐぇ!?」
その時、ジェードの腹には少女の重い拳が繰り出された。その一切の加減がない本気の一撃を受け、木の椅子や箱に衝突しながら吹き飛ぶ少年。
「薄情者!!」
「お姉ちゃん?」
「───あ。」
少女の暴行を前にミリィは驚いて口を開けている。確かに客観的に見れば、それは少女が少年を殴り倒しただけである。
「あ、ごめんね。あの馬鹿は捨てておいて、私とお母さんを助けに行こうか、ミリィちゃん。」
「ほんと!?」
「うん、任せて。こう見えてもお姉ちゃん強いから。」
テルルは胸を張って自信を見せつけ、泣き止んだミリィを勇気づける。それを聞いて興奮した幼子は勢いよく少女の胸に抱きつく。そしてテルルは情けなく床に倒れる少年に軽蔑の視線を向けてからミリィと手を繋いで店を出た。
その去り行く2人の背中を見つめ続け、床に倒れながら沈黙するジェード。
「───はぁ。」
気の抜けた彼は独りで天井を見上げて、ただ重いため息を吐き捨てるのだった。
「うーん、どうしようかな。」
幼子を引き連れて店を飛び出したテルルは悩んでいた。これから一体どう行動するべきか、たった1人で幼い子どもを守りながらギャングを相手にできるのか。
そして少女の頭の中は沸騰し、脳筋気質のテルルは全ての思考を放棄した。本来こういった分野は少年の担当なのである。
「よし! とりあえず貴女のお家に向かいましょう! ミリィちゃん、お家の場所分かる?」
「うん!」
すっかり元気を取り戻し、少女の手を握る幼子は満面の笑みで返事をした。そして今度はミリィが少女の手を引きながら、唐突に勢いよく走り出して、自分の家まで案内するのだった。
テルルは導かれるままに街を駆け抜ける。その幼子の言葉を何一つ疑わずに。全てを信じて微笑んで。その先に待ち受けるモノも知らずに。
「ここ!」
「───っ。」
そして走り続けた少女はミリィの自宅にたどり着いた。そこは店から少し離れた中高層の住宅がならぶ閑散とした街区。一先ずは何事もなく無事に到着したことで、ホッと一息ついて安堵するテルルだったが、しかし次の瞬間、その安心は一転して警戒に移り変わる。
既に走り出そうとしていた幼子の手を引いて、その歩みを止めさせる。
「私のそばから離れないで、ミリィちゃん。」
「え?」
この場においてただ1人、状況が理解できずに困惑するミリィを差し置いて、テルルは真っ直ぐに目的地の建物の前に立つ、怪しげな人影を見つめた。
徐々に彼らは接近してくる。そしてその姿が街灯に照らされ露わになった時、そこで初めてテルルは自らの選択を誤ったことを悟った。
「───動くなよ。声も出すな。」
「・・・」
それは胸に薔薇を付けた黒服の男たち。その手には黒い銃器を握りしめており、その銃口を向けられた少女は抵抗する事などできない。ただ怖がって震える幼子を強く抱きしめるだけ。彼らは紛れもなく例の噂のギャングたちであり、老若男女関係なく、ただ平然と人を殺傷する悪党なのだから。




