No.1「奇術師の魔法」
2010年代、フランス、パリ。
コンサートホールで大勢の客を沸かせるのは、煌びやかな衣装を身に纏ったマジシャンたち。しかしその中でも一際異彩を放つのは、若き凄腕の奇術師2人。
その少年の名はジェード。ウェーブのかかった灰色の髪にエーゲブルーの瞳。凛々しくも整った容姿は、まるで物語の王子のよう。
その少女の名はテルル。ハーフアップの短く明るい茶髪にレモンイエローの瞳。可憐で可愛らしい童顔は、まるで物語の姫のよう。
彼らは互いの背中を合わせ、一糸乱れぬマジックで人々を欺き、楽しませ、笑顔を生み出す。
少年はその手から鮮やかな炎を放ち、それを一瞬にして花吹雪に変化させ、その中から白い鳩を飛び出たせる。少女はその手から小さな宝石を放り投げ、その輝く石は粉々に砕け散り、光を反射させて現実とは思えない幻想的な空間を作り出す。
2人でひとつ、息を合わせ、鼓動を重ねて披露する派手なマジック。彼らの優れた技量と経験、そして何よりも優れた連携は他の追随を許さない。
その素晴らしい奇術の数々は魔法と称され、大勢の人々を魅了し、虜にする。やがて会場は万雷の拍手に包まれて、一欠片の熱も冷めぬまま終演を迎えた。
「───疲れた〜!」
「っ、急に耳元で叫ぶな。」
「別にいいじゃん!せっかくの仕事終わりなんだしさー。」
「なら尚更静かにしてろ、馬鹿女。」
「あ! また馬鹿って言ったな! この冷酷男!」
「───っ!?」
少年の腹に容赦なく拳を入れる少女。その鉄拳制裁を受けた少年は青ざめた顔をする。マジックショーを終えたジェードとテルルは言い争いながら街を歩いていた。花の都には街灯の明かりが灯り始め、星と月が輝く夜が訪れている。
「───それにしてもお腹空いたな〜。どうするジェード、どっかで食べていく?」
「いや、今日は店で済ませよう。もう今月は誰かさんが散財して金がないしな。」
「あはは、そうだった、そうだった。」
「・・・はぁ。」
無駄に明るく能天気な少女の横で、渋い顔をする少年はため息を吐く。それは彼女の金遣いの荒さに呆れ、また同時に慣れているようだった。ゆえに少年が細かく怒ることはない。それを少女も理解しており、調子に乗って甘えて縋る。
それほど彼らの仲は深く、お互いに一切の遠慮がないほど長い付き合いなのだ。
それからしばらく小言を言い合って、人々で賑わい始める街を歩き続けた2人は目的地にたどり着いた。
そこは街の中心地から少し離れた位置にある店の前。錆びついた看板の明かりは点滅を繰り返し、彼らが歩いてきた繁華街ほどの人気もない。それは本当に営業しているかどうかも怪しいラインだ。
しかし2人は迷わずに階段を降りて、半地下になっている入り口から店に入った。それはさながら通い慣れているように、微塵も躊躇わずに扉を開けた。
「あはは、今夜も盛況だね。」
「そうだな。カウンターは・・・よし、空いてるな。」
その店内は間接照明の僅かな光によって照らされ、マジックを披露する奇術師と、それを見物し酒を呑む客で賑わい、大いに盛り上がっている。
落ち着いたピアノの演奏と騒がしい歓声が響く。ここはマジックバー、Night Wanderer (ナイト・ワンダラー)。古今東西から集まったマジシャンたちが自由に腕を競い、客を楽しませ、酒を呑む場所。
「おー、盛り上がってんな。」
「ねぇジェード、これ食べ終わったら昨日の続きやろうよ!」
「いいぜテルル、また泣かしてやるよ。」
「ふっ、今夜の私は一味違うんだから。」
店内で行われるマジックを横目で眺めながらカウンターで賄いを食す2人。彼らもまたマジシャン、この店の客でもあり、従業員でもあるのだ。
「おい、お前らも働けよー。」
「悪いな、俺たちは今日は非番だ。ご馳走様、隅のテーブル借りるぞ。」
「またかよー。」
少年はカウンターの奥にいた働き詰めのバーテンダーに小言を言われるが、軽く無視して店内の隅にある年季の入ったテーブルに向かった。
「ほら、はやく早く!」
そこには先に向かっていたテルルが待ち構え、その手にはキューを持ち、すでにゲームの準備を終えていた。
「今日こそは稼がせてもらうからね!」
「はっ、それはこっちのセリフだ。」
そして食事を済ませた2人はテーブルの上の小さな球を交互に突き合う。それは金銭を賭けた真剣勝負のビリヤードだ。
それから刻々と時は流れ、さらに今宵の夜は深まり、店内は多種多様の人間たちで賑わいを加速させ、それを助長するようにピアノの疾走感のある演奏が始まり、同時に2人の勝負は白熱していた。
「むー、なんでなんでなんで!」
「はいっ、これで三連勝。毎度あり!」
「もう1回! もう1回!」
「いやお前、もう金ないだろ?」
「ツケといて!」
「・・・分かった、これで今月はツケ22だな。」
「21だよ! 前の打ち上げの時のやつは含めないで!」
「いや22だ。」
「もう! 細かい男って嫌い!」
「そうか、奇遇だな。俺は誤魔化す女が嫌いだ。」
「むー、次で取り返すからいいよ!」
「はは、なら頑張ってくれ。」
テルルは涙目で頬を膨らませて苛立つも、ジェードは少女に見えないよう小さく笑う。少女は感情が豊かな反面、顔に出やすい。おまけに煽りにも弱い。それを熟知している少年は意図的にテルルを挑発してカモにする。
それはビリヤードに限らず、ダーツやポーカーなどの様々な賭け勝負でも同様。その勝率は言うまでもなく、残酷なまでにジェードの圧勝だ。
少年のポーカーフェイスは決して崩せない。その心は落ち着きを保ち、常に冷静で冷酷。おまけに性格は悪い。
「───どうした、そんなもんか?」
「うるさい。」
「・・・」
それを長年の付き合いの少女も理解しているが、それでも彼女は諦めずに挑み続ける。だってムカつくし悔しいから。だからその冷めた少年の澄まし顔を叩き潰す。それが少女の本心だった。
「・・・」
「・・・」
黙々と集中して球を突き合う2人。お互いの心のうちを探り合うまでもなく、知り尽くし、共感し合う。ひとたび少女が集中すれば、呼応するように少年も本気になる。そうして店の隅っこで無駄に白熱した賭けビリヤードを行っていると、その熱を帯びた空間に侵入する者が現れた。
「───ねぇ。」
「「?」」
それはまだ幼い子ども、2人よりもはるかに小さな女の子だった。この店には、そもそもこの時間帯には違和感しか感じない存在。
それを前にして少年と少女は目を見合わせて固まった後、テルルは幼子にゆっくりと近づき、彼女の前で静かに屈んで微笑みかけた。
「どうしたの?」
少女が首を傾げながら優しく問うと、その幼子は声を張り上げて言った。
「・・・わたしに、魔法を教えて!」
その言葉を投げかけられた少女と少年は驚いて目を丸くする。それは冷やかしでも冗談でもない、その表情と声色、その仕草は小さいながらも真剣であり、それが女の子の切実な願いだった。




