第62話「照らす夜(後)」
そして快晴となった空からは光の雨粒が降り注ぐ中、闇の柱の消失を確認したカナンは黄金の剣、ステラルクスを見つめた後、その剣身に優しく手で触れてから、自身の胸の中に納めた。
その瞬間に少女を包んでいた輝きは消え去り、その瞳は黄金から瑠璃に、その髪は純白から金色に、全ては元の状態に戻るのだった。
「───っ。」
そのまま徐に顔を上げると、全ての戦いを終えた少女の目の前に広がるのは、夜明けを迎えた澄んだ世界であった。
そして俺とカナンは海崖の上を共に歩き始めた。壮絶な戦いを終えたお互いを労いながら、他愛もない話をして笑い合いながら。
「───確かに、あの時も結構苦労したよな。」
「そうだったね、ふふ、もう少し慎重になるべきだったかも。あの2人は優秀だったけど、人間としてはどこか抜けていたからね。」
「はは、それもそうだ。」
それは最早懐かしいと感じられる事ばかりだ。今になって振り返ると、これまで積み重ねてきた日々の全てが、鮮明に思い出せる。それはきっと何年経っても、決して色褪せないであろう記憶だ。
あの日、放課後の路地裏で結晶とカナンに遭遇し、橋の上で邂逅を果たして黄金の剣を手に取った。その後は黒ローブの男を討ち取って、セキとブライスとの同盟を結んで、皆で闇鍋を囲った。
「───ふふ、あれは今思うと本当に強烈だったね。」
「あぁ。ほんと二度とごめんだよ。」
2人で顔を見合わせて自然と笑う。あの惨状もまた一つの思い出なのだ。それからは4人で深夜に死者を討伐したり、常に頭痛とため息の絶えなかったセキとカナンとの同居や3人で休日に遊びにも行った。あとはカナンと喧嘩したり打ち解けたりして、強化された死者を倒した。
そして廃墟の団地で純金骸骨と大量の死者と対峙して、最後にはブライスと戦って銀の月のペンダントを、その傭兵の意志を譲り受けた。そこから怒涛の日々の連続で、未来に帰るセキを見送ってからは、カナンの臣下に襲われたり、彼女を連れ出してデートしたりと。ここ最近は特に慌しかった気がする。
それからカナンと共に歩み始めた矢先にグレイヴに襲われて、何とか逃げ出した俺たちは屋敷で覚悟を確かめ合って添い遂げた。そして紅い霧に覆われた街を2人で駆け抜けて、闇の柱の前で待ち構えていたグレイヴと戦い、遂には全ての勝利を掴み取ったのだ。
「───本当に、色々あったな。」
「えぇ。」
幼い子どものように破天荒であったが、常に強くて優しかったセキ。どこか抜けていて情けない男だったが、その背中だけは大きくて頼りになったブライス。そして真面目で融通が利かないが、どんな時でも冷静で、静かに微笑んで隣にいてくれたカナン。
お互いに生まれた時代も場所も違う。本来ならば決して重なることのない運命だったが、それでも俺たちは自然と出会って共に戦っていた気がする。そう本心から思うほど、彼らはかけがえのない仲間たちなのだ。
「・・・」
だからこそ、あの日々の思い出話は一向に止まらないが、それを語り尽くすほどの時間は、もう俺とカナンには残されていない。
そして俺は歩みを止めて、その場に立ち止まった。このまま進み続けていれば、いつかは終わりを迎えてしまう。その抗えぬ現実を受け入れるには、やはり覚悟が足りていなかった。
「・・・っ!?」
しかし少女は何も迷わずに進み続けた。その足を少しずつ、一歩ずつ、ただ着実に前へ。そしてカナンは遂に辿り着いて立ち止まってしまった。そこは海崖の先端、それ以上は崖で進むことができない、正真正銘の終着点。
そこからの展望は残酷なほど美しい。その崖の向こうの海岸線からは眩い朝日が昇り始め、その輝きは波打つ海を、暗い夜が覆っていたこの世界を、そこに立つ金髪の少女を照らしている。
「───っ。」
その崖先でカナンは朝日に照らされて輝く海を眺めていた。その顔は朗らかに笑い、その髪は海から吹きつける風で靡いていた。
「───ぁ。」
それを見て俺は言葉を飲み込んだ。少女のその姿はただただ美しかったのだ。その光は何よりも眩く、明るく、輝いている。その朝日に照らされる少女も、また目を奪われるほど美しいのだ。
そして何より絶句させられたのは、その輝きの中で、少女の体は徐々に光となって、その指先から消え始めていることだ。
その現象を前にしてもカナンは何も変わらない。小さな光となって消えていく自分の手を見つめながら、ただ静かに微笑んでいた。そして消えゆく少女は緩やかな動きでこちらに振り返る。
「───っ!」
その瞬間、カナンの透き通った青い瞳と目が合った。その視線に正面から覗かれた俺は、必死に言葉を紡ごうとしたが、どれほど絞り出そうとしても、この声は出なかった。
それに引き換えて、この口からは嗚咽が、この瞳の奥からは水滴が溢れそうになる。
(───それだけは絶対にダメだ!)
あんなにも自然と微笑む少女の前で、俺だけが泣き喚く訳にはいかない。無様に涙を流すにしても、今はまだ耐え切らなくては。せめて最後の別れ際ぐらいは、俺も彼女のように、自然と笑って、何か、何か言って・・・いや、俺は、一体、何を言えば。
カナンにかける言葉が見つからない。お互いの覚悟を確かめ合い、共に生きていくと誓ったのに、結局は最後まで彼女に救われて、照らされて。こんな俺が今更何を言おうというのだ。
そう考え始めたら、急に何もかも分からなくなった。瞳を閉じて視界を遮るも、負の思考の連鎖は止まらない。最後にして耐え難い後悔と心残りに苛まれる。
そして悲痛な思いに押し潰されながら、再び目を開けると、それでも少女は静かに微笑んで佇んでいた。もう残された時間もないというのに、彼女は微塵も焦らずに俺のことを待ち続けてくれている。
(・・・そうだよな、カナンなら、そうするよな。)
それが少女の優しさであり、強さであり、在り方なのだ。そうだ、何を寝ぼけていたんだ。俺はその何よりも眩しい彼女の笑顔に惹かれたのではないか。それが俺の原点であったのではないか。ならば今の俺がすべき事は、ここで取るべき選択は。俺がカナンに伝えなければならない想いは。
「───っ!」
「───え?」
そして少年は自分の頬を勢いよく叩きつけた。その素っ頓狂な奇行にカナンは驚いて目を見開くが、すぐに唖然として、今度は彼女が言葉を失った。
朝日に照らされる少年が笑っていたのだ。それもごく自然に、ただ純粋に、それは眩しいほど屈託のない笑顔。どこか慣れない作り笑いしか見せなかった少年が、今の今まで苦悶の表情を浮かべていた蓮が。ただ少女の為に、全ての想いを込めた微笑みを。
「ありがとうカナン。君に出会えて、本当に良かった。」
そして少年は真っ直ぐに感謝を伝えた。それが彼の選んだ最後の瞬間の選択なのだ。てっきり泣いて縋られると思っていたカナンは予想外の少年の笑顔に呆気に取られて、そこで初めて動揺したが、少年の顔を見つめてすぐに持ち直した。なぜなら彼の瞳には今にも涙が溢れそうだったのだ。
「───ふふ。」
その少年の不格好で不調和な姿を愛おしく想い、少女も彼との別れが辛いほど名残惜しく思った。それでも最後に彼女は伝えなければならない。これから永き時を、果てしない未来を歩む少年を縛り、照らし、導く言葉を。
「───蓮。」
俺が全ての想いを感謝にして伝えた後、しばらく沈黙していたカナンは口を開いた。それは今にも泣きそうだった俺を、彼女自身を繋ぎ止める最愛の言葉だった。
「大丈夫、また会える。」
そして少女は金の髪を靡かせながら、小さく、優しく、どこか懐かしそうに微笑んだ。その姿は凛々しく、儚く、ただ美しかった。
「───っ!?」
カナンが最後の言葉を紡いだその瞬間、朝日に照らされたその体は一斉に眩い光に包まれて消え始め、その残光は澄み切った青空に舞っていく。
「カナン!!」
そこで俺は走り出していた。少女の体が完全に消え去る前に、その存在が目の前から失われる前に。カナンも薄れゆく自分の手を精一杯に広げて待ち構えている。
「───っ!!!!」
そして俺はカナンを抱きしめた。その瞬間に少女の体は完全に光となって、その全てが跡形もなく消滅したが、最後にこの手は確かに彼女の熱を感じ取っていた。
「───っ、うっ、うぅ。」
しかし、もうこの手の中には何もない。少女の優しい笑顔は、その柔らかく透き通った肌は、その眩く暖かい光は、もう二度と触れる事は叶わない。
「カナン!!!!!!!!!!!!!!!!」
俺は崖先で彼女の名前を大声で叫んでいた。もう決して届かない声が波打つ海に響き渡る。それでも俺は叫び続けた。たとえそれが無駄な行いであろうと、無意味であろうと、この声が枯れ果てるまで、その叫びが未来に届くまで。
そして力尽きた俺は足から崩れ落ち、朝日に照らされながら地面にうずくまった。そこに笑みを浮かべる余裕などある筈もない。本当に情けないほど顔を歪ませて、ただ永遠と嗚咽が続き、その目からは大粒の涙は止まらなかった。
それでも少女の笑みは、この脳裏に深く焼き付いている。それは決して忘れることのない、かけがえのない光。それはあまりにも眩しくて、儚い夢のような景色。たとえ隣に少女がいなくとも、その情景がこの心を照らし続けてくれるのだ。
だから俺は独りでも立ち上がる。涙は止まらなくとも、精一杯の笑顔を澄み切った青空に見せつける。
だって今この瞬間からは、本当の未来に向かって生きていくのだから。果てしなく長い、自分だけの人生が始まるのだから。




