第60話「深淵の底」
その戦闘は今までよりも一層激しく、より速く、より苛烈で圧倒的だった。
「ぐっ!!」
「───っ。」
カナンの剣はその一振りが鋭く重い。その光の輝きは衰えずに、むしろ増している。対してグレイヴの動きには余裕がなく、もはや敗北を長引かせるために刀を振り続けているようだった。
グレイヴが死者化してからは、彼の刀が優勢であったが、今は終始カナンの剣の方が勝っており、彼女が力を解放したことで形勢逆転となったのだ。
「・・・」
カナンのおかげで死者化が止まり、徐々に身体を動かせるようになった俺は鉄の剣を握りしめて、その戦いを見つめていた。
黄金の光を身に纏った少女の動きは凄まじく速い。刀を振るう男の動きを先取りし、さらに加速し続けて純白の髪が美しく靡いている。その金色の瞳は光り輝き、グレイヴの苦し紛れの一挙手一投足を見逃さない。
「───ぐっ!!!! これ程とは、いや、あの時よりもさらに!!」
「──────っ。」
「答えろカナン! なぜここにきて輝きが増した!? 一体俺とお前の何が違うというのだ!?」
「・・・?」
そこでカナンは加速し続けていた手を止めた。男の意味のない必死な問いかけを哀れに思ったのか、もしくは単に呼吸を整えるためかは分からない。
「・・・確かに、未来での私なら、ここまでの光を解放できなかったかもしれない。」
そして少女は静かに剣を手に取って、その金色の瞳で真っ直ぐに見つめた。
「でも、この時代に来て、彼と出逢って、たくさんの事を知って。私は変わった。あの時の私ではない私に。そう、きっと私は成長したの。他の何者でもない、たった1人の人間として。」
それが少女の歩んできた人生であり、全てだった。それは独りで戦い続ける男にはないもので、同時に理解できないものである。
課せられた運命を憎み、妬み、僻み、ただ捻じ曲げようとした者。一方で苦しみ、絶望し、抗った末に受け入れた者。その違いは明白であり、たとえ始まった場所が同じであっても、最終的に選んだその在り方は対極だ。
「・・・なんだ、それは。」
「私は貴方のことを同情なんてしないけど、少し不憫には思うよ。同じ運命を背負った者として、それに囚われ続けている未来を。」
「黙れ!! ふざけた綺麗事を並べて、己の無力さを棚に上げて全てを見捨てた愚か者が!!」
「そうかもね。」
「そんな在り方を俺は絶対に認めない!! お前だけは、カナン、お前だけは必ずここで終わらせてやる!!」
「今の私ならば、たとえ貴方だろうと照らしてみせる。」
「やってみろ!!」
憤怒するグレイヴの雄叫び。それを合図に再び剣を構えたカナンだったが、そこで初めて輝く金色の瞳が揺れた。
「───?」
「ふふはっ、俺に時間を与えたのは不味かったな!!」
瞬時に身構えたカナンを前に、高らかに笑う男は漆黒の刀を手でなぞった。その瞬間、黒い刀身から一斉に溢れ出て広がり始める深淵、光すら飲み込む宇宙の闇の穴。
「───っ!?」
危険を感じたカナンは即座に剣を振り下ろすが、すでに空間は歪み終え、光は捻じ曲がり、その暗黒を前に少女はなす術なく吸い込まれていった。
「カナン!!」
少女の名を叫んだときにはもう遅い。その姿は一瞬にして世界から消えてしまったのだ。
「・・・嘘、だろ、カナン。」
必死に周囲を見渡すが、光輝いていた少女は何処にもいない。
「カナン!!」
「───無駄だ。」
「!?」
漆黒の刀を腰に携えたグレイヴは淡々と宣告した。もう全ては無意味であると。
「あいつはもう帰っては来ない。これが俺の最後の力だ。」
「・・・お前、カナンに、カナンを何処に!?」
「あの鬱陶しい光ごと、普段は死者を格納していた深淵の空間に飲み込んだ。そして俺の許可なしに、そこから這い出ることは不可能。通常なら穴を作るのに時間がかかるのだが、ふはっ、悠長に話をしてくれた助かった。」
「そんな、こと。・・・くっ、カナン!!」
男は心底愉快そうだった。訳のわからない場所にカナンを閉じ込められたのがよほど嬉しいらしい。もう戦いは終わったとでも言うように、その警戒を完全に解いている。
「だから言っただろう、もう無駄だと。
あの空間には音を含め、光すらも届かない。あの場所は深淵の底、何も聞こえず、何も感じない。もうあいつには何もできない。そして江古田蓮、お前にもな。」
「カナン!! カナン!!」
それでも俺は彼女の名前を叫び続けた。この声が枯れ果てるほどに。このまま終わりだなんて俺は信じない。あの光が消えるなんて、絶対にあり得ない。
その姿が見えなくとも、そこに居るはずなんだ。その声が聞こえなくとも、そこに・・・
「はぁ、まったく煩わしいな。今殺して───」
「カナン!!!!!!」
そして俺は彼女の名を呼んだ。それが無駄だろうと、無意味だろうと。たとえ刀を持つ男が迫ってきても一切構わずに。
それは少女が吸い込まれた暗黒の中だった。そこには何もなく、何も見えず、何も聞こえず、何も感じ取ることができない。ただ底に向かってゆっくりと落ちていくだけ。
(・・・ダメだ、何も、できない。)
その身体に力は入らず、僅かに動くことすらできない。少女と共に落ちてゆく剣にも光は灯らない。ただ真っ暗な無の空間。カナンは呼吸すらできずに深淵の底に落ち続けていた。
(・・・私は、また、このまま、何もかも。)
少女が感じられるのは歯痒い無力感と虚無感、そして果てしない後悔のみ。もう2度と同じ過ちを繰り返さないと誓ったのに、またしても少女は何もできずに絶望するだけ。
(いや、それだけは、絶対に。)
ただ少年を残して、自分独りで諦めることなど、そんな身勝手は少女自身が許さない。どんな暗闇の中であろうと、彼女の光は、少年への想いだけは失われない。
──────カナン、カナン!!
(───蓮!?)
その時、この何もない場所に少年の叫び声が聞こえた気がした。その少女の名前を呼ぶ声は、次第に大きく響き始め、それが幻聴ではないことを確信する。
(・・・そうだ、私は、まだ。)
こんな場所で終わるわけにはいかない。まだ彼に伝えなければいけない言葉もある。
───カナン!!
そして真っ暗な闇の中で少女は微笑んだ。再び黄金の剣を手に取り、その輝きを解き放って。その光で暗い深淵の底を余すことなく照らし尽くして。
ただもう一度だけ、あの少年のもとを目指したのだ。
「───ん?」
故にその時は訪れる。グレイヴが無我夢中に叫び続ける蓮を殺すため、その足を一歩踏み出すと、突如として何もない空間に亀裂が入り始めた。それは硝子が割れるように甲高い音を響かせながら、徐々に大きく広がって空間を引き裂き続け、その隙間からは眩い光が漏れ出している。
「なっ、なんだ!?」
やがて空間の裂け目からは一際大きな眩い光が溢れて出て、その輝きに照らされた死者たちが力なく這い出てきた。
「ば、馬鹿な!! あ、あり得ない!!」
男は目を見開いて慌てふためき、その光に向かって叫んだ。
「黄金の光が、俺の闇を、照らしているだと!?」
そして深淵の空間は完全に打ち破られて崩壊し、そこから差し込んだ光と共に、輝く短い白髪を靡かせるカナンが目の前に現れるのだった。
「───カナン。」
「ありがとう、蓮。」
「え?」
こちらを見つめるカナンはどこか嬉しそうに微笑んだ。そして俺は目を見開いた。眩い黄金の光に包まれ、その姿が神々しく変化しても、少女の笑顔は変わらなかったのだ。
「カナン!! お前、どうやってあの空間を!?」
「───私を呼ぶ蓮の声が聞こえた。ただ、それだけ。」
「あり得ない、あの場所に外から声など届くはずが。そんな事、ある筈がない!」
「・・・どうであれ、私は今ここにいる。彼がいたから、また私は戦える。」
「───くっ!?」
この状況に困惑し取り乱すグレイヴをよそに、少女は瞳を閉じて黄金の剣を強く握りしめた。




