第56話「蓮の戦場」
重い痛みと共に目を覚ますと、そこは暗い木々の中だった。先ほどの場所と同じで、この紅い霧に包まれているのは変わらないが、どこか奇妙な静かさと不穏さが空間をつくっている。
「・・・っ。」
激しい剣の衝突音と地面が抉れる音が木々を通り抜けて響いている。恐らくカナンとグレイヴの戦闘だろう。ここまで鮮明に聞こえるのならば、そう遠くない場所に吹き飛ばされたようだ。
「───よし。」
俺は一緒に飛ばされてきた傭兵の剣を握りしめて立ち上がる。もう骨の負傷は耐えるしかない。問題は内臓だったが、最初に吐血してからは痛みも引いている。カナンの光に強化されていたおかげだろう。そうでなければグレイヴの拳は貫通していたと思わせるほどの威力だった。
「・・・っ?」
そして一刻も早くカナンのもとに戻ろうと走り出した時だった。暗い木の影から赤い霧をかき分けて、一体の死者が姿を現した。
「───っ、───っ。」
「なんだ、こいつ。」
その見た目は普通の死者とは違って、その身体が目立って朽ちていなかった。通常よりも一回りほど体格は大きく、驚くほど筋肉質で引き締まった身体だ。その青白い皮膚も堅牢そうな光沢が出ている。
そして歪に裂けた口から白い吐息を止めどなく吐き出していた。
「───っ、───っ、グォォォォォ!!!!」
「───なっ!?」
さらにその死者は恐ろしいほど速かった。その目で追えないほどの瞬発力から放たれる拳は正確に俺の命を狩りにきている。
「───ぐっっ!?」
その突進を無理矢理にでも剣で防いだが、あまりの衝撃に後方にある木の幹まで吹き飛ばされてしまった。
「───くっそ、人のことを何度も何度も飛ばしやがって。少しは加減しろっての。」
度重なる吹き飛ばしに遭って悪態をつくが、俺は努めて冷静に状況を把握していた。
いつかの夜の廃墟のように、歪な強化をされた死者、この感じだとそれの上位互換的なやつだろう。まったく、人の命を弄ぶのも大概にしろよな。まぁまぁ薄情な人間の俺だって、普通に苛立ちを覚えるぐらいだぞ。
「───さて、どうするか。」
徐々に一歩ずつ、木々の奥から迫ってくる死者。そこに理性や感情はない。あれはただの動く死体。ならば技の駆け引きも微塵もない、あるのは単純な力勝負だ。
「・・・」
あの夜に倒した巨体の強化種の死者は黄金の剣の圧倒的な火力に頼って打ち勝ったが、今の俺には特別な剣はない。おまけにあの時よりも硬そうだ。
これは割と絶望的状況ではあるのだが、それでも俺は愉快に笑っていた。この剣の前任者の男ならそうしていたはずだ。
「───っ!」
そして対策を練る間もなく、死者はお互いの姿が見えて俺の存在を認識した瞬間に、再び爆発的な速度と共に突撃したきた。
「───っ、───っ?」
「ははっ、2度目はないぜ!」
最初の突進で目は慣れた。あとは感覚の問題であり、馬鹿正直に突っ込んでくる死者との距離感を掴むだけ。
これまでの戦いの日々で研ぎ澄まされたセンスと動体視力、経験。その全てをもってすれば、この脳筋攻撃を寸前で避けること自体は可能だ。
だからこそ問題なのは。
「オラッ!! ───あぁくそ!」
死者のがら空きになった胴体を真っ二つに切断しようと、その青白い肉体に全力で剣を振り下ろしたが、大きな火花と金属音と共にやはり弾かれてしまった。
まさに鋼の肉体。大抵の死者は肉体が腐敗していて、脆くて切断しやすいのに、こいつは異常なほど頑丈で鉄壁だ。
「───っ、グガォォォ!!」
「あっ───ぶねっ!」
その後も死者の怒涛の追撃を避ける。それを剣で正面から防げば、さすがに傭兵の剣自体も、俺の身体も耐えきれない。
まずは全ての衝撃を剣で受け流しながら、寸前のところで避け続ける。その鋼の拳が一発も当たらないよう、俺の肌を掠めるかほどの距離で躱す。
「───っ。」
こうしている間にも、カナンは1人で戦い続けている。正直こんな所で足止めを食らっている訳にはいかないが。
「まぁ、仕方がないよな。」
時間はかかるが、やるしかない。一つずつ着実に正確に。至ってシンプルな正攻法で。
「───らぁ!!」
そして俺は死者の胴体に鉄の剣を叩きつけた。その衝撃を受けて僅かに怯む死者だが、その身体には小さな毛はどの傷しかついていない。
「───っっ!!」
それでも毎度正確に同じ場所を何度も叩きつけて斬り続ける。
「───!!」
それを迫り来る突進と拳を躱し続けながら。永遠と意識を途切らせずに繰り返す。
それはまるで鍛錬を繰り返すように。幼い頃に屋敷の中庭で無邪気に剣を振り続けた思い出をなぞるように。ただ無心に、一点のみを、精密に。
「───っ、───っ、───っ。」
「───はぁ、───はぁ、ははっ。」
それを僅かな時間の間に何百何千回も繰り返して、気がつくと俺と死者は息を切らしていた。目の前の敵は徐々に広がる傷と負傷を前に明らかに消耗している。一方でこちらも体力的にも余裕はないし、この攻防の中で不覚にも何度か拳を食らっている。
「───っ、───っ。」
「───ははっ。」
しかしその成果は十分で、強靭な身体を持っていた死者の胴体には大きな亀裂が入っており、その隙間から緩やかに腐敗した肉体が崩れている。果てしない道のりだっだが、一応ダメージは通っているのだ。
恐らく次の一振りで確実に破壊できる。それをあいつも思考はせずとも本能で理解しているはずだ。ならばお互いに譲れない最後の闘争だ。
「───っ、───っ、───っ。」
「───ふぅ。」
そこで俺は一旦目を閉じて大きく深呼吸した。そして呼吸と脈拍を整えて剣を後ろ向きに構える。
「───っ、───っ。」
「・・・」
「───グォォォォォッ!!!!!!」
「ラァァァァァァッッ!!!!!!」
ただ己を鼓舞する雄叫び。お互いに目の前の敵を牽制し、威嚇する。
「──────っ!!」
まず速度で勝ったのは死者の強烈な猛突進。しかしこちらも負けず劣らず、常人離れした直感的な反射神経と反応速度で、その拳を目と鼻の先で躱す。それでも僅かに肌をかすめた衝撃が目元を切り裂く。
その傷から鮮やかな血が吹き出るが、もう俺の視界には映ってはいなかった。
「──────はぁっっ!!!!!」
飛び込んできた死者の屈強な胴体に、側面から鉄の剣を叩きつける。そして渾身の一振りは一瞬だけ静止した。
「───っ、───っ。」
「・・・」
その刹那の時間が恐ろしく長く感じる。冷や汗が止まらず、鼓動が凍り始める。既に死者は次の拳を用意している。もし仮に、この場面で剣が完全に止められたら終わりだが・・・
「───っ、───っ!?」
「─── オラァァァァァ!!!!」
その瞬間、死者の鋼鉄の身体には瞬く間に亀裂が広がり、全てが連鎖的に崩壊していった。あとは力任せに剣を横に薙ぎ払い、その胴体を容赦なく真っ二つに切り裂いた。
「───は、はは。」
地面に転がって動かなくなった死者の身体を見下ろす。ほんの僅かにでも反応が遅れていれば、この目は完全に潰されて、そのまま頭蓋骨を破壊して脳天を貫かれ、地面に転がっていたのは俺だっただろう。
もちろんカナンの光の強化の恩恵でもあるが、これは紛れもなく俺が、俺の剣で、他者の手を借りずに単独で討ち取った成果だ。
「よしっ!」
俺は拳を強く握りしめる。勝利の余韻に浸る暇はないので、ほんの一瞬だけでも。この記念すべき勝利を噛み締めるのだった。
「───っ!?」
しかし喜ぶのも束の間、咄嗟に視線を前に戻す。目の前の暗闇から感じるのは、おびただしい数の死の気配。そして木々の裏からは有象無象の死者たちが次々と現れる。今度は質ではなく量。いくら個々の能力が低くとも、その数の暴力は身をもって体感している。
「おいおい、まったく、どんだけいるんだよ。」
暗い木々の奥、赤い霧の中からは永遠と死者たちが溢れ出てくる。それはあの夜の廃墟を思わせる圧倒的な数だ。
「まぁ、あの時はあいつに任せたからな。」
あの廃墟の団地で傭兵が起こした偉業を再現するだけ。あいつも鉄の剣一本、たった独りでやり遂げた事だ。ならば今度こそは俺の番である。
「ははっ! まとめてかかってこい! 全て切り刻んでやる!!」
それが元人間だろうが俺には関係ない。それは動く死体、ただの肉塊だ。俺は博愛主義者でも善良な善人でもない。彼女への道を遮るモノは、何であろうと斬り伏せる。そして俺は大量の死者に囲まれながら、その中心で豪快に笑って、暴れ狂うように傭兵の剣を振るった。




