第54話「紅き霧煙る街」
深夜零時、真夜中の始まり。寝室で仮眠を済ませた俺とカナンはお互いの装備を整えていた。
「それじゃあ私がメインで、蓮はサブでね。一応私の光で強化はするけど、過信はしないで。」
「うん分かった。それと、肝心の武器はどうしようか。」
「・・・それなんだけど。」
なぜかバツが悪そうにするカナンは玄関の奥の部屋から、とある物を取り出してきた。
「・・・え、それ。」
それは1本の鉄の剣だった。少し削られた跡はあるが、その剣身は未だに大きくて、とても見覚えのある大剣だったもの。
「きっと蓮に必要になると思って調整していたの。・・・黙ってて、ごめんなさい。」
その剣を抱えるカナンが申し訳なさそうにするのには理由がある。なぜならブライスの装備は、主に俺の意向のもと、その体を含めて全て処分したからだ。
あの時はただ、彼の面影が残る品を預かる勇気が俺にはなかった。彼から譲られたペンダントだけで、俺の精神的には手一杯だったのだ。
そのことをカナンも察してくれて、お互いの同意を得て全て破棄したはずだったが。
「・・・」
そして俺は傭兵の剣を受け取った。こうして手に取ってみると、その傷だらけの幅広い剣身など、彼の大剣であった名残はある。
「・・・重いな。」
「えっと、もう少し削る?」
「いや、いいよ。これでいい。」
やはり、まだ俺には重く感じる剣ではあるが、それでもカナンが俺のために用意してくれたのだ。その好意を無下にはしたくないし、この程度も扱えないようじゃ、あいつに大きく笑われてしまうだろう。そう思ったら、自然と笑みがこぼれてしまった。
「・・・蓮?」
「いや、何でもない。ありがとうカナン。この剣は俺が使わせてもらうよ。」
「えぇ。・・・うん、これで準備はOK。そろそろ、行きましょうか。」
「そうだな。行こう。」
お互いに目を合わせて静かに頷く。そして俺たちは玄関の戸を開けて外に出た。
「「───え?」」
そこで俺とカナンは同時に言葉を失ってしまった。その目の前に広がった衝撃の光景を見て。
「・・・何だ、これ。」
俺は自分の目を疑った。屋敷の外の世界は禍々しい紅い霧で覆われており、この街全体を覆い隠すように充満していた。
その血のような濃霧で霞む視界の中で、一際目立つ曇天の夜空に伸びる光。それは紫黒色の大きな光の柱だった。
「あの光は、海岸の方か。・・・カナン、これは一体?」
「・・・まさか、ここまでやるだなんて。」
「カナン?」
「あ、うん。こうなったら時間が惜しい。蓮、走りながら説明する!」
「あぁ、分かった!」
そして俺たちは屋敷を飛び出し、赤い霧のかかった街を走り抜ける。
「この霧と、あの光の柱はグレイヴの漆黒の刀の力。刀の闇で世界を侵食するのだけど、その効果は・・・」
その時、駅前の大通りに出たカナンは足を止めた。そして少女は目の前に広がる光景を前に、悲痛な顔を浮かべる。
「これは・・・」
そこには様々な人間が各々に混乱を極め、訳もわからずに右往左往していた。それは逃げ惑う者、あるいは悲鳴をあげる者、もしくは呻き声をあげて暴れる者。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。霧の中から次々と死者が生み出され、逃げ回る人々を襲い殺し、また新たな死者をつくりだす。
「こが街を覆う紅い霧の効果。あの黒い刀に直接触れなくても死者化させてしまう、無差別に被害を与える最悪の力。」
「・・・こんなの、どうすれば。」
「この霧は闇の柱から漏れ出ているモノだから、恐らく待ち構えているグレイヴを排除して、あの柱を折るしか方法はない。」
「その間、この人たちは・・・」
「・・・私の光で抑えられはするけど、この侵食の拡大は止まらない。とにかく急ごう。この後は絶対に足は止めずに、できる限り多くの人を助けながら。私たちは何よりも、あの男を倒さないといけない。」
「・・・っ、そうだな。」
そして俺たちは再び走り始めた。逃げ惑う人々を襲う死者に剣を振り、その動きを封じ込めながら。せめて目の前の人間だけでも救えるように。街中から生々しい悲鳴は聞こえるが、俺たちは止まらずに走り続ける。
「───っ!?」
駅前の大通りを抜けた先には、より多くの死者が群がっていた。この状況を理解できない人々は、ただ泣き叫び、逃げ惑うことしかできない。
「カナン!」
「蓮は右を!」
「あぁ!」
俺とカナンは左右に分かれ、手分けして死者を蹴散らした。今は時間がなくとも、進行方向に邪魔な障壁があれば、排除するだけ。そのついでに助けられる人を助ける。無駄な寄り道などではない。
「助けて! 誰か!」
道路の中心で死者を斬り伏せていると、さらに奥から少女の悲鳴が聞こえた。俺は迷わずに突っ走り、そこに群がる死者を吹き飛ばす。
「───立てるか?」
「あ、あ、ありがとう、ございま・・・え? 江古田くん?」
「え?」
その場で腰を抜かす少女に手を伸ばすと、それは見覚えのある顔と声だった。
「・・・鈴木さん。」
「えっと、江古田くん、だよね? どうして、えっと、その剣は、え?」
いつも学校ではお淑やかな鈴木さんも、さすがに気が動転している。こんな状況ならば誰だってそうだ。もしくは俺の姿を見てかもしれないが。
「ごめん、あとで必ず説明するから。」
そして鈴木さんは立ち去ろうとした俺の手を掴んで止めた。
「───待って、私、どう、すれば。」
「・・・」
恐怖を前に小刻みに震え、目に涙を浮かべる少女に引き止められる。彼女は学校の親しい友人だ。俺としても守っていてあげたいが、ここで立ち止まっている時間もない。苦渋の決断ではあるが、優先すべき行いを見失うのは本末転倒だ。
「鈴木さん、駅の方は人も多くて安全になったから、そっちに急いで避難していて。」
「あ、え、江古田は? 一緒に、避難しようよ?」
「まだ俺はやる事があるから、もう行かないと。」
「そん、な、無理だよ、私、1人だなんて、怖くて、足も、動かなくて。」
少女は足がすくんで怯えていた。とにかく恐怖でいっぱいなのだろう。だから俺はあいつの顔を思い浮かべて、その面影を自分に重ねて豪快に笑った。
「大丈夫! ほら立って!」
「───あっ。」
少女の手を引っ張って立ち上がらせる。今の俺にできるのは、ただ彼のように人に与えることだけだ。その強さを、その勇気を。
「君は強い人だ。俺がいなくても君はできるよ。」
「でも、江古田くん、私。」
「大丈夫だよ、もう1人で立てるじゃないか。」
「え?」
そこで少女は驚きながら自分の姿を見つめた。既に俺の手を借りずとも、その場に1人で立っていたのだ。もうその足は震えていない。
「ほら、走って!」
「あ、え、え?」
その背中を強く優しく押すと、少女は困惑しながらも進み始めた。
「江古田くん!?」
「止まるな! 走れ!」
その言葉を受け取った少女は走り続けた。最初の一歩は重くとも、きっと一度動き始めれば大丈夫だろう。
「───蓮!」
「───っ、今行く!」
そして俺も死者を蹴散らしたカナンと合流して走り始める。そこで一度だけ後ろを振り返ると、霧の中で遠ざかる少女の後ろ姿が見え、徒党を組んで避難していた人々と合流していた。
「───はは。」
「どうしたの蓮?」
「いや、何でもないよ。」
隣で走るカナンに不思議そうに顔を覗かれる。また無意識のうちに笑みがこぼれてしまった。どうにも感情の制御が緩くなっている。戦いの前にこれでは危機感が欠如していると思い、俺は気を引き締め直して、海岸に向かって走り続けた。




