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第46話「現代話・蓮」

その少年は平和な時代の平凡な両親のもとに生まれた。


強くて逞しい父は刀剣学者、穏やかで優しい母は映画雑誌の編集者、厳しくも甘い祖父は剣術師範だった。


幼い頃から少年は祖父に剣術を習っていたが、この平和な現代において、その古びた伝統と技術の必要性は感じられなかった。


それでも祖父の熱量は凄まじいもので、役目を放棄した父の代わりに、少年は惰性で剣術を続けるのだった。



少年の父と母はよく2人で古い映画を観ていた。まだ幼かった少年も一緒にいたはずだが、彼の目には白黒の映画よりも、それを面白そうに観て、母の隣で珈琲を飲む父の姿が映っていた。





しかしその平凡な日常は長くは続かなかった。少年が成長するにつれて、父は祖父との確執が深まり、その娘である母とは言い争いが絶えなかった。



広い屋敷で日々繰り返される大人たちの醜い口論。それでも幼い少年には、その状況を何となくだが理解はできていた。


少年の父は極めて淡白な人間だった。感情表現が乏しいわけではないが、その根は恐ろしいほどに冷めていた。


少年が何か悪さを働いても、彼に向き合って叱るのは母と祖父だけ。父は何も気にせずに黙って静かに珈琲を飲むだけ。それは自分の子どもに関心がないわけでもない。別に親としての責務を放棄していたわけでもない。


ただ何か、人としての大切なものが欠落していた。



だからこそ、少年の父は家を出る最後の日でも、それを当然のように受け入れていた。


そして少年も父に対して特に何も思わなかった。その虚しい性質は親から子へ受け継がれていたのだから。






少年の父が姿を消した後、屋敷に残った母と祖父は少年を気遣って、今まで以上に大切に目をかけて育てた。


少年もその想いを平然と受け取っていたが、彼の中では何かが満たされなかった。







それから少し時間が経って、少年が10回目の誕生日を迎えた頃だった。


学校帰りに気まぐれで立ち寄った喫茶店で、退屈そうに本を読みながら、静かに珈琲を飲む人物を見つけた。


それは少年の父であった存在だった。


久方ぶりにその姿を見た少年は声をかけるか迷ったが、その時は勇気が出なかった。


そして席を立った父の後を少年は黙って追いかけた。


今の父が何を思ってどこで生きているのか気になったのだ。




しばらく尾行を続けると、父は踏切まで辿り着いた。


彼が線路の上を渡っていると、カンカンと鳴り始める警報音。点滅する赤い光、下り始める遮断機。


「・・・え。」


そこで立ち止まった少年は唖然とした。


それでも父は線路の上に立っていたのだ。警報の鳴り響く踏切の中から動こうとはしなかったのだ。


その様子を見ていた少年もその場から動かなかった。どうしても一歩たりとも動けなかった。



しばらくして、踏切に近づく列車の音が聞こえてから、異変に気がついた周囲の人間が父に大声で警告を促すが、そこから彼が動くことはなかった。


そして速度を緩めずに迫る列車を前に、誰かが叫びながら非常ボタンを押した。そこでようやく父は状況を理解し、踏切から抜け出そうと歩き始め、周囲を見渡した。



「──────?」


「──────あっ。」


その時だった。

偶然にも少年は父と目があった。数年ぶりにお互いの顔を認識して必然的に身体が固まった。


残酷なことに、それが生存への分岐点となった。


激しいブレーキ音を響かせながら、父の真横まで迫る鉄の塊。誰がどう見ても、もう間に合わなかった。手遅れだった。


それでも少年は、少年の父は目を離さない。


その命が砕け散る最後の瞬間まで。



少年の耳に悲鳴と共に聞こえてきたのは鈍い衝突音、その目に映ったのは肉親の飛び散る血と臓物。線路の上は一瞬にして父だったもので赤く染まるのだった。


泣き出して吐き出す人々、錯乱して叫ぶ群衆、携帯を手に取り通報する通行人。


それらを横目に少年は開かずの踏切に侵入して、そこから僅かに進んで止まった列車の前にまで歩いた。


「・・・・・・・・・」


そこにあったのは肉塊となって死んだ父だった。四肢はバラバラに引きちぎられ、胴体は激しく損傷し、頭部は本当に首の皮一枚で繋がっていた。



少年はその悲惨な光景を前に、ただただ立ち尽くしていた。それは少年がまだ少し幼かったのもあるが、彼が泣くことも吐き出すこともなく、そこに立っていたのは、もっと別な理由があった。


父の死を前に、その時の少年はある事を疑問に思ったからだ。


それは少年が父と目が合ったとき、寸前まで迫り来る列車を前に、少年の姿を見た父は最後まで笑っていた。


その笑顔の正体が、少年には今でも分からなかった。最後に父が何を考えて立ち止まり、何を思って笑ったのか。



それから江古田蓮という人間は、張り付いた笑顔の中で、どこか空虚で冷めた人間へと成長するのだった。




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