第30話「戦いの果て」
カナンと蓮が合流する少し前。
ブライスは少年を夜の空に放り投げ、その去り行く背中をしばらく見つめていた。そして迫る敵を前に傭兵は静かに笑い、服の中に大切に隠して置いた銀の月のペンダントを取り出す。
かつての仲間から譲られた遺品。
それは彼が傭兵である証。
───お前は何のために戦う。
その答えは最後まで見つからなかった。しかし男には悲壮感はなかった。この死地を乗り越えた先でなら、また別の景色が見える気がしたからだ。
「───はっ。」
男はその楽観的すぎる思考を自ら笑い飛ばし、
ペンダントを胸の衣嚢に収めて大剣を振り上げた。
前後左右から死者たちが容赦なく襲いかかる。男を取り囲うように、そこから逃さず追い詰めるように。
「───つ!!」
傭兵は笑いながら大剣を振り回した。
右に、左に。上から下から。
斬って斬って、斬り捨てた。
傭兵として莫大な死体の山を積み上げた時のように。
英雄として数多の戦場の中を駆け抜けた時のように。
ただ何も考えず、雄叫びを上げながら剣を振い、哀れな死者たちを蹴散らす。
だが、それでも一向に枯渇しない死の軍勢。
彼らは疲れを知らず、痛みも受けず、恐怖を感じない。
「───ぐっ!」
ブライスは死角から襲ってきた死者に脇腹を噛みちぎられる。すぐに払い除けるが、また別の死者が同じように襲い続けてくる。
その衰えない勢いと数の暴力を前に、男は疲弊し負傷は増え続ける。次第に剣の動きは鈍り始め、肉を裂かれて血を流す。
「・・・まぁ、そうだよな。」
男は大剣を地面に突き刺して体を支えた。膝はつかないが、顔は上がらない。もう男の顔は笑ってはいなかった。
「・・・」
こんな絶体絶命の状況でも、頭の中に漂うのは自身の使命と部隊への想い、少女への負い目。
結局のところ、こうなってしまうのは必然だったのだ。未来で任務を与えられた時に、少女に対して感じた同情。そして現代に訪れてから見てしまった、幸せそうに笑う彼女の変化。戦いの中に独り取り残された自分。
この時代にやって来たから気付かされてしまった本心。
もうブライスは、終わらない戦いに疲れたのだ。
「・・・だが。」
たとえ戦う気力はなくとも、理由はなくとも。
このまま使命を果たせずに終わっても、こんな場所で無様にクソったれな人間として死んだとしても。
「まだだ、まだ終われない。」
傭兵にはまだやり残したことがある。少女に、少年に託さねばならぬ役割がある。それを終えるまでは死んでも死ぬ訳にはいかない。
そしてブライスが独り俯いて静止していた様を見た死者たちは、その本能で男が弱っていると判断して一斉に襲いかかった。
そして一気に斬り捨てられた。
急に活動を再開した男を前に後退りする死者の群れ。その男の何かが変わったことを察知したのだ。
「───んだよ、何ビビったんだ。戦いは、これからだろっ!!」
再び笑い出したブライスは豪快に剣を振り回した。それは今までよりも更に力強く、より速く大胆に。もはや使命の為の余力など気にせず、目の前の敵を一体も残さずに狩り殺すために。
「ガァァァァぁぁぁ!!!!」
暴れて暴れて暴れ尽くす。斬って殺して削り潰す。剣を弾かれたのなら義手の拳で。その拳を止められたのなら強靭な歯で噛み砕いて。
やがて死者たちは段々と恐れ始めた。破竹の勢いで減り続ける死体の残機より、どんなに傷を負っても止まらずに、血塗れで笑いながら暴れ続けるたった独りの人間に。
その感情を自覚した頃にはもう遅かった。怯える死者たちが逃げることを男は決して許さない。
「───っ!!!!」
その動きが恐怖に揺れて止まったところを脳天から切断し、呻き声を上げながら逃げ出した背中を容赦なく斬り刻む。
勇敢にも襲ってきた死体も一刀両断。首を切断して頭部を吹き飛ばし、その胴体を大剣で横薙ぎに斬る。その分断された肉片も持ち上げて、他の死者の体へと放り投げる。そして再び斬り刻み、新たな肉片を作り出して投げ捨てる。
廃墟の団地に響き渡る死者の絶叫と傭兵の笑い声。地面の上を彩るのは腐った血と臓物だ。
傭兵は高らかに笑いながら剣を振い続ける。
そのまま夜の死地で大暴れするのだった。
「───はぁ、はぁ。」
ブライスは地面に深々と突き刺した大剣に凭れる。
荒れた呼吸で肺が痛み、大小様々な傷から血を流しすぎて意識が混濁する。口から大量の血を吐き、全身が小刻みに震えるが、膝はつかない。
彼の周りには目を覆うほどの死体の山。地面を埋め尽くすほどの血と臓物。夜の空気を漂う血の煙。
そこに立っているのはブライスだけ。もう死者は一体も呻かない。
彼はたった独りで数千の死者を全て斬り伏せた。
それはまさしく大戦の英雄の名に恥じぬ偉業。
こうして今宵も男は死地を退けて生き延びたのだ。
「はは、意外と、楽しょ───」
それはブライスが剣から離れて姿勢を起こし、ゆっくりと笑った時だった。いつの間にか男の目の前には黒い人影が立っていた。
「───つ、ごぶぉ。」
ブライスがその存在を認識した瞬間、彼は今までで最も大きな血反吐を吐いた。そして遅れて襲いくる痛みと衝撃に視線を落とすと、傭兵の胸には黒く光る刀が深々と突き刺さっていた。
その凶器を見て全てを理解したブライスは目線を前に戻すと、刀を握る黒いフードを被った男は笑っていた。
「ご苦労だったブライス。お前の役目はここで終わりだ。」
胸に刺さる刀から流れ込んでくる得体の知れない光。ブライスはそれを抵抗する力も事もなく、ただ結末を悟って受け入れる。
「英雄の最後に免じて、今宵は俺も撤退しよう。せめて盛大にその魂を散らすがいい。」
そして刀はブライスの胸から抜き取られる。だが傭兵は血を吐かなかった。ただ黙って俯いている。その様子を見た黒いフードの男は笑いながら夜の闇に消えていった。
「・・・」
ブライスは薄れゆく意識の中、様々な後悔と無念が思い浮かぶ。故郷への未練、かつての仲間への想い、少女への懺悔。
それでも最後に自分の名を呼ぶ少年の声を聞き、傭兵は静かに目を閉じて微笑むのだった。




