No.54「月に願いを。」
少年と少女は何も言葉を発しない。しかし凍りついた時は徐々に動き始める。少年は温泉に浸かっているものの、その顔は明らかに真っ赤になっている。一方で少女は湯煙の中で立ち尽くしており、当然ながら何も着用していない。銀の月のペンダントを首からかけているだけで、文字通りの自然体だ。
「───っ!?」
「───」
その瞬間、少女は沸騰しそうなほどに赤面して座り込み、少年は即座に顔を捻じ曲げた。
「なっ、何してんのさ!?」
「何って、み、見れば分かるだろ、風呂入ってんだよ!」
「このっ、変態!」
「なっ、誰が!?」
「だって、みっ、見たでしょ!?」
「いやっ、不可抗力で!」
「ほらぁぁ!!」
「俺が先に入ってたんだぞ!?」
「隠れてたじゃん!」
「───ぐっ、お前の裸なんて今更だろ!」
「なっ、なんだと!?」
それから裸で激しく口論する二人、争いはヒートアップし続けて、両者のプライドをかけた罵り合いは止まらない。・・・と、思われていたが、意外にも早く戦いは幕を閉じた。このまま裸で荒ぶっている方が恥ずかしいことに気がついたのである。そしてお前が先に出て行け論争を終えたのち、二人はお互いに背を向けて引き続き温泉に浸かることを選んだ。
「ふぁ〜、気持ちいいや〜」
「・・・っ。」
少女は思いっきり腕を伸ばしてリラックスする。ここ最近の疲労を吹き飛ばして、ただ穏やかに英気を養うように、心の底から気を緩める。
「・・・」
「・・・」
しかし、今はお互いに気軽に会話などできる空気ではない。しばらく一定の距離を保ちながら、二人は無言を貫くが、それでもやはり、最初に沈黙を破ったのは少女だった。
「ねぇジェード、一個聞いてもいい?」
「・・・なんだ?」
「さっきの話、どうしてみんなに隠したの?」
「───っ。」
少女が真っ直ぐに指摘した事、それは先ほどの夜の宴の際に、奇術師たちが各々夢を語らった時。あの場において、少年だけは僅かに本心を隠した。それを少女だけは見逃さずに捉えていた。だから彼女にとって、あの時の少年の回答には些か疑問に感じたのである。
「・・・まぁ、理由なんて色々とあるけど、普通に、その、なんだ、少し恥じらっただけだ。」
しかし少女の予想とは裏腹に、意外にも少年は素直に答えた。それはただ自分の夢を語るのが恥ずかしかっただけだと、不器用なだけであったと。しかし、だかしかし、その事実は少女にとっては、かなりツボだった。
「・・・ぷっ、ふふふ。」
「───っ、笑うなよ!」
「ふふっ、ごめんごめん! ジェードも可愛いとこあるじゃん。」
「お前なっ!?」
少年は馬鹿にされて激昂するも、少女は彼の心を弄ぶように笑い続ける。彼にだけは何も遠慮せずに、何の配慮も考えずに、ただ無鉄砲に距離を縮めて、その心の中を暴き出す。
「ねぇねぇ、それで本当はどうしたいの?」
「ふっ、お前には絶対に言わない。」
「えー、意地悪だなー。」
「別にいいだろ、未来の俺が何をしていようが。そんな事、俺にも分からない。」
「ふふっ、ジェードらしいね。」
少年は不貞腐れたように言葉を吐き捨てて、魔性の女に背を向けるも、彼女は愛おしそうに微笑むだけだ。その少女の謎の余裕さに、少年は確かな違和感を感じつつも、それでも納得したように彼もまた小さく微笑む。
「なぁテルル、俺も一つ聞いていいか。」
「なに?」
「そのペンダント、まだ気に入ってんだな。」
「あぁこれ、うん。だってジェードが褒めてくれたんだもん、手放したりはしないよ。」
少女は胸の上に乗っかったペンダントに触れる。それは彼女が砂漠のオアシスで手に入れたもの。あの不器用な少年が似合っていると言ってくれた、何よりも大切で、かけがえのないもの。
「・・・それって。」
「あ、勿論それだけじゃなくて、これ着けてると何だか落ち着くんだよね。あははは!」
「あぁ、そうですか。」
その時少年は淡い期待を寄せるも、少女の笑い声によって見事に吹き飛ばされた。それが意図的なのか、もしくは無意識なのか、なぜか少年には読み取れなかった。彼らは二人で旅を続けるうちに、お互いに影響し合う事で、その精神も魔法も段々と成長し、変わり続ける。それがほんの僅かな乖離であれど、その違いは大きな変化へと繋がっていく。
それから二人は楽しそうに真夜中の温泉で語り合った。今までの波瀾万丈の旅を振り返りつつ、理想とする将来を考えながら、また過去の思い出を懐かしみながら、少年と少女は賑やかに笑い合う。
「───あれはジェードも悪いでしょ!?」
「いや、絶対にお前のせいだ! 常識的に考えて、部屋の中でロケット花火を放つ方が悪い。絶対に!」
「だって皆んなで盛り上がってたじゃん! それにいざとなればジェードが止めてくれるって。」
「いや一発だけな? 誰が十発全部を同時にって言ったんだよ。おかげで全焼だったじゃねぇか!?」
「うぅ、あの時のセイコは怖かったなぁ〜。」
「一夜にして借金も怖いぐらいの金額だったけどな。」
「ふふっ、でもさ、その後のマジックショーで返済したのにさ、その利益分を誰かさんがカジノに溶かしたよね?」
「あれ、そうだっけな。悪い、記憶にないな。」
「私は別にジェードのことだって言ってないけど?」
「あー悪い、耳が遠くて聞こえない。」
「うっわ、ほんと都合のいい奴だな〜」
「ふっ、マジシャンなんでな。」
「ふふっ、何だよそれ。」
少年の恥知らずな堂々とした態度を前に、少女は楽しそうに微笑んだ。お互いに心底嫌っていた時期もあったが、今となっては全てが良き思い出。少女にとって彼は、少年とって彼女とは、もはや何よりもかけがえのない存在。この先どれほどの時が流れようとも、それは決して補うこともできず、失うこともできない。だからこそ、彼らは互いに全力で今を共有する。同じ場所で同じ時を過ごせる奇跡を享受して、名残惜しまないよう噛み締める。
「───あ、綺麗な月。」
「そうだな。」
「もう、思ってもないくせに。」
「ふっ、それはお前もだろう。」
「ふふっ、そうだね。」
少年と少女は共に夜空を見上げながら笑った。そして引き続きこれまでの旅を振り返りつつ、軽く冗談を飛ばし合いながら、永き苦楽を共にしてきた相棒のように同じ時を過ごす。たとえ友人ではなくとも、たとえ家族ではなくとも、恋人ではなくとも。その二人を繋ぐのは、もはや呪いだけではない。お互いに結ばれた固い絆と無償の信頼は何よりも美しい魔法のようなもの。
「ねぇ、私たち───」
「大丈夫だ。お前には俺がいる。俺にはお前がいる。今はそれだけでいい。」
「───うん、私も最後まで付き合うよ。だからこの旅を二人で終わらせようね、ジェード。」
「あぁ、分かってるよテルル。」
だからこそ、二人の間に余計な言葉はいらない。全てを共有してしまう呪い。少女の恐れは少年のものに。しかし、また少年の強さも少女のものに。弱さは勇気に、お互いに影響し合うからこそ、彼らの人間性は揺るがない。
「───あ、流れ星! ねぇ見た? ジェード、ねぇ!」
「ふっ。見たよ、テルル。とても、綺麗だ。」
少年と少女は夜の星空を見上げる。共に湯に浸かりながら、恥じらう事なく背中を密着させて、お互い寄り添うように笑い合って。そして二人はあの日の覚悟を刻み合う。必ずこの魔法を天に返し、星のかけられた呪いを解いて、本当の未来を、本来歩むべき筈だった人生を取り戻すために。最後まで共に抗い続けることを、夜空に輝く星に誓い合うのだ。




