No.51「私と彼」
それからテルルはミラに手招きされるままに、彼女の行きつけの酒場、薄暗く狭い店内に大人な雰囲気が漂うバーに来ていた。その場の空気に少女は若干の緊張を感じつつも、すぐに奇術師モードに精神を切り替えて、平然とした態度でカウンター席に座り、そしてミラに悩み事を話し始めた。
それは自分の知らない少年のこと、彼と一緒にいた女性のこと、それを目撃した自分のこと。揺れる心、乱れる感情、行き場のない苦悩、少女はその全てを吐き捨てる。
「───なるほどね。ふふっ、そう、まさかクロエがね。・・・それで、あの子に嫉妬しているの?」
「それは、違います。けど私、自分でもよく分からないんです。こんなこと、私、初めてで・・・」
「テルルは、彼のことをどう思っているの?」
「私は・・・」
あの少年をどう思っているのか。それはとても単純な質問だが、少女には即座に答えることはできない。あの日、共に呪われた身体、誓った約束、二人で旅をし続けた日々。正直言って、何も思わない方がおかしい。当たり前だ。少女たちは同じ場所に定住することはなく、世界中を巡り続けて、様々な人間と関わるとはいえ、主に関わりがある他人といえば、奇術団の五人のみ。そして、その中でも同年代の異性はたった一人。
だがしかし、少女はその答えを口にはしない。それを言ってしまえば、全て終わってしまう気がするから。それを自覚してしまえば、もう二度と戻れない気がするから。彼は家族でも友人でもない。その存在には決してなれない。けれど、それと同時に、彼女の心は望んでしまう。無意識にも彼を求めてしまう。無慈悲にも彼を意識してしまう。
それが少女の捨てられない想い。彼女が生きてきた唯一の証。だから、今は・・・
「・・・色々複雑だけど、大切な存在、です。」
「そう、それなら何も問題ないわ。」
「───っ。」
少女が悩みながらも導いた答えを、ミラ・ウォーカーは否定することなく肯定する。まるで最初から分かっていたように、それが当然であるかのように。
「人はそれぞれに人生があるの。それは親しい仲間であろうとも、そうでなくとも。それは奇術師であろうと、そうでなかろうと。多くの出会いと別れを繰り返して、少しずつ積み重ねていく。」
ミラ・ウォーカーは言葉を紡ぐ。それは自分が歩んできた人生に対する教訓であり、悩める少女に対する助言でもあり、奇術師としての戒めでもある。
「だから貴女は貴女らしく生きなさい。貴女の人生を生きなさい。貴女も一人の人間なのだから。」
そしてミラは少女に告げた。それはもうハッキリと、逃げようのないぐらい率直に。どんな壮絶な経験を得てようが、どんな歪んだ事情があろうが、結局は貴女も普通の人間なんだと。同様に彼も同じ人間なんだと。
「・・・私らしく、か。」
少女は薄暗い天井を見つめながら、小洒落たグラスに入った炭酸水を飲み干す。そして自分の手元に視線を落として、小さく静かに微笑んだ。
(そっか、私、彼とは違うんだ。私がそうであったように、ジェードも一人の人間だったんだ。)
それは第三者の他人に、立派な大人に指摘されることで、ようやく気が付いた事実。ただ自然と受け入れた在り方。今この瞬間、それを少女が学んだことで、初めて停滞していた未来は動き始める。煩わしい呪いと決めつけて、閉ざしていた心が開き、ようやく彼女の成長は始まる。
「ありがとうミラさん、私もう行くね!」
「えぇ、行ってらっしゃい。」
そして少女は店を飛び出していく。何も気にせず、何も悩まず、ただ心からの満面の笑みで。今はただ、少年のもとに向かうために。
「───ふふっ。」
ミラはそんな健気な少女の姿を見つめ、若いなぁ、とか、それに比べて自分は歳取ったなぁ、とか思いながら微笑み、ウィスキーをロックで飲み干した。
それから少し時間が経過したニューヨークの街。空は暗く染まり始め、世界は人工の光に灯される。
「ジェード!!」
「なんだテルル、どこ行ってたんだ?」
少年がホテルのキッチンに腰掛けて、一人優雅に珈琲を飲んでいると、少女が騒がしく部屋の扉を開けた。彼女の茶髪は荒く乱れ、呼吸も整っていない。どうやら少女は走ってきたようだった。
「ねぇジェード! 今日一緒にいた女の人、誰っ!?」
「───なっ!?」
そして少女は帰宅早々、少年にとっての爆弾発言をした。それに無事被爆した彼は、咄嗟に口を開けて飲んでいた珈琲を床にこぼし、ただ呆然と目を見開く。
「ねぇねぇ、教えてよっ! あの可愛らしい人のこと!」
「いや・・・その・・・」
少年が気まずそうに言い淀むも、少女の追求は止まらない。こういう時の彼女は圧倒的に強いのだ。
「なんでっ、私になら別にいいでしょ? ほらっ、教えて教えて!」
「・・・っ。」
少年の顔に迫る少女の輝く瞳、以前なら動転しそうなほどの至近距離。しかし少女は恥じらうこともなく突撃する。一歩も引かない。目を逸らさない。そんな彼女のらしくない態度に、少年は仄かな違和感を感じながらも、もはやお手上げの様子だ。彼女の尾行に気が付かなかった自分にも問題はある。しかし、お前にだから言えねぇんだよっ、とは言えないジェード少年であった。そして内心では少女のことをかなり気にかけている彼は、迂闊にも女性の誘いにのった事を後悔するのであった。
「む、何やってんだ、アイツら。」
「腹減ったァァァ!!!!」
「うるさい馬鹿脳筋。」
「あぁ!?」
「っ!」
「はぁ、お前らも何やってんだ。」
その時、騒々しい大人三人が帰宅、マックスはキッチンで珈琲をこぼしながら見つめ合う少年と少女を怪訝な顔で眺めながら、隣で啀み合うセイコとヒルデガルトを見て、ため息を吐く。国境なき奇術団、彼らの旅はまだまだ続きそうだ。
それから夜は明け、また新しいニューヨークの一日が始まる。昨晩、少年と少女はなぜか盛大に喧嘩を起こしつつ、今日は二人揃ってミラのもとを尋ねていた。テルルとしては彼女にお世話になったお礼を含め、今日は自分たちの魔法と呪いについて、何か情報を貰いに来たのだ。
「ミラさん、先日はどうも、お陰様で元気いっぱいです!」
「えぇ。それは良かったわ。」
「どうも、お陰様で。」
「え、えぇ。貴方も元気そうね。」
ここはウォーカー奇術団の拠点、ニューヨーク・マンハッタンに現存する歴史ある煉瓦造りの建物。その入り口の扉前に立っていた女性に、少女は元気いっぱいに挨拶、少年は少し不貞腐れながら会釈。その温度差にミラは少し戸惑いつつも、二人の若き奇術師を快く迎え入れた。
それから二人はミラと雑談をしつつ、施設の見学をしつつ、ウォーカー奇術団の団員たちと交流をしつつ過ごしていた。
「───そういえば、あなたたち、どうしてニューヨークに来たの?」
「え?」
それは三人が静かな談話室でお茶を楽しんでいる時だった。ミラが少年と少女に不思議そうに尋ねたのは。
「あれ? 私たち、ウォーカー奇術団のマジックショーに招待されたから来たんですよ?」
「え、誰に?」
「えっと、だからウォーカー奇術団に・・・」
少女は首を傾げながら、高価そうなティーカップを静かにテーブルの上に置いた。しかしミラは怪訝な顔で押し黙って、テーブルの上の紅茶を見つめつつ、そっと視線を上げて、少年と少女の顔を真っ直ぐに見つめた。
「私たち、あなたたちに招待状なんて出してないわよ。」
「え?」
「っ?」
そして少年と少女は同時に静止した。三人はその場の空気が確実に重くなるのを感じる。その瞬間、彼らは隠されていた真実の一端に触れた。
「招待者一覧は私が目を通すもの。間違いないわ。私が国境なき奇術団を、あなたたちを見逃すはずがない。」
「えっ、でも、だって。」
「まさか、そんなはずは・・・」
ミラは少年と少女を招待していないとハッキリと言い切った。しかし、二人には納得できる筈もない。なぜなら彼らは正式に招待状を受け取って、この街に訪れたのだから。
「・・・招待状、まだ持っている? 少し確認してみるから。」
それから少年がホテルに滞在していたセイコに連絡を取ると、彼女からは招待状の写真が送られてきた。それを注意深く観察したミラは、少年と少女を引き連れて、彼女の自室である執務室まで移動し、招待状に記載されていた番号と、保管されていた名簿を照らし合わせ、衝撃の事実を口にする事になる。
「やっぱり、これ、あなたたちに渡したものじゃないわ。」
「そんなっ、だって、ちゃんと当日もチェックを通って・・・」
「それ、元の持ち主の、名前、とか。分かります?」
「えっと・・・エス・・・テ・・・エステラ、ね。」
「「!?」」
その時、少年と少女は衝撃のあまり言葉を失った。まさかあの北欧の村より遥か遠いこの場所で、突然と消えた女の名を聞く事になるとは、想像もしていなかった。ゆえに二人は事の異質さを理解し始め、僅かに目配せをした後、ミラに全ての事情を話し始めた。それは自分たちの旅の目的について、魔法のこと、呪いのこと、そして二人が出会った謎の女のことについて。
「・・・なるほど。大体の事情は理解したわ。」
ミラは二人から開示された全ての情報を聞くと、少し悩むような仕草を見せつつ、そして思い出したように口元に手を当てた。
「その女性に心当たりはないけれども、その呪いについてなら、もしかしたら。」
「っ!?」
「えっ!? 知ってるんですか!?」
「───いえ、確か昔、そのような御伽噺の古い文献を、ウォーカー奇術団の書庫で読んだ気がするわ。」
それはミラがまだ幼く、先代ウォーカーが、彼女の祖父が生きていた頃。ミラはこの建物の書庫に入り浸っており、そこで数多くの本を読み漁って過ごしていたという。
「・・・ジェード。」
「あぁ、分かってるよ、テルル。」
少年と少女はお互いの顔を見つめつつ、静かに深く息を飲み込む。そして少女は一歩踏み出し、ウォーカー奇術団団長、ミラ・ウォーカーに対して歩み寄る。
「ねぇミラさん、お願いがあるんですけど───」
「───えぇ、別にいいわよ。」
「「っ!」」
しかしミラは即座に了承した。たとえ同じ師を持った弟子とはいえ、歴史ある奇術団の書庫に、部外者の二人の立ち入りを許可したのだ。それは少年と少女にとっては軽く驚かされるものであったが、それでもこれは必然でもあること。なぜならミラ・ウォーカーという人間は、それほどジェードとテルルという人間を評価し、また無条件に信頼しているという事なのだから。




