No.47「弱き心、証明する魂」
そして二人は落下の衝撃を緩和しながらも地面に着地した。しかしその時、ホテルのエントランス前では白スーツの男が通行人たちを押しのけながら、必死に走り去っていく。
「ジェード!」
「追うぞ!」
少年と少女は一呼吸も置かずに、逃走する男たちの追跡を続行する。その足に魔法の補助を付与しながら、彼らの駆け足は加速し続け、男たちとの距離は狭まりつつ、交通量の多いニューヨークの正午の街中を走り抜ける。
「───まさか地下鉄に逃げ込む気か!?」
「───逃さないよっ!」
そして奇術師とギャングの鬼ごっこが過熱する中、白スーツの男たちは初めから計画していたように、大通りの交差点から迷わず地下に入り込んでいった。それに少年と少女は少し違和感を感じながらも、その跡を着実に追う。
「ボス、後ろ来てる。」
「ちっ、二手に分かれるぞ。お前は人質持って足止めしてろ。俺は地上に出る。」
二人のスーツの男はお互いの次の行動を確認しながら、奇術師たちを迎え撃つ事にした。なぜなら例の奇術師二人が揃うことへの危険性は熟知しており、共闘されると非常に厄介な彼らを分断する方が有利になると考えたのだ。
「───っ、二手に別れた? 」
「白スーツが上に!」
それと同時に地下鉄のホームにたどり着いた二人は瞬時に状況を分析しながら、冷静かつ迅速に判断を下す。
「行かせない、こいつ人質、動くな───」
「た、助け!?」
「───どけ!」
「ぐぇ!」
少年は人質を盾に立ち塞がった男を容赦なく殴り飛ばす。相手の凶器や思考など考慮せずに、最も速くて効果的な方法を選びつつ、攫われていた若い女性団員の安全を最優先に確保する。
「───大丈夫か。」
「・・・あ、は、はい。」
「ジェード!」
「先に行け! 俺はこの人を保護してから行く!」
「分かった!」
ジェードは男の手から離された女性を抱えつつ、テルルに白スーツの男を追うように指示を出す。既に駆け出していた少女はそのまま一切停止せずに地下鉄ホームを走り抜けて、地上への階段を飛び越えていく。その僅かな迷いもない真っ直ぐな背中を少年は静かに見送り、保護した女性の状態を確認する。
「確か、クロエだったか?」
「あ、そう、ですけど。」
ウォーカー奇術団の若き団員、クロエ。黒髪メッシュのショートボブに、子どものような幼さも大人のような慎ましさもある凛々しい顔立ち、そして彼女も英国人なのか、その容姿はミラ・ウォーカーのように美しくも、お淑やかな風貌だ。
「俺はジェード、君のことをミラさんに頼まれて、助けに来たんだ。」
「ミラさんが・・・」
「あぁ。だから俺たちは───なっ!?」
「っ!?」
「伏せろ!」
「え??」
その時、閉鎖的な地下空間を襲ったのは爆発的な衝撃による音と波だった。それは地響きを起こしながら地面を激しく揺らし、壁や柱には大きな亀裂が走る。少年は身を挺して女性を庇おうとするも、もはや崩壊の連鎖は止まらない。天井は崩落して地下の空間を埋めるように押し潰し、地下鉄ホームは瓦礫の山と化す。この瞬間、彼らのいた地下鉄は爆破されたのだ。
「・・・地下で爆破か、本当に・・・」
少年は天井の崩落に巻き込まれるも、生きていた。まだ収まらない瓦礫の雪崩れや大量に舞った土煙の中で頭を左右に揺らす。そして破壊された地下空間の現状と自身の状態を確認して、その顔を苦悶の色に歪ませた。
「───くそっ、本当に最悪だ。」
ジェードは脇腹に軽く触れながら、悪態と鮮やかな血を口から吐き出す。そう、彼の体には今、細長い鉄骨が深々と突き刺さっていたのだ。
「・・・っ。」
人の脆い内臓を貫く鉄の塊に、さすがの少年も鈍い痛みに目眩と吐き気を感じるも、それでも彼は何も動じない。なぜなら少年は爆発の瞬間に直面して、魔法の防壁を自身にではなく、そばにいた女性に対して張ったのだから。
それからジェードは口元の血を拭いながら、少しだけ焦るように周囲を見渡すと、彼の真後ろには保護したはずの女性が瓦礫の上に横たわっていた。
「───っ! 無事か!?」
「・・・あ、その、私は、無事だけ、ど・・・えっ、貴方、そ、それ!?」
少年が少し荒げた声で呼びかけると、その女性、クロエの意識に問題はなく、目立った傷も負っている様子はなかった。しかしクロエの方は、土煙の中から現れた少年の状態を認識して、卒倒しそうになった。正確には、彼の脇腹に突き刺さった鉄骨と大量に流れていたであろう血を見てしまったのだ。
「? 別に、これなら心配な───ぐっ!」
「あっ、ほらっ・・・」
少年が平気そうにして脇腹には触れるも、その傷と痛みは相当なものだった。
「俺はいい、それよりその手、怪我してるじゃないか! ちょっと痛むぞ。」
「えっ───痛っ!」
しかし少年は自身の負傷などは気にも止めずに、女性の腕を強引に引き寄せると、その手に負っていた浅い傷を上から強く圧迫した。それから流れるような手捌きで自然と包帯を巻く。
「・・・よし、止血はしたから問題はない。この程度で済んだのは運が良かったな。」
「・・・ありがとう・・・あ、いやっ、私はいいけど貴方は・・・」
「あぁ、これなら今抜く。」
「えっ、ダメだよっ! そんなことしたら血がっ!」
「───ふっ!」
そして少年は体に突き刺さっていた鉄骨を力強く引き抜いた。その瞬間、痛々しい傷口の穴からは大量の血が吹き出るかと思いきや、少年は脇腹を冷たい炎で燃やしながら出血を抑え、僅かに出血していた血の勢いは次第に収まり始めた。
「───ふぅ、ほら、これで問題ない。」
「そんな、どうして、その深さだと・・・でも、だからって・・・」
それから軽く一息を吐く仕草をする少年を前に、女性は盛大に困惑して取り乱す。少年はその慌てふためく様子を静かに観察しながら、鈍い痛みを無視して冷静に思考を続ける。
(そうか、この人も奇術師だからか。なら・・・)
「ふっ、少し特別なマジックをしたんだ。もう痛みも感じない。俺にとって、これぐらいの傷は大したこと・・・」
それから少年はいつものように落ち着いた微笑みを見せて、そのポーカーフェイスを保ちながら、傷口を服で隠そうとする。
「───嘘。」
「えっ。」
しかし、彼の微笑みはその女性には通じなかった。しかもその偽りの奇術は彼女にとっては完全な逆効果であり、予想外の激情を引き出す結果となった。
「───っ!?」
その瞬間、クロエは少年の頬を強く叩いた。それは盛大に思いっきり、力の限りビンタしたのだ。先ほど彼に止血してもらった右手を使って。
その女性の突発的な行動に、少年は目を丸くして純粋に困惑した。端的に言えば、理解不能だった。その女性、クロエは痛そうにして右手を押さえながら、目に澄んだ水滴を浮かべつつ、その視線は強く鋭い。
「そんなの絶対に嘘だよ。だって貴方の顔、とても辛そうだもの。」
「───えっ。」
少年は咄嗟に自分の顔を手で覆った。そして静かにその表情を、奇術師としての仮面を確認する。
(そんなはず・・・ほら、今だって、ポーカーフェイスを完璧に・・・)
「それくらい見抜けるよ。だって私も奇術師だから。」
「・・・」
クロエは少しだけ寂しそうな、哀しそうな表情をしながら、少年の傷ついた脇腹に優しく触れる。そしてその手で彼の温もりを確かめながら、静かに包帯を巻きはじめた。
「どうして嘘をつくの? 痛いなら痛いって、苦しいなら苦しいって言えばいいでしょ。」
「いや、それは君を・・・」
「私を心配させない為? でも貴方のそれ、私をじゃなくて、自分を騙してるみたいだよ。」
「───っ。」
その瞬間、少年は心は思わず揺れた。それは女性からの鋭い指摘に動揺したからでも、あの少女以外に本心を見抜かれて焦ったからでもない。それは・・・
「そんな事、する必要ないと思う。たとえ優秀な奇術師だろうと、私たちは人間なんだから。」
「俺は・・・」
少年は優しく包帯を巻いてくれる女性の姿を見つめながら静かに俯いた。もう彼女には慌てて怯える様子などはない。確かに意表は突かれたが、そんな事に動揺して不貞腐れてはいない。ただ彼は真剣に感心したのだ。その女性の真っ直ぐな人間性を、特別な力を持たない人としての強さを前にして。
「・・・そうだな、君には悪い事したな。すまない。」
「うん、私の方こそごめんなさい、命を助けてもらったのに。」
「いや、それは、ミラさんに頼まれたから、で。」
「あ、そうか、うん。」
それからジェードとクロエは大人しく救助隊を待つ事にした。瓦礫の隙間からは地上からの光が差し込む。二人は社交的に取り繕うような会話をしながらも、お互いに冷静さを取り戻して、少しだけ気まずい空気が流れていた。しかし、その少年にとって、この場所の居心地は、存外悪くなかった。
「───あの、少し、聞いてもいい?」
「?」
「これ・・・」
「っ!?」
「えっ!?」
その時、クロエは瓦礫の上に落ちていたベルトのない古びた腕時計をジェードに見せた。それは少年が落としたものだったが、彼は血相を変えて女性の手から腕時計を奪い取った。
「・・・っ。」
「あっ、ごめんなさい、私、勝手に・・・」
少年は険しい表情をしながら、その小さな腕時計を見下ろす。それは彼にしては真に余裕のない態度であった。
「・・・はぁ、あいつにも見せてないのに。」
「?」
「これは俺の、これだけが俺の・・・」
それから少年は珍しく自分のことを話し始めた。それはあの少女だけが知っている過去、あの少女すらも知らないこと。
そのベルトのない腕時計は少年の父親のもの、かつて捨て去ったはずの故郷のもの。あの日、少年と少女は旅を始めるにあたって、今までの全ての形跡を燃やし尽くした。それが二人の覚悟でもあり、または限界を越えていた精神の逃避行でもあったのだ。しかし少年はその腕時計を捨てられなかった。それは彼が子どもであった唯一の証。それはあの少女、テルルにすら見せたことも話したこともない隠し事だ。
今まで他人に打ち明けたことなどなかったが、少年は誰かに話してみたくなったのだ。奇術師としてではなく、呪われた魔法使いとしてでもなく、ただ純粋に、自分のことを。
「───それでも、これだけは捨てられなかった。」
そしてジェードは 腕時計を強く握りしめた。今までの旅の軌跡を、あの日から強くあろうと生きてきた想いを込めるように。
「・・・じゃあ、どうして彼女に隠しているの?」
「・・・これが俺の弱さの証、だから見せられないんだ。あいつにだけは、絶対に。」
「そう・・・」
それは少年の歪さの象徴でもあり、ただの子どものような強がりでもあったが、クロエにとっては少しだけ愛らしいものでもあった。
「ねぇ、ジェード、君。」
「・・・なんだ?」
「貴方のこと、もっと教えてくれない? 私、貴方のことが知りたい。」
「・・・」
クロエは静かに微笑みながら、少年の顔を真っ直ぐに見つめた。その艶のあるメッシュの黒髪を靡かせながら、不敵に笑って目を細めて。その魔性さのある仕草や表情は、まさに奇術師と言えるだろう。
「・・・ふっ、まぁいいか。」
少年はしばらく悩むように沈黙したが、またいつものように軽く微笑みながら、今まで少女と共に歩んできた旅のことを気さくに話し始めるのだった。




