No.38「師」
そして灰髪の少年は座席から駆け出した。それは閃光のように目にも止まらぬ速さで。その手に熱を帯びさせながら、男たちの銃器に臆することなく走る。
「なんだ、お前ら───!?」
その時、男の一人が少年の姿を捉えるが、それはもはや残像であった。少年は鮮やかな炎で二人の男たちの視界を覆い、それに混乱する隙も与えずに、相手の顎を殴りつけて意識を刈り取った。
「───次。」
武装した大人をねじ伏せた小さな少年が淡々と口を開く。その異様な様子を前に、残された男の一人は激しく慌てながら銃口を突きつけるが、その全ての動作がもう遅い。
「くそっ、止まれっ!?」
「馬鹿が。」
「あ!?」
少年は男の弱々しい威圧を跳ね除けて、ひどく冷めた眼光で睨みつけた。そんな人間が作り出した武器など微塵も怖くないと言わんばかりに。
「───そこ邪魔。」
「ちっ、はやくしろ。」
「うる───さい!」
そして少年の背後の死角からは、不機嫌そうな少女が素早く抜け出して、一瞬で男との間合いを詰める。
「───チッ!?」
男は反射的に発砲するが、少女はその弾丸を何事もないように握りつぶした。
「はぁ!? ───ぐぼぉ!?」
そして少女は負傷した右手を放置しながら、即座に左手の拳を握りしめて、男の腹に叩きつける。それから悶えて倒れ込む際に、その頭部目掛けて蹴りを一発。その男の意識を完全に消し飛ばした。
「ふぅ、つまんないのー。」
少女は列車の床に倒れ込む男を見下ろしながら、負傷した右手を見つめる。その手は流血はしているものの、傷口は綺麗に塞がっている。たとえ強化した宝石で受け止めたとはいえ、弾丸を受け止めてこの程度で済んでいるのは異常としかいえない。
「なにやってんだ。怪我してんじゃねぇか。」
「別に、これぐらい何ともないでしょ。」
「まったく・・・ほら、見せてみろ。」
「だから問題ないって。」
「お前な。無駄に怪我なんてすれば───」
「だからなに? それでどうなるの? その程度でこの身体が死ねるの?」
「・・・っ。」
「もう黙っててくれない?」
少年と少女は恐ろしい剣幕で睨み合う。たった今、武装した男二人を難なく制圧したというのに、列車内の緊張感はむしろ右肩上がりだ。
「あ、皆さん大丈夫でした? お怪我は───」
しかし少女は不意に冷静さを取り戻すと、咄嗟に周囲の乗客の安否を確認した。もう煩わしい少年の存在など無視するように。
「・・・なんで。」
だが少女は唖然とした。彼女の優しさゆえの心配は、一瞬にして戸惑いに移り変わり、その表情に暗く重い影を落とした。
(・・・なんで、そんな目で。)
そう、列車の乗客たちは無傷であったが、その誰もが少女たちに好意的な視線を向けず、目を合わせようともしないのだ。それはまるで厄介者を扱うように、その危うい存在に関わらないように。ただ悍ましいものを忌避するような、そんな視線で。大人たちは身構えながら厳しい目を向け、老人は静かに縮こまり、母親は子供を隠すように抱き抱える。
「あのっ。」
「───ひっ!」
「っ!?」
少年が一人の乗客に声をかけながら手を伸ばすと、そこから返ってきたのは弱々しい悲鳴だった。
(・・・どうして、そんな顔で。)
(───俺たちを。)
(───私たちを。)
それは賢い少年にも理解できていなかった。それは純粋な少女にも認識できなかった。なぜなら彼は、彼女は死への抵抗も一切なく魔法を扱えたから。それは大多数の無害な一般人からすれば、少年と少女の存在も十分に危険で恐ろしいのだ。その荒々しい戦い方は、その殺意の宿った瞳と体は、武装した男たちと何ら変わらないのだ。
「「・・・」」
そして少年と少女はお互いに目を逸らして立ち尽くす。どれだけ屈強な精神と度胸はあろうとも、その中身は十歳ほどの幼い心が核となる。この大勢からの無言の重圧は、到底耐え切れる訳もないのだ。
「他の車両を・・・いや、もう・・・」
「・・・うん。」
それから二人は他の車両の安全を確認しようとしたが、もう彼らにその気力は残されていなかった。そして少年と少女は表情の冴えないまま、静かに元の座席に戻ろうとした。しかしその瞬間、事態は急変する。
「───おいっ、お前ら動くなっ!? 」
「「!?」」
その時、後部車両から一人の男が侵入してきた。それは本当に鬼の形相で、その目を恐ろしく充血させて、その手に何か怪しげな装置を持って。
「ははっ、吹き飛べ!」
「やばっ!」
「───くっ!」
そして男は下卑た笑みを浮かべながら、その起爆装置を迷うことなく押した。その瞬間、列車は轟音と共に大爆発して、空中には車両の残骸と破片が飛び散り、その空間にいた人間たちは容赦なく吹き飛ばされる。・・・はずだった。
「・・・あれ?」
「・・・っ!」
「な、なんだ、これ。どうなってんだ!?」
その場にいた誰もが困惑して呆然とした。少女は不可解そうに首を傾げ、少年は険しい表情を保ったまま立ち尽くす。なぜなら男の手には既に起爆装置は存在せず、その代わりに小さな花束が差し込まれていたのだから。
「───まったく、お前ら全員、華がないな。」
その異変に少年と少女が驚いて瞬きをした次の瞬間、目の前にはあの奇術師が霧のように現れた。
「なんだっ、てめぇ!?」
「───ようこそ皆さん、北欧列車のマジックショーへ。これから天才奇術師ウォーカーが最高の奇術をお見せしましょう。」
「!?」
そして奇術師は高らかに笑いながらショーの始まりを宣言し、未だ殺伐とした列車の中に、世にも奇妙なマジックの世界を披露するのだった。
それは紛うことなき奇跡、あるいは夢のような光景であった。男の手にすり替えられた花束は一瞬にして膨れ上がって色鮮やかな花弁を散らし、凍えそうな列車の中を暖かな春の香りで埋め尽くした。
それから奇術師は愉快そうに笑い続けながら、新品のようなシルクハットを手に取ると、その中から様々なモノを出現させた。それは有機物であろうと、無機物であろうと関係なく、どこかの東の島国に存在する青い狸のポケットのように、鳩やら、コインやら、黄金やら、ありとあらゆるモノを取り出してみせた。
そして乗客たちの視線を一点に集めていると、いつの間にか車両の隅では武装していた男たちが縄で縛り付けられており、可愛らしく派手なお化粧を施されていた。
「───これにて閉幕、またの機会をお楽しみに。」
そのデコレーションされた男たちを最後の見せ物として、奇術師のマジックショーは大きな拍手と歓声に包まれて幕を閉じた。しかしその熱狂と盛況ぶりは凄まじく、その賑やかな空間には別の車両からの乗客たちが駆けつけるほどであり、奇術師は心底楽しそうに、嬉しそうに笑うのだった。
「いやぁ、どうも、どうも。なに、もう一回見たいって? くっ、いいぞ、ほらっ、ほらっ!」
さらに奇術師は観客たちの熱烈な要望に応えるように、次から次へとマジックを披露し続ける。
「くっ、ははははっ。そらっ、もっと広がるぞ!」
それは彼らの盛り上がった熱が冷めるまで、その列車が次の駅に到着するまで終わらない。
「・・・」
「・・・」
そんなたった一人の奇術師が生み出した活気ある光景を、少年と少女は不思議そうに、妬ましそうに、また羨ましそうにしながら、それでも一切目を逸らさずに、ただ静かに眺めるのだった。
「───ん、なんだお前ら、そんな辛気臭い顔して。俺のショーは退屈だったか?」
それは北欧列車が駅に到着した頃だった。乗客たちは興奮を抑えきれずに騒ぎながら、駅のホームに降りても皆が笑顔で語り合い、幸せそうにしていた。奇術師の男はそんな群衆たちに紛れるように、溶け込むように人混みを抜け出したら、そこには浮かない表情の少年と少女が待ち構えていた。
「・・・あんた、凄いな。」
「?」
少年は素直に称賛の言葉を贈る。それは心からの敬意を表して。
「あの人たち、みんな笑ってた。私たちには、できなかった。」
「・・・」
少女は純粋な想いを静かに吐露する。それは己の後悔と戸惑いを込めて。
「・・・くっくっ、そんなに落ち込むことはねぇよ。嬢ちゃんとボウズの手品だって見事だったぞ。」
しかし珍しく気落ちする二人の前で、それでも奇術師の男は何も変わらずに、ただ堂々と愉快そうに微笑みながら、その若人たちの陰鬱な空気を吹き飛ばした。
「・・・そうかな。そうなのかな。」
「なぁ、マジシャンってのは、全員がアンタみたいなのか?」
「ん? 俺は世界一の天才奇術師だぞ。他の有象無象と一緒にするな。俺はどんな人間だって簡単に騙せるさ。」
「ウォーカーさんは人を欺くの?」
「あぁ嬢ちゃん、その通りさ。人を騙して笑わせる。それがマジシャンだからな。」
その瞬間、奇術師の男、ジャック・ウォーカーは盛大に笑った。その間抜けそうな顔に刻まれた皺と、年季の入った歯を見せつけながら、年相応に、年老いた一人の人間のように。
「・・・それってさ、俺にも・・・俺たちにも、できるかな?」
「───っ。」
その男の屈託のない笑顔を見つめた少年、ジェードは問うた。こんな自分でも、こんな自分たちでも、人々の光にはなれるのかと。ただ貴方のような奇術師になれるのかと。そして少女、テルルはその迷いのない純情な想いを共感して少しだけ驚きつつも、また同時に彼の偽りのない心に同調するように、奇術師の男の回答を伺った。
「───もちろん。マジックは誰のものでもない。万人のものだからな。しかし、マジシャンになるには話が違う。」
「「?」」
それから奇術師の男は徐々に笑みを落ち着かせながら、その顔に微量の真剣さを織り交ぜて、少しずつ声を低くしていった。
「他人を騙して笑わせる、奇跡を魅せて虜にする。己を隠し、奇術師としての仮面を演じる。それは同時に自分すら騙して笑えないといけないのさ。」
そして男は意図的に僅かな間を置いて、今度は彼が少年と少女に問いただす。
「───お前たちは笑えるか? その奇術、その魔法で。」
それは列車の中での二人の在り方を、その向き合い方を見ていたからこその発言。その歩んできた人生の大半を奇術に費やした者ゆえの問い。男は奇術師として、その二人の幼い子どもたちの真意を見定めるように、彼らの瞳の奥を覗いた。
「「・・・っ。」」
それでも少年と少女は深く頷いた。それは全くの同時に、一切迷うことなく、お互いの意志を確認する事もなく。年老いた男の鋭い眼光に晒されながらも、その心を揺らさずに、動じずに。
「そうか。ならば今日からお前たちも奇術師だ!!」
その覚悟を目の当たりにした奇術師の男は満面の笑みを見せつけて、群衆の行き交う駅のホームで大きな声を張り上げた。それは新しく仲間になった若き奇術師たちを人々に紹介するように。それは二人の人間の新たな門出を祝福するように。
男は愉快そうな笑い声を上げながら、少年と少女の小さな頭を強引に掴んで揺らし、戸惑う二人の背中を叩くのだった。
───そして奇術師の弟子となった少年と少女。それから月日は流れ、師から独立しても二人は旅を続け、国境なき奇術団を結成するに至るのだった。
「───ウォーカーさん、本当に変な人だったよね。」
2010年代、北欧列車。澄み切った青空の下、氷山に囲まれた北の大地を走り、揺れ動く車内の中で、少女は亡き師の存在を思い出しながら、ただ懐かしむように微笑む。
「あぁ、散々世話になったし、腕は優れていたけど、まぁだらしない大人だった。しかも最後は呆気なく死んだしな。」
そして少年も同じ記憶を辿りながら、少女と同様に軽く笑う。そこに彼の死を悲しむような素振りはない。それほど男の存在は偉大であり、また彼は最後まで奇術師であったのだ。
「あれはあれでマジシャンらしいというか、なんというか。」
「まぁ、本人的には本望だったかもな。」
「ふふっ、でも絶対に驚くだろうなー。今の私たちを見たらさ。」
「ふ、そうかもな。」
少年と少女はお互いの顔を見つめ合って微笑む。その二人の間にあるのは確かな信頼と信用。終わらない旅の中で積み重ねた日々、あの日から刻み続けた奇術師としての時間。それがある限り、彼らの心は決して揺るがない。そしてまだ見ぬ目的地を目指し、今日もマジシャンとして、彼らは共に笑い続けるのだ。




