No.37「消えた女」
そして村の祭りの熱も冷め切った頃、美しくも幻想的な夜は明け、人々は再びいつも通りの日常を開始する。それは国境なき奇術団の5人も例外ではなく、彼らは祭りの片付けを手伝いながら、自分たちの車に荷物を運びつつ、素晴らしき夜を共にした村人たちとの最後の時間を過ごしていた。
「───あ、そういえば私たち、画家の名前は聞けなかったね。すっかり忘れてた。何でだろう。」
「・・・確かに。そうだ、なんで今まで・・・」
「どうかしましたか?」
「いえ、別に。あ、そうだ、村長さんありがとうございました。エステラさんのいたワインセラーを案内してくれて。彼女にもお世話になったので、よければ感謝を伝えておいてください。」
広場の前で村長と話し込んでいたテルルとジェード。少女はワインセラーにいた女性の名を口にして、感謝を告げる。なぜか夜の祭りには姿を見せなかった、その女の名前を声に出して。しかし若い村長の男は首を傾けながら怪訝な表情を浮かべる。まるで少女の言葉の意味が理解できないように。
「・・・えぇと、どなたですか、その人は?」
「え?」
「───っ?」
その存在を村長はおろか、村の人間の誰もが名前すら知らなかった。この村にはエステラなんて女性はいないと村人たちは断言する。そこには些細な嘘偽りはなく、少年と少女はひどく化かされている気分だった。
「えっ、ほら、私たちの探していた画家の娘さん! 彼女が村外れの崖にあるギャラリーにも案内してくれて。」
「・・・あの画家に娘なんていないはずですが。彼は生涯独身であったと記憶しております。」
「ええ?」
「・・・」
「それに、その場所にはギャラリーなんて大層な建物はないのですが。」
「・・・そんな、こと。」
「テルル。」
「ジェード、これ、どういうこと?」
この歪で不可解な状況に、単純脳の少女は混乱して思考を鈍らせ、隣で静かに悩み込む少年に助けを求めるが、彼は至って冷静に努めていた。
「さぁな。だがきっと、行けば分かる。」
そして少年は大きな湖に背を向けて、傾斜のついた坂道の先を指し示す。そこには確かな自信はなかったが、少年に初めから奇妙な違和感があったのだ。このような場合、彼の直感は本当に頼りになる為、少女もその感覚を信じて行動する。
それから二人の奇術師は即座にギャラリーに向けて駆け出した。余計な事情を知らぬ仲間たちには車での準備をしておくように懇願して、若き村長に感謝と別れを告げて。少年と少女は深刻な緊張感を持ちながら、最大限にお互いの警戒心を引き上げて、臨戦態勢で女性の住居に向かって突撃する。
「───そんなっ!?」
「───っ。」
しかし、その戦意の矛先は完全に行き場を失う。それは今は亡き画家のギャラリー、彼の娘の住居に到着した時。そこはもぬけの殻と言うには余りにも閑散とし過ぎていた。そう、そこには何もなかったのだ。男が残したギャラリーも、少年と少女が訪れた建物も、何もかも。その全てがまっさらな更地と化していた。
「こんな、嘘、あり得ない! だって昨日は、確かに、ここに。」
「・・・っ!? テルル!?」
「!?」
その時、沈黙していた少年は咄嗟に声を張り上げて困惑する少女に危険を伝える。そして彼が険しい表情で見つめる先、大きな崖の影からは、怪しげな人影が怒涛の勢いで迫っていた。
「───ジェード!」
「気をつけろ! そいつらは人間じゃない!」
それから陽の光に照らされて徐々に明らかになる影の正体。それは動く死体だった。人の形を模した化物だった。不気味なほど青白い肌に、腐敗した肉体を曝け出す亡者たち。それはまるで、あの日の惨劇の悪趣味な再現、星の底の暗黒の世界で光を失い、ただひたすらにそれを求めるだけの存在。人としての生き方を忘れ、その生への目的を見失いながらも、ただ一筋の僅かな光にしがみつく人々だ。
その忌々しい存在を目にした二人の精神は激しく動揺するが、それでも即座に少女は宝石を構えて、少年は意識を集中させる。
「───っ!」
そしてジェードはその手から大きな炎を解き放った。それは普段の魔法のように、神経を研ぎ澄ませながら、その標的の動きを正確に捉えて、その人体を発火させ、瞬く間に燃やし尽くす。
「なっ!?」
しかし、死者たちは彼の魔法に激しく焼かれながらも、その足を、その動きを止めることはなかった。それは恐れも痛みも感じない傀儡。その理から外れた存在に、奇術師たちの常識は通用しない。
(・・・ジェードの炎が通じない?)
少女は死者たちに向き合って観察しながらも、その手から小さな宝石を弾丸のように弾き飛ばす。しかし、その存在は彼女の魔法に身体を貫かれても、その勢いを落とすことはない。それらは不快な呻き声を上げながら、少年と少女に向かって突進を継続する。
「───いやっ、魔法か!」
その瞬間、テルルは思わず叫び声を上げた。それは死人という存在の特性だけでなく、少年と少女の魔法という超常の力そのものが削ぎ落とされている、そんな信じ難い現象にいち早く気がついたから。
「───っっ!」
「テルル!」
少女は襲いくる亡者たちの突進を難なく避けるが、もしその手に掴まれたら、もし僅かでも触れられたら。そう思うだけで底知れない恐怖が彼女の身体を鈍らせてくる。少年はその少女の危うい精神の揺れを見抜き、彼女に呼びかけながら全速力で駆け寄ろうとする。しかし彼の焦りと不安の感情とは裏腹に、少女は物怖じせず後ろを振り返り、少年の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ジェード、光!」
「っ!?」
そして少女が端的な一言を放つと、たったそれだけの指示で全てを理解した少年は、瞬時にその手に光を集積させて、その身に亡者が迫る彼女に向けて解き放った。それは同じ魔法であっても、彼らの魔法ではないもの。この星に最初から存在していたもの、そこから授けられたもの、強引に奪い取ったもの。
「───っ!!」
テルルはその光を受け取った後、それを即座に細やかな宝石に反射させながら増幅させて、物言わぬ亡者たちに衝突させた。
「・・・よしっ!」
その瞬間、突如として崩れ始める死肉の身体、鈍る行進、消滅していく死の存在。
「───あれっ!?」
「───っ!」
しかし、その中でも一体だけは、その眩い光を抜け出して、呻き声を上げながら少女に向かって突き進むが、その最後の攻勢は少年の凍える力に阻まれて、その脆くなった身体は容赦なく氷漬けにされた。
「・・・終わった・・・かな。」
「あぁ、終わりだ。」
その光景を少年と少女が静かに見つめていると、ゆっくりと灰になって消えていく。そして二人はお互いの顔を横目で見つめ合いながら、不可解な謎を残したままに予想外の戦闘を終えるのだった。
「・・・」
「・・・」
二人は黙々と更地の周囲を散策する。そこには昨日まで年季の入った建物と絵画があったはずの場所、もはや何も残されていない場所。突然現れた死者の存在など、今は考えても仕方がない。そんなものは一旦全て放置して、画家のギャラリーの痕跡を探す。
「ダメだ。何も残ってない。・・・むしろ、本当に最初から何もなかったみたい。」
「二人揃って幻覚でも見てたってのか? よりにもよって、俺とお前が?」
「でもさ、それに以外に考えられなくない?」
「・・・まぁ、そうだが。」
長き旅路を得て、それは些細な情報であれど、ようやく手に入れた呪いへの手がかり、その消失。拭い切れない疑念と疑惑、この不可解な現象を解き明かす術は、残念ながら今の二人にはない。たとえその答えが思い浮かんだとしても、それを彼らがお互いに口に出すような真似はしない。それは少なくとも、今はまだ。
「・・・ん? 何だこれ。」
「どうしたの?」
「・・・日記、か?」
その時、少年は徐に地面を見下ろし、浅く土が被せられていた古びた本のようなものを拾い上げる。ジェードはかなり怪しがりながらも、その本の適当にページをめくった。それは名前も顔も知らない一人の男の日記だった。
「・・・どう?」
「・・・意味が分からない。」
「え?」
「何というか、日記というよりは痛いポエムみたいだな。どのページも殴り書きで途切れてて、解読不能な部分も多そうだ。まぁ、正直狂ってる。」
「それって・・・」
「あぁ、おそらくコレは例の画家の物だろう。」
あの村長曰く、それは本当に頭の狂った老人であった画家。こんな怪奇な日記を書く人物など、その男以外にいるはずもない。しかし、これは異質な更地に唯一残された、謎の画家に関する物的証拠だ。ゆえにジェードは気味悪がりながらも、それを服の中にしまい込んだ。
「何であれ、少しずつでも読み進めていくしかないな。」
「うん、そういうのは任せた。」
「・・・はぁ、分かってるよ。」
少女は一切悩まずに丸投げして、その無駄に洗練された単純さに少年は呆れながらも、もう今更なので大人しく了承する。
それから二人は少しだけ急ぎながら仲間のもとへ帰還した。湖畔に駐車していた車の前ではマックスとヒルデガルトが二日酔いで力尽きて倒れており、それをセイコが舌打ちしながら蹴り飛ばす。その何一つ変わらない光景を前に、自然と笑う少年と少女。
湖畔の村の伝承、消えたギャラリー、存在しない女性、死の傀儡。その不自然な謎は考えれば考えるほど複雑に。探せば探すほどに増すばかり。エステラと名乗った女は一体何だったのか。あの絵を描いた画家の男とは何者であったのか。
その日、少年と少女は多くの不可解な謎を抱えながらも、それに勝るとも劣らない夜を過ごした湖に別れを告げて、また終わらない旅を続けるのだった。




