No.34「北の伝承」
テルルは目を丸くして首をかしげる。その女性の不敵な笑みの真意を覗くように。
「えーと、それはどういう意味ですか?」
そして少女が無垢な瞳で問いかけると、女性は静かに微笑みながら壁の棚からワインボトルを手に取った。
「───あぁ。ワインが、ですよ。もう少し後でしたら極上のモノを提供できたのですが。」
「あ、なんだぁ。」
「それは残念だな。」
少年と少女は顔を見合わせて笑った。その瞬間まで感じていた違和感と警戒を解いて。女性はそんな彼らの健気な顔を見つめ、愉快そうに微笑み続ける。
「私はテルルです! これはジェード。二人で奇術師をやっています!」
「これって何だ、これって。まぁいいか。・・・貴女は?」
「・・・あ、私ですか。はいはい。私は、エステラです。このワインセラーの管理者の一人ですね。・・・それで、この村には何のために来られたのですか? まさかワインだけではないでしょう?」
「私たち、人を探しに来たんです。」
「ふふ、こんな過疎地で人探し、ですか?」
「はい。とある画家が住んでいるとお聞きしたので。ぜひお会いしたかったのですが、もう亡くなってしまったみたいで。」
「あー、そういう事。なるほど、そっちを探しに。ならば幸運でしたね。」
「え?」
「?」
そして女性は僅かに間を置いてから、戸惑う少年と少女に対して、ある一つの事実を告白した。
「私、その画家の娘なんですよ。」
「「えっ!?」」
ジェードとテルルは思わず声をあげて目を見開く。それは神の悪戯による偶然か、もしくは必然だったのか。その女性、エステラは彼らが探していた画家の残した一人娘だったのだ。
それから二人は女性から画家の話を聞きつつ、村のワインセラーから少し離れた場所にある、彼女が現在住んでいる画家のアトリエにまで案内された。
「私は詳しく知らないんですが、父はこの部屋に籠って絵を描いていたようです。それと、今この建物には私しか住んでいませんから、どうぞ、ご自由にしてください。」
「・・・ジェード。」
「・・・あぁ。」
画家の娘を名乗る女性に導かれた彼のアトリエ。その空間は天井が吹き抜けていて、天井の大きなトップライトからは外からの光が差し込んでいた。コンクリートの床には絵具や端材が散らばっており、そして壁には美術館で見たような絵画が何枚も無造作に置かれている。しかし女性が定期的に管理をしているのか、埃は被っていない。
「あの、これらは何の風景を描いていたのでしょうか?」
「さぁ、今の私には分かりません。」
「・・・そうですか。」
「・・・ふふ、ですが、そうですね。少し、似てはいますかね。」
「え?」
「あの神話、村に伝わる言い伝えに。」
女性は純粋な少女を揶揄うように微笑みながら、どこか懐かしむような瞳で、床に散らばった絵画の下書きに視線を落とす。
「伝承、ですか?」
「はい、多分それです。お聞きになりましたか?」
「いえ、まだ・・・」
「あぁ、そうですか。でしたら───」
少年が怪訝な表情で尋ねると、女性は床に落ちていた紙を拾い上げながら、再びその顔に不敵な笑みを浮かべる。
「───私がお教えしましょう。この村に古来より伝わる御伽噺を。彼らが紡いで、忘れてしまった世界のことを。」
そして女性は自然と声色を低くしながら、静かに瞳を閉じて、少年と少女に淡々と語り始めた。今夜行われる祭りの始まり、村に伝わる言い伝えを。独りの狂人、その画家が残した絵画に投影された、かつて終わってしまった世界を。
───それは遥か昔。人類が永き歴史を歩む前、彼らが文明を手にするよりも前、否、それを手にした時だったのかもしれない。どちらにせよ、ある時彼らは自らの力で火を起こして、光を手に入れた。その光は意志を持ち始めた人類が恐れ敬った暗い夜を照らし出し、彼らに自らの足で歩む力を与えた。
それから数千年の時が経ち、人類は最初の文明を築き上げ、いつしか原初の暗き夜の存在を忘れた。そして彼らは明けない夜を生み出してしまった。
空の上では太陽と月は重なって、世界を一瞬にして暗い影で包み込み、人々に永遠と続く悪夢を与えた。星は彼らから全ての自由を奪い取り、その傲慢さの代償として、無限の夜に縛りつけた。
そして明けない夜の底で苦しみ続けた人々は、ようやく自分たちの罪と忘れていた存在を思い出して、星に光を返すことで、彼らは朝を取り戻した。
「───如何でしたか。この村の伝承は。私たちは今でも夜を忘れないように、今夜の祭りを通して、星に祈りを捧げているんです。」
そして女性は静かに語り終えた後、ゆっくりと少年と少女の反応を伺った。しばらく彼らは真剣に悩むような仕草を見せてから、それぞれ純粋な感想を口にした。
「そうですね。私は、とっても面白かった。貴重なお話、ありがとうございました。」
「俺も興味深かったです。」
「ふふ、若い方々に少しでも興味を持っていただければ何よりです。この村としても、私としても。」
「?」
そしてエステラは小さく微笑む。その手にメモ書きのような薄い紙を持ち、それを丁寧に折りたたみながら。それから二人は少しだけ画家のアトリエを見学した後、エステラは別の仕事があるというので、彼らは大人しく祭りの手伝いに戻ることにした。
「それではまた。いつか何処かで、お会いしましょう。」
彼女の別れ際の短い言葉、それは二人の奇術師との再会を望むように、あるいは確信しているような様子だった。
「・・・」
「・・・」
少年と少女は静かに歩く。傾斜のついた下り道を、祭りの準備に賑わう村の中心に向かって、青く美しい大きな湖を目指して。
「・・・まぁ、少しは近付いたでしょ。一歩前進だねっ!」
「───っ。」
ようやく掴み取った僅かな手がかり、しかし未だに謎は多く、彼らの呪いを解くための道のりは果てしない。その変化しない現状への憂鬱、暗く重い空気の中、少女は元気よく声を張り上げた。
「・・・ふっ、そうだな。」
そんな健気な少女の無垢な瞳と笑顔を横目で見つめる少年。それに共感して少なからず影響を受けてしまう彼だが、それも今だけは悪くないなと思いながら、その想いの源である少女の横で、静かに笑うのだった。




