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Chrono Canaan ─ クロノカナン ─  作者: 小熊猫はにわ
EP5 ─ Lakeside, Scandinavia
102/103

No.32「あの日の絵画」

 その男は永遠を欲していた。それはこの世に誕生した時から、あるいは生まれる前から。短く儚い人の一生に疑問を持つも、それに満足して何食わぬ顔で享受する愚か者どもを嫌悪した。


 しかし彼は、彼は何者でもなかった。ゆえに人でありながら人を蔑んでも、その運命には抗えない。どれだけこの星にしがみつこうとも、最後に行き着く先は変わらない。


 だから男は自身の寿命すら越える長き探究の末に、

この世界の境界線を目指し、辿り着き、それを手に入れた。


 それでも彼は、彼は今も同じ夢を見続けている。何十年も何百年も、その身が朽ち果てても、その精神が変わり果てても。その悠久の牢獄から抜け出せずに、遠き情景を追い求め続けている。


 彼は求神者、名前はもうない。


───────────────


 2010年代、北欧


 国境なき奇術団のマジシャン、ジェード、テルル、マックス、セイコ、ヒルデガルトの五人は紆余曲折ありながらも無事にアジアツアーを終えて、現在は北欧のとある街に仕事で訪れていた。


「ふぅー、疲れた。今日も大成功だったね!」


「だから耳元で・・・」


「?」


「いや、もういい。」


 小さなホールでのマジックショーを終えて、少女は笑顔で腕を伸ばしながら、淡々と後片付けを行う少年の顔を見つめる。彼の言葉が不意に途切れ、ほんの少しだけ違和感を感じたが、すぐに切り替えて忘れる少女。そんな不変的で純粋な姿を、少年は横目で見つめるのだった。


「───おい二人とも、どうだこれ、お客の一人がくれたんだが。」


「?」


 その時、客席で話し込んでいたマックスが少年と少女の方に向かってくる。その手に薄い紙切れを持って。


「この街の美術館のチケットだぞ。」


「えっ、絶対に行く!」


 少女は仕事終わりの疲れも忘れ、そのチケットに目の色を変えて飛びついた。その普段の行いから忘れがちだが、彼女は裕福な名家出身であり、教養も気品も愛嬌もある。その瞳が少々宝石に偏っているだけで、基本的に育ちは良かった筈なのだ。


「まぁいいか。マックスたちは?」


「あいにく二枚しかなくてな。それに、どうせ他のやつらは・・・」


「つまんなそー。」


「私も興味ないわ。」


「・・・だ、そうだ。だから俺らは酒でも呑みに行く。」


「・・・」


 そしてダメな大人たちには文化的体験よりもアルコールの方が優先されるらしい。それをマックスも理解していたのか、彼らを誘う選択など存在しなかったのだ。


「ほらジェード、早く行くよ!」


「分かった分かった!袖を引っ張るな!」


 それから少女の興奮は加速し続け、少年の腕を掴みながら颯爽と走り去っていく。


「───ふっ。」


 マックスはその仲睦まじい二人の背中を温かい目で眺めながら、独り静かに笑みをこぼす。しかし彼もまた仕事終わりの最高の一杯を求めて、セイコとヒルデガルトと共に居酒屋へ走るのだった。








 それから数分後、一切の休憩すら挟まない全力疾走により、僅かな時間で美術館に到着した少年と少女。その場所は街外れの静かな森の中にあった。そこには背の高い木々に取り囲まれるように、あるいは人々から隠されるように置かれた灰色の建物が孤立している。


 その荘厳な建築物を前にして、二人の来訪者は静かに目を合わせながらも、そのコンクリート剥き出しの箱の中に入っていった。そして彼らが薄暗い玄関ホールを進むと、その奥には幽霊のような人間が一人待ち構えていた。その女性は椅子に座りながら、恐ろしいほど静かに本を読んでいたが、どうやら彼女が館長兼唯一の従業員だったらしく、少年と少女は恐る恐る声をかけて、そっとチケットを渡して入館するのだった。


「・・・」


「・・・」


「───何だか、その、すっごく静かだね!」


「それなら少しは声を落とせ、周りに迷惑だろう。」


 それから二人は広い通路に展示された絵画を淡々と眺めていたが、その奇妙なほど静かで薄暗い空間に耐えきれなくなったのか、沈黙を破った少女の声が響く。少年はその訴えに対しては納得するも、その無配慮の行為を諌めるのだった。


「あ、そうだね。でもさ、この美術館、たぶん私たち以外誰もいないよ?」


「・・・まぁ、そういう問題じゃない。」


 少女が苦笑しながら本音を漏らすように、この空間には、その美術館には誰一人として来館者がいなかった。その展示通路には僅かな物音もなく、薄暗く、明かりは窓から差し込む自然光だけ。それはまるで外界から完全に遮断されているようだった。


「うわぁー、素敵な絵。うわぁー。」


「・・・はぁ。」


 しかし異様な空間の中でも、やはり少女の振る舞いは何も変わらずに、ただ目を丸くして絵画を眺め、純粋に楽しんでいた。そんな無邪気な相方の様子に少年はため息を吐きながらも、彼は絵画よりも少女の姿を見つめていたのだった。


 それから少年は無意識のうちに少女の姿を目で追っていた自分を反省しつつ、ゆっくりと歩きながら絵画を眺めていると、ふと静かに立ち止まった。


「───?」


 それは通路の隅の絵画が視界に入った瞬間だった。彼は目に見えない鎖に囚われた様に歩みを止めた。


(この絵、どこかで・・・)


 少年は怪訝な表情を浮かべながら、その絵を正面から見つめ続ける。それは遥か昔に置いてきた記憶を辿る様に、その既視感の正体を探るように。


「っ!?」


 そして少年は大きく目を見開いて、ただ呆然と口を開けた。そこに描かれた情景の正体に気が付き、ただ衝撃のあまり立ち尽くした。


「ほわぁー。」


「おいっ、テルル!」


「───ちょっ、なに!?」


 その直後、少年は少し離れた位置で欠伸をしていた少女に急いで駆け寄り、その襟元を掴んで乱暴に連行する。


「なっ、何すんのさ!」


 普段は冷静な彼らしくない行動に、少女は驚きながらも文句を叫んだが、その少年の珍しく焦っている顔を見て、何か違和感を感じ取る。


「テルル、この絵・・・」


「絵? ・・・え。」


 そして少女はその絵画の前にまで連れ出され、乱れた茶髪を整えながらも、そこに描かれた情景を見て、全ての思考が停止した。


「そんな、嘘。ジェード、これって。」


「あぁ。」


 その瞬間、少女は声を震わせながら慌て出し、少年はその感情に重く頷く。


 それは大人の背丈よりも大きな風景画。広々とした廊下の壁一面を埋め尽くすような存在感。古く年季の入った木の額縁の中に収められ、そこに描かれていた景色は、少年と少女にだけは決して忘れられないモノ。


 それは凄惨なほど崩壊した世界、その暗黒の空に浮かぶのは光の環。その下では真っ暗な闇に埋もれながら、紅き血と臓物に塗れながら、空に向かって手を伸ばす人々が群がっている。


 その絵は有象無象の人間からすれば、ただの頭の狂った人間が描く空想の世界に見えるのだろう。しかし少年と少女だけは違う。その狂った終わりの世界に実際に巻き込まれ、その地獄を生き残った彼らだからこそ伝わる情景。


「さ、作者は・・・あれ、どこにも名前がない。」


「・・・館長に、聞いてみるか。」


 ゆえに二人の若き奇術師は取り乱しながらも、必死に仮初の冷静さを保ち、偶然にも遭遇した痕跡に踏み込むのだった。




 そして玄関ホールで静かに本を読んでいた館長の女性を呼び出した二人。彼らはその絵の詳細を、この建物に存在する唯一の人間に尋ねた。


「あー、この絵画ですか。確か、かなり昔に、そう、先代の頃に寄贈されたモノですけど。」


 館長の女性は死んだような目をしながら、その絵を静かに覗き込み、かなり刺激の強い作品にも関わらず、その表情筋を一切動かさずに、途切れそうな声で言葉を発した。


「それで、これを描いたのは?」


 少年が問い詰めるように迫ると、その余裕のない姿を館長の女性は死んだ目で見つめ、そして報告書を読み上げるように淡々と答えた。


「お名前は存じ上げませんが、若そうなご老人でしたよ。あー、それと、確か彼の住んでいる村がこの近くにあった筈です。」


「───テルル。」

「───ジェード。」


 その瞬間、お互いの顔を同時に見つめ合った少年と少女。もはや彼らが会話をする必要はなかった。お互いの思考が、その胸に秘めた感情が、その全てが自然と伝わっている。そして館長に形だけの感謝を告げて、美術館を飛び出した二人。そこにはもう奇術師としての笑みはなかった。


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