No.30「戦場のマジシャンライフ」
それは男が奇術師になる遥か前のこと。幼い頃から恵まれた体格を持っていた彼は、己が生まれ育った祖国のためにと、職業軍人になることを選んだ。
その仕事は決して楽なものではなかったが、持ち前の強い肉体と精神を男にとっては天職だった。しかし男が軍人となって数年が経過した頃、彼の祖国は大義の名の下に他国への侵攻を始め、戦争が始まった。そこに男の部隊も当然のように派遣され、彼は銃弾が飛び交う戦場の中で毎日のように走っていた。
「───はぁ、はぁ、クソ!」
そして死線続きの日々の中で、男は一つの事実に気が付いてしまった。彼は戦うことが絶望的に嫌いだったのだ。ただ命令されるがままに人を殺すことも、仲間を失うことも、荒れ果てた戦場を目にすることも。その全てが男には本能的に向いていなかったのだ。
それから男は己の仕事を嫌悪しながらも、無益な戦争に従事し続け、部隊も転々とした。その過程の中で男が嫌というほど遭遇したのは、敵味方関係なく行われる、到底同じ種族の生物とは思えない蛮行、略奪、殺人、人間の狂気。
やがて男は自分以外の人間とは、その全てが人の皮を被った悪魔だという真実を知り、人間の目指した理念とは、所詮は机上の社会の上でしか成立しないことを学んだ。ゆえに男は決意した。軍人として、一人の人間として、戦わない為に戦うと。目の前の戦場にはいない、何処かの誰かを助ける為に戦う、そう考えようと。
「───あぁ、ダメだ。」
それでも残念なことに、男の常識的な精神は遂に限界を迎えた。それは戦争末期のこと、その泥沼化した戦いは、世界中の国々から、何より祖国の市民からの非難を浴び続け、その鬱憤を晴らすように行われる仲間たちの悪行の数々。その裏で着実に減っていく戦友たち。その最悪な板挟み状態を前に、男は独り静かに呟いた。
「───よし、辞めよう。」
次の任務を終えたら、必ず退役する事を決めたのだ。軍人としての栄誉と誇りも、生まれ育った祖国への心も、平和への想いも捨て去り、その全てを余す事なく放棄して、ただの一般人になろうと。
そして男が軍人としての最後の仕事を終える日、彼の部隊は深い密林の中にいた。その暗く静かな空間には雨が振り続け、視界も足元も悪い真夜中、それでも彼は仲間と共に進み続ける。その部隊に与えられた命令は敵拠点の夜襲なのだから。
「なぁ、アイツら寝てたら喉を切り落としてやろうぜ!」
「おっ、いいなぁ。じゃあ俺は眼球を潰してやるよ。」
「俺は断然女だなぁ。はやく悲鳴を聞きたい。」
「よっ、最低!」
「お前もこの前絞め殺してただろ!」
「あ、そうだった!」
その暗い密林に響くのは、下衆な男たちの小さな笑い声。人としての矜持すら失った、畜生以下の屑どもの行進。
「───ちっ。」
その中に紛れ込む男は独り静かに舌打ちをする。こんな屑たちが背中を預ける仲間だとは、同じ人間だとは心底思いたくもないのだ。しかし男は彼らを正そうとはしない。それが時間の無駄である事はとうの昔に検証済みだから。戦場に生きる人間というのは、人のように言語を話すだけの、言葉の通じない獣そのものなのだから。
「おいマックス、今日ぐらいお前もどうだよ? 一緒に現地人の女狩りしようぜ。」
「───お前らなっ!」
それは部隊の中の一人が男の肩に手を当てた時だった。人としての全てが欠如した仲間たちの会話を前に、沈黙していた男の怒りは頂点に達し、仕事など忘れて彼らを怒鳴りつけようとした時だった。
「───敵だっ!?」
「!?」
先行していた仲間の一人がマックスの怒りを遮るように大声で叫んだ。それと同時に部隊の男たちは戦闘態勢で構えるが、しかしその瞬間、勇敢にも叫んだ男の首が綺麗に吹き飛んだ。
「───マジか!」
「くそっ!」
「どこだ!」
「全方位だっ!」
「陣形を崩すなっ!」
「まずい、暗視がっ!」
その仲間の即死を前に、部隊の動揺は一瞬にして広がり、男たちの動きは鈍り、態勢は乱れる。夜間の予期せぬ襲撃、それは敵国が雇った傭兵たちだった。そして順々と響くのは耳を裂くほどの銃声と悲鳴、男たちの絶叫、阿鼻叫喚。夜雨の密林に降り注ぐのは血飛沫と臓物。そこから始まる戦闘はお互いの命をかけた殺し合いだ。
「くそっ、目がぁ!」
「───ぐぉ!」
「ぎゃっ!」
「誰か助け───」
真夜中の衝突は激しさを増す。木々の間を銃弾は飛び交い、軍人と傭兵たちの血は流れ続ける。空からの雨は止み始めたが、地上からの血は降り続ける。やがて暗い密林の中での乱戦は地獄と化し、マックスの仲間も次々と倒れていった。
まず一人目は喉をナイフで切り捨てられ、その脳天を容赦なく割られた。次に二人目は眼球を銃弾で貫かれ、動きが止まったところを蜂の巣にされた。三人目は手榴弾の爆発に下半身を吹き飛ばされ、死の恐怖に染まりながら、数秒後に絶命した。続く四人目、五人目、六人目。彼らは傭兵相手に奮戦し、負傷しながらも戦い続けたが、最後には虚しく倒れていった。
「───っ。」
マックスは悲鳴と共に減り続ける仲間を前に、自身も死を覚悟しながらも、淡々と戦闘を継続した。四方八方の暗闇から襲いくる傭兵たちを退けながら、大量の弾を消費し続け、転がる死体から装備を剥ぎ取り、即座に再利用する。
「死ねぇっ!!!!」
「───!?」
その瞬間、男の頭上からは突如として一人の傭兵が降ってくる。その死角からの急襲に対して、マックスは視線を移す事なく反射的に体を傾けて、その傭兵の凶器を避けた。
「クソガッ!!!!」
「───チッ!」
マックスは銃を落としたが拾うのを諦め、それから始まった傭兵の特攻をナイフで冷静に防ぎながら、その胴体を強く蹴り飛ばして距離をつくる。その姿は暗視眼鏡を外されたせいで良くは見えないが、そいつは傭兵の中でも別格に頭がおかしいのか、この暗い密林の中で堂々と叫び声を上げながら、アーミーナイフを両手に握りしめて仲間を次々と切り刻んでいった人影だった。
「はっ、やるじゃねぇか!」
「・・・っ。」
そしてマックスはその傭兵と向かい合った。お互いに身構えて静止する中、木々の隙間からは月明かりが差し込んで、その相対する二人の姿を照らし出した。
「・・・なっ、女!?」
その時マックスは不意に驚いた。なぜなら彼の目の前にいたのは、ピンク髪の頭から血を被り、狂気的な笑みを浮かべる女だったから。その手には一切の銃器を持たず、たった二本のアーミーナイフだけで男の部隊を壊滅させ、笑い声を上げる異常者だったから。
こうして血と雨が降り注いだ深夜の密林の中、若き日の軍人、マックス・ブラウンと傭兵、ヒルデガルト・アインホルンは遭遇するだった。




