チャンピオン
大和愛人警部は警戒しながら、ゆっくりと前の車両に行った。大和愛人警部は電車のトイレが蜂の巣になっていることに気付いたが先を急いだ。前の車両に取り残された乗客がいる可能性が非常に高いのだ。チンタラチンタラしている訳にはいかない。
凶悪なトレイン・ジャックならばマニュアル通りの犯罪防止方法論は一切何の役にも立たない。大和愛人警部にはオープンマインドで行動するタイプだから常識や非常識やタブーなんて軽く飛び越えられるのだ。
ズドォーン
ズドォーン
ライフル銃の発砲。
大和愛人警部は走り出した。
5号車には誰もいなかった。
大和愛人警部は走った。
4号車に行くと中年の男性がうつ伏せで床に倒れていた。息をしているようだ。大和愛人警部は倒れている男性に向けて「生きろよ! 後で来るからな!」と言って走り出した。
大和愛人警部が3号車に来た時に電車のスピードが遅くなっていくのがわかった。どうやら電車は停止するようだった。大和愛人警部は2号車で怒鳴り声がするのを確認した。大和愛人警部は立ち止まると、一旦、ほふく前進をして2号車の扉の前まで来た。大和愛人は息を整えるとガラス越しに2号車内を覗いた。ライフル銃を持った男が行ったり来たりしながら喚いていた。何を言っているのかは理解不能だった。1人の女性が両手を縛られたまま正座をさせられて座っていた。トレイン・ジャックの男はライフル銃を持ったまま1号車両へと移動していった。
大和愛人警部は静かに2号車両の扉を開けると、かつての勲章、小学2年生の頃、毎年夏に、ひのまる児童会館で行われていた前転大会で4年間も前転チャンピオンになったことがある前転チャンピオンの中の前転チャンピオンだったので前転しながら忍び込んだのだ。さすがは大和愛人警部だ。前転しながらスムーズに忍び込むと一旦後転をして肉体的なバランスを整えた。要するにだ、前転の前転による前転のための後転なのであった。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」と大和愛人警部は人質の女性に優しく語り掛けた。
「助けてください」女性は震える声で言った。
「お嬢さん、もう心配ないですよ。女性の前にて裸一貫で失礼します。アレルギー体質による肌荒れが酷いために服は着れません。ご理解願います。俺は大和愛人警部。嵐が丘警察署の警部です」と大和愛人警部は言うと縛られた両手を見た。どうやら破いたTシャツで縛られたようだ。大和愛人警部はTシャツを解いた。
「お嬢さん、念の為の確認ですがトレイン・ジャックは何人いますか? 今犯人は1号車両にいますか?」
「犯人は1人です。若い男で前の車両に行きました。何でも運転士に話があるとか」と女性は言った。
「わかりました。ありがとう。さあ、今のうちに1番後ろの車両に行って避難してください。おそらく、70人くらいはいるかと思われます」
「警部さん、武器も持たずに大丈夫ですか?」
「ははは。心配をありがとう。俺は凄く凄くて凄いから凄いんです。大丈夫です。どうもありがとう。さあ、早く避難したまえ」と大和愛人警部は言った。
「はい、ありがとうございます。警部さん、気を付けてくださいね」と女性は言うと小走りで後ろの車両に向かった。
大和愛人警部はチラッと窓の外を見た。窓に蝶々が止まっていた。アゲハだ。
大和愛人警部は気を引き締めると走って1号車両に向かった。
電車は完全に停まった。
つづく