第3章:灰術(1話)――灰の輪郭
術の名を知ってから三日。
けれどレオ・グレイは、まだその力を“思い通りに使う”ことができていなかった。
灰は応える。
けれど、それはいつも意図した形ではない。
呼べば揺れる。
けれど、形にはならない。
願えば舞う。
けれど、どこかへ消えていく。
森の奥、誰も来ない岩場。
火の気配がなく、灰と静けさだけがある場所。
レオは掌を広げ、深く息を吸った。
「――来い」
声に反応するように、灰がふわりと浮かぶ。
粒子が宙を漂い、レオの周囲に寄っては、すぐに離れていく。
そのたびに、力が指先から逃げる感覚があった。
(“呼応する”って、どうすればいいんだ……)
術は命令じゃない。
でも、何をどう伝えれば応えてくれるのか。
どこまでが力で、どこからが自分の想いなのか――まだつかめない。
そのときだった。
カア、と低い鳴き声が落ちた。
レオが顔を上げると、一本の枝に片目のカラスがとまっていた。
ずっとそこにいたような静けさで、こちらを見ていた。
「……また来たのか」
レオは思わず声をかける。
けれど、返事はない。ただ、じっと見つめられている。
その視線が、言葉のようにレオの胸を打った。
“力を使おうとするな”
“まず、聞け”
そう言われた気がした。
レオは無意識に息を吐いた。
命じるのではない。
従わせるのでもない。
ただ、灰の流れに――自分を重ねるだけ。
手のひらをそっと差し出す。
指先の緊張を解いて、ただ“寄り添う”ように意識を向ける。
そのときだった。
灰の一筋が、音もなくレオの指先に巻きついた。
力は強くない。だが、確かにそこには応えがあった。
(これか……)
心の底に、微かな理解の芽が灯る。
命令ではない。
これは会話。
感情の振動のような、微細な呼吸のような応答。
カラスが、ゆっくりと首をかしげた。
どこか、満足そうにも見えるし、まだ試しているようにも見えた。
レオは苦笑する。
「……言葉がなくても、お前はやたらよく喋るな」
カラスは鳴かなかった。
けれど、それだけで伝わってくるものがあった。
空気が変わる。
葉がさやさやと揺れ、森の匂いが微かに混じる。
それでもレオの指先には、まだ灰が舞っていた。
それは、彼を中心に描かれた小さな“輪郭”だった。
まだ術は形にならない。
けれど、何かが始まっている――そう思えた。
カラスは静かに翼を広げ、枝から舞い上がる。
その羽ばたきもまた、何かの言葉のようだった。
レオはそれを見送りながら、掌をそっと閉じた。
灰術は、聞くことから始まる。
そう、教えてくれた気がした。