第2章:目覚め(3話)――灰の核
クロウと別れたあとも、レオは炭窯の裏に残っていた。
炭の匂い。
土と煤の重なった空気。
そして、その奥で、灰の気配だけが残っていた。
ふと、足音が近づく。
「……まだ居たのか」
クロウだった。
戻ってきたのか、それとも離れず見ていたのか。
「少し考えてた」
レオはそう言って立ち上がった。
隠す気はなかった。ただ、まだ言葉が足りないだけだった。
クロウはレオの隣に立つと、宙を見上げた。
太陽はすでに山の端に沈みかけ、空は灰色を帯びていた。
「お前の目が、変わってた」
「……え?」
「最初に見たときさ。
火を使えるやつってのは、もっと目がギラついてると思ってた。
でもお前の目は違った。
あれは、“できてしまった”やつの目だ」
レオは答えずに、手を見つめた。
まだその指先に、灰が触れているような気がしていた。
「怖くはなかった。
ただ……返された感じがしたんだ。
俺が呼んだら、“向こう”が応えてきた。
命令とか、発動とかじゃなくて……会話みたいなもの」
クロウはわずかに目を細めた。
「……俺にはわからない。
けど、お前の中で何かが始まってるのは、見ててわかる」
彼はそれだけ言って、肩越しに振り返った。
「どうするかは、お前が決めろ。
俺は……止めない」
それだけ残して、クロウは歩き去った。
レオはその背を見送りながら、
懐の中、本の存在を確かめた。
あの煤けた皮表紙の感触は、
まるで熱の芯のように、肌にじかに伝わってきていた。
やがてレオは森に向かった。
まっすぐ、ためらうことなく、祠へと。
空は灰色。風は冷たいが、木々はざわめかなかった。
静かすぎる森の中で、灰だけが小さく舞っていた。
祠の中。
石台の上に本を置くと、空気がわずかに震えた。
レオは深く息を吸い、ページを開いた。
すると、文字が現れた。
昨日までは見えなかった、煤けた跡のような、焼け跡のような――
でも確かに**“意味”を帯びた言葉**が、そこにあった。
『術は、燃え尽きたものの声に応じる』
『命じるのではなく、聞く。従わせるのではなく、呼応する』
『この術は、名を持たぬ。
されど、かつてこう呼ばれた。――灰術』
レオの中で何かが静かに定まった。
これは、命じる力じゃない。
奪うための火ではなく、燃えたあとの“応え”。
そして、自分の内にある熱も、
“その系譜”に繋がっていた。
本の中で、円を描く図が現れる。
灰が渦巻き、中心に火の紋様――王国の魔法には存在しない印が刻まれていた。
空気が動いた。
灰が、祠の空間に浮かび上がり、
レオの肩、腕、額にふれるように、吸い寄せられていく。
目を閉じると、視界が反転する。
――火の中に立つ誰か
――灰の中に膝をつく者たち
――王国の兵に囲まれ、術を封じられた術師
まるで、灰が記憶していた映像が流れ込んでくる。
かつてこの術が存在したこと。
恐れられ、そして消されたこと。
それでも、“消えずに残っていた”こと。
目を開けると、灰は静かに降りていた。
レオは本をそっと閉じ、懐にしまった。
今度は重さではなく、確かな“芯”をそこに感じていた。
外に出ると、片目のカラスが枝にとまっていた。
今度はもう、問わなかった。
レオは振り返らず、まっすぐに歩いた。
灰術は、名を取り戻した。
そして、火種は核を持ち、
いま静かに燃え始めた。