目覚め(2話)――誰かの目
その日、灰村の空は不安定だった。
朝から風が強く、炭焼き場の煙が揺れていた。
木々の葉がざわつくたびに、レオの中の何かもざわめいていた。
祠で本を拾ってから、三日が経っていた。
未だにレオはそれを開いていない。
けれど、閉じたままでも、“熱”だけは生きていた。
懐に入れたそれは、時折、じわりとした圧を放つ。
何かを呼んでいる。
何かを試そうとしている。
午後、レオは炭焼き場の裏手、材木置き場で作業をしていた。
風よけの小屋には誰もいない。
斧を使わず、短めの丸太を積み直すだけの単純作業。
けれど、彼の手は落ち着かなかった。
いつの間にか、片手がふと宙に浮かんでいた。
何かが……できる気がした。
指を軽く動かすと、
空気の中で“ざらり”としたものが手のひらに集まる。
炭でもない、粉でもない――灰。
何も燃やしていない。
けれど、灰が集まりはじめていた。
気配だけで、粒子が揺れ、動いてくる。
(これ……やれるのか?)
レオは息を潜めた。
空気の震えが、指先から腕、肩へと伝わっていく。
無意識のうちに、
彼は“術を使っていた”。
丸太の隙間から、灰がふっと立ち上がった。
宙に舞うような細かい灰粒が、
わずかに集まり、空気の流れを変えていく。
風ではない。
これは、自分が引き寄せているものだ。
レオは、初めて“術の感触”を、明確に知った。
そして――その瞬間。
「……お前、今、何した?」
背後から声がした。
振り返ると、クロウが立っていた。
炭焼き係の若者。
昨日、薪の焦げを気にしていた男。
レオは言葉を失った。
クロウの目は、斧ではなく、レオの右手を見ていた。
「見えたぞ。灰が……お前の手に吸い寄せられてた」
「――見間違いだ」
レオは咄嗟に言った。
けれど、声が乾いていた。
クロウは黙ったまま、しばらくレオを見つめ、ゆっくりと首を振った。
「……わかんねぇ。
でも、おかしい。
魔法なら……光るはずだろ。空気も震える。
教本にそう書いてた。
だけど、お前のまわりには、何もなかった。灰だけが……動いてた」
その声には、確信よりも戸惑いがあった。
何か“知ってはいけないもの”を見てしまった者の声。
クロウは一歩近づいて、低く言った。
「お前……どこかで、何かを見たのか?」
レオは答えられなかった。
だが、その沈黙が――すべてを肯定してしまった。
クロウは、もう一度レオを見つめてから、何も言わず背を向けて歩き去った。
レオは拳を握る。
冷えた指先の奥で、まだ熱が残っていた。
これで、知ってしまったのは自分だけじゃない。
“火種”は、風に触れた。
物語は、静かに広がり始めていた。