火種(3日目)
朝。
起きて最初に感じたのは、喉の奥のざらつきだった。
炭の粉かと思ったが、違う。
もっと乾いた、でも湿り気を帯びた感覚。
灰の感触に似ていた。
レオ・グレイは、昨日祠で拾った本をまだ懐に入れたまま、
炭焼き小屋へ向かった。
誰にも見せていない。誰にも話していない。
けれど、どこかで誰かに**“見られている気配”**があった。
カラスではない。
森でもない。
けれど、自分の中で何かが“起きている”のは、確かだった。
斧を振る。
薪を割る。
火をくべる。
どれもいつもの作業。
でも、指の感覚が少しだけおかしかった。
重くもない。痛くもない。
なのに、刃が木に触れる直前、**何かが先に“割れた感覚”**がある。
まるで、
振るう前に“結果”が身体に先に伝わってくるような。
(昨日の……あれのせいか?)
レオは自分の手を見つめた。
掌には、煤と灰がまざりあっている。
でも、その奥。
皮膚の下、血の流れの向こう側に、
なにか別の“熱”のようなものがじわじわと広がっていた。
昼、村の子どもが駆けてきて、レオに声をかけた。
「レオ兄、薪の山、一本だけ全部崩れてたって! 誰も触ってないのに!」
「……風じゃないのか?」
「変だよ。重いやつばっかで、バランスも悪くなかったのに……。
しかも、崩れたとこだけ焦げてたんだよ。真っ黒でさ」
レオは思わず口を閉じた。
胸の中で、何かが冷えていくのを感じた。
(まさか……)
否定したかった。
でも、思い当たるものが、ひとつだけあった。
昨日、祠を出るとき、気づかぬうちに本を強く握っていた。
その瞬間、確かに――
ほんの少し、手のひらが熱を帯びた。
(いや、ありえない。
そんな……本を触っただけで、勝手に何か起きるなんて)
けれど、否定しても、胸のざわめきは消えなかった。
夕暮れ。
レオは誰もいない焼き場の奥に立っていた。
積まれた薪を見つめる。
右手をそっと持ち上げる。
何かを“する”つもりはなかった。
ただ――確かめたかった。
何も起こらないかもしれない。
でも、もしも、と思った。
目を閉じ、
昨日、本が光ったときの感覚を思い出す。
灰が、吸い込まれていくような感覚。
骨の奥で、熱が逆流するような感覚。
そのときだった。
風がないはずの空間で、
薪の隙間から、ふっと、ひとすじの灰が立ち上がった。
レオははっと目を開く。
手は、まだ伸ばしたまま。
風もない。火もついていない。
でも、灰だけが、そこに“立った”。
それは、確かに、
何かが“呼応した”証だった。
レオは、そっと手を下ろした。
心臓が強く脈打っていた。
怖い。
でも、その裏で、何かを嬉しがっている自分がいた。
その夜。
再び窓辺にカラスが現れた。
片目のない鳥。
ただ黙って、そこにいた。
「……見てたのか?」
レオは小さく呟いた。
カラスは何も言わず、
風のない夜空へと飛び立った。
灰は、確かに燃えていた。
目には見えなくても。
その中には、火よりも熱いものがある。