第6章 第4話 DAO
低く、整った声。会場の空気がぴたりと止まる。
常務取締役・桐生一貴。日に焼けた肌に白すぎる歯で笑う男、東堂の改革に最も近くて遠い異物。
東堂がわずかに頷くと、桐生はマイクに向かって歩み出た。
「皆さま、本日はありがとうございます。
私からは、今の議論を踏まえた具体的な構造調整案を提示させていただきます」
その語り口は滑らかで、熱も昂りもない。だが、それが逆に会場に緊張をもたらす。
「まず前提として、Inovexによる報道信頼スコア制度の理念には理解を示します。
情報の透明化と信頼性向上、それは今の時代に必要な視点です」
その言葉に確かにと軽く頷く者もいる。
「ですが」
桐生は言葉を切る。
「あまりに急進的です。視聴者も、社会も、そして株主も。
制度の中身より先に、制度の存在そのものに過剰な反応を示している」
スクリーンには報道スコア制度を巡るSNSトレンドや、各局・政治家の発言が次々と映される。
「改革とは、正しければいいというものではありません。
企業が社会的責任を果たすには、誤解を許容してはいけない」
会場が静まり返る。
「そこで提案します。Inovexと報道制作現場との制度的切り離しを行うべきです。
スコア制度の開発・運用はInovexに一任し、現場からの完全独立を保つ」
ざわ、と会場が波立つ。
「RePurgeはRePurge、InovexはInovex。
目的が異なる以上、役割と責任のラインを明確に分けることが、信頼への第一歩になる」
「事実上、それはスコア制度の実質凍結ということでは?」
記者の一人が小声で囁く。
だが桐生は続ける。
「我々が今求められているのは、熱狂でも正義でもありません。
持続可能な運営体制と、株主資産の防衛です。理念の正しさではなく、構造の頑健さこそが、企業の生命線、即ち事業の核です。」
その言葉は、会場に氷を投げ込むような感覚を残した。
拍手も、反論もない。ただ静けさと、わずかな呼吸音だけが響く。
【このゴリラ何言ってんだ?(※賢い)】
【すげー論理的なんだけど、1ミリもワクワクしないの逆にすごい】
【あーなるほどねああいうやつね、パラサイト的なやつね】
【寄生虫関係なさ過ぎて草】
「つまり、こういうことですね」
東堂がマイクを握る。
スクリーンにはInovexのロゴと、RePurgeの番組構成図が並ぶ。
そこに赤いラインが一本引かれるInovexと現場を分断する線。
「制度は維持するが、表に出すなと
理念は支持するが、現場からは遠ざけろと」
そして、少しだけ笑みを浮かべて言う。
「信頼性の向上を目的とする制度を、信頼を損なうから隠せ。と言われたように聞こえますね。」
会場がざわりと動く。
納得なのか、戸惑いなのか。反応が割れ始める。
「今我々のすべきことは、誤解が生じているのであればその誤解。結果で覆えすことなのでは?」
東堂はそう言うと桐生に論を預ける。
「東堂、社長。」
桐生の声はさらに低く、わずかに皮肉を含んでいた。
「それは、報道というものをそしてメディアという物を純粋に信じすぎています。
制度や理念が幾ら正しくとも、社会がそれを受け入れる準備ができていないのです。
ならば一度引くのが経営です、我々は社会に、そして株主様に責任がある。先程あなたも仰っていたんです、覚悟はあるんでしょう?」
そして、少しだけ強く言い切った。
「理想では事業は回りませんよ。東堂、社長」
会場がピリ、と張り詰める。
東堂と桐生、2人の静かな論戦に会場の空気が張り詰めていく。その最中。
「どっちもやったらええやん?」
ふわあと弛緩した声がその場を切り裂いた。
壇上の横、会場通路の中央からアキラが欠伸をこらえるように口に手をやる。
会場の視線が一斉に集まる。
「隠すか、捨てるか。の二択ちゃうやん」
アキラは壇上の中央に歩み出ながら言う。
「制度、共有したらええやん?」
そのアキラの発言に東堂は目を見開く。
「DAOか。分散型自律組織。
誰がどの判断に票を投じたか、全部ブロックチェーンで記録。運営も資金も透明な機構。
アキラお前そんなものよく知っていたな。」
「鐵角のおっちゃんが言いよったやつよ。名前は忘れたけどな、ええなと思ったから覚えとった。」
シレと述べるアキラに東堂は笑う。
「もし、よろしければ私から説明させてください」
東堂が頷くと、沢木真帆はスクリーンを操作しながら語り出す。
「Inovexの沢木です。DAO分散型自律組織とは、特定の組織や人物に依存せず、
ブロックチェーン技術を利用して全員参加型の意思決定と運営が行える仕組みです。」
「全ての判断、全ての投票、資金の流れまでもが記録され、改ざんできません」
スクリーンには、DAOの構造図が映し出される。
中央の管理者はいない。あるのは無数のノードとスマートコントラクト。
「つまり信頼性のスコアも、スコア制度そのものの運営も、誰かの意志ではなく、社会全体の合意で動かせる仕組みです。」
真帆は会場を見渡しそれぞれの理解を確認し続ける。
「Inovexという名前が前に出る必要もありません。
組織のカラーや過去に縛られることなく、中身で評価が進む構造に移行できます」
少しだけ間を置いて、真帆は最後に言う。
「私たちInovexは、この方式の研究をすでに始めています。もし、社会が共有を望むのであれば。私たちは、その中に溶けます。」
真帆のその言葉に、会場がざわりと再び波打つ。
【俺も沢木さんと溶けます】
【分散型自律組織って言われ分散していく俺がいる】
【髪拾えよ、分散してるぞ】
【制度は消すな、でも独裁も嫌、って言ってたらDAOになってた件】
【DAOって信用いらずの世界ってこと?すご、怖、好き】
【なるほどわからん】
【DAOだ!DOUだ!おまえがDAOU!!】
真帆のDAO説明が終わり、会場とSNSがざわつく
アキラの配信を見ながら、亮がスマホを持ったまま首をかしげる。
「DAOって結局どういう仕組みなん?」
その隣で吉弘が、ポテチをつまみながら言う。
「ざっくり言えば、みんなで決めて、あとから「あいつが悪い」って言えなくする仕組み」
「責任うやむやになるってこと?」
「逆。全員が関わってるから、見てなかったやつも悪いってなる」
「え?それ厳しくない?」
「そうそう、その決定とかお金の動きがブロックチェーンで全部記録される。あとから書き換えもできない」
「ブロックチェーンって、あれ?履歴が残る台帳みたいなやつ?」
「そう。全世界に公開された通帳だね、ズル出来ない。」
「なるほど。見てなくても責任あるのか。」
「そう。だからちゃんと見るでしょって理屈。」
吉弘はそう言うとポテチの袋をくしゃりと丸める。
画面の中では誰かがマイクを取ろうとしていた。
桐生は無言のままスクリーンを見つめていた。
腕を組み、眉間に深い皺を刻んだまま、動かない。
やがて、マイクを引き寄せる。
「ふざけるなよ。」
最初は、低く絞り出すような声だった。
だが、その一言で会場のざわつきが止まる。
「DAO。透明な投票、公開された判断履歴、合意がシステムになる。だと?」
スクリーンを一瞥し、鼻で笑う。
「つまりそれは、責任の所在が消えるってことじゃないか。」
桐生は言う。
「誰が間違ったか分からない」
桐生が指差す。
「誰も反対という責任を取らない」
桐生が手を広げる。
「そして、誰も支持というリスクを背負わなくなる」
桐生の声が少しずつ強くなる。
「企業の意思決定は、責任とセットであるべきだ」
桐生が問う。
「それを構造でぼやかしてどうする?」
桐生が咆哮する。
「この社会は人間が支えているんだ!」
会場は再び緊張を孕む。
アキラがにへらと笑う。
「せやから桐生さん、「人間が支えるのもう限界や」って話してんのちゃう?」
桐生は目を細め、アキラをじっと見据えた。
「限界ねえ。」
桐生はわずかに嘲りを含んだ笑みを向ける。
「君のような傍観者にとっては、支えるなんて言葉は軽く聞こえるのかもしれないな」
再びマイクを握り、今度は会場全体に語りかける。
「だが、我々経営者とういうものは義務と責任を寄る辺に企業を支えてきたと言う自負がある。」
スクリーンにDAOの図解が再び映る。その構造の透明さと無主性を示す図が、今は無責任の象徴に見えた。
「DAOは一見美しく見える。だが、それはだれも責任を取らないと言うことだ。」
声が少しずつ強くなる。
「何かが失敗したとき、誰が顔を出して詫びる?誰が責任をとって一歩前に出る?
みんなで決めたから誰も悪くない?東堂社長、あなたがスコアとやらで顔を出さずに済んだのは誰かが代りに責任を取ってるからだろうが。」
桐生は壇上のアキラを、次に東堂をそして真帆を順に見渡す。
「覚悟も責任も「溶かす」のがDAOなら。私はそんなものを経営とは呼ばない、いや、呼ばせない。」
場が、また一段階冷え込む。
だがその静寂を破るのはまたしても無責任な傍観者、アキラだった。
アキラは、無言のまましばらく桐生を見ていた。
壇上のライトが反射する缶バッジを指でいじりながら、ゆっくりと口を開く。
「ええやん、ええやん桐生さん。あんたそっちのがよっぽどバーでカッコつけとるのより似合ってんで?正直くそダサいからなあれ、でも今のあんたならええな、かっこええわ。」
会場に、かすかな笑いが漏れる。アキラは続ける。
「んで誰が責任取んねん?って話な
わかるで、確かに誰か謝らんとあかんときあるよな。実は俺もようけ謝ってるから知ってんねんで?まあ俺みたいなんが言うたら薄っぺらいかもしれんけど、ほんでもな?」
一拍、目線を上げる。
スクリーンに映るDAOの図解、その「誰でもなく誰でもある構造」を見つめる。
「誰かひとりが謝る社会とな、みんながちょっとずつ引き受けてく社会。
どっちがしんどいかいうたら、実は後者なんちゃう?」
ざわりと、場の空気が動いた。
「DAOって、逃げる仕組みやないと思うんすよ。
むしろ、逃げ場のない仕組み?
誰が決めたか分からんくなる? せやから、みんながちゃんと見とかなアカンようになるんよ。
責任の所在が消えるんちゃう。みんなが責任から目をそらしたらアカンねんな。」
アキラは、苦笑いで言葉を締める。
「理想論やけどな、ほんでも俺は誰か一人に責任押し付けてさようならするより、よっぽどええと思うけど?」
アキラの言葉が場内に余韻を残し、沈黙が訪れる。
東堂は一度、深くうなずくとそのままマイクに手を添え、柔らかな口調で言葉を発する。
「それでは、決を採りましょう。」
投票案内がスクリーンに映る。
同時に、照明がわずかに変わり、空気が「決断モード」へ切り替わっていく。
誰もが緊張と静寂の中でボタンを見つめた、そのとき
「すみません、東堂社長。その前に、少しだけ、話をさせていただけませんか」
手が挙がる。報道部の桐山玲奈だった。
場内がざわつく。
前方の役員席から、小さな咳払いが響き、一喝。
「桐山君、ここは社員が発言する場ではない。下がりなさい。」
玲奈がびくりと肩をすくめ息を呑む。
その手がすっと下がりかけた、その瞬間だった。
「お待ちください」
前列のひとりが立ち上がる。
白髪の初老の男。あのとき、ラウンジで東堂と談笑していた彼だった。
静かに、穏やかに、それでいて誰よりも力強く。
「私は、株主です。そしてその桐山さんの「手を繋ぐ」という番組の、ファンでもあります。」
玲奈が、はっと顔を上げる。
「彼女の話は、私の発言と思っていただいて構いません。この場で、ぜひ続きを聞かせていただきたい。」
沈黙。
誰も口を挟めないほど、その言葉には重みがあった。
東堂は双眸の光をほんの少し和らげ返答する。
「許可します。桐山さん、どうぞ」
玲奈は小さく一礼する。
その背筋はまっすぐに伸び、どこか、お辞儀を見せたあの日を思い出させた。
玲奈は、壇上へと足を運ぶ。視線を浴びているのを感じながらも、歩幅は乱れない。
マイクの前に立ち、深く一礼そして、顔を上げる。
「DAOのことを、正直に言えば、怖いと思いました」
静かな言葉が広がっていく。
会場がしんと静まり返る。
「誰が決めたか分からない。責任の所在が曖昧。
なにかあっても、みんなで決めたって逃げ道になるかもしれない」
「そう言われたら、私も言い返せませんでした。自分がそういう弱さに逃げたことがあるから、です。」
玲奈は、ほんの一瞬だけ言葉を止めた。
そして、静かに続ける。
「でも怖いって、たぶん、自分もその一人にならなきゃいけない。からなんです」
「誰かのせいにできない。誰かの判断を待てない。
自分の判断に、自分が責任を持たなきゃいけない。だから、怖いんです」
「でも、それって、」
玲奈はスクリーンを見上げる。
DAOの図解。透明な合意。分散された判断。
そのひとつひとつに、今は確かな意味が宿っていた。
「自分が他の人のせいにしないって決めれば、きっとDAOは、ただの仕組みじゃなくなる。
自分がそこに関わっている。って思える社会になると思うんです」
玲奈は最後に、一度だけ深く頭を下げた。
「私は、それを選びたいと思います。まだ怖いけど、でも、選びたい。そう思っています」
言い終えた後、会場はしばらく沈黙していた。
だがそれは、戸惑いや否定の間ではない。
それは、誰もが玲奈の誓いを、その意味を自らの内に問う時間だったから。
玲奈が言葉を終え、ゆっくりとマイクを離れる。
会場に向け礼儀正しく一礼して席に戻ろうとした、そのとき。
「未来に、賭けてみましょうか」
低く、しかしはっきりとした声が響く。
声の主は、先ほど玲奈を助けた、白髪の老人だった。
立ち上がった彼に、視線が集まる。
「私はもう、長くは現場に立てません」
「若い人たちが何を考えているのか、どこへ行こうとしているのか、
正直、よく分からない時代になりました」
老人はそう言うと暫く目を閉じる。
「けれど、今の彼女の言葉には、
わからないけれど踏み出したい、そう思った時分の私を思い出させてくれました。」
老人は一歩、前へ踏み出す。
「私たちは長く、数字やこの顔に責任を負わせてきました」
皺だらけの頬を擦りながら老人は笑う。
「それで上手くいった時代も、確かにあった。
でももうそういうやり方じゃ、届かない時代になっているのかもしれませんな。」
そして、会場をゆっくりと見渡す。
「言い訳に使うか、責務として糧にするか。
DAOというのは、選ぶ方の覚悟を問われるものなんでしょうな、優しくはないですぞ?」
最後に、老人は玲奈のほうを見て、ニヤリと微笑む。
「私は、彼女に一票、託したいと思います」
静かに腰を下ろす。
風向きが確かに変わった。
玲奈が席に戻ったあとも、会場の空気はまだ揺れていた。




