第5章 第4話 ディストピア
畳に染みがついた安いラグ。その上にはコンビニ弁当の空き容器と未開封のカップ麺、床には脱ぎっぱなしのジーンズ。
部屋の隅に積まれた漫画雑誌とプリントの山が、生活の荒れを象徴している。
冷蔵庫の扉にはテスト日程表と、くしゃくしゃのレシートがマグネットで無造作に貼られていた。
狭いワンルーム、照明はつけず、唯一明るく光っているのは、ソファに寝転がる亮のスマホの画面。
「おい、吉弘。始まったぞ」
亮がスマホを顔の上に掲げながら言う。
「んん?」
胡坐をかいてカップラーメンを啜っていた吉弘が、ズルズルと音を立ててスープを飲み干しながら顔を寄せる。
画面には、壇上に立つ沢木真帆。背後には「報道機関監視機構 記者会見」のバナーが映っている。
「マジでやるんだな、あの人。報道機関監視機構って、まんまディストピアじゃん」
吉弘が言う。
「ディストピア?なんかかっこよくない?響きだけ」
亮がポテチをひとつ口に放り込む。
「いやいや、監視社会ってことだぞ。言論の自由とは、って話よ」
「でも、なんかすごいよな」
亮がスマホを横にして真帆の顔を見やすくしながらつぶやく。
冷蔵庫がガコンと音を立て、吉弘が牛乳を取り出す。
そのままパックごと口をつけると、
「これ賞味期限切れてね?」
と眉をしかめた。
「気にすんな、昨日まではセーフだったし」
亮は漫画をめくりながら答える。
スマホからは、真帆の落ち着いた声が続く。
「本機構では、AIによる報道内容の構造解析により、各報道がどの程度事実に基づいているか、信憑性を定量的に示します」
「は?」
吉弘がソファに戻り、スマホを覗き込む。
「信憑性のパーセンテージって、誰がどう決めんだよ。正しさをAIが判断するってことか?」
「え、でも便利じゃない?これは90%信じていいですって出たら、安心じゃん」
亮はゲームのコントローラーを手にしながら言う。
「正気か?」
吉弘が半笑いで突っ込む。
「いや、まぁ、8割くらいは」
ふいに、キッチンからピーッと高い音。
亮が反射的に声を上げる。
「あ、やべ、やかん!」
吉弘が立ち上がり、急いで台所に向かう。
スマホの音はそのまま、真帆の会見が静かに続いていた。
「AIによる報道検証は、すでに随時検証を行っています。この後21時より、弊社Inovexサイトにて各番組のスコアを元に評価した報道機関ランキングのパイロット版を公開します。」
「おい、吉弘、これすごいぞ。点数つけるとかマジで?」
亮が画面を見ながら言う。
「え?本気か?」
吉弘が驚きの表情を浮かべて反応する。
「うん、沢木さんが言ってたじゃん。報道機関監視機構が、報道内容の信憑性を評価するんだって」
「めちゃくちゃじゃないか。」
吉弘がゲームの画面から目を離しスマホに集中する。
「あ、死んだ。そんな驚くような事か?」
テレビの画面では吉弘のキャラクターがモンスターにかみ砕かれている。
吉弘は亮の問いに一瞬考え込んでから、半笑いで続ける。
「この報道機関監視機構が国や第三者機関ならな良いことだって言えるのかもしれないけどな。」
「うん?Inovexってその第三者機関だろ?さっき沢木さん言ってたぞ。」
亮は腕を組んで考え込む。
スマホの画面からは真帆の声が静かに続いていた。
真帆は記者からの質問に繰り返し答えている。
「信憑性のランク付けを行います。各報道がどの程度事実に基づいているかを、AIを用いて解析し、結果を点数として視覚化します。」
画面に映る真帆の顔は冷静そのものだった。
「まあ、こんな馬鹿みたいに同じ質問ばっかり繰り返してる記者や報道ばっかりじゃAIで評価したほうが幾らかましなのかもしれないけどな。」
吉弘は怒り心頭と言った感じで真帆へ質問を繰り返す記者たちを見ながら溢す。
「でも、大和テレビ東堂勝吾。Inovexがいくら中立を歌おうともその陰拭いされるもんじゃないだろうに。どうするつもりなんだろうな。」
「見てみるしかないんじゃね?俺ら一般庶民だし。」
吉弘がぼやくように言うと、亮は相槌を打ちながらゲームをリスタートした。
【SILVER BULLETとかInovexとか、まじでこわい。近未来かよ】
【沢木さん、めちゃくちゃ頭良さそうだけど冷たすぎて逆に信用できん】
【信憑性スコア、うちの推し番組めっちゃ低くて草】
【てかAIに正しいを決めさせる時点で終わってるだろ】
【これで情報の海からマシなものが拾えるなら、俺はアリだと思う】
【テレビ局よりAIのほうがマシだろ、正直】
冷たいですかそうですか。真帆は濡れた髪をタオルでくるみながら呟く。
スマホで今日の反応を見てみるとこんな感じだった。他局の報道は少し見て消した。
なんかめちゃめちゃ怒っていたからだ。
こわいですねえ、こんなの無視するか参考にするかその程度のもんでしょうに。
真帆は便利な家電に囲まれて、便利な機器を使用できる今が好きだ。まあ生まれてからずっと今しか知らないのだけれど。
バスローブにタオルを巻いて沸騰した鍋に冷凍うどんを入れる。
ゆであがる間にめんつゆでだしを作りねぎを切る、自然と零れる鼻歌は調子の外れた流行歌で室内に広がるうどんの香りが真帆を記者会見の緊張から解きほぐしてくれる。
「はああ、うま」
割りばしでズルズルとうどんをすする、先程からこの国の話題のど真ん中に座った女。
胡坐をかいてうどんを食べたら後は寝るだけ、いつもと変わらない沢木真帆の日常である。
「おっちゃん、東堂のおっちゃんが派手にやっとるで。」
「おっちゃんではない。何回言えばわかるんだお前は。」
アキラと鐵角が言葉を交わす。
「それに東堂さんの仕掛けではあるが、今回は違うだろう。主役はInovex沢木真帆さんだな。」
「真帆さんなあ、しれーっと記者会見やっとたなあ。嫌やったろうに。」
「アキラ、お前なに言ってる?東堂勝吾の最も傍にいる人間だぞ、ただものじゃないよ彼女は。それに今回の件で恐らくInovexは切り離されるだろうな。東堂さんが何を考えてるか楽しみだな。」
「楽しんでる場合ちゃうやろおっちゃん、まとまりそうやで?」
「お、まあいい。まさか先方もお前が動くとは思って無かっただろう?驚かれたか?」
「まあ、びっくりはしとったけどな。なんやろな最近爺さんらとの会話やばすぎて憑りつかれとるわ。」
「来るのか?お前。」
「なんも決めてないで。」
二人は杯を合わせながらやり取りを続けるのだった。
畳の目が整然と並ぶ和室に、冬の陽が障子越しに淡く差し込んでいた。
香の煙が静かに立ち上り、部屋の隅に溶けてゆく。
その静けさを裂くように、桐生の声が低く響いた。
「こんな滅茶苦茶な。」
襖の前に立つ桐生の手には、折り畳んだ新聞。
Inovex記者会見の速報が一面に踊っている。
紫藤は卓上の湯呑を手に取ったまま、視線すら上げずに応じた。
「東堂も、ようやりよるなあ。敵だらけやないか。」
穏やかな言葉とは裏腹に、口元に浮かぶ笑みは冷ややかだった。
「あれは完全にこちらを牽制してます。Inovexを独立機関と言ったところでそんなもの許される筈もない!」
桐生の声音には、抑えきれぬ怒りが滲む。
「東堂め、それに沢木真帆。あの女も、あんな小娘にまで好き勝手されて!」
紫藤はふっと笑い、茶をひとすすり。
「おお、おお。怒っとる怒っとる。ええなあ、激しいのう。」
紫藤は楽し気に桐生と新聞を眺め膝をポンと叩くのだった。
紫藤の家を辞して数刻、薄暗い部屋にジャズのピアノが小さく流れていた。
桐生一貴は、ひとり高層ビルの窓辺に立ち、夜景を見下ろしている。
ネイビーのスーツにタイトなネクタイ。グラスに注がれたバーボンが、街の灯に照らされて琥珀色に揺れた。
褐色の肌に金のブレスレットが光る。
口元にグラスを運び、一口。氷がカランと鳴る。
「さて、そろそろ、仕掛けどきか」
低く、独りごちた声に、自信と確信が滲む。
デスクの上には数枚のメモ用紙。そこには、
鐵角スマートシティ構想
アキラの効果的な使用法
東堂 スキャンダル
Inovex懐柔案→沢木真帆
といった、雑然とした走り書きが並ぶ。
矢印と囲いでつなげられた線は、途中で唐突に切れている。
「勝者とは準備する者だよ東堂。」
彼は満足げに、紙を折りたたみ、胸ポケットに仕舞う。
目を細め、夜景に向かって小さく微笑む。
「東堂、紫藤、そして黒田幸正。所詮は俺の掌で踊る者達さ。」
ジャズが次の曲へと移り変わる。
その旋律は、どこか切なく、哀しいほどに軽やかだった。
Inovex内の静かなモニター室に、新宮が派手なシャツで乱入してくる。
真帆は複数の端末を前に、部下に指示中。
「ちょっと待ったあああああああ!!!」
うるさいなあ。真帆は心で呟くと言う。
「うるさいなあ。」
「コラ沢木、なんでウチの番組、監視機構の対象から除外されてんだよ!?」
「新宮さんのバラエティは報道ではないので」
「ああん?何言ってんだこら
昨日なんて「あなたの職場に潜むコンプラ違反!盗撮カメラは見た!」特集やったんだぞ!?」
「はい?」
「誰かの黒歴史さぐります!てやつだよお前も知ってんだろうが!!
視聴者からタレコミもらって、職場の上司や家族の昔のやらかし暴いていくっていう!立派な報道だろうが!」
真帆は静かにタブレットを伏せる。
「それただの炎上請負バラエティですよね?」
「かああ、視聴者の声に応えるってのは、民主主義の基本!!
視聴者=国民!バラエティは、民の声だろうがよ!!!」
無言で深いため息を吐き首を振る真帆。
「Inovexは報道機関を監視する部署です。バラエティを監視してどうするんです?」
「だからあああああああ!!!!
俺らが一番、報道してんだろがよお!」
「なんで採点されたいんです?」
「なんでって、お前そりゃ。ううん?なんでだ?」
「知りませんよ、忙しいんですよ。用が無いならお引き取りを。」
「いや、そうだ。俺らは報道をえんためかすることによってだな。しんぎゅらりりってをだな。」
新宮が必死に訴える。
「絶対に点数低いですよ?その低さで番組打ち切りになるかもしれませんけど知らないですけどいいです?」
そっぽを向いていた真帆が新宮に振り返り言う。
「ぜ、絶対ってことはないだろうがよ。それに低ければ隠してくれたらその。」
「御社、大和テレビは忖度しない報道を掲げてらっしゃいませんでしたか?」
真帆が新宮に指をさす。
「お、おう。そうだな。そう言ってたぞ。」
「一つ報道の信頼性、二つ構成と伝え方。三つ独自性、四つ出演者の表現力、そして最後に社会性意義。
新宮さんの番組は一つ目と最期が明らかに最低点でしょう。高得点は望めません絶対に。打ち切りですね。」
真帆が新宮に手を合わせる。
「や、やめろ。拝むな縁起でもない。でもお前そんなだったら低い点つけたとこ怒ってくるんじゃねえのか?」
「そうですよ、だから忙しいんじゃないですか。」
そう言うと真帆はオフィスを振り返り電話応対やPCに向かいキーボードを叩く部下たちを見る。
「新宮さんお暇ならアルバイトしていきます?」
真帆がにっこり微笑む。
新宮はそそくさと退散していくのだった。




