第1章 第1話 東堂勝吾
光が差す、言葉が刺さる、
囂々と瀑布のような騒音が化け物の耳を塞ぐ。
何が知りたい?何を伝えたい?何を聞きたいのだ?
教えてやる、
伝えてやる、
答えてやる。
化け物の四肢は鎖で縛られている。雁字搦めのこの不自由な鎖がその肉体をぎりぎりと締め付ける。
肉を食らい、
空を睨め付け、
骨を砕き、
時と語らう。
祭壇に捧げてもらえた化け物は四肢を炎で焼かれても、その爪で箱庭を切り裂く、その牙で腸を嚙み千切る。
そして化け物は咆哮する、有象無象の群れを従え、新しい世界を跋扈する。
広く青い世界を、腹いっぱいになりに行く。
柔らかくさりとて温かいともいえぬ木漏れ日の木々から小鳥たちが飛び立つ。
冬の空は抜けるように青く高い。
その夜、大和テレビの会見場には、大勢の記者たちが詰めかけていた。
前回の旧経営陣の退任記者会見、10時間を悠に超えるその記憶も新しいままに。
新社長の就任記者会見が始まる。
会場の空気がピンと弦のように張り詰める。
照明が一際強く、カメラのフラッシュが断続的に瞬く。
男が浮かび上がる。
目の前に並ぶ記者たちは、値踏みするかのように男を見つめている。
その視線の隙間を、ひとつひとつ感じながら男は息をひとつ吐く。
男たちの囁きが憐憫と嘲笑のノイズを産む。
「あれが神木聖徳の懐刀。」
「一線からは退けられていたんだろ?」
「スケープゴートだろ、お定まりの。」
「大したことない昼行燈だって聞いたが?」
「優秀だったとも聞くが、まあ、沈みかけの船の舵取り押し付けられるようじゃな。」
「もう沈んでるだろ。」
比較的年長の記者たちが男を、嘲笑とも哀れみともつかぬ冷めた目で見ながら話している。
19:00
「では、定刻となりましたので、記者会見を始めさせて頂きます。」
司会者の言葉に合わせ、会場にざわついていた空気が一瞬、静寂に変わる。
マイクの前に座る男の手は、少しだけ震えていたが、表情には出さぬようにしている。
緊張の中に潜む冷徹な意思。それが男を包み込む。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。」
男は一礼し、カメラの前で深呼吸をした。
これから、何かが始まる。
それが良いのか、悪いのか、誰にも分からない。
だが、男は決して止まらない。
「大和テレビ株式会社新社長、東堂勝吾でございます。」
男の名が、会場に響き渡る。
司会者が再びマイクを握り、言葉を発する。
「それでは、まず本日の記者会見の進行について簡単にご説明させて頂きます。
本日は、まず東堂新社長より、就任に際してのご挨拶と今後の改革案についてお話をいただきます。
その後、質疑応答に移ります。質疑応答は、現在の大和テレビのスキャンダルやその影響、今後の改革の方向性についてお伺いする予定です。」
司会者が一呼吸おいて、東堂を見つめる。
「それでは、東堂新社長からご挨拶をいただきます。」
東堂は立ち上がり、ゆっくりとマイクを取る。
「本日は、新たに大和テレビの舵を取ることとなりました、私から一言申し上げます。」
東堂は静かに、だが力強く言葉を紡ぎ始める。
「まず、大和テレビはここに至るまでに、複数の問題を抱えてきました。
特に、旧経営陣の不正行為。そして、スポンサーとの不適切な関係。
こうした幾多の要因が重なったことで、視聴者離れが加速し、企業としての信頼が失われてしまいました。そのことは、誠に遺憾です。」
会場が静まり、記者たちの目線が鋭く東堂に集まる。
「これらの事態を受け、私は新社長として、大和テレビを立て直すために全力を尽くす所存です。」
再び、東堂の言葉が会場に響く。
「今後、我々は企業の透明性を高め、視聴者・スポンサーとの信頼関係を築き直すための改革案を順次発表していきます。」
東堂は一息ついてから、再び目線を周囲の記者たちに移す。
「では、今後の方針に関して、ご質問をお受けいたします。」
司会者が一息つき、手を挙げた記者を指名する。
その質問が始まるのを、東堂はじっと待つ。
指名された記者が立ち上がり、メモを見下ろしながら口元にマイクを寄せる。
「それでは、最初の質問をさせていただきます。」
記者の声が会場に響く。
東堂は少しだけ息を吸い込み、視線をその記者に向けた。
「大和テレビが抱えるスキャンダルについて、具体的な改革案の内容をお聞かせいただけますか?」
記者は鋭い眼差しで東堂を見据える。その言葉が会場の室温を僅かに下げる。
東堂はしばらく黙っていたが、静かに答え始める。
「まず、スキャンダルに関しては、旧経営陣の不正行為と、スポンサーとの不適切な関係が主な原因です。これにより、視聴者とスポンサーの信頼を失いました。」
彼の言葉に記者たちは一斉にメモを取る。東堂は表情を変えることなく、冷静に続けた。
「私の改革案としては、まず経営の透明性を徹底し、
全ての不正行為を洗い出すことが第一です。
これから社内で徹底的な調査を行い、責任を持って改善策を講じます。
また、スポンサーとの不適切な関係については、まず全ての契約内容を再検討し、公正かつ透明なビジネス運営を行う所存です。」
記者はさらに質問を重ねる。
「視聴者離れをどう取り戻すつもりですか?
特に、最近では視聴率が低迷し、競合局に比べて劣位に立たされているとのことですが。」
その質問に対しても、東堂は一切動じず、記者を見据えて答える。
「視聴者離れについては、コンテンツの質を向上させることが必要です。
視聴者が求めているのは、単なるエンターテイメントではなく、価値ある情報や感動的な体験です。
我々はそのニーズに応えるべく、番組制作体制を根本から見直します。
そして、本当に心に響くコンテンツを提供します。
また、デジタルメディアを活用した新たな配信方法を導入し、視聴者との接点を増やしていきます。」
質問が次々に飛び交う中、東堂は端的に、そして時には論を交えながら、真摯に答えていく。
記者たちの鋭い眼差しを感じつつ、彼は自らの手を静かに握りしめ、改革の覚悟を崩さない。
それでも質問は続く。
それは特に旧経営陣の責任や、改革にかかる時間へと集約していく。
「旧経営陣の一部は、すでに辞任しています。
その後の処遇についてはどうお考えですか?」
記者が質問を投げかける。
東堂は目を細め、少しだけ笑みを浮かべた。
「現時点では、処遇については慎重に検討しています。ただ、責任を取るべき者は取るべきだと考えております。」
その言葉に、記者たちはまた一瞬、静まり返った。
記者の一人が再び手を挙げる、その目線は躊躇いを見せない。
今、東堂がどこまで本気で改革を成し遂げようとしているのか。
誰もがその先に何が待っているのかを確かめたくなっている。
「週刊経済ジャーナルの田中です。
東堂社長、あまりにも強い言葉ですが、その強気な姿勢に対して反発もあるかもしれません。
それでも、改革は本当に可能だと仰いますか?」
週刊経済ジャーナル田中と名乗った記者の質問は冷静ながらも挑戦的で、東堂を試すようなものだった。
東堂は無言で田中を見つめた後、再び微笑みを浮かべて答える。
「可能か?ですか。
可能かどうかではないですね。」
東堂は呆れたような眼差しで田中に問いかける。
「スポンサー企業に見放され視聴者様には無関心、どころか敵意すら、まあそれも当然だとは思いますが向けられている我々ですよ?
できるかじゃない、やるしかないんですよ。そうは思いませんか?」
東堂の瞳から熱が抜ける。
「この期に及んで反発してくるような愚か者にかかわっている場合ではないんです。」
「成程、社長が仰る通り、改革をやり遂げるために既存の体制を打破する覚悟をお持ちだということは分かりました。
しかし、その改革を進める中で、旧経営陣や現在も大和テレビに残る利権関係者の反発が予想されます。
それに対して、社長はどのように対処するつもりですか?」
田中は一歩も引かず、鋭い眼差しで東堂を見つめる。
「また、そのような人物たちが改革の進行を阻んだ場合、あなたはどのように彼らを排除し、またはその力を抑え込んでいくおつもりなのでしょうか?」
その言葉は、まるで東堂の覚悟をさらに試すような内容だった。会場内は再び静まり返り、記者たちもその答えを待ち構える。
ふむ、と東堂は記者の顔を見やる。その表情は、田中とのやり取りそのものを味わいだしたかのようだった。
「ならば、少し私からお伺いしてみましょうか。
週経の、田中さん、貴方はわが大和テレビが現在酷い。酷いというのも憚られるくらい、まあ悲惨な状況である事はご承知の通りだと思います。
そんな我が大和テレビに残されたコンテンツで、今、最も魅力ある物は何だと思われますか?」
田中は少しだけ間を取り、東堂の質問にじっと向き直る。その表情には、東堂が挑戦的に問いかけたことへの意図をしっかりと受け止める意志が感じられる。
「確かに、確かに貴社が現在抱えている問題について、私は把握しています。」
田中は言葉を続けながら、少し口元を引き締めて言う。
「そして、最も魅力的なコンテンツですか。」
田中は視線を少し上に向け、しばし考え込みながら答える。
「質問の意図はわかりかねますが、お答えします。
魅力があるかどうかは別として、現在大和テレビに残された唯一の資産と言えるのは、やはり貴社が抱えている「報道部門」だと私は考えます。
情報というのは、いつの時代においても無視できない力を持っている。
それこそが、どんな逆境においても必ず支えとなる可能性がある。」
田中は軽く肩をすくめてから続ける。
「ただし、それが実際に魅力と呼べるのか?
となると話は別です。
今の状況で、貴社の報道部門がどれだけ信頼を回復できるか、
それは社内の改革がいかに深刻で実効性のあるものとなるかにかかっていると思います。」
田中は再び東堂を見据えて、きっぱりと続けた。
「その改革、果たして貴社の報道部門を立て直す力を持っているのでしょうか。
それが、最も重要な問題だと私は感じています。」
田中の答えは、東堂に対する挑戦の姿勢を崩さず、逆に彼に「改革の実効性」を問いかける内容だった。
「成程、成程。良いですね、良いですよ田中さん。
我が社の報道を手放しでないにせよ評価していただけていること、非常に喜ばしいことです。
そしてそれは私の見解とも一致しています。
我が社に辛うじて残された可能性あるコンテンツ。即ち、報道を信頼ある物にする改革、それこそが私の、そして大和テレビの今後掲げる理念。
『忖度の一切ない報道』です。」
田中は、東堂の言葉に反応し暫し沈黙する。
そして、更に深く東堂の内へと切り込む。
「東堂社長、あなたの仰る『忖度の一切ない報道』というのは、非常に力強い言葉です。
ですが、その実現において一番の障害となるのは、やはり大和テレビが長年築き上げてきたスポンサーとの関係や、業界内での影響力です。
これをどう打破し、社内の意識改革を進めるつもりなのでしょうか? 具体的なプランをお聞かせ願えますか?」
記者の目は鋭く、東堂の一言一言を逃すまいとするように注視している。
「勿論です、先ほどから申し上げている通り我が社に残された最後の希望は報道です。
そして報道というコンテンツがあるならばその中にはニュースや取材といった要素があります。
そして我々大和テレビにしかできない報道、
それについては後ほどまた社内の新体制のご報告時に披露させて頂きたいと思っております。」
田中は東堂の言葉に静かに耳を傾けながら心の中にいくつかの疑念を持つ。
東堂の決意が、彼にとって単なる理想に過ぎないのか。
それとも本当に実行に移せるものなのか。
まだ確信が持てないでいた。
視線を東堂から少し外し、会場内に流れる空気へ目を向ける。
その圧力を感じながら、田中は再び自分の心を落ち着けるように深呼吸をした。
まるで自分の立場に照らし合わせるかのように。
「東堂社長の言葉には、確かな覚悟が見えます。
しかし、その覚悟がどれほどの力を持つのか、少し考えさせられるところです。」
田中は小さく、独り言のように呟いた。
「確かに、忖度の一切ない報道というスローガンは力強く、心を打ちます。
しかし、それが実現されるには、ただの言葉では足りない。
スポンサーとの関係や、社内のしがらみ、古い体制が根強く残る中で、どれだけの圧力に耐え、どう突破していくのか。
その覚悟が、単なる信念にとどまらず、どこまで具体的な行動に結びついていくのかが、私の関心のすべてです。」
田中はふと、過去に自分が報じてきた数々の企業スキャンダルや腐敗事件を思い出す。
これまで何度も改革を掲げながら実際には何も変わらず、沈静化していくのを多く目にしてきた。
出来るのか?
田中はただ一人会見の雛壇で記者に、そして画面向こうの視聴者に対峙する男をじっと見やった。
黙考する田中を質問のやり取りの終わりとみなしたのか他の記者がまた手を上げ始める。
「先ほどのご回答で、経営改革において透明性を重視されているとのことでした。
しかし、弊誌が入手した資料によると、貴社では過去に内部告発を行った社員が黙殺され、結果として左遷されたケースがあったと聞いています。
この件について、現経営陣としてどう認識し、対応されるお考えですか?」
「ご指摘の件については、私も社長就任後に把握し、現在、詳細な調査を進めております。確かに、過去の経営体制において、内部告発を適切に扱えなかった事例があったことは私の確認した限りにおいて事実です。
こうした対応が、結果的に組織の健全性を損ない、視聴者の信頼を揺るがせたのだと認識しています。
私は、内部告発を企業の健全化に向けた重要な要素と捉えております。
現在、社内通報制度の見直しを進め、報復人事を防ぐ仕組みの整備を急いでいます。
今後、同様の事例が起こらぬよう、制度の透明性を高め、通報者が適切に保護される環境を整えてまいります。」
東堂の事実を認める告白に記者たちの勢いは増す。
「つまり、過去に内部告発が黙殺され、告発者が左遷された事実を認めるということですね?
それは当時の経営陣の指示によるものだったのでしょうか?
また、現在その責任の所在をどのようにお考えですか?」
「社長は現在、社内通報制度の見直しを進めているとおっしゃいましたが、これまでに具体的に何件の内部告発があったのか、また、それらはどのように扱われたのか公表できますか?」
「御社のガバナンス改革の一環として、例えば外部の第三者機関による調査や通報窓口の設置といった具体策は検討されているのでしょうか?
自社内での調査だけでは信頼を回復するのは難しいのでは?」
矢継ぎ早に繰り出される質問にしかし東堂はひるまず返答する。
「そうですね。それでは順番にお答えしていきます。
まず、事実を認めるのか、責任の所在と対応についてですが、詳細なやり取りや状況については、まだ詰めるべき部分もあります。
しかし、先ほども申し上げたとおり、一連の報道内容は事実です。
そして、その責任は無論、大和テレビにあります。
これは旧経営陣だけでなく、これから経営の舵取りを担う私、東堂勝吾。
私自身も背負うべきものだと承知しています。」
毅然と答える東堂。
しかし記者の質問は止まらない。
「責任については明確に認められましたね。しかし、その責任をどう果たすのか、具体的な対応策についてはまだ言及されていません。
例えば、左遷された告発者の処遇を見直すお考えはあるのでしょうか?
あるいは、過去に握りつぶされた告発について再調査を行うご予定は?
単に責任を背負うとおっしゃるだけではなく、今後の具体的な行動をお聞かせください。」
会場には一瞬の静寂が訪れ、再び東堂の返答に注目が集まる。
「確かにこれは意図的に、後の発表にかかわる部分でしたので明言を避けさせていただいたのですが、
再度の問いとあらばここでお答えするべきなのでしょうね。」
東堂はそう言って軽く頷くとマイクを握りなおして言う。
「我々大和テレビは革新執行役員室。
Innovation Executive Office
【独立法人Inovex】
を社内に設立致しました。
これは大和テレビ内のいかなる権力にも影響を受けないため敢えて法人化という手法を取らせていただいております。
こちらについての詳細はまた後程資料と共にお時間を取らせて頂く予定ですので今はこのくらいで」