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第4章 第1話 価値

部屋の隅に立つ木製の障子が、薄暗い午後の光を微かに透かし、その柔らかな光が畳の上に長い影を落としている。



座敷の中央には、低く置かれた重厚な木のテーブルがあり、その上には漆塗りの茶器が静かに並んでいる。部屋の空気は静まり返り、時折風が外から運んでくる木々の葉擦れの音だけが響いている。



壁に掛けられた掛け軸には、山水画が穏やかな風景を描き出し、花の香りをほのかに漂わせる花瓶には、季節の花がひっそりと生けられている。



部屋の隅には、襖が少しだけ開け放たれ、裏庭の竹林が薄曇りの空に揺れる様子が見える。





座敷の中の音はすべてが遠く感じられるほど静かだった。



いつまでも続く平静な時間かと思われたその空気の中時計の針が音を立てて進む、そのカチリと言う音が時間がゆっくりと流れ始めたことを感じさせる。



やがて、片方の男がゆっくりと口を開き、沈黙の中に溶け込んでいた言葉が、ようやく会話として形を成すのだった。



「ええ茶碗やろ、気に入っとるんや。」





老人、紫藤英治が霧箱から取り出した茶碗を愛でながら向かいに座す男、松岡康二に話しかける。



「はい、誠に立派な茶碗に見えます、しかし何分無作法なものでその価値までは私にはわかりかねますが。その、良いものだとは感じます。」



松岡には数字の振ってない物の価値はわからない。見聞きするもの全てに数字で優劣をつけ価値を判断してきた男である。


そうすることで世の中を、社会を勝ち抜いてきた男にそうでない世界の事などわからない、わかろうとも思わない。

そういう男である。



「は、そんでええ。わしにもわからんわこんなもん。ただの土くれこねくり回して焼いて色付けてありがたがっとるだけや。ただの土や。」



紫藤は少し間を置いて、冷ややかな目で松岡を見つめる。




「誰かが有難がってこれに価値を張り付けて、それをまた皆が有難がって買いよるんや。しょうもない。こないなもんが600万や。」



紫藤は静かに茶碗を布にくるみ、置く。



松岡は無言で、何も返すことができない。


紫藤は鼻を鳴らしながら、淡々と続ける。



「せやけどな、松岡。わしらの居る世界はそんなもんやで。情報に価値なんぞ無い。

せやけど、あるとこに綺麗な熨斗をつけて持ってったら1億や。わしらはそんな事を繰り返して生きてきたんや。」


紫藤はひと息つき、松岡に視線を寄こす。





「うまいことやりや。」



「は、金言有難く。必ずや大和テレビを以前のような、いえ以前以上に盛り立て会長の期待に沿えるよう復活させます。尽きましては東堂の後任には我々の内の正道といえる木村を、」



松岡が今後のビジョンを紫藤に報告しようとするも紫藤はそれを制する。





「松岡、途中経過に価値なんかないで?綺麗な結果もっといで、それがあんたでも東堂でも、それとも桐生でも。わしはかまへんのやさかいな。」





「はい、必ずやこの私が会長に良いご報告を。」





松岡は身震いする、俺でも東堂でも、会長はそう言った。天秤にかけられているのか、俺が東堂と、神木の弟子と。



桐生ならまだしも、東堂と比較されるとは、そんなことは許さない、そんなことは許せない。



「ああ、それと。黒田はんに迷惑かけたら承知せえへんで、気いつけや。」



紫藤は表情を変えることなく松岡に告げ手元に茶碗を引き寄せる。



「も、勿論です。」


黒田、黒田幸正の事か。まさかあのことをこの老人は知っているというのか?



松岡は当の黒田幸正の耳にすら入れていないはずの情報を持っている紫藤の、その力に心中の芯の部分を確りと掴まれた様に感じた。


 

掌中の茶碗を丁寧に拭く紫藤を見ながら松岡は思う。



もう一度情報を精査し管理をし直さなければ、そう決意した松岡は紫藤の元を辞する。次こそはこの老人に認めさせる。神木の愛弟子を引きずり下ろし奴よりも自分が優れていると、そう確信させるのだ、そう決意を新たにしながら。



「うまいことやりや。」



紫藤はそう松岡に告げるとお気に入りの茶碗を秘書に粗雑に投げて渡した。



「しもといて。」



そう言い渡し紫藤は奥へと消えていく。





わしの世界で飛びたいんなら飛んだらええ、東堂でも、松岡でも好きにしたらええ。



せやけどな、あんまり煩う啼いたら首ちょんや、うまいことやらんとあかんで。







「お疲れさまでした。」


大崎若菜はにこりと笑って頭を下げる。いつもカンペを出してくれるスタッフさんだ。

良く知らないがいつも私に気を使ってくれるし、良い人なのだと思う。

良い人と言うのが若菜にはよくわからないけれど。


皆が口をそろえて良い人だという先輩が社内不倫をしていた、皆は口をそろえてあの人は悪い人だったと言っていた。


事件を報道している時でもそうだ、犯人の隣人が言う、いつも笑顔で挨拶してくれる良い人だと思っていたのに。よくわからない。







よくわからないけど若菜は言う、悪いことはいけません、と。



当たり前じゃないかと若菜は思う、悪いこともいけないことも同じじゃないか。

良いことと悪いことは違うのだろうか、きっと違うのだろう。



じゃあ良い人と悪い人は違うのだろうか、若菜にはよくわからない、わからないけど何とかなっている。それは周りを観察してきたから、それは叱られないように立ち回ってきたから。



「好きに生きろ。」





東堂に言われた、言葉。



東堂にとっては何でもない一言だったのかもしれない、けれど若菜にとっては許しだった、肯定だった。



だから若菜は笑顔になる、最近巷では大崎若菜の人気が上がっている。



大崎若菜は、そんな事気にもしていないけれど。













桐山玲奈は悩んでいた。



田中には動くなと言われた。東堂が玲奈を心配するからと、


その事実はとても嬉しい。思わず玲奈の頬も緩む、違うそうじゃない玲奈は自らの頬を両手で叩き気合いを入れなおす。近くを通りかかったスタッフがビクッと反応するが玲奈は気づかない。



東堂社長の為に動かない、それはそうなのだけれども。


では自分はいったい何のためにここにいるのだろうと思ったのだ。矢張り此処は少々危険でも松岡の傍で動くべきではないのかと思ったりもするのだが、肝心の松岡も「手を繋ぐ」一度目の放送には顔を出したのだがそれ以降はとんと顔を見せない。


そりゃそうか、前社長とは言え別に今の松岡に社内での役職は無い、昔偉かったただの無職だ。だから玲奈は松岡にあれ以来会っていない。





つまり、暇なのだ。いや、仕事はある。やるべきことは何ならRePurgeの時より多いくらいだ、この後もクライアントとの打ち合わせがあるし毎晩の帰宅は深夜になるのも珍しくない。要はモチベーションの問題である。





「こんなことならRePurgeに戻らせてもらおうかしら?」



玲奈は気楽にそんなことを呟く。組織と言うものを何だと思っているのか、沢木真帆辺りが聞いたら滾々と説教しそうな発言だが幸い玲奈の発言を聞く者はいない、それに。



そういう訳にもいかないわよねえ。玲奈は机に突っ伏す。





「若菜、めっちゃ生き生きしてるもんなあ。」



大崎若菜をRePurgeから引き抜きこちら側に引き込んだのは自分だ。



飽きたから私戻るね、とは言えない。いくら玲奈でもそれは無いとわかる。






【今日も大崎ちゃん可愛かった】

【なんか前より笑顔が自然なんだよな】

【まあ、前は喧嘩上等RePurgeだもんな、向いてなかっただろ】

【番組の面白さはRePurgeの圧勝だけどな】

【それな、東堂の仕掛ける番組とは思えないよな「手を繋ぐ」って】

【いや、そもそもこれ東堂の番組なのか?】

【桐生の仕掛けじゃね?】

【でも、なんか東堂っぽいんだよな】



玲奈は鼻で笑った。





「バカね、正解は松岡よ」



まあ松岡なんて皆もう忘れてるか。玲奈はそう思う。





でも評判良いしなあ若菜。玲奈は「手を繋ぐ」の公式アカウントの書き込みをチェックしながら呟く。





その時、玲奈のメッセージアプリに通知が来る「木村 見たことある人」



あ、松岡のところの見たことある人からだ。



玲奈は既読の付かないようスマホ画面を操作して内容だけを確認する。それは松岡からの呼び出しを伝えるメッセージだった。これくらい自分で送りなさいよあの爺、何でも人使うのが偉いんじゃないってのよ。玲奈は後で返信しようとスマホ画面をすっと閉じた。








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