【第10話 立ち退いて貰っていいっすか?】
こんにちは。
御覧いただき、ありがとうございます。
舞台原作「バック・トゥ・ザ・君の笑顔」
是非、お楽しみ下さい。
日を同じくして少し遡る事宵の口。九条と木下は石段の8合目に居た。
夕方に登り始めた2人は、木下は徐々に暗くなっていく森に焦りと苛立ちを覚えていた。苛立ちを覚えていたのは九条も同じで、石段の長さと視察の面倒さにほとほと嫌気がさしていた。
「ちょっと休憩だ」
その台詞を木下は何度聞いた事か。しかもどんどん発言の間隔が短くなっている。
「あと少しです。頑張りましょう」
九条の尻を押すにも木下の腕力には限界が来ていた。こうして木下はどんどん屈強な男になっていくのだろう。
頂上の神社に着く頃にはすっかり日が暮れていた。木下が溜まった乳酸を散らそうとずっと腕を揉んでいる。
九条は着くや否や、手水舎の柄杓で水をがぶ飲みしている。おい、そこは身を清める場所だぞ。無神論者の木下が呆れる程に、九条は飢えた豚の様に水をすすっていた。
「九条さんが豚になっちゃった!」
朱色の作務衣を着た女の子の物真似を、木下は心の中で堪能していた。
「ぷっはぁ! うめぇな!」
満面の笑顔を九条は木下へと向けた。木下の青筋が浮かび上がるも貼り付けた笑顔がそれを隠していた。
九条がスーツの袖で荒々しく口元を拭い、2人は鈴森家のチャイムを鳴らした。
ピンポーン。のつもりでチャイムを押すと
「ブッ」
と短く音が鳴った。ブザー系のチャイムだ。こんなに短く押しただけでは誰にも気付かれない。チャイムを押し直さなければならないストレスに木下の腹の中は爆発しそうだった。
今日のストレス許容値をとっくに超えている。木下は少しの報復に長めにブザーを鳴らした。
ブーーーーーーッ。
森の中に大きなブザー音が溶けていった。しばしの間。九条が口を開いた。
「そんなに長く鳴らしたら先方に失礼だろ」
ブチッ。
血管の切れる音が完全に聞こえた。木下が臨界点を越え、今まさに九条の方を振り返るその瞬間。
「はい」
無機質な返事が聞こえガラガラっと戸が開いた。九条の命も、木下の職も首の皮一枚で繋がった瞬間だった。
「……」
「……」
何故この娘はどちら様ですか? とか、ご用件は? とか話うし出さないのだろうか。
この沈黙はなんだ。木下は混乱していた。
「お父さんは居るかな?」
木下は極めて胡散臭くにこやかに言った。
「晶さん」
「……」
「……」
なんだ今のは? 今の声量で人を呼んだつもりか?
この娘は遠くの人に声をかける方法を知らないのだろうか? 隣に居るくらいの気持ちで今父親を呼んだか? 聞こえるはずがないだろう?
せめて「さーん」と、さの次に伸ばし棒入れて声量を出さないと駄目だ。
木下の頭はフル回転していた。この状況をどう足掻いても理解出来なかった。九条に至っては勝手に敷居をまたいで、上がり框(「あがちまち」玄関の土間とホールの間に設けられる段差部分)に座り込んでいた。
「もう一度呼んでくれるかい?」
もう一度木下はにこやかに咲良に尋ねた。ここで大声を出しては輩みたいになってしまう。あくまでも県議会議員の秘書としてここへ来たのだ。
見た目にそぐわず一般常識を木下は心得ていた。
「……晶さん」
「……」
「……」
海からの風が森を抜けて、涼しい空気を木下へ届けた。
「鈴森晶さーん! こんばんはー!!」
木下は九条せいで受け入れるという一種の諦めにも似た特殊能力を身に付けていた。こうなればもう話は早い。
ガチャと扉が開いた。煮物の匂いと共にエプロン姿の晶が現れた。恐らく金目鯛の煮つけ。木下は冷静に分析している。
「金目鯛の煮付けだな」
九条はニヤリと笑って木下の方を振り向いた。
長く一緒に居ると思考も似てくるものである。それが例え嫌いな相手でも。
「おやおや、木下さんに九条さん。こんばんは。またこの前の話ですか?」
「私共としてもあの金額でご納得いただかないと」
「この神社はこの土地を、耶志眞町を守っているんですよ。ですから……」
「鈴森さん」
上がり框に座ったまま九条は振り返る事なく喋り始めた。
扇子で扇ぎながら喋るその様は結構大ボス感あるのになと木下は思った。
立ち上がりながら九条は振り返り、大ボス、いや、大悪者らしい決め台詞を吐いた。
「どうしてもって言うならね、法的な措置を取るしかなくなるんだよ。普通じゃねぇんだよ? こんな金額。こんな寂れたボロっちい神社の神主ごときが手に出来る金額じゃないって言ってんだよ」
「咲良、耳を塞ぎなさい」
無言で晶を見つめる咲良は、無機質にゆっくりと自分の耳を塞いだ。
九条が徐々に顔を赤くする。怒りで扇子がふるふると震え始めた。
「分かってる!? 俺の力ってやつを! 金のちかたってやつぁす!」
噛んだ。盛大に噛んだ。そういう所だ。九条がいまいち悪役らしくないところは。
「九条さん噛んでましゅ」
木下は九条の為に優しく噛んであげた。
江戸時代には屁負比丘尼と呼ばれる高貴な女性がおならをした時に「私がしました」と申し出る人が居たそうだ。
だが、今はそんな事どうでもよかった。
「お前だって噛んでんじゃねぇか!」
九条は木下に矛先を変えた。いいんだこれで。これが俺の役目だ。木下は達観していた。
「遊ぶなら下にたぬき公園っていうすごくいい公園があるんですけど」
「おい大概にしろよ。こっちゃあ遊びで来てんじゃねぇんだよ」
「私も本気ですがね。本気でここを潰すというのなら……」
晶の言葉に少し空気がピリつく。目に見えてひるむ九条。普段もそのくらい敏感に生きて欲しいものだ。
「言うならなんだよ。てめぇのバックに何がついてるか知らねぇけどなぁ、こっちゃあ動ける人間なんていくらでも雇えんだよ!」
木下の背中越しに九条は吠えた。木下の背中は男女共に安心設計なのだ。
「いえいえ、私にはたぬ神様しかおりませんから」
「たぬき神社の神様ってか? どんなたぬき面なんだろうなぁ!」
九条が盛大に噴き出すと、木下も合わせて笑う。
「たぬき親父が何を言いますか」
良い返しだ。と木下は思った。神社的な意味でも、九条の外見・内面的な意味でも返している。故に九条は激高した。
「おいてめぇこら!」
九条だってやる時はやる男なのだ。晶の胸倉を掴もうと一歩踏み出したその瞬間。九条は地面に突っ伏していた。
木下はすばやく九条の肩甲骨の間を押さえつけそこに体重を乗せる。
「あ、だっ、ちょ、え?」
「九条さん」
木下が優しく問いかける。九条が一線を越えないようにするのも木下の大切な仕事だ。
今ここで揉め事を起こす訳にはいかない。
九条が自分の肩をポンポンポンと叩くと降参の合図だ。手を差し伸べ優しく九条を立ち上がらせる。
「これはこれは。神に仕える者としてあるまじき発言。お許し下さいたぬ神様」
「俺に謝れ!」
スーツの土埃をパッパッと木下に払われながら九条は吠えた。怒りながら母親に鼻水をかんでもらってる子供みたく、その怒りに説得力はなかった。
「九条さん」
優しくもドシッと腹に来る木下のささやきにより、九条は沈静化した。
「てめぇこのまま平穏に暮らしていけると思うなよ」
「私は神様に仕える身ですので、争い事はしませんが」
「こっつがやる気だって言ってんばよ!」
晶の和やかな雰囲気はいちいち九条の癪に障った。
そしてまた噛んだ。
「九条さん、これ以上の発言は」
控えなければならない。どうせ噛むのだから。
「ぺっ、たぬきに化かされやがって」
そう言って吐いた九条の唾は、今朝磨いたばかりの木下の靴に命中した。木下は心の中で6秒数え始めた。
「後で金が欲しいっつってもそん時はおせぇからな!」
敷居に躓きながら九条は玄関を後にした。どこまでも格好のつかない人だ。
「残念ながら、娘ひとりを育てるのに不自由はしておりませんので」
「失礼します」
深々と頭を下げる晶を横目に、木下はきちんと戸を閉めて去っていった。ちゃんとしてる人だな。と晶は思った。
2025/06/08まで毎日18時に更新されますので
楽しみにお待ちいただければ幸いです。
2025/06/08で「バック・トゥ・ザ・君の笑顔」は完結します。
全部で4部作ありますこのシリーズ。
恐らく全てがラノベ化されると思いますので
そちらも合わせてお楽しみいただければ嬉しく思います。
応援の程、よろしくお願い致します。




