私の人生
自分について語ってみようと思う
私は現在職にもつかず特に何もせずやりたい事は多少あれどそれに向かってなにかするという1歩が踏み出せず結局なにもしない日々が続いているクズだ
なぜこうなってしまったんだろう
原因は分かってはいるがどうしようもない
まず自分は小学生の頃は天真爛漫でとても明るく活発な人間だった
成績も悪くなく「みんなとなかよく」ができる子供だった
中学生に上がり、つるむ友達が頭の悪い子だった
端的に言うと田舎ヤンキーである
今でも思う、あの時友達選びもうちょっと頑張ってれば少し未来が変わっていたのではなかろうかと
その友達のせいか成績はみるみる落ち、親には手をあげられ、まぁまぁな反抗期だったであろう
でも他所に比べたら放置気味だったので親に対する嫌悪感は薄かったように思える
中学2年か3年の頃、ようやくつるつ友達が代わり成績がマシにはならなかったが勉強するようになった
この頃まで本当に勉強机に座るだけで絵を描いたり漫画を読むだけというここでもう既にクズっぷりが垣間見えている
だが中学で勉強せず絵が好きになったおかげか高校は美術の学校に通えることになった
そこで私は一生忘れられない3年間を過ごさせてもらった
やはり美術専門というだけあってオタクか変なヤツしかいなかった
彼、彼女らは絵が上手いだけで人間としては偏屈なやつが多かった
私にはそれがとても心地よかった
中学という自分の内面を成長させる時にヤンキーまがいのヤツらとつるむことになったせいでおかしくなってしまった自分の性格がここではもっと変なやつばかりだったので自分は変じゃないという謎の自信が生まれた
変な友達の例をあげてみる
例えば壮大な溶接まで自分でする作品が出来上がったあと私に「みてみて、でっかい粗大ゴミつくった」と言い放った
私はこんなに美術での成績が良く、綺麗なデッサンが描ける上に立体でも素晴らしい作品が出来るのに友人は自分の作ったものを「粗大ゴミ」と言い切ったのだ
実際、自分の作った立体作品は今の時点で残っているものはほぼ無い上、持って帰るだけでも一苦労な大きな大きな作品だった
私は、なんて面白い人間がこの世にはいるんだろうこの学校に入ったことは自分にとって色褪せない3年間になるんだろうなと思った
高校の3年も終わりに近づいた頃、私は手に職をと思い製菓学校を選んでしまった
そう、選んで「しまった」のだ
私はこの2年間を自分の中で1番の後悔だと思えるほど間違った判断だったと思う
製菓学校では私のような変なやつは居らず、普通の子やちょっと変でも必死に学ぼうとしている人間が多かった
私のように資格だけとれてあとはまぁノリでみたいな感じで学校を決めた人間はあまりいなかった
あとで聞いた話だが、高校の時に私はゲーム系の学校に行くと思われていたらしい
本当にそう思う、言われてから気づいた
なぜ今更製菓なのか
確かに時々お菓子を作ることは好きだった
楽しくもあり、上手くできた時は親も喜んでくれた
なんなら親の手伝いをしていたからお菓子を作ったとも言える
判断を本当に間違えた
ゲームを作るということはプログラミングやキャラクターデザイン、その他たくさんの道が開けたかもしれない
だがどうだろう現在、製菓は役に立っていない
本当に間違えた
この頃はこんなに後悔するとは思わなかった
人生を左右する選択はもっと慎重になって周りにもたくさん相談し、自分だけでサクサクきめて良いなんてことは無いのだ
本当にやってしまったと思う
さて、そんな2年間だが学校の先生はとても優しく、そして頼りになる人たちであった
最初の1年間の先生は女性の先生で気がキツかったがなかなかに真っ直ぐな先生だった
オブラートを外すならちょっとムカつく中年女性程度なものだ
彼女は先生としてはかなり良かったと思う
一緒に仕事をするのは御免だが
2年目は変わった先生だった
彼は先生としては微妙というか口数が多すぎて手元が狂うタイプなのかなと思った
例で言うとチョコレートの製法にテンパリングという作業がある
細かいことは省くがテンパリングをすることでチョコレートがキメ細やかになり口溶けがかなり良くなる
この作業の時、なるべく空気が入らないようにするのが一般的なのだが彼は説明中びっくりするくらいボウルの中のチョコレートを混ぜていた
先生がやるのだから失敗はしないだろうが当時はドン引きしたものだ
そんな2年間も過ぎ、卒業が見えてきた頃やっと就職先が決まった
今思えば履歴書を書く時点でボロボロと泣き出すくらいなのでこの頃からメンタルもおかしくなっていたのかもしれない
決まった就職先は、実家のすぐ近くの個人経営のケーキ屋だった
個人店のケーキ屋ほど辛くしんどい場所は無いというのに何も考えず適当に決めてしまったのが間違いだった
とりあえず卒業までずっと休みの日は手伝いをしに来てくれと言われたので行ってみたらこんなにこき使われることになるとは思いもせずびっくりしたことを覚えている
そんなバイトをしていたある日、インフルエンザにかかってしまった
学校にもケーキ屋にも連絡を入れ、この際だから来週もバイトを休もうと連絡を入れた
連絡に出てくれたのはいわゆる部長クラスの人だった
OKを貰い、ベッドに横になったすぐ直後また連絡が入った
店長だ
学生気分だった私も悪いが店長は「そんな態度ならもう来なくてもいいんだけどどうするの」と言われたのでまずいと思い来週には必ず出勤する旨を伝え電話を切った
次の週はバイトに行ったがどうしてもここで働く気にはなれず、学校に相談した結果辞めることになった
その後卒業後1ヶ月就職することも出来ずぼーっと過していたら就職斡旋の連絡があった
家の近くの焼き菓子の工場だった
焼き菓子専門で作っているらしい工場だが一応リサーチをして焼き菓子を食べたのだがその工場で作られたものではなく食べていないものを作っていると言われ絶望したのをよく覚えている
だが、本当に人手が足りなかったのであろうこの工場に正社員として入ることが出来た
が、約3年後自分が病気をしたこと、業務形態の変更、人間関係の悪化などに伴い退職することになった
持病を持つことになり薬を常備することになったのだが薬の副作用で体調不良が続く上に、業務形態が変わったことによるストレスやそのストレスによる周りと自分の人間関係の悪化により精神科にかかる前にここにいては本当に死ぬしかなくなると自分で思い辞めてしまった
親に止められたがまさか自分の子が自殺願望をもつほどおかしくなっているとは露にも思っていなかったのだろう
辞めてから何も出来ないほど無気力になり、約1年ほど無職になった
これを充電期間というのか、もしくは精神を病んだ結果何も出来なくなったのかわからなかった
だがふと働けるかもしれないと思った私はネットで求人を漁り、バイトを始める予定だったのに派遣社員になってしまった
何故……?と思いながらそこから1年間ほど派遣として働くが通勤距離やメンタルの不調で辞めることにした
次こそはと思い派遣なら頑張れると思ったので事務員ならなんとかなるかもしれないと思った私はエクセル、ワード、パワーポイントまで一通りできるように勉強した
したが、事務職を頑張っても半年で切られてしまった
こうして今何も出来ない、やっても無駄なのではとなにかやろうとしても自分の中にいる自分が囁いてくる状況になった
果たして私はどうしたら人間として、一般人として生きていく資格を得ることが出来るのか日々悩んでいる
どうか誰か教えて欲しい
自分より苦しんでるやつなんかごまんといるのは分かっている
こんな悩み贅沢なんだろう
死ぬのが怖いからまだ生きられるが怖くなくなった時が怖い
本当に自分を殺すことが出来そうだ
長い自分語りをしてしまったが読んでいる人間は少ないだろう
最後まで読まなくても良いのにここまで読んでくれてありがとう
とりあえずまだ死ぬ気は無いので今から洗濯物を取り込もうと思う
拙い文章で本当に悪かったがまた次を書くことを目標にしているので頑張ってみることにする
それでは