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その六

清次郎の部屋を後にして半刻程経ったであろうか。

一向に助けを求められる様子も無いので、喜市はあくびを何度もうちながら朱塗りに鯉の彫られた細い煙管をぷかぷかと吹かしていたが、やはりあれは清次郎の夢の中の出来事だったのだろうか、などと考えるうちに襲いくる睡魔にうとうとと瞼が落ち始めていた。


「喜市殿。よろしいか。」

突然戸口から聞こえた声に、瞼が跳ね上がる。

それは間違いなく清次郎の声であったが、想像していたよりもずっとしっかりとした声であったので、喜市は先ほど浮かんだ自分の考えが当たったのだと心なしかほっとした。


「はいよ。」

立ち上がり、その戸をひいた向こうに広がる染み透るような静けさと月の光の中、清次郎はしゃんと立ち、先ほど見た怯えた顔とはまるで別人のようであった。


「どうしたんでえ。そんな怖い顔をして。花魁の誤解はとけたのかい。」

「ああ。もう大丈夫だ。」

その時、喜市は頭を下げる清次郎の後ろにぼんやりとした何かが見えたような気がした。

はっとして目を凝らしたが、清次郎はすぐに頭を上げ話だしてしまったので、それがなんだったのかははっきりとしなかった。

「ところで宇部征之助という男を存ぜぬか。お主は顔が広い。少しの心当たりでも良い。良かったら教えて頂きたい。」


喜市の眉間に寄ったしわにも気づかずに、清次郎は少し困った面持ちで話しだす。

「すまねえ清次郎殿、何の話かわからねえ。何でそいつの名前が出てくるんで」

「花魁が恨んでるのは、その男だそうなのだ。細かいことはご当人に直接聞いた方が早かろう」

清次郎が体を半身横にずらしたことで見えた光景に、喜市は持っていた煙管をぽとりと足下に落としていた。

そこには月明かりよりも蒼白で、艶やかな花魁が立っていたのだ。


現だと信じられぬままに招き入れた喜市の部屋で、花魁は清次郎の隣にまるで百合の花のようにしっとりと座っていた。

幽霊とご相談とは何ておかしな図だろうと、喜市はもしや自分こそが夢を見ているんじゃないかと疑っていた。


「しかし幽霊も迷子になるんだねえ」


清次郎が言うには、花魁は、宇部何とかの家のある、松の木の生えた何とか小路を、ただ松の木が見えたというだけでここだと思ったようだった。

あまりに乱暴な間違え方である。


「このあたりのどこだか分からなかったゆえ、片っ端から化けて出てみたのだが、そうして濃紫殿の姿が見えたのは俺だけだったらしいのだ」

話すごとに清次郎の目は段々と生気を帯び、使命感に溢れるようである。

喜市はそんな清次郎を見て、さては取り憑かれたんではあるまいかと不安にかられた。


「ふうん。花魁殿、あんた濃紫って名前か。」

「へえ。」


濃紫はにこりともしない。

それどころか目の端で、手につまんだものを見るように視線をくれるので、喜市はそれだけでもう気に入らない気分になっていた。

「それなら明日にでも、最近身請けされた濃紫って花魁がいねえか聞いてくらあ。

宇部何とかの事も直ぐにわかるだろう。そしたら余所いっとくれ。清次郎殿が迷惑だ。」

喜市が煙管を手に取ると

「征之助じゃ」

と花魁はつんと、斜め上に顎を持ち上げ言った。

喜市は少しむっとした様子で

「ともかく今日は帰ってくれ。あんたのお陰で俺も清次郎殿も眠くてならねえ」

とかじるように煙管を加えた。

本当のところは、清次郎は二の次で、眠いわいけすかねえわで喜市自身が早くこの状況を御免被りたかったのである。

この際これが夢だろうが現だろうがどうでもいいのだ。


花魁はそれを感じてかどうだかは知れなかったが、すっと立つと

「また今夜、引け二つの頃まいりんす」

と喜市に一瞥をくれて、ふっと消えた。

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