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言葉にならない好き

桜が会社の会議室で資料をまとめていると、白井課長がふと話しかけてきた。


「桜さん、今度のプロジェクトで、地元の飲食店を取り上げるPR企画が始まったんだ。地域密着型で、地元の魅力をうまく伝えるのが目的なんだけど…」と、にっこりと笑いながら続けた。


「君、いつも通っている店があるって聞いたよ。確か…『赤提灯ひとや』だっけ?」


桜は驚き、目を見開いた。「えっ、『赤提灯ひとや』ですか?」


「そう。地元で愛されている居酒屋らしいし、独特の雰囲気もあるだろ?君が常連なら、オーナーとも話しやすいと思うから、その店をテーマにしてみたらどうかなって思ってね」


桜は少し戸惑いながらも、心の中に少しずつ楽しみが湧いてきた。「分かりました。『赤提灯ひとや』で進めてみます」


後日、桜は「赤提灯ひとや」を訪れ、蓮にプロジェクトのことを相談する。


「実は、会社で新しいプロジェクトが始まって…地元の飲食店をテーマにして、SNSやイベントを通じて店の魅力を発信する企画なの。それで、『赤提灯ひとや』に協力してもらえないかって思って…」


桜は私的な場所に会社の企画を持ち込むことに少し不安を感じながらも、蓮の反応を待つと、彼の優しい笑顔に不安が解ける気がした。


蓮は穏やかに頷きながら、「なるほど、地元の良さを伝えるためか。面白そうだね。もし僕の店が役に立つなら、喜んで協力するよ」と返した。


桜はほっとして、自然と笑顔がこぼれた。「ありがとう!素敵な企画にしよう」


それから桜と蓮は、「赤提灯ひとや」を盛り上げるために協力し合い、蓮が地元食材や料理への情熱を語る姿に、桜は少しずつ彼の魅力に惹かれていく。


そして打ち合わせのたびに、彼の真剣な表情や優しい言葉が胸に響き、蓮と顔を合わせるたび、桜は自分の気持ちが少しずつ変わっていくのを感じた。


プロジェクトが進むにつれて、蓮と桜は少しずつ「赤提灯ひとや」を盛り上げる計画を形にしていった。だが、ある日、打ち合わせの最中にふと蓮が桜を見やると、彼女が少し疲れた様子で資料に目を落としているのが目についた。


蓮:「桜ちゃん、どうしたの?今日は少し顔色が良くないみたいだけど…」


蓮の穏やかな眼差しに背中を押され、舞香との出来事をゆっくりと話し始めた。


桜:「…実は、舞香が尚樹のこと、私を利用してたって…復讐のために。私、ずっと彼女を信じてたのに」


蓮は桜の言葉に驚きながらも、静かに耳を傾け続けた。話を終えた桜は、どうしていいかわからないまま(うつむ)いていたが、蓮はしばらく考えてから、優しく語りかけた。


蓮:「…それは辛かったね。舞香さんが本音で話してくれたのは、ある意味では誠実かもしれないけど、それでも桜ちゃんが受けた傷は簡単には癒えないよね」


桜:「…ありがとう、蓮くん。私、少しずつだけど舞香と向き合えるようになれたらって思う。でも、今はまだ難しいかな」


蓮は桜の言葉にうなずき、そっと彼女の肩に手を置いて微笑んだ。「時間がかかってもいいよ。君が本当の気持ちで向き合えるようになるまで、焦らなくていい。いつでもここで待ってるから」


桜:「ありがとう、蓮くん。本当に…」


少し照れたように顔を上げる桜を見つめ、蓮は心の中で何かが揺れ動くのを感じていた。だが、深雪の影がよぎり、蓮は微笑みを浮かべるに留めた。


「桜ちゃんといると、なんだか落ち着くよ」と穏やかに告げる蓮に、桜はドキリと胸が高鳴ったが、「友達としてね」という蓮の言葉に一瞬固まり、視線を落とした。


しばらくの沈黙が流れたが、顔を上げると、蓮の優しい眼差しがあった。その瞳に包まれながら、桜の胸は再び高鳴った。


その後、プロジェクトは大成功を収め、「赤提灯ひとや」は新しい客層を獲得し、SNSのフォロワーも急増。桜が蓮にお礼を伝えに行くと、蓮は少し疲れた様子ながらも微笑みを浮かべ、桜を温かく迎えてくれた。


蓮:「プロジェクト、無事に終わってよかったね」


桜:「うん、蓮くんのおかげ。本当にありがとう」


蓮は小さく頷くと、ふと桜を見つめ、少し照れくさそうに笑った。「また何かあったら、僕に相談してよ」


その言葉に、桜はまた蓮に会える期待が胸を満たしていくのを感じた。


桜はいつものように「赤提灯ひとや」へ足を運んだが、店の前にはシャッターが下ろされていた。不安そうに立ち尽くしていると、従業員の一人が店内から出てきて、桜に気づいた。


「桜さん、今日は早いですね。実は…」従業員は少し沈んだ表情で話し始めた。「蓮さん、昨日から高熱が出てしまって、しばらく店を休むことにしたんです。しばらくこのままお休みになるかもしれません」


桜は言ってもたってもいられず、少し躊躇(ためら)いながら従業員に声をかけた。「すみません、蓮さんの住所を教えてもらえませんか?どうしても、今すぐ会いに行きたいんです」


従業員は桜の真剣な様子を見て、少し考えた後、住所を教えてくれた。


「蓮くん、どうしてるかな…プロジェクトで忙しかったせいかな…」


胸が高鳴る中、出てきたのは予想外の人物、深雪だった。


「え……深雪さん?」


驚きに目を見開く桜に、深雪は微笑みながら言った。「あら、桜ちゃん。お見舞いに来てくれたの?」


桜は一瞬、心の中が混乱した。「は、はい……蓮くんが倒れたと聞いて、心配で……」と答えるが、蓮のそばにいる深雪の姿が視界に入ると、自分の気持ちが揺らぎ始める。


「蓮くんも喜ぶと思うわ。ちょうど今、休んでるけど、入って待ってて」と、深雪は優しく言った。その言葉が桜の心に重くのしかかる。


「ちょうど隼人とお見舞いに来ていたの。でも果物を持ってくるのを忘れちゃって、今、隼人が取りに戻ってるのよ」と、深雪はさらりと説明する。その言葉に、桜は少し戸惑いながらも、家の中に案内される。


蓮が静かに寝息を立てている部屋に入ると、その無防備な姿に思わず胸が締めつけられる。心配や不安、そして自分の中にある感情が複雑に絡み合い、桜の手が震えた。蓮と深雪が一緒にいることで、蓮との距離が一層遠く感じられる。


「蓮くんが無防備でいられるのは、きっと桜ちゃんのような優しい人が支えてくれるからよ。」


不意に言われた深雪の言葉に桜は驚き、まるで自分の心の奥を見透かされているかのようでドキリとする。その言葉にはどこか意味深な響きがあり、もしかすると深雪は自分の気持ちに気づいているのではないかと、桜は一瞬思ってしまう。


その言葉を受けて、桜は自分が蓮を支えたいと思っていることに改めて気づかされた。しかし、深雪の存在が桜にとっては壁のように感じられ、胸が締めつけられるような痛みを覚える。


「ちょうどよかった。桜ちゃんにお願いがあるの」と、深雪が優しく微笑む。


桜は少し驚きつつも、「え、私がですか?」と戸惑った表情を浮かべるが、深雪のその柔らかな笑みに、自然とおとなしくうなずいていた。


桜が蓮の寝顔を見つめていると、部屋の外で何か話す声が聞こえた。どうやら深雪と隼人が帰る準備をしているらしい。桜は一瞬、二人に気を使わせてしまったのではないかと心配になった。


「それじゃ、蓮は頼んだよ。桜ちゃん、よろしくね」隼人が微笑みながら言った。


「……はい、ありがとうございます」と、桜は少し驚きながらも小さく頭を下げた。


「桜ちゃん、無理しないでね。何かあったらすぐに連絡して」と、深雪が優しく声をかけ、桜の肩を軽く叩くようにして微笑んだ。


隼人が軽く手を振りながら「じゃあね、桜ちゃん。またね」と挨拶し、深雪と一緒に静かに去っていった。


二人が出て行った後、部屋には静寂が戻った。桜は少し戸惑いながらも、蓮の無防備な寝顔をもう一度見つめ、改めて心の中で「蓮くん、大丈夫だよね……」と呟くのだった。


隼人と深雪が去ってからしばらく経ったが、蓮はまだ静かに寝息を立てたままだった。桜は椅子に座ったまま、じっと蓮の顔を見つめていたが、起きる気配はない。


「本当に、疲れてるんだな……」


桜は、蓮が自分に気を使わず休めるように、少しだけその場を離れるべきかとも思った。しかし、彼がこのまま体調を崩して悪化しないかという不安が募る。


しかし、蓮が無防備な姿で休んでいるのを見ているうちに、何もできない自分に少し居心地の悪さを感じ、そっと立ち上がった。椅子を静かに戻し、最後に蓮に視線を落とす。


「お大事にね……早く良くなって」


小さな声でそう呟くと、桜はそっと部屋を出た。マンションのオートロックを出ると、秋の夜風が少し肌寒く感じられ、桜は身震いしながら歩き出した。彼の温もりを思い出し、心にぽっかりと穴が開いたような寂しさを抱えつつ、自分のマンションへと帰路についたのだった。


桜や隼人、深雪が帰った後、蓮はスマホに届いていた母からのメッセージを開いた。そこには「無理をしないようにね。お父さんも心配しているわ」と優しい言葉が並んでいた。その一文を見た瞬間、蓮の心は一気に数年前に戻った。


父が倒れたのは、蓮がまだ店を手伝い始めたばかりの頃だった。突然の脳梗塞で、包丁を握ることさえできなくなった父を、母と共に支えた日々が思い出される。常に傍にいてくれた父が、病床(びょうしょう)で無力な姿をさらすことになった衝撃と悲しみは、蓮の心に深く刻まれている。


あの頃、母は一度は店を閉じることも考えたらしい。けれど、蓮はどうしても「赤提灯ひとや」を続けたかった。子供の頃からの思い出が詰まったこの場所を守ることが、自分の使命だと感じるようになっていたからだ。


「俺が継ぐよ、父さん。俺が、この店を守る」


蓮は、仕事中はいつも「僕」を使うことを心がけていた。お客様に対して礼儀を(おも)んじ、居酒屋の主人として適切な距離を保ちたいという思いからだ。普段から「僕」と呼ぶことで、自分の立場や役割を意識している。


しかし、一人でいるときやプライベートな場面になると、自然と「俺」と心の中で自分を呼んでいることに気づいていた。「俺」という言葉を使うとき、それは本来の自分が現れる瞬間。誰に気を遣う必要もなく、等身大の自分でいられる貴重な時間だった。


翌日、蓮が少し体調を回復し、居酒屋の仕入れで深雪と顔を合わせたとき、照れくさそうにお礼を言った。


「昨日はありがとうございます。おかゆ、助かりました。すごく温まりました」


その言葉を聞くと、深雪は微笑み、「あら、あれは桜ちゃんが作ったのよ」と言った。その言葉に蓮は一瞬驚き、視線をそらしながらも表情が少し柔らかくなったのを見て、深雪は内心でほくそ笑んだ。彼が桜を意識しているのが、言葉にしなくても伝わってくる。


「桜ちゃん、優しい子よね?」と、深雪が楽しそうに言うと、蓮は少し恥ずかしそうに頷く。


「はい、すごく…優しいです」


その一言に、深雪はますます嬉しそうに微笑んだ。桜と蓮が少しずつ距離を縮めていく様子を見守りながら、二人の恋がどう進むのか楽しみでたまらなかった。


翌日、夕方の忙しさが落ち着いた頃を見計らって、蓮はカウンターで焼酎を飲んでいる桜の方へ歩み寄った。カウンターには数組の客がいて、和やかな会話が響いている。その中で、桜はほろ酔い気分で、蓮が近づいてもまだ気づいていない。


「桜ちゃん」


声をかけられ、桜が驚いたように顔を上げた。その表情に、一瞬言葉を失いかけたが、蓮は意を決して口を開く。


「昨日、ありがとう。おかゆ、すごく美味しかった」


「あ、あれ、食べてくれたんだ。良かった」


桜が少し照れくさそうに微笑む。その笑顔を見た瞬間、蓮はまた心臓が高鳴るのを感じた。


「いや、本当に助かったよ。僕、風邪ひくとどうしても食欲がなくてさ。でも、あれのおかげで元気になれた」


蓮が素直にそう伝えると、桜は嬉しそうに頷いた。そして、ふと視線をそらしながら、小声でぽつりとつぶやく。


「……蓮くんに、少しでも役に立てたなら、良かった」


その言葉に、蓮はなぜかまた顔が熱くなるのを感じた。けれど、その気持ちを隠すように、少しだけ笑ってみせる。


「……僕も、もっと元気出さないとね」


そう言って軽く咳払いし、気を取り直すように桜を見つめた。


「本当に、ありがとう」


桜も蓮の視線を受け止めて、少しだけ頷き返した。

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