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一緒に釣りと穏やかな料理の日

桜は、尚樹と別れた後、心が重くなりながら気分転換に朝早く海へ向かった。静かな波の音を聞きながらゆっくりと歩いていると、遠くから見慣れた背中が目に入る。思わず目をこらすと、それは蓮だった。


「蓮さん?」と驚きの表情で声をかけると、蓮も振り返り、少し驚いた顔を見せた後、柔らかい笑顔を浮かべた。


「おはよう、桜さん。こんな早い時間にここで会うなんて珍しいね」


「蓮さんも、こんな朝早くに…」桜も少し照れくさそうに笑う。彼女の中では、蓮と出会うのはいつも夜の「赤提灯(あかちょうちん)ひとや」だったから、朝に会うのはなんだか新鮮だった。居酒屋「赤提灯ひとや」のカジュアルな姿とは違い、白いシャツと軽いカーディガンを羽織った朝の蓮は、まるで別の人のように見えた。


「実は、最近釣りにはまっていて、今日は少しだけ海に来てみたんだ」と蓮が言うと、桜は興味を持ち、「釣りですか?楽しそうですね!」と目を輝かせた。


「新鮮な魚を仕入れるために、時々市場にも行くけど、自分でも釣ることがあるんだ。たまにはこうやって自然の中で過ごすのもいい気分転換になるよ」と蓮が続ける。


「すごいですね!お店の食材にもこだわってるんですね」と桜が感心すると、蓮は微笑んで「もちろん、新鮮なものをお客さんに出すのが一番だからね」と答えた。


その時、ふと桜の方を見た蓮が、穏やかに微笑んで提案する。「もし時間があるなら、一緒に釣りでもどうですか?」


「え?釣りですか?」桜は少し驚いた様子を見せる。


「はい、せっかくだからリフレッシュも兼ねて。僕も朝早くから来ているし、もう少し時間はありますから」と、竿を指しながら軽く肩をすくめる蓮。


桜は躊躇(ためら)いながらも、心が少し踊るのを感じ、「釣りはあまりしたことがないですけど…」と答えると、蓮は優しい口調で「大丈夫です、僕が教えますよ」と励ました。


その提案に桜も心が動かされ、軽くうなずいた。「じゃあ、ぜひお願いします!」


蓮が竿を桜に手渡しながら、「これで一緒に楽しみましょう」と言うと、二人は穏やかな海の波音を背景に釣りを始めた。海風が心地よく、桜は蓮との時間を大切に感じながら、自然と笑顔がこぼれる。何か新しいことに挑戦することで、心の重さが少しずつ軽くなるのを感じていた。


穏やかな海を前に、桜は少し微笑んで、「私も、ちょっとリフレッシュしたくて…」と言いかけ、少し間を置いてから、蓮に向き直った。


「実は…彼氏と別れたんです。」


蓮は少し驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻し、優しい声で答えた。「そうだったんだ。辛かっただろうけど、よく話せたね。」


「はい…でも、ちょっと気持ちが軽くなった気がします。」桜は少し肩の力を抜き、蓮の優しさに救われる思いがした。


「蓮さん、この間はいろいろ話を聞いてくれてありがとうございました。本当にお礼がしたいんですけど…」


蓮は「そんなに気にしなくていいですよ。でも、どうしても何かしてくれるって言うなら…」と、少し考えるような素振りを見せた。


「夏祭りで出店と別日に『赤提灯ひとや』でビアガーデン風のイベントをやる予定だから、そこで貢献してくれたら助かる。」と冗談めかして言うと、桜は「えっ、貢献ですか?…ふふっ…いいですよ…たくさん飲もうかな」と笑い返した。


蓮は笑いながら、「いやいや、冗談です。ただ、遊びに来てくれたら嬉しいなって思って」と優しい目で彼女を見つめた。


「ぜひ行きますね。」桜は心からそう約束した。


最初は釣りに少し戸惑っていた桜だったが、蓮の穏やかな指導のおかげで、徐々に楽しむようになっていた。蓮が優しくリールの巻き方や釣り竿の持ち方を教えてくれ、少しずつコツを掴んでいく。


「釣りって、もっと難しいものかと思ってましたけど、思ったより楽しいですね」と、桜は笑顔で蓮に話しかけた。


「でしょ?自然の中でリラックスしながら待つのが、なんだか心地よくて。魚がかかる瞬間のあの感覚も病みつきになるんですよ」と、蓮は釣り糸を垂れながら答えた。


桜は波の音に耳を澄ませ、ゆっくりとした時間を楽しむ。「こんなふうにのんびり過ごすのも久しぶりだな…」と心の中で思い、ふと周りの美しい景色に目をやる。青い海と空、太陽の光が水面にきらめく様子が、桜の心を明るく照らしていた。


すると、桜の釣り竿が軽く引かれる感覚があり、思わず驚いた表情を見せた。「あ、蓮さん!何か引っかかってるかも!」


「お、いいね!落ち着いて、ゆっくりリールを巻いてみて」と、蓮はすぐに側に立ち、サポートする。


桜はドキドキしながら、言われた通りに慎重にリールを巻いていく。徐々に水面近くに魚の姿が見えてきた瞬間、桜の目が輝いた。


「やった!釣れたかも!」と、彼女は嬉しそうに叫ぶ。


蓮も満足げに頷いて、「やったね桜さん!初めてにしてはなかなかの腕前ですよ」と笑顔を見せた。


魚を網ですくい上げた桜は、まるで子どものように純粋な喜びを感じていた。「こんなに楽しいなんて思ってもみなかった…」


蓮はその笑顔を見て、自分も心が和むのを感じた。「こうして一緒に釣りをする時間が、少しでも桜さんの気分転換になってくれたならいいな」と思いながら、彼もまた穏やかな一日を楽しんでいた。


「また来たいな、釣り」と桜はぼんやりと海を眺めながらつぶやく。


「いつでも誘ってくれれば、また来ましょう」と蓮は優しく答えた。その瞬間、二人の間に流れる静かな時間が、桜の心を少しずつ温かくしていく。


自然に触れ、蓮と一緒に過ごす時間を通じて、桜は少しずつ前に進む力を取り戻していった。


桜はふと、気になっていたことを口にした。「蓮さんって、私より少し年上かと思ってたんですけど、実は何歳なんですか?」


蓮は笑いながら「そんなに大人っぽく見えますか?僕は、24歳ですよ」と答えた。


桜は驚いた表情で「え、同い年!なんだ、もっと年上だと思ってた」と思わず敬語じゃなくなってしまったが、すぐに「あっ、つい…ごめんなさい!」と慌てて訂正した。


すると、蓮は笑って「いや、気にしないでいいよ。むしろ、そういう方が話しやすいし。これからは敬語はなしで話してもらった方がいいな」と言った。


桜は一瞬戸惑ったが、蓮の優しい笑顔に安心し、「じゃあ…そうするね」と少し照れながら答えた。


その後、桜と蓮は会話を楽しみながら、リラックスした雰囲気で釣りを続けた。桜は蓮との距離が少しずつ縮まっていくのを感じ、これまで以上に彼と自然に話せる自分に驚いていた。


釣りが終わる頃、桜は「同い年だって知ったら、なんだかもっと親近感が湧いてきたよ」と笑顔で言うと、蓮も「僕も同じ気持ち。こうして一緒に過ごす時間が楽しい」と応じた。


この一日を通じて、二人の関係はさらに深まり、桜は蓮との新たなつながりを感じ始めていた。桜が「蓮さん、こんな若いのにお店の亭主なんて、すごいね」と感心すると、蓮は軽く笑って「いや、実は家業なんだ。親父が体を壊して、僕が引き継ぐことになったんだよ」と語った。


「そうだったんだ…。でも、それでもすごい。お店を一人で切り盛りするなんて」と、桜は真剣な表情で蓮を見つめる。


「まあ、親父の代からの常連さんもいるし、周りのサポートもあって何とかやってるけどね」と、蓮は謙虚(けんきょ)に言いながらも、誇りを隠せない表情をしている。


桜は、蓮と一緒に海を眺めながら、その穏やかなひとときを楽しんでいた。そんな中、蓮がふと笑顔で言った。


「せっかくだし、釣った魚をうちで食べていく?」


桜はその言葉を聞いて、瞬時に頭の中で「うち=蓮さんの自宅」と結びつけてしまった。


「え、えっ…うち、って…蓮さんの、お家…ですか?」桜は急に赤くなり、言葉が上手く出てこない。「えっと、あの、私、そういうのは…えっと、その…」と、しどろもどろに噛みまくりながら答えた。


蓮は最初、桜の反応に少し戸惑ったものの、すぐに自分の言い方が誤解を招いたことに気づいた。


「あ、ち、違います!『赤提灯ひとや』の方ですよ!」蓮も慌てて手を振りながら訂正し、焦った表情を浮かべる。


「ご、ごめんなさい!私、てっきり…」と桜も真っ赤になりながら笑い、二人はしばらく照れくさい雰囲気の中で顔を見合わせた後、少し緩んだ空気に包まれた。


「いや、本当に紛らわしい言い方してごめんね。でも、店で食べましょう。美味しく料理するから、きっと気に入ってもらえると思うよ」と蓮は優しくフォローした。


桜は一息ついて、「あ、そうだね…それならぜひ!」と笑顔を見せたが、まだ少し頬が赤いまま。そんなやり取りの後、二人はまた自然体に戻り、心地よい空気が流れ始めた。


そのまま「赤提灯ひとや」に向かうと、蓮は店の台所に立ち、釣った魚を調理し始めた。桜は、彼が慣れた手つきで魚をさばく姿をじっと見つめる。普段は賑やかな居酒屋でしか見ていなかった蓮の姿が、こんなにも落ち着いていて頼りがいがあるものだと、改めて感じる。


「蓮さん、料理上手なんだね…」桜は感心したようにぽつりと呟く。


「まあ、仕事だからね」と蓮はさらりと答え、次々と魚を調理していく。


そんな様子を見ているうちに、桜の心は自然と落ち着き、「この人のそばにいたら、もっと強くなれるかもしれない…」と心の中で思った。


料理を終えた蓮が魚を皿に並べ、二人は店のテーブルに向かい合って座る。


「じゃあ、いただきます」蓮が微笑むと、桜も小さく頷きながら一口食べる。


「美味しい…!蓮さん、本当にプロだね。」


「新鮮な魚は格別だからね」と蓮が優しい表情で返す。


食事を楽しんでいると、蓮がふと真剣な表情になり、「桜ちゃん…」と名前を呼ぶ。


桜はドキッとして、「な、なに?」と聞き返す。


「"蓮さん"じゃなくて、もう少し近い呼び方にしてほしいな」


桜は戸惑いながらも、小さく息を整えて「…れ、れんくん」と照れたように口にする。


蓮は柔らかく微笑み、満足そうに頷く。


桜は、尚樹との別れで心に重たさを感じていたことが嘘のように、自然と笑顔がこぼれていた。

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