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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ランショウとホタル

作者: 加藤爽子

閲覧ありがとうございます。

短編にしてはとても長い話になってしまいました。

あと、残酷な表現や暴力だったり女性軽視だったり亡くなったり暗いエピソードもあります。

苦手だなぁという方は自衛をお願いします。


前作『星の烙印』にて、次回作は乙女ゲームものだと宣言しておきながら予告詐欺です。すみません。



2024.11.15 誤字修正

 従姉のヒヤシンスが娘を産んだのはランショウが九つになって十ヶ月が過ぎた頃だった。


「仲良くしてあげてね」


 産後すぐでまだ体力が戻っていないヒヤシンスは力無く微笑みながら、ランショウに赤子を抱っこさせてくれた。

 これで精一杯なのか、と驚くほど可愛らしい声で泣いている赤子は、母親に似て将来きっと美人になるだろう。

 手も足もランショウの掌で簡単に覆い隠せるくらい小さくて力も弱い。

 だけど、抱きかかえた腕に感じる温もりが精一杯生きていることをランショウに伝えてきていた。


(僕が守ってあげなきゃ)


 ホタル、と名付けられたその赤子を守れる男は、まだ九歳のランショウしかいなかった。

 ヒヤシンスの両親は既に他界していたし、ランショウの父親は一年ほど前の徴兵で国境へと連れて行かれてまだ戻っていない。

 父親に手紙を出そうにも、なかなか国境方面に行く旅人は居らず、商人や役人は一介の町人には厳しい額の袖の下を握らせなければ引き受けてくれなかった。

 そんな状態なので安否は戦地から逃げ出してきた人々がもたらした何ヶ月も前の手紙を信じて次の便りを待つしか出来なかった。

 親がいないとか天涯孤独だとか、この国では取り立てて珍しいというわけでも無く、ヒヤシンスはまだ頼れる親戚がいるだけマシだったと言えるだろう。


 本来ヒヤシンスの夫となる筈だった男は、この町の町長の息子で名をギョクズイという。

 彼は、偶々町を訪れた領主の娘に一目惚れされて、既に決まっていたヒヤシンスとの結婚を取り止めてしまった。領主の一人娘を射止めたのだから、入り婿になったギョクズイは時期領主様だという。

 彼とヒヤシンスは、町中の誰もが憧れる美男美女の仲睦まじい恋人同士だっただけに、ランショウにはギョクズイの心変わりが許せなかった。

 しかも、ギョクズイはランショウが通う剣術道場の兄弟子でもあったから、ランショウは彼が真面目で誠実な青年だと信じ慕っていたのだ。それだけにギョクズイには二重に裏切られた気がした。


 兎にも角にも、そんな経緯でヒヤシンスはランショウの家に身を寄せたのだ。

 ヒヤシンスとランショウは父親同士が兄弟の従姉弟だ。だから、ランショウの母親とヒヤシンスの間には血の繋がりは無い。

 だけど二人共裁縫を生業にしており、同じ工房で働いている気の合う同僚でもあったから、姪という事を差し引いてもきっと母親はヒヤシンスに手を差し伸べただろう。

 常に隣国から国境が脅かされているため定期的に徴兵が行われるこの国では、慢性的に男手が不足しておりみんな自分の事に精一杯だ。

 それだけに一度結束した絆は固い。男手を失った女達はそうやってこの戦乱の国を生き抜いているのだ。

 徴兵は一家に一人男を残し他は連れて行かれる。十二歳以下はまだ子供だとみなされているから男としてはカウントされない。

 本来であればランショウの父親も少なくともランショウが十三歳になる迄は連れて行かれる事は無かった筈だ。

 しかし、この頃はそれも役人の気分次第……正しくは袖の下次第になってしまった。

 体格が良く剣術を習っているランショウも、このままではいつ戦場に行くことになるか分からなかった。 

 女達も従軍することはあるが、大抵は生活が苦しくて身売りもしくは親に売られる事が多く、そういうのは大抵町よりも貧しい田舎の娘がほとんどだった。

 ランショウには悔しい事だが、この町がそこまで貧しくならなかったのは、町長と町長の息子だったギョクズイの善政の賜物でもあったのだ。

 ランショウはヒヤシンスに「ギョクズイを恨んでないか?」と一度だけ問うてみた事がある。

 ヒヤシンスは「仕方無かったのよ」と目を伏せるばかりだった。「仕方無い」とか「しょうがない」とかは足掻かなかった奴の言い訳だ。ランショウにとっては逃げの言葉にしか聞こえなかった。


 出産後ひと月も経たないうちからヒヤシンスは元の職場から仕事をもらって内職を始めた。

 この国には労働基準法やら福利厚生やらは存在しない。もちろん産休などという概念も無かった。

 純粋にヒヤシンスのこれまでの勤務態度が評価された上で、なにかあればランショウの母親が責任を取ると請け負ったことで仕事が貰えたのだ。

 ヒヤシンスが働いている間は、ランショウがホタルの世話をした。

 初めてホタルが喋った意味のある言葉が「にーに」だったくらい、ランショウは甲斐甲斐しくホタルの世話を焼いた。

 ランショウの仕事は共同井戸からの水汲みに、洗濯、畑の世話と中々に忙しかったが、その全部でホタルを背負ったままだった。

 ホタルが三歳を超えると流石におんぶをしながらの作業はやめたが、その頃にはヒヤシンスも職場に復帰して働きに行っていたから、結局雛鳥よろしくランショウの後をついてこさせた。


「おおきくなったら、にーにのおよめさんになる!」

「あら。良いわね」


 すっかりおしゃべりになったホタルが、舌っ足らずの甘い声でそんなマセた事を言い出して、ランショウはギョッとしたが、ヒヤシンスはニコニコと相槌をしている。


「ランショウもあれくらいの時は『ひーちゃんとけっこんする』って言ってたわよ」


 母親にそんなふうに誂われても、ランショウの記憶には欠片も残っていなかった。ひーちゃんことヒヤシンスとギョクズイが婚約した時も、嫉妬などは全くなくただただ嬉しかった記憶しかない。

 それであれば、とランショウもホタルの求婚を笑って流すようになった。大きくなればきっとそんな気持ちは欠片も失くなるのだろう、と。

 しかし、一年経ち二年経ちしても、ホタルはランショウのお嫁さんになる、と言い続けていた。

 とはいえ十歳近く年の離れたホタルは、ランショウが成人である十五歳を迎えた時でも、たったの五歳だ。まだこの先どうなるかは分からなかった。


 この国の結婚は早い。なんなら二十歳を過ぎる頃には大抵の人は既に子供がいるのが普通だ。ヒヤシンスがホタルを産んだのも十六歳の時だった。

 徴兵で男が少ないから……いや、そうでなくとも働き者で美丈夫のランショウはよくモテた。

 しかし、通っている剣術道場の師範代となり剣術指南をしたり、その腕を買われて不定期で護衛として雇われたり、大層忙しかったから恋愛どころでは無かったのだ。何よりも幼いホタルから目を離せるわけが無い。

 そもそも結婚というものは、親や職場からの縁故で行うのが普通で、ギョクズイとヒヤシンスはとても珍しい事例だった。だからこそ、町の若い世代から憧れの的だったのだ。

 ランショウは、どうせ親や師匠や町長から勧められたらその相手と結婚する事になるのだから、恋愛している時間など無駄だとしか思えなかった。

 それならば父親代わりとして、ホタルの結婚相手を見定めている方がよっぽど有意義な時間の使い方に思えたのだ。


 そうしてランショウは気が付けば二十三歳になっていた。

 ランショウの父親は三年程前に国から愛想も何も無いたった一枚の紙切れで訃報を伝えられた。

 八歳の頃からずっと顔を見ていなかった父親と、永久に会えなくなったと言われてもまったく現実味は無かった。

 遺品も遺骨も無く紙切れ一枚となれば、もしかしたら帰ってくるかもしれない、と母親は強がって笑っていた。

 十三歳になったホタルは、町一番の美人と言われていたヒヤシンスに似て、やはり美しい少女に成長した。

 ホタルは、町の少年達の初恋泥棒だ、と言われていたりしたが、本人は相変わらずランショウの嫁になる、と公言して憚らなかった。

 それでもランショウはホタルからの求愛は笑って流している。

 兄というよりも父のような気持ちでいるランショウに、ホタルはついに実力行使に出ることにした。

 いつも通り仕事に行く母達を見送った後、ランショウに話があると切り出した。

 切り出すといっても、ホタルには“話す”気なんて無かったのだが。

 ここでいつもの様に「お嫁さんにして」と言葉で伝えてもランショウは取り合ってくれない。

 ランショウを椅子に座らせ、彼の両頬をホタルの両手で捕まえると、えいやーとばかりに唇を奪った…………いや、奪おうとした。が、お互いの鼻がぶつかり合って唇に届く事が出来なかった。

 ホタルは、キスに失敗してぶつけた鼻も痛くて……しかも、ランショウは、あからさまにホッとした様子で宥めてきて、悔し涙が出てしまう。

 たった一度しかないチャンスだったのに、次からは警戒されてしまうだろう。


(本当の初恋泥棒はラン(にい)の方だ)


 ホタルを傷付けたのはランショウなのに、当の本人の胸に顔を擦り付け、ワンワンと幼子のように泣いた。

 不自然な体勢のまま泣きじゃくるホタルを膝の上に抱き上げ背中を撫でて宥めるランショウが余りにもいつも通り過ぎて、ホタルは安心が半分、もどかしさが半分と、なんとも複雑な心境になってしまって益々涙が溢れた。

 実はこの時、ホタルから見ればいつも通りだったランショウの心境もかなり複雑だった。

 ランショウは、思わず大泣きしたホタルをつい抱き上げてしまったが、まだ僅かに残る鼻の痛みに残念に思っている自分に気付いてしまった。

 ランショウの身体の中にすっぽり収まったホタルの顎をすくい上げ唇を合わせたい、という衝動にも駆られ、そんな自分に動揺している。

 そもそもホタルの力で武人であるランショウを押さえるなんて無理なのだ。にも関わらずされるがままになっていたのだから、ランショウも無意識のうちに期待していたのだろう。

 若い男性が少ないこの町で、中にはホタルのようにランショウに対して実力行使に出た女性もそれなりに居たが、いずれも避ける事は安易だった。

 ランショウには、それで相手が傷付いても正直どうでも良かった。

 それなのに、ホタルが相手だと避ける事も突き放す事も出来ないのだ。

 その日を境に、ランショウにはホタルの女性らしく成長しつつある胸や腰が目に付く様になってしまった。そうした感情はホタルに対してだけで、他の女性を前にしても何とも思わない。


 そんなある日、まだ日の高い時間帯だからと一人で買い物に行ったホタルが日が傾き始めても帰ってこないのを心配して、ランショウが町に探しに出てみれば、ホタルは三人の少年達に絡まれて逃げ惑っているところだった。

 おそらくホタルにフラれた少年達が逆ギレしたのだろう。数に任せて逃げるホタルを甚振(いたぶ)るように笑い声を上げながらジリジリと追い詰めていく少年達をランショウが蹴散らすのは簡単だ。

 しかし、その少年達の服装から裕福な家の子である事は見て取れた。

 おそらくよその町から商売にきた商人の子だと思われるが、下手に手を出したら彼らの親からどんな報復があるか分からなかった。

 ランショウに対してならまだしも、ホタルやヒヤシンス、ランショウの母親に何かしてくる可能性は大いにあった。いかに武術に優れたランショウであっても、流石に三人同時に護衛は出来ない。

 だからランショウは細い路地裏の暗がりの中から「お前等何やっているんだ!」と大きな声を出し、少年達がビクっと怯んだ隙をついて逃げ出したホタルの逃げ先を予想して回り込み、大通りを走り抜けようとするホタルを路地裏に引っ張り込んだ。

 ホタルの背後からその細い腰を右手で抱き寄せ、悲鳴を上げないように口を左手で押さえる。端から見ればまるっきり誘拐犯である。

 散々少年達に追い回された上に、背後から捕まったホタルは完全にパニック状態だった。

 口を押さえる手をホタルの両手で引っ張ってもピクリとも動かない。逃げ回っていたせいで呼吸は乱れているのに、大きな手で口を覆われているから呼吸を整える事も出来なくて、ホタルの頭の中は益々真っ白になっていく。

 ランショウは、少年達が大通りを走り抜け遠ざかるのを待ってホタルに声を掛けた。


「手を離すがまだ声は出すなよ」


 ホタルの耳元で囁かれたその声は聞き慣れたランショウのものだったのに、混乱しているホタルは震えて涙目になりながらコクコクと頷いた。

 なりふり構わず走り回ったホタルの着物は帯が緩んで、広がった襟元からも裾からもいつもより多く白い肌が見えている。ランショウの口から思わず荒い溜め息が出てしまう。

 それがホタルからすれば、無頼漢に値踏みされている様に感じられて、ジワリと目尻が濡れた。

 そっとホタルの口を押さえていた手を緩められてもホタルは呼吸するのに精一杯で、わざわざ忠告されていなくても悲鳴を上げられそうになかった。

 ランショウは、拘束を()くとそのまま背後から、ホタルの着物の合わせを引っ張り、着衣を整える。

 出来るだけ衣服だけに触るように気を付けていたが、服を握ったランショウの指の背がホタルの腿を掠め、二人してビクリと跳ねた。


「……ラン兄…………たすけて」


 たまらず、ホタルは声を出してしまう。

 カラカラに乾いて張り付いた喉からは、今にも消えそうな掠れた声しか出なかったが『声を出すな』と言われていた事を思い出して、ホタルは慌てて両手で自分の口を塞いだ。


「ホタル、大丈夫だ」


 ホタルは名前を呼ばれて、ようやく真後ろに居たのが助けを求めた当の本人だと気付いた。


「ラン兄!……遅いっ!馬鹿っ!意地悪っ!」


 ホタルは安心して腰が抜けヘナヘナと地べたに座り込んでしまったが、口だけは饒舌に動いてしまう。

 口走る言葉は完全に八つ当たりでしか無かった。


「…………帰るぞ。歩けるか?」


 ホタルの言動にどう返すのが正解なのか分からず、ランショウは全て聞き流してホタルの手を引く。

 しばらく待っても彼女は立てそうになかったので、ランショウの左腕に座らせるように縦に抱き上げた。

 ホタルは慣れた仕草で両手をランショウの肩から背に回してギュウとしがみつく。


「……来てくれてありがとう」


 ベッタリとくっついた事でランショウの顔がホタルから隠れたから、ようやく素直にお礼が言えた。


「無事でよかった」


 ランショウの低く穏やかな声がホタルの耳の近くで聞こえる。

 安堵の声と共に、ホタルの背中を支えている右手に僅かに力が込められて、彼もまたホッとしたのだと伝えてきていた。

 ホタルの恋心は笑って無かった事にしてしまうのに、こんなに心配してくれて大事にしてくれるのだから、ちっとも諦められない。

 本当に狡い人だ、と思いながらもホタルはしがみつくのを止めなかった。


(やっぱり私はラン兄がいい)


 ようやく落ち着いて顔を上げたホタルの視界にランショウの薄い唇が入ってくる。


(ここからなら鼻をぶつけないでキス出来そう……)


 それをしたら女性として見てもらえるかもしれない、という誘惑にかられた。

 しかし、もしそれをしたら、こうやって抱き上げて貰えなくなるかもしれない、とも思ってしまう。


(だから、今はまだ……)


 ホタルは目を瞑ると瞼をランショウの肩に当て、トクントクンと聴こえる音に耳を澄ませる。

 それから、早鐘の様な自分の心音をその音に合わせる様に深呼吸をする。

 狡いのはランショウばかりではなく、子供みたいな振る舞いをして甘えているホタル自身も大概だと自嘲した。


 それから数日後、ランショウが商隊の護衛を引き受けた。報酬は支度金の意味を含む前金と成功報酬として後金に分けて支払われる。

 護衛対象の商隊にホタルを追い回していた三人組が居たのは誤算だったが、どうせ向こうはランショウの顔は知らないし、すでに前金は受け取った後だった。

 往復で十日かかるというその護衛仕事は、これまでのランショウなら断っていた。

 近頃は、逃亡兵が集まったりして出来た組織立った野盗……盗賊団が増えているらしい。

 生まれ育った町と周辺のいくつかの村しか知らないランショウには実感が無かったが、山を越えた先にある町に行くには今までの人数では護衛が全然足りないのだ、と頼まれてしまっては断りにくかった。

 それにホタルと距離を置きたいとも思っていた。

 ホタルが同年代と交流をするのを、ランショウのような小父さんが邪魔をしているのではないか、と考えた。

 もちろんそれも本音ではあるが、一番の理由はランショウがホタルに抱く醜い欲望が日に日に強くなっていくように思えて耐え難くなったのだ。

 だから、ランショウは「いつもより長くなる」とだけ伝えて、具体的な日数は言わなかった。


 護衛の道中、ランショウは様々な話を護衛仲間から聞いた。

 ランショウの住む町の税率は昔から変わらず五割だが、最近他の町は六、七割持っていかれているらしい。それに加えて何をするのにも賄賂が必要になるのだから堪ったものではない。

 更には盗賊団が増えている事からも分かるが国中どこも治安が悪くなる一方だ。

 盗賊団の中には義賊を名乗り、金持ちから奪い民に施しをする一団もあるらしい。

 他にも皇帝への叛逆を掲げる反乱軍の噂もあった。

 ただ悪事に走る盗賊団よりもそういった法を越えた正義を振りかざす集団の方が遭遇した際の対処が難しい。下手に捕まえてしまえば貧民層の恨みを買う可能性もあるからだ。

 商人はいかにも小悪党といった風情で、兵士や役人には低姿勢、雇った護衛や使用人には高圧的な態度だった。息子達をみても、まさにこの親にしてこの子ありを体現したような奴だ。

 一緒に旅する時間が長くなればなるほど、いかにも義賊に狙われそうな商人だと感じてしまう。


 道中、兵役で男を根こそぎ連れて行かれて女だけの村があった。

 村はかなり貧しかったが、痩せて肌がガサガサになった女達が、精一杯のおめかしをしてもてなして来た。

 食事に関しては、商人がそれなりの対価を払って、なけなしの食料を掻き集め調理させたようだが、接待に関しては頼んでいない。

 それでもそうするには理由がある。

 商隊の荷の中から何か分けてくれないか、この村に働き手として残ってくれないか、せめて一晩の情けで子種をくれないか、と女達は愛想を振りまいたのだ。

 何人かの護衛やあの悪童達、使用人などは絆されて一晩の夢に付き合ったようだ。

 ランショウにはその村がどこか(いびつ)に思えて仕方なかった。

 どこがどうとはっきり言えない山勘のようなものだったが、交流は最低限に留め、哨戒の役目を率先して受けて、擦り寄る女達を遠ざけた。


 朝御飯に出されたのは野草の入った薄い粥で、これも貧しい村にとっては、頑張って集めた材料だっただろう。

 それなのに野草の独特な初めて嗅ぐ香りが苦手で、ランショウは心苦しく思いながらも朝食を断った。

 異変は、半刻ほど谷間の道を進んだ時に起こった。

 商隊のメンバーが次々に体の痺れを訴え先に進めなくなったのだ。

 そこは一本道の細道で、商隊の足が止まったのを見計らって両側の高台から次々に矢が放たれた。

 その攻撃が一旦止むと、沢山の矢がこちらに向けられたまま妙に抑えた作り声で「荷物を置いていけ!」と勧告された。

 ほとんどが体が痺れて動けなくなっている中、ランショウを含め動けたのはほんの数人だ。

 「逃げろ」という護衛仲間の声に頷いてランショウは道の脇の茂みに飛び込み全速力でその場を後にする。

 盗賊に出会った時には、依頼人を護ることも大切だが、今のように明らかに劣勢の時は生き残って近くの町に報告する方が優先される。全滅が一番最悪の事態だった。

 後金は貰えなくなるが、いけ好かない商人やその息子にランショウが命を賭ける義理など無かった。

 可能ならば正体や根城を特定出来ればいいが、それが無理でも何処のルートで何人くらいに襲われたかを報告するだけでも次の犠牲者が減らせる。

 ランショウが見る限り逃げ出した護衛達は、朝食を食べなかった者だった。

 おそらくはあの女達だけの村とグルだったのだろう。

 そういえば勧告してきた声は少年が無理矢理低い声を出しているようではなかったか。

 そこから最寄りの人が集まる場所といえば目的地だった街になるがそちらに向かいながらランショウは考えた。


(そうか、村には老人も子供も居なかった……)


 いくら男達が徴兵されたからといっても妙齢の女性しか居ないというのが、ランショウの感じた歪さの正体だったようだ。おそらくあの盗賊団は十代の子供と旅人の誘惑には使えない老人達で構成されているのだろう。

 そう考えれば、逃げた自分達が全く追われなかった事にも納得がいった。

 合流した護衛仲間に考えを打ち明ければ直ぐに同意を得られた。


「だとすると、あいつらはあの村の住人か盗賊かになっている可能性もあるな」


 毒を混ぜる事も出来たのに使われたのは痺れ薬だ。

 盗賊団が逃走兵などの大人であれば、痺れて動けなくなった者達にとどめを刺して回ることも厭わないかもしれないが、ほとんど未成年で構成されているのであれば、そんな残酷なことをさせるだろうか。

 そんな仲間の説明に今度はランショウが、なるほど、と膝を打つ。

 平穏な時であればいざ知らず、今の特権階級にしか利のない世の中で、形振り構っていられなかったのだろう。

 ランショウはあまり好きではない言葉だったが、村が生き延びる為には「仕方なかった」と言われてしまえば、それも納得出来てしまう。

 世の中には本当に努力しても叶わない仕方がない事があるのだと身に沁みた。

 それはそれとして仲間だった護衛達を告発するのは偲び無いが、捕らえた男達も仲間にしているならば尚更報告しないわけにはいかなくなった。

 商人達や護衛達が身ぐるみ剥がれて放逐される可能性もあるが、村人になっている可能性は高い。

 最悪なのは盗賊になっているならば、次は迷わず毒薬を使うかもしれない。

 護衛していた商人は確かに気持ちの良い連中では無かったが、町や村に足りない物資を運んでくれている。それで生かされている村や町もあるのだ。

 商人達がこの地を避けることが無いように、危険なルートを報せることもまた旅をする者の役割だった。

 合流したのはランショウを含めて四人。

 そこから一番近い町は商隊の目的地だった街。

 持ち物は身に付けていた最低限のものしかない。

 満足な睡眠や食事を得るためにも早々に町を目指した方がいいだろう。

 幸いほとんど生まれ育った町から出なかったランショウとは異なり、他の三人は旅慣れていた。

 何よりも商隊という大層な荷物が無くなったので今までよりもっと早く進むことが出来る。

 そうして丸一日かけて辿り着いた街でランショウ達は旅人の義務として詰所に報せに行った。

 街の入口からこの詰所に来るまでの間、店は開いているのか閉まっているのかわからない状態で、街人も家に閉じこもっていてほとんど外には居ない。

 見かけるのは巡回の兵士ばかり、という状態だった。

 そうして辿り着いた詰所にて、女達の村と盗賊の件を伝えれば、何故か突然ランショウ達四人が拘束されてしまった。


「お前達のような偉丈夫が徴兵に志願してないとは愛国心は無いのか」

「本当はお前達が商人の荷を盗んだのだろう」

「今度はこの町から奪う気か」


 取り調べというのは名ばかりで、どうやらそういうことと決まっているようだった。

 尋問してくる兵士の言葉の端々に「賄賂を寄越せば解放してやる」という要求が潜んでいたが、商人からの前金の大部分は家族に置いてきて、この街に着いたら後金を貰う契約だった。

 手持ちの小銭では話にならない、と小馬鹿にされた。


「お前達は百叩きの上、国境に行ってもらう」


 有りもしない罪状の刑罰が告げられた。

 国境といえば、長く続く隣国との戦争の地だ。要は戦闘奴隷になれ、と言われたのだ。

 遠くても故郷の町に申告に行っていればこんなことにはならなかっただろう。

 両手両足に枷を嵌められ、見世物のように街の広場へ引き立てられる。

 ほとんど人が居ないように見えた街だったのに、広場には驚くほど見物人が集まっていた。

 舞台のような木製の大きな台の上で吊し上げられた。

 『この街に届く筈だった商人の荷を横取りした』と罪状を読上げられ、兵士が杖のような細い棒を振り上げた。

 びゅうとしなる音と共に勢い良く振り下ろされた棒がランショウの背中を打つ。

 右の肩から左の腰にかけて痛みが走ったが歯を食いしばって声は出さなかった。

 同時に見世物にされている他の三人の口からは小さく呻き声が漏れたのが聞こえる。

 観衆は大きく歓声を上げた。これ程多くの人から敵意をぶつけられたのは初めてで、ランショウは打たれた背中よりも胃がキリキリと痛くなった。

 二発目が振り下ろされようとしたその時、複数の蹄の音が響き歓声は驚きの声と悲鳴に変わった。

 街人達は蜘蛛の子を散らすように広場から逃げ、棒を振るっていた兵士達は棒を投げ捨て腰に佩いた剣を抜く。

 あっという間に剣戟の音が鳴り響き、そして、それが無くなるとランショウ達四人は拘束を解かれていた。

 突然の乱闘は、国家に叛逆する反乱軍……自称・革命軍によるものだった。


「この街は本日より我ら革命軍が支配する!」


 処刑台の上で高々に宣言した人物にランショウは目を見張った。


「……ギョクズイ」


 ランショウの記憶の中のギョクズイからは幾分年を取っていたが、紛れもなくその男はホタルの父親だった。 

 十四年前にヒヤシンスを裏切った男だと思うと、今救ってくれた相手だというのに思わず睨みつけてしまう。

 ランショウの放つ敵意にギョクズイがこちらを見た。

 同じく敵意に気付いたギョクズイの横に立つ男がランショウに向かって剣を構えたが、ギョクズイがそれを制止した。


「お前、私を知っているのか?」


 ギョクズイが町を出て行ったのはランショウが九つの時だ。少年が青年に成長した姿と結びつかなかったのだろう。


「ギョクズイ様!ありがとうございます」

「こいつはランショウですよ。ヒヤシンスの従弟の」


 ギョクズイの問に答えたのは、ランショウの護衛仲間達だった。

 一人はギョクズイと同年代、あとの二人もランショウよりも年上だったため、ギョクズイも直ぐにわかったようだ。


「ランショウ…………ヒヤシンスは元気か?」

お陰様で(・・・・)


 ランショウがたっぷりの皮肉を込めて返事をすると、ギョクズイの眉が情けなく垂れ下がった。

 ランショウが剣術を習った道場の兄弟子でもあったギョクズイはいつも自信に溢れていて快活な人柄だったから、こんな表情は初めて見た。

 先程剣をランショウに向けた男が再び柄に手を置いたが、もう一人戦場には似合わないニコニコとした男が柄に添えた手の上に自分の手を乗せて制止し、ギョクズイに何やら囁いている。


「今はこの街を完全に押さえるのが先だ。夜に二人で話そう」


 ギョクズイは情けなくなった顔を一瞬でキリリと引き締めると、革命軍の指揮に戻っていった。

 ギョクズイの部下であろうニコニコしている男はトウキと名乗った。

 ギョクズイに意見したところを見ると革命軍の中でもそれなりの地位にいる人物なのだろう。

 トウキに促されてランショウ達は処刑台から降りると、傷の手当と食事が与えられた。


(領主の娘に婿入りした筈のギョクズイがどうして革命軍のリーダーなんてものになっているのだ?)


 ヒヤシンスの様子を尋ねる声は本当にその名を慈しんでいた。

 ヒヤシンスの「仕方無かったのよ」という声が蘇り、ランショウはようやくギョクズイの裏切りに疑問を持った。


 その夜、革命軍に制圧された街では酒宴が行われていた。

 ランショウはギョクズイに連れられ二人でそっと酒宴を抜け出す。

 処刑台の上でギョクズイの傍らにいた男……革命軍の副リーダーで名をジャモンというらしい……は、敵意を放ったランショウと二人っきりになる事に文句を言っていたが、最終的にはギョクズイの意に従った。

 ギョクズイは高そうな酒瓶を片手に、その街の議会所の一室にランショウを案内した。

 そうしてギョクズイがヒヤシンスを捨てた理由が明かされたのだ。

 視察の為に馬車で町に向かっていた領主とその娘が道中、盗賊に襲われたところをギョクズイと剣術道場の何人かが助けたのが事の始まりだったらしい。

 それで、領主の娘に一目惚れされたギョクズイはもちろんヒヤシンスという婚約者がいる事を伝え断った。

 初めは娘を宥めていた領主だが、ギョクズイが町長の息子だと知ると、領主の方も乗り気になった。

 ギョクズイは善き施政者として領民に噂されており、その人気を領主は欲していた。

 どうやら元々、それを目的として町の視察に娘を連れてきていたようだ。

 挙げ句、ランショウが婿入りしなければ税を八割にする、と町ごと人質に取られて泣く泣くヒヤシンスと別れたそうだ。

 日に日に疲弊するこの国で、ランショウの生まれ育った町の治安と生活が変わらず守られていたのは、領主に婿入りしたギョクズイにあの町だけは全権が与えられているからだった。

 ギョクズイは、特権階級に仲間入りする事で今まで目に触れることも無かった皇帝やその側近達、他の特権階級の人々の腐敗ぶりを目の当たりにして、密かに革命を決意し、これまで水面下で活動してきたのだという。

 初めは領主の業務を手伝い、信用を得て代行する様になると、領主と娘は別荘に追いやり領都を制した。

 そしてそこを足掛かりにまずはこの領を掌握する。

 すでに領都を押さえているから、領内で次に大きなこの街に侵攻したところ偶々ランショウ達の処刑に出会(でくわ)したそうだ。

 処刑台の設置された広場に人目が集まっていたから、街への接近が楽だったと言われて、ランショウは苦々しい笑いを浮かべる。


 もう少し領内をまとめた後は他領の賛同を得つつ皇都を目指すのみ。

 ギョクズイの語る国の理想は、皇帝を廃して国民から選ばれた代表達が治める国。

 特権階級に搾取される事に慣れた国民が自分達で(まつりごと)をするのは直ぐに出来ることではない。

 まずは腐敗を正し政が回るようにし、国民の誰もが政に関われるように識字率を高める必要がある。

 そんな理想を熱く語るギョクズイに、ランショウは圧倒された。

 そういえば、ランショウに読み書きを教えてくれたのはギョクズイだったと思い出される。

 剣術の稽古の後で希望者にはギョクズイが先生となって文字を教えていた。

 お陰でランショウは戦場の父親へ手紙を書くことが出来た。新たに徴兵された町人に預けたその手紙が父親の手元に渡ったかどうかは分からないし、当時は書くのが苦手だったので手に渡っていたとしてもちゃんと読めたかどうかも分からない。

 ランショウの字は今でこそ少しクセはあるが読み易いと言われているが、これはホタルに読み書きを教える時に随分と書く練習をしたからだ。

 ランショウの前に座らせて一緒に筆を握って文字を教えたホタルの姿を思い出して、ランショウの頰が緩んだ。


「そういえば、ホタル……娘が産まれたのは知っているのか?」

「ああ、親父からヒヤシンスが孕んでいたと分かった時に報せてもらった。ホタルというんだな……」


 ギョクズイの親父といえば、ランショウの町の町長で町で起きたことは大抵何でも知っている。

 ギョクズイの相槌に、町長は当然報せていたか、とランショウは思ったのだが、実際はギョクズイに直接届く手紙は検閲されていたので、ヒヤシンスにはもう興味は無いと装い、町長の個人的な手紙は断っていたそうだ。

 だから、ギョクズイがヒヤシンスの名を聞いたのは子がいると聞いたそれが最後だった。

 その為、産まれた子が女の子でホタルという名だということは知らなかったのだ、とギョクズイの顔は憂いを帯びる。

 それからギョクズイは、検閲があった事も理由だが、話を聞けば領主の娘を放り出して町へ帰りそうだったのが、一番の理由だと語った。


「ランショウ、お前も手伝ってくれないか?」


 そう言って差し出された手をランショウは迷わず握る。

 長く胸の内にあったギョクズイへの怒りはもはや完全に消えていた。


 酒瓶は既に空になっていたが、ギョクズイとランショウは思い出話とこれからの話を行ったり来たりしながら、空が白み始めるまで語り合った。

 翌朝、副リーダーのジャモンと軍師のトウキが二人を見付けた時は肩を組み合ったまま床で寝落ちしていたと、ジャモンが忌々しげに語った。


 ランショウが革命軍の加入を決めた頃、故郷の町では大変な事が起きていた。

 商人に普段より多く護衛を連れて行かれたので、町には腕の立つ者が少なくなっていた。

 そこを逃亡兵を中心とした五十人くらいの大規模な盗賊団が強奪に現れたのだ。

 領内で一番税率が軽く国内の他の町村に比較すれば裕福な町ではあるが、剣術道場がある為腕っぷしの強い者も多く、これまでは盗賊達も避けていた町だ。

 しかし、熟した果実が無防備に枝に実ったままになっているのに、食べない鳥はいないだろう。

 馬を持つ盗賊団は町中を駆け巡り、目についた食料やら女やらを根刮ぎ持っていった。

 普段は町長の屋敷で代書の仕事をしていたホタルは、町長と一緒に護衛されて無事だったが、工房に押し入った盗賊達にヒヤシンスは連れさらわれてしまった。その際、止めに入ったランショウの母親は残念ながら斬り伏せられて命を失った。

 ランショウは、十日経っても一ヶ月経っても何の音沙汰も無いままだった。

 幸い報告を受けた領都から兵士が派遣されてきて略奪はされなくなったが、ホタルは独りっきりになってしまった。

 町長はホタルを心配して、これまで通いだったが住み込みしないかと誘ったが、ホタルは通いにこだわった。

 ランショウがいつ帰ってきてもちゃんと迎えられるように、略奪に荒らされた家や畑を元通りにしたかったのだ。

 午前中は家の片付け、午後は代書の仕事と忙しく働いて、ただただランショウが帰ってくるのを待ち続けていた。


 二年後、ランショウよりも先に攫われていたヒヤシンスが帰ってきた。

 ヒヤシンスは、捕まったその日に逃げないように左足の腱が切られていた為、左足を引き摺って歩いていたが、家で待っていたホタルとヒシと抱き合って再会を喜んだ。

 革命軍は、国内の役人の不正を暴き、盗賊団を次々に討伐し、時にはそれらを兵として取り込み、快進撃を続けていた。

 その流れの中で革命軍に加わるため、盗賊団は、攫った女達を(さと)に帰したのだ。

 生きて故郷に戻った女は、五割弱だったという。

 他は二年の間に命が絶たれていたり自らの意志で盗賊団に仲間入りしたようだ。

 兎にも角にも、ホタルの十五歳の成人をヒヤシンスが共に祝ってくれた事は、ホタルにとってとても喜ばしい事だった。

 願わくばこの場にランショウが居てくれたらと思うが、それは残念ながら叶わなかった。

 ホタルはもう一度ランショウに会いたいと強く思っていたが、革命軍は今や国中の希望になっていた。

 中でもリーダーのギョクズイ、副リーダーのジャモン、軍師のトウキ、ギョクズイの懐刀と呼ばれているランショウは、この国の民達にとって英雄の名だった。

 ホタルのようなただの町娘が軽々しく会いに行ける相手では無いのだ。

 もしかしたらリーダーの娘だと明かせば会えたかもしれないが、ヒヤシンスやホタルの存在は、ギョクズイにとって大きな弱点になるかもしれないから、決して出生を明かすな、と町長に堅く口止めをされている。

 ホタルの父親がギョクズイだというのは、ヒヤシンスと同年代以上の町人達にとってはよく知られているが、領主の娘の婿となったギョクズイの名は自然と禁句になっていた。

 だから、ホタルの同世代である若者達は町人であっても革命軍のリーダーがこの町の出身だったと知らない人も多い。

 その為、町では懐刀のランショウの方が英雄として名を馳せていた。

 ホタルも一度も会ったことのない父親が革命軍のリーダーをしているというのがいまいちピンと来なくて、ランショウの無事ばかりを願ってしまうのだ。

 そんな自分が、娘と名乗り出るのも烏滸がましいと感じているので、町長に言われずとも自ら出生を明かすつもりは無い。


 更に時は過ぎランショウがギョクズイと再会して三年が経とうとしていた。 

 後は、皇都を残すのみでいよいよ、明日、皇帝の禁軍と一戦を交えるという前夜、ギョクズイは暗殺者の手によって、短刀で刺されてしまったのだ。

 傷は浅かったが、その短刀には毒が塗られておりギョクズイは意識混濁の状態が続いている。

 この事実はその場にいた者と革命軍の上層部のみに伝えられ、明日の一戦をどうするのか緊急会議になった。

 圧倒的カリスマであったギョクズイが欠けたことで、既に敗戦ムードが漂う中、ランショウは予定通り皇帝を討つべきだと主張した。

 これ以上、国が疲弊したら国として立ち行きいかなくなる。

 ギョクズイがようやく辿り着いたこのチャンスを逃すべきではない。

 ギョクズイの志しまでも病床に伏させるのか、というランショウの力強い言葉に、会議に参加した者達がハッと顔を上げた。

 最初に椅子から降り、膝をついたのは副リーダーのジャモンだった。

 ジャモンからすれば、出会ったばかりの頃、ギョクズイに敵意を向けたランショウに思うところがあった筈だ。

 この三年間、ランショウと一緒に行動する事があっても、ずっと苦々しい顔を隠さなかった。

 リーダーに何かあったなら代わりに副リーダーである彼が指揮するのが順当だというのに、ジャモンは床に膝をついてランショウをリーダー代理に推した。

 ランショウがジャモンを止めようとした時、直ぐに軍師のトウキが後に続いた。

 トウキもジャモンと同じ様に、床に膝をつきランショウに頭を下げたのだ。

 いつもはニコニコして物腰の柔らかいトウキが真剣な顔で、ランショウに総大将になれ、と口説く。

 その後はもうなし崩しだった。

 あっという間にその場にいた全員がランショウに頭を下げた。

 ランショウの熱弁は、ただギョクズイについていけばいい、と思っていた幹部達に、革命軍の目的はギョクズイに国を立て直してもらう事ではない、と突き付け、一人に従う国ではなく国民一人一人が(あるじ)になれる国がギョクズイの目指すところだ、と改めて示す形になった。

 ランショウにとっては、処刑台から救ってもらった夜にギョクズイから聞いた革命軍の芯の部分だった。

 ギョクズイは折に触れその思想を何度も語っていたし、その思想に共鳴したから皆ここにいるものだと思っていたのに、未だに一人を押し立てようとする事にただただ驚くばかりだった。

 しかし、皆の気力が戻ったのだから現状ではまだ明確なリーダーが必要だった。

 軍師のトウキに「ギョクズイの思想を理解させるのは、今の機運に乗って皇帝を廃した後の話だ」と囁かれ、ランショウは渋々同意した。

 今更ながらにランショウが気付いた革命軍の中の齟齬に、頭の良いトウキが気付いていないわけが無かった。トウキがランショウにお願いしたのもリーダーではなく戦の総大将だった。

 それならば元々将軍色の強いランショウの役割のままだと思った。


 ギョクズイは、皇帝を倒した革命軍の勝鬨の声に包まれて、そっと息を引き取った。

 その死に顔は、口角が緩やかに上がり満足気に見えた。

 ランショウは最終決戦の死闘の中で、目の下あたりを右から左に一文字(いちもんじ)に切られて、大きな傷を顔に残す事になった。

 戦場でギョクズイの危険を報せる声を聞いたような気がしていたが、あれがなければ傷だけではすまなかった筈だ。

 だから、寝台の上で動かなくなったギョクズイを目の当たりにしても、ランショウはなんとなくそんな予感がしていた、と思うだけだった。

 何かをやり遂げたような満足気な顔のギョクズイにランショウは悪態をつく。


「まったく、これからだろう……」

「本当にね」


 ランショウの独り言にいつの間にか来たのかトウキが頷いた。

 隣国との休戦協定に、特権階級の粛清と撤廃、その他諸々……トウキが指折り数えていく。

 トウキとジャモンは明日戦死者達の葬儀を行う、と伝えに来たらしい。


「僕は、明日の葬儀の後で改めてランショウを新リーダーに推す」

「いや、ジャモンの方が相応しい」

「どうしてそう思うの?」


 トウキとランショウのそんなやり取りをジャモンは静かに聞いていた。


「私は貴族の事を何も知らない」


 ランショウは武人だから、戦場の暫定リーダーは引き受けた。

 しかし、この先革命軍がしなければならないのは、先程トウキが上げたように、長く続いている隣国との戦争を終わらせたり、不正や賄賂に塗れた特権階級の一掃をしたりが主になる。

 平民階級のランショウでは、国家間のマナーや利害関係などがよく分からず、完全に門外漢なのだ。

 ランショウが自分の事を僕から私に変えた……いや、変えさせられたのは、腐敗に抵抗していた貴族達を革命軍に取り込む際に付け焼き刃の上級マナーを詰め込まれたせいだ。

 ギョクズイにどうせ僕と私の使い分けなんて器用なことは出来ないんだからずっと私を使え、と言われてそれが定着したのだ。

 だから、本当に最低限は教え込まれていたが、ほとんど丸暗記で理屈が分かっていないのだから、イレギュラーがあると直ぐにボロが出る程度なのだ。


「それは俺も同じだろ」


 壁にもたれながら腕組みをして、ずっと耳を傾けるだけだったジャモンが口を挟んだ。

 ジャモンはこの三人の中では一番粗野な言い回しを好んでいる。


「いや、ジャモンは皇城で働いていた事があるだろう。おそらく特権階級だった筈だ」


 ランショウがそういうとトウキが面白そうに笑いながら「どうしてそう思うんだい?」と訊ねた。


「ギョクズイの話しぶりから、ギョクズイと同程度の身分かそれ以上だろう。それに、箸の使い方とか立ち居振る舞いの端々に育ちの良さが見える。後、皇帝の住まいに向かう時、ジャモンは一切道に迷わなかった。皇城の構造を知っていたとしか思えない」


 ランショウの説明にジャモンは舌打ちをした。


「正解だね」


 トウキはランショウの回答にとても満足そうだ。


「だから、お前なんだよ」


 吐き捨てるようにジャモンに言われてランショウが首を傾げると、トウキが説明をしてくれた。

 曰く、ランショウの指摘通りジャモンとトウキの家系は特権階級に属していた。

 しかし、ギョクズイの理想は国民皆が治める国だ。

 だからこそ、そのトップには平民出身であるランショウでなくては国民が着いてこない。

 元町長の息子であったギョクズイがグレーラインで、それよりも上の身分にあったトウキやジャモンでは求心力に欠けるらしい。

 特にジャモンの血統は、遡れば皇帝に繋がっているらしく、結局世襲制のようになってしまうのは革命軍の理念から外れてしまう。


「お前は、ギョクズイの理想を見失わず、曲げる事も無かった。リーダーにはお前がなるべきだ」


 更に追い打ちをかけるように、これまでランショウを良く思っていなかった筈のジャモンに後押しされてしまう。

 ギョクズイから反乱を起こすと持ちかけられた者は皆、ギョクズイの理想を理解し共感したからこそ反乱軍に加わったのだ。

 しかし、彼らは頭では理解していたつもりでも、実際はギョクズイというカリスマに従っただけだったのだろう。

 それが、ギョクズイの暗殺で露呈した。

 あの時、誰もがギョクズイが居なければ革命など出来ない、と絶望してしまったのだ。

 そんな事では、これまでの帝政と何も変わらないのに―――。

 最終決戦直前のあの瞬間、ランショウだけが唯一、帝政という呪縛の外にいた。

 それはランショウが自分で思っている以上に、革命軍の光となっていたのだ。

 各自が自分の中に根付いている因習と向き合うためにも、今はまだランショウというリーダーが必要だ、とトウキとジャモンから頼まれてしまった。


「……ギョクズイを故郷に帰したい」


 帝政を無くす為に今はまだリーダーが居て欲しい、というトウキの主張は矛盾していると思ったし、ランショウには理解が出来なかった。

 そしてそのリーダーが廃そうとしている皇族・貴族出身の者だと駄目だ、というジャモンの言い分も納得出来ない。

 皇族も貴族も無い世の中を造ろうとしているのだから、元々の身分なんて関係ないだろう、とランショウは思ってしまう。

 ただ、国内はそれで良くても、外交的には色々作法があるのだろうと思うから作法を知っている者がリーダーになる方が妥当では無いだろうか。

 しかも、新参者のランショウよりも革命軍を結成した当時からずっと副リーダーを務めていたジャモンの方が自然の流れだろう。

 考えが堂々巡りになったランショウは、少し革命軍から距離を置いて考えたい、と里帰りを求めた。

 ランショウ自身無自覚なのだが、答えは既に出ているのにそれを認められない時に、その場から逃げ出そうとする悪癖があった。


「いい加減、腹くくれよ」


 それを見透かしたかのようにジャモンは苛立たしげな声を上げる。

 ランショウの胸ぐらを掴もうとしたジャモンの手を抑えたのはトウキだった。


「僕たちが焦りすぎた」


 何と言っても数刻前に皇帝を打ったその日に話すことではなかった、とトウキが詫びた。


「里帰り、いいと思うよ。ランショウが留守にしている間にこっちも体制を整えておくからさ」


 そう言ってトウキはニッコリと笑った。


「期間は自由に決めてくれていい。だけど、なるべくなら早く戻ってくれると助かるかな」

「はぁ?逃げだすんじゃねーの?」

「その時はその時で考えるよ」

「なら好きにすれば」


 トウキの楽観的な言葉にジャモンは言い返しながらも途中で気が抜けたようだった。


 帰郷の旅は一筋縄ではいかなかった。

 まず、葬儀だのなんだのですぐには出立出来なかった。

 加えて、行く先々で英雄ランショウとして沢山声を掛けられた。

 感謝の言葉だとまだいいが、中にはかなり露骨に誘ってくる女達もいた。

 その中に本当にランショウへ恋心を持つ女がどれほどいたかわからないが、要するに強い男に庇護を求めているだけである。それだけまだ国が混乱している証でもあった。

 他にも皇軍の残党や盗賊に襲われる事もあったが、そちらは容赦無く蹴散らした。

 そのうちにランショウは着の身着のまま、髪も髭も手入れせずにいれば、声を掛けられることもランショウだと気付かれる事も無いと気付いた。

 皇都から一ヶ月かけて生まれ故郷の町につく頃には、ざんばら髪と無精髭でおまけに顔に一文字の傷があるので、まるで山賊のような出で立ちになっていた。


 生まれ故郷の町についたランショウは、まずはヒヤシンスにギョクズイの死を伝えようと遺骨を持って工房を訪ねることにした。


「ヒヤシンスを呼んでもらえないか?」

「ヒィッ」

「私だ、ランショウだ」


 見知った顔の女がいたので声を掛けたら、あからさまに怯えた悲鳴を上げた。

 ランショウが慌てて目に被っている前髪をかき上げながら名前を名乗ると、その女も見覚えがあるのかなんとか落ち着きを取り戻してくれた。


「ランショウ様じゃないか!」

「その『様』っていうのは不要だ」

「いや、そんな恐れ多いことは出来ないよ」


 ランショウの母親の同僚で子供の頃からのランショウを知っている人に様付けで呼ばれて若干落ち込んだが、押し問答の平行線になってしまったので渋々ランショウは受け入れた。

 自分の言い分が通って満足気な女がようやくランショウの質問に答えてくれたが、二人の死を伝えられてランショウは言葉を失った。


「三年くらい前に、この町も盗賊団に襲われてね」


 ランショウの母親はその時にヒヤシンスを逃がそうとして盗賊に斬殺され、ヒヤシンスは拐われたのだ、と母親の同僚の女がいう。

 昨年、ヒヤシンスは戻って来たが、気が触れてしまい一ヶ月ほど前に亡くなった、と女が続ける。

 それを聞いたランショウはあまりにもショックでその後の言葉は耳に入らなかった。

 あの時、ランショウが護衛の仕事を受けて町を留守にしなければ、と下唇を噛む。

 どう考えても商隊の護衛の為に多くの腕に覚えのある男達が町を離れた隙を狙われたのだ。

 もしくは女達だけの村で痺れ薬を盛られた時に引き返していれば、あるいはギョクズイの誘いにのって革命軍に入らなければ―――。


(町に引き返すタイミングはあったのに……)


 ランショウは、自分の行動に後悔ばかりが押し寄せてきて、母親もヒヤシンスもギョクズイもみんな自分が殺したものだ、と唇を噛みしめる。


「それで、ホタルは?……ホタルはどうしてる?」

「ああ、ホタルなら町長のところで……」


 女の答えを最後まで聞くことなくランショウは町長の家に向かって走り出した。

 女の様子からホタルは無事なようだったが、その姿をこの目で見るまでとてもじゃないが安心出来ない。

 ランショウが町長の家の近くまで来ると、風に乗って穏やかな歌声が聴こえてきた。


(子守歌?)


 聞き覚えのあるその歌は、ホタルが幼い頃にヒヤシンスがよく歌っていた子守歌だ。

 生垣の隙間から見えたのは、庭先で赤ん坊を抱いているホタルの姿だった。

 ランショウの記憶の中の少女から、大人の女性へと成長したホタルが赤ん坊を見つめる瞳はとても優しい。


(綺麗になったな)


 その美しい姿や甘い歌声に見惚れていると、いきなり後ろから肩をガっと掴まれた。


「何をしている!」


 その警戒の声に、ホタルは赤ん坊を守るように抱き込み、家の中へと逃げ込んだ。

 どうやら町長の家の守衛がランショウを不審者だと思ったようだ。


「いや、私は怪しいものでは……」


 思わずそう口にしたが、途中で今の自分はどこからどう見ても不審者だろう、と口ごもってしまった。

 なんせざんばら髪と無精髭で顔は覆い隠され、しばらくまともに風呂にも入っていない。更には顔に大きな傷がある男が生垣の隙間から家の中を覗いていたのだ。自分が守衛でも間違いなく警戒する。


「……っ!ランショウさん」


 ランショウが、良くて職質、悪ければ拘束を覚悟していたら、相手はすぐにこちらの正体に気付いた。

 よくよく見てみればランショウが師範代を務めていた剣術道場で弟弟子だった男だ。


「ホタルちゃん、呼んできますね」


 守衛は、先程の低い警戒心丸出しの声から跳ね上がった浮かれた声に変わると、ランショウの用件を察して駆け出した。


「いや、町長を」


 ランショウの言葉に、守衛は片手を上げて「わかりました〜」と軽い口調で家の中に入っていった。

 ホタルに赤ん坊がいるなら、きっと結婚をしている筈だ。

 父親代わりとして喜ばしいと思うのに、ランショウの心はズキリと痛かった。それと同時に良かった、とも思う。

 幸せになった彼女に今更ランショウが会ってもきっと心を乱すだけだろう。

 ホタルには会わずに皇都へ戻ってから手紙を書こう、と胸の痛みに蓋をした。


「本当にランショウか……ああ、信じられん。さぁ、どうぞ入ってくだされ」


 しばらく待っていると弟弟子である守衛に連れられて出てきた町長は、ランショウの全身を確認する様に眺めると、嬉しそうに家へと招いた。

 町長にも改まった言い回しを使われて、ランショウは微妙な心境になったが、ここでさっき工房の女と繰り広げた口論を繰り返すつもりはない。


「ここで……すぐ終わりますから」


 汚れた格好で家に上がるのも申し訳ないし、うっかりホタルに会ってしまったら、と思うと全力で辞退した。


「…………こちらを届けたらすぐに皇都に戻らなければいけないんです」


 トウキには別に急いで戻らなくていい、と言われているのに、そんな言い訳をしながらランショウは(ふところ)から小さな巾着を取り出した。


「ギョクズイの遺骨です」

「そうか……あの子は、やっぱり……」


 町長は、革命軍のリーダーであったギョクズイの死は噂で聞いていたが、噂は噂、流言飛語の類も多い。

 それに一縷の望みを繋いでいたのだろう。

 毒にやられたギョクズイは、火葬すると骨があまり残らなかった。

 革命軍で皇都にも墓を作ったから、持ち出せた遺骨は本当に僅かで小さな巾着になってしまったが、ランショウがそれを町長の手に握らせようとして拒まれてしまった。


「ヒヤシンスの墓に一緒に弔ってやってくれ」


 町長は涙を隠すように背を向けると家に入っていった。

 ランショウは手元に残った巾着を握りしめると町外れの共同墓地へと向かう。

 ランショウの家の墓とヒヤシンスの家の墓の場所はちゃんと覚えている。ランショウの母親とヒヤシンスは、それぞれの先祖と共に埋葬された筈だ。

 共同墓地は山の中腹にあり、勾配のある山道を登る必要があった。他に道は無く一本道になっている。

 木陰の多い墓地は、麓の町よりもヒンヤリとしていて落ち葉が積もっていたが、ランショウがお参りに来た二つの墓はいずれも綺麗に掃除され花が供えられていた。

 まずランショウの両親に手を合わせると、ヒヤシンスの眠る墓でも手を合わせた。

 それから拝石を持ち上げるとギョクズイの遺骨を納骨する。

 そしてもう一度、今度はギョクズイとヒヤシンスにあの世で一緒になってくれ、と手を合わせた。


「ラン兄」

「ホタルか」


 近付いてくる気配で誰なのかは分かっていた。

 会わずにこの町を去ろうと思ったのに、おそらく町長が気を利かせたのだろう。


「おかえりなさい……」


 グスンと鼻を鳴らしながら背中からホタルがしがみついて来た。

 砂と汗に(まみ)れた旅装のままでお世辞にも綺麗とは言えないランショウは焦って引き剥がそうとするが、ホタルは抵抗した。


「汚れるから離れなさい」

「嫌っ」


 お腹に回ったホタルの手に増々力が入る。


「もう置いていかれるのは嫌なの!」

「皇都に戻るだけだ」

「ほら!やっぱり!」


 皇都にはランショウの帰りを待つと言った仲間が居る。否ではなく時間が欲しいと返事した時点で自ずと答えは決まっていたのだ。戻らない理由など無かった。


「こんなに泣いて……ホタルももう母親になったんだろう?赤子に笑われるぞ」


 体を捻りホタルの背中に右手を回して前に引き寄せると、昔したように左腕に座らせて縦に抱き上げた。

 ランショウは大切なホタルが泣いていると気付いたからには見過ごす事は出来なかった。

 やっとまともに見たホタルの顔は予想した通り涙でグチョグチョだ。

 左腕でバランスをとりながら、右手の親指の腹でホタルの涙をそっと拭う。

 すると、ホタルは両手を伸ばしてランショウの両頬を押さえた。

 そして、少し顔を傾けると、その薄紅色の可愛らしい唇をランショウの唇に押し付ける。

 ホタルの唇を濡らしていた涙の味がした。少ししょっぱいはずのそれはランショウには、何故だかとても甘く感じた。

 唇が触れたのは僅かな時間で離れていった瞬間ホタルの口元が弧を描く。言葉にはしていないが、今度は鼻をぶつけなかった、と満足気な笑みだった。

 それから、ホタルの細い指がつーっとランショウの顔に付いた一文字をなぞった。

 そして、ランショウの顔を愛おしいといわんばかりに優しく抱きしめる。

 ホタルの仕草一つ一つにランショウの心臓はドキリと音を立てる。

 更にホタルはランショウの顔を抱きしめたまま耳の近くで囁く。


「ラン兄のお嫁さんにして」


 それはいつかのリベンジだった。


「お前……旦那がいるんじゃないのか?」


 思いの外、上擦った声が出てしまう。

 町長の家で赤子をあやしているホタルを見た、と伝えるとホタルが首を横に振る気配がした。


「弟なの。お母さん、盗賊達に……。帰って来られたけど、後から妊娠に気付いて、それでどんどんおかしくなっちゃった……『鬼の子がお腹を食い破ってくる』って」


 その後は出産と引き換えにヒヤシンスは息を引き取った。

 そういえば、工房の女がヒヤシンスは気が触れたと話していた。

 ヒヤシンスの壮絶な境遇に、ランショウは自分があの時町を離れなければ、と再び胸が苦しくなった。

 ランショウの頭を抱くホタルの腕の隙間から墓石を視線で捉えて、せめてあの世でギョクズイに慰めてもらえれば、と願う。

 ホタルにとってもかなり辛いことだっただろう。


「一緒に……」


 皇都へ、と言いかけるが最後まで言わないまま口を噤んでしまった。

 旅慣れたランショウの一人旅でも皇都から町まで一ヶ月かかった。

 まだいる盗賊達や野生の獣の出る道も力ずくで通ってきたし、野宿も多かった。

 矢鱈と引き止められてあちこちで泊まるハメになっていた最初の頃を差し引いても、もっとかかるだろう。

 町から出たことのない旅慣れぬホタルが一緒なら危険な道は迂回し、毎夜宿を取れるように気を配ってなんとかなるかどうかってところだが、生後ふた月にも満たない赤子を連れて行くのはかなり厳しい。

 ランショウは、ホタルがまだ未婚だと分かってもう手放せなくなっていたが、無責任に一緒に皇都へ行こうと言えなくて、言い淀んでしまった。

 そんなランショウの懸念に気付いてホタルは「心配しないで」と話し始める。


「赤ちゃんは生まれてすぐに町長の養子になったの。血は繋がっていなくてもわしの孫だって言ってくれて」

「そうか」


 本当の孫はギョクズイの血を引いているホタルだったが、あえて赤子の方を引き取ったのはホタルが既に成人年齢である十五歳に達していたのと、ヒヤシンスを嫁として受け入れていたからなのだろう。

 それに、もしかしたら、近い内にホタルへの縁談を用意していたのかもしれない。


「言っておくけど、町長からランショウと行きなさい、って言ってくれたんだからね」

「そうか」

「だから、もう置いて行かないで」


 ランショウがホタルをそっと地面に降ろすと、ホタルは慌ててランショウの袖の端を握って心配そうに見上げてくる。

 涙は止まっているようだが、ランショウは安心してほしくてホタルに笑いかけた。

 それから再び墓前で手を合わせる。


「娘さんを私に下さい。もう決して一人にはさせません」


 ランショウが、ギョクズイとヒヤシンスにそう宣言すると、ホタルは驚いた顔を見せた後、ふわりと笑った。

 ホタルのその笑顔が本当に幸せそうでランショウの胸が暖かくなる。


「ところでラン兄……お風呂に入ったほうがいいと思うわ」


 ホタルが急に真面目くさった顔をするから何事かと思えば、そんな事を言うので吹き出してしまった。


「そうだな。ホタルも皇都へ行くときはこうなるからな」

「……っ!覚悟しておくわ」


 風呂に入る事には賛成して……それとは別に(からか)うとホタルはギュッと口を引き結んで固い表情を見せる。

 勿論、ホタルにはあまり野宿をさせるつもりは無いのでその決意は不要だったりするのだが。


「美人が台無しだな」


 ホタルの強張った顔にランショウはそう軽口を叩きながらも、ランショウに置いて行かれまいと一生懸命な彼女が愛おしくて可愛くて堪らなかった。

 家に帰ろうとホタルの手を繋ぐと、ホタルの顔が赤く染まる。

 さっきランショウの頭を抱きかかえていた時の方かがよっぽど恥ずかしいと思うのだが、ホタルの基準はよくわからない。

 そう思っているうちにホタルは気持ちを立て直して繋いだ手をブラブラさせながら、ランショウが留守の間にあった些細な出来事を話し始めた。


「ラン兄、わたし零さずに水を運べる様になったよ」


 ランショウがいなくなった後、水汲みはホタルの仕事になったのだろう。毎日、水桶で運ばないといけないので、結構な重労働だった筈だ。

 そう言ってホタルは繋いでいない方の腕を曲げて力瘤を見せてくる。

 確かに細くて白い腕にちょこんと盛り上がりがあるような気がするが、ランショウからすれば微々たるものだ。


(にい)はそろそろ止めにしないか?夫婦(めおと)になるんだろう?」


 それよりも、告白の時の大人っぽい仕草から一変して、子供っぽい言動をされてしまうと、父親代わりだったランショウが、十も年の離れた娘に『恥を知れ』と騒いで、罪悪感を感じる。

 そんな気持ちを緩和したくて呼び捨てを提案してみれば、夫婦という言葉に反応してホタルは再び顔を赤く染めた。


「……ラン、ショウ」

「なんだ?」


 ランショウに促されて、ホタルは戸惑いながら名を呼んだが、呼ばれて返事を返したランショウに更に顔を赤らめた。

 すっと目を伏せてそれからこちらの様子を確認してくる流し目に色香を感じた。

 子供時代を思い出す仕草の合間に見せる大人っぽい表情のギャップにランショウの心は乱される。

 それでいて、ホタルはランショウと目が合うとニコリと笑って本当に好きなのだと伝えてくるのだ。

 ランショウの言動に一々喜んでいる(さま)がとても甘くて擽ったい。

 新しい国造りという途方も無い先の事を考えると、とてもじゃないがギョクズイとヒヤシンスに「ホタルを幸せにする」とは宣言出来なかったが、この先ホタルが側にいるだけでランショウ自身は幸せになれるだろう。


 幼い頃ホタルと過ごした家に帰って、二人で共同井戸から水を運んで風呂を沸かすと、ホタル、ランショウの順番でお湯に浸かった。

 ついでに髭も剃り落として髪も整える。

 箪笥に残っていた昔の寝間着に着替えて懐かしい我が家で寛いでいると、ひょっこりと母親やヒヤシンスが顔を出すのじゃないかと思えてしまう。

 しかし、顔を出したのは大人になったホタルで、ランショウと目が合うとその場に居ることに安心したようにニッコリと笑った。

 ランショウが手招きしてホタルを呼ぶと「何?」と小走りで寄ってきた。

 椅子代わりに寝台へ座っていたランショウの膝の上に抱き上げて座らせる。

 左手で目の前のホタルの頭を優しく引き寄せ唇を合わせた。


「怖いか?」


 ジワリと涙目になったホタルに尋ねると、彼女は慌てて首を横に振って否定した。


「ランショウからは、あの、初めてだったから……嬉しくて」


 ホタルは潤ませた目を隠すように顔を背けたが、真っ赤になった耳がランショウの目の前に差し出されたので、己の欲望のままに耳輪を()んだ。


「ひゃあ!」


 ホタルの驚いた声は無視して次は頬に、それから首筋にと唇を落としていく。

 ホタルはランショウの唇が当たる度に小さな悲鳴を上げて身を捩った。

 それからランショウがホタルをそっと膝上から寝台に下ろそうとすると、ホタルは慌ててランショウにしがみつく。


「止めないで」


 ホタルが変な声を出して暴れたから、ランショウから逃げたがっていると誤解された、と思い込んでホタルはランショウの肩に両腕を回して必至にしがみつく。

 しかし、そんな抵抗はランショウにとっては大したこともなく簡単にホタルを引き剥がして、寝台に転がした。


「止めないさ」


 もう終わりなのかと切なそうにランショウを見上げるホタルを目の前にして止められる方がどうかしている。

 ランショウはするりとホタルの着物の帯を解くと、更に鎖骨、胸と唇を落とした。

 ホタルは自分の早とちりに気付いてホッと顔を弛ませたが余裕があったのはその時までで、後はひたすらランショウに翻弄されるだけだった。


 翌朝、包み込まれるように回されたランショウの腕の重みを感じながら目覚めたホタルは、夢じゃなかった、と昨晩の情事を思い出し顔を赤らめると、その顔を隠すように目の前の筋肉質な胸板に擦り寄せ、えへへと小さく照れ笑いをした。


「おはよう」


 既に目が覚めていたランショウは、ホタルの一連の行動をしっかり見届けてから声を掛ける。

 見られてた、と恥ずかしがって余計に赤くなっているホタルがランショウには可愛くて仕方がない。

 チュッと音を立ててホタルのおでこにキスをすると優しくホタルを引き剥がし、するりと寝台から降りた。


「朝食食べたら町長のところに報告にいかないとな」

「……っ、うん」

「身体は大丈夫そうか?」

「……ぅん」


 ランショウは、手早く着替えを始めながら、ホタルに話しかけた。

 ホタルは自分の返事した声が、自分でも聞いたことのないくらい掠れ声だったことにビックリしながらも、大丈夫だと頷いた。


「朝食作ってくるから、ホタルはもう少し寝てていい」


 ホタルの頭をポンポンと撫でるとランショウは部屋を出て行く。

 ランショウは寝てていいと言っていたがホタルはなんだかソワソワして落ち着かない。

 とても眠れそうになかったので、寝台から起き出して自分の部屋に戻ると、ノロノロと出掛ける仕度を始めた。


 朝食を終えるとすぐに町長の家へと向かった。

 門の前に立つ守衛は、ランショウの知らない人だったが、ホタルが一緒にいるから止められることなくそのまま家の中に通された。


 二人は夫婦になる事を町長に報告して、皇都に引っ越しする事を告げると、町長は少し寂しそうにしたが「おめでとう」と祝ってくれた。

 昨日は遠慮した家の中にも上げてもらって、ヒヤシンスの産んだ赤子を抱かせてもらった。

 成人したホタルさえ片腕で抱き上げるランショウなので、久しぶりに抱き上げる赤子の小ささと軽さに驚いた。

 そういえば、ホタルを初めて抱き上げた時はまだ九歳だったから今のランショウの筋力と比べるのはまちがっているのだろう。

 抱かれた赤子は嬉しそうにキャッキャと声を上げてランショウに向かって腕を伸ばした。

 ランショウが揺らしてあやすと増々嬉しそうな声を上げる。


「……弟で良かった」


 妹だったら嫉妬していた、と零すホタルの頭をよしよしと撫でるとホタルはその手を捕まえて自分の頬に当てた。

 産まれたばかりの弟にまで嫉妬するホタルにランショウは苦笑する。


「だってお貴族様なら三十歳離れてても普通らしいし」

「私は貴族じゃない」

「国の偉いさんになるんでしょ?同じ様なものじゃない」


 現在、ランショウは二十六だ。

 貴族の常識に照らし合わせれば、とホタルは言っているが、流石に後妻ならともかく初婚でそれはないと思う。

 ましてや目の前の赤子は男の子で、なんでこんな話になってしまったのだ、とランショウの苦笑は深まった。


「ホタルは甘えん坊になったな」

「ラン兄が置いていくからでしょ」

「悪かった。もう置いていかないから」

「絶対だからね」


 町長自らが婚姻台帳に記載して夫婦になったというのに、(あに)としても父としても、もちろん夫としても、ランショウの全てを独占したかった。

 皇都に着いたらそんな我儘は許されないことはわかっているからこそ、今は全力で甘えているのだ。

 そんなホタルの気持ちなんてきっとランショウには筒抜けなのだろう。だから苦笑しながらも甘やかしてくれている。

 そんな二人のやり取りを町長は楽しそうに見守っていた。

 ランショウとホタルが町長の家を辞する時に最後にもう一度、本当にヒヤシンスの子を育ててくれるのか、と確認すると町長は力強く頷いた。


「ホタルがこの子の名付け親になってくれと(うち)に連れてきた時、ギョクズイが帰ってきたのかと思ったよ」


 その赤子はギョクズイと名付けられていた。

 町長からしても色々思うところがあっての養子縁組だったらしい。

 もう少し大きくなれば長旅にも耐えられるようになるだろうから、それから迎えに来てもいいがこの様子だと町長は手放さないかもしれない。


(安全な旅が出来たり、手紙がちゃんと届いたりする国にしなければならないな)


 ランショウは心の中で強く誓った。

 町長は旅慣れぬホタルの為に、町章の入った幌付きの馬車と二頭の馬を用意してくれた。

 邪魔になったら売っ払ってもいいらしい。

 代わりにランショウとホタルの家は、二人が出発した後は中の家具含め全部自由にしてくれていい、と伝えた。

 人気(ひとけ)の無い家というのは兎角荒れやすいものだ。それこそ売っ払ってもらった方がいいだろう。

 それから、比較的安全なルートを教えてもらうと、三年前商隊と通ったルートと同じだった。

 ランショウとしては良い思い出の無いルートだったが、馬車が通れてそこそこ安全な道となるとどうしても選択肢は少なくなる。

 町へ帰郷した際には山賊のような(なり)のランショウ一人だったため別のルートを通ったが、あのルートはホタルには難しいだろう。

 背に腹は代えられずに通った道は確かに帰郷時よりは安全で穏やかだった。


 もうすぐあの女だらけだった村の側を通るという頃、太陽は既に西に傾き始めており、村で宿を取るかそれとも野宿するかで、ランショウは悩んでいた。

 今のところ毎夜野宿をすることなく進めていたが、幌付きの馬車もあるし、一晩くらいなら野宿してもなんとかなりそうだ、と考える。


「そこの馬車、ちょっと待って」


 その時、一人の男が道端から声を掛けてきた。

 ランショウはホタルにフードをしっかり被らせると周りの気配を探ったが、特に他に隠れている様子も無かったので馬車を停止させた。

 もしかしたら追い剥ぎの類かもしれないが一人ならなんとかなるだろう。


「何か?」

「いや、あの町から来たんだろ?ちょっと懐かしくて……」


 男は馬車に付いている町章を指差しながらそう切り出した。

 それからマジマジとランショウの顔を見てくる。


「ランショウか!」


 男は三年前に一緒に商隊を護衛して、痺れ薬にヤラれたうちの一人だった。

 聞けば、今は普通に村として成り立っており、盗賊めいた行為もあの時だけだったらしい。それくらい当時の村は切羽詰まっていたのだ。

 男は、隣の村に狩りで得た獲物を売りに行った帰りだという。


「ランショウの……いや、ランショウ様のお陰だな」


 革命軍が蜂起したあたりから、小さな村への税の取り立てまで兵士が回らなくなったからだ、と男は言う。

 そもそも最初にギョクズイが領都を制圧していたから、納税や徴兵を領都からは指示していない。

 兵士が回らなくなったというよりも、私兵が回らなくなったのだろう。

 加えて、商人の使用人や護衛の半数程が村に残った為、立て直すことが出来たようだ。

 ランショウは、その男は嘘が下手な性分だったと思い出したので、この話を信じることにした。

 それに、村へ行けばホタルを野宿させなくても良い、というメリットを無視出来なかった。


「ホタル、荷台に行ってなさい」

「ホタル?!」


 ランショウがホタルを下がらせ男を御者台に招くと、男はホタルのフードの中をマジマジと覗き込もうと荷台に身を乗り出す。

 当然、故郷の町出身の男なのだからホタルを知らないわけは無いだろう。

 しかし、ホタルを追いかけて荷台へ移ろうとするのはやり過ぎだ。

 ランショウが腕を伸ばして男の首根っこを掴むと、御者台へ引き摺り戻した。


「悪かったって、ちょっと顔が見たかっただけなんだよ」


 男が後ろへ行こうとするのをやめたので、ランショウは手を離したが、ジロリと剣呑な視線で牽制する。


「相変わらず過保護だなぁ」

「娶った」

「おお、ホタルの粘り勝ちだな」


 男は「参った」と笑いながら大人しく御者台に座り直した。

 ホタルのランショウへの気持ちは駄々洩れだったから、町に住んでいて知らない者はいなかった。


「そうなの。粘り勝ちっ」


 男の言葉に、ホタルはフードを上げて顔を見せるとニッコリと笑った。

 ホタルの幸せに包まれた笑顔に見惚れる男を睨み付けながらランショウは馬車を出発させる。

 男の言う通り、村からは荒廃とした雰囲気が無くなっていた。村を中心に広がる畑が生き生きとしている。

 この村には宿なんて上等なものは無いから、空き家の一つを貸してもらう。

 ランショウとホタルは、共同の井戸から水を汲むとまず最初に二頭の馬の世話をした。

 それからご飯を作るのもお風呂を沸かすのも二人一緒だった。

 隙あらば一晩の思い出を、と狙っていた何人かの村人は、二人の仲睦まじさにただ引き下がるしか無かった、という一幕はあったもののそれ以外は、男が言った通り穏やかな普通の村になっていた。

 翌朝、寝台は二つあるのに何故か一つの寝台から起き出した二人は、朝のうちに次の街へと出発する。

 久し振りにゆっくりと休息を取った馬達は元気だったが、ランショウの手を借りて御者台に上がるホタルは少々お疲れの様子だった。


「無理せずもう一泊していけば」

「もう少し広い寝台ならそうしたかもな」


 見送りに来た男が何かを察した様子で誂ったが、ランショウはしれっとした顔であしらった。

 この男も実はホタルに初恋泥棒されたうちの一人だったが、ランショウには敵わぬと早々に諦めていた筈なのに、もう一度失恋した気分を味わって、やぶ蛇だった、と頭を掻いた。

 ランショウの隣に座っているホタルは、男の誂いにただただ顔を赤くして俯いている。

 ランショウはそんなホタルにフードを被らせて顔を隠すと、村人達に礼を言って馬を歩ませた。


 その後、皇都までの旅は順調で行きと同じ一ヶ月をかけて終える事が出来た。

 帰郷の際には、皇都付近で矢鱈とランショウを足止めしてきた人達も、ランショウがホタルを連れているだけで、多くは遠慮してくれた。

 諦めなかった少数派も、ホタルと既に籍が入っている、と説明すれば諦めたし、そうでない場合もランショウとホタルの仲睦まじさに当てられて結局は退いた。

 以前の苦労を思えば随分と楽に旅することが出来たので、ランショウはホタルが付いてきてくれて良かったと感謝した。

 言い寄る女性達に四苦八苦していた時に、ジャモンやトウキに「一人に決めてしまえばいい」と助言を受けた事があるが、正しくその通りだったと実感した。

 かくいう二人も独り身ではあったが、ジャモンは後腐れのなさそうな何人かとその場限りの恋愛を楽しみ、トウキには懇意にしている女郎屋があった。


「おぅ!女連れで帰ってくるなんていいご身分だな」

「嫁がいるなんて最高!」


 皇都にホタルを連れ帰った時の、ジャモンとトウキの反応は真逆だった。

 ランショウが留守の間、随分とこき使われたらしいジャモンは荒んだ目でランショウを睨みつけている。

 とはいえ、自分は死ぬほど忙しかったのに、というただのやっかみなので、ホタルに対しては特に何か思うところがあった訳ではなく、紳士的な対応だ。

 トウキは、ランショウに舞い込む縁談と、未婚の者は一人前と認めないという隣国の慣習に、どうやって女への興味の薄いランショウを結婚させるかと頭を抱えていたから、ホタルの存在は歓迎だった。


「えっ!ギョクズイの娘なの?!」


 ホタルの来歴を明かせば、トウキは両手(もろて)を挙げての大歓迎に変わった。

 普通の平民の娘であれば、元貴族からの縁談話を断る際に力押ししてくる馬鹿が出てくるだろうし、元貴族の娘であれば権力が握れると誤解した親族が湧いて出ただろう。

 もしかしたら、ギョクズイと縁を結んでいた領主あたりは主張する可能性はあったが、聞けば母親は領主の娘ではない為、血縁関係には無かった。

 どんよりと重厚な隈ができたトウキの顔が久し振りに輝いた。


「なるほど。だいぶ片付くな」


 トウキの喜びにジャモンも自分の負担も減ると確信し、ようやくランショウに憎々しげな目を向けるのをやめた。

 周りにアピールする為に存分にいちゃついてくれ、とジャモンに言われると、緊張して固くなっていたホタルもホッとした。

 皇都に着けばすっかりランショウを奪われるかもしれないと思っていたら、ランショウにくっついている事が手伝いになると言われるなんて思いもしなかった。


 ホタルは、町長の元で働いていた事で立ち居振る舞いも良い意味で平民らしくなく、しかも代書をしていた事で隣国との交渉の場でもただランショウにくっついてニコニコ座っているだけではなく、綺麗で読み易い議事録を書き上げて、再度トウキに大歓迎された。

 文盲の多いこの国で読み書きが出来るというのは、一種の才能である。

 手紙がちゃんと届かない背景には、そもそも配達を頼まれた人が手紙の重要性を理解していない、という事もあった。

 平民でありながら、美しい文字が書けるホタルは、そうして自然と居場所を確立していった。

 普段はあまり顔色も変えず無駄口を叩かないランショウがホタルには蕩けそうな顔で談笑して、仲睦まじい姿をあちらこちらで見せていれば、縁談を断られて不満に思っていた者たちも、いつの間にか二人を温かい目で見守るようになっていく。


 こうして、ランショウとホタルの二人は多くの人に祝福されて皇都での生活を忙しく送った。

 二人は何年経っても変わらず仲睦まじかったという。








〜〜〜 十二年後 〜〜〜


 ギョクズイが生まれた時、この国では大きな内乱があった。十二年前の話だ。

 それまでは帝政で皇帝による独裁国家だった。

 政治は腐敗し、国民は貧しい生活を送っていたそうだ。

 皇帝を討って今の国を作り上げた立役者のうち特に人気が高いのが、ギョクズイ、ランショウ、ジャモン、トウキの四人だ。

 内乱の後に産まれた男の子の名前で人気なのもこの四人の名前だった。

 国内全体でいえば、四人の中で一番人気はランショウで後の三人は同じくらいらしいが、ギョクズイの育った町では『ギョクズイ』と名付けられた者は自分一人しか居なかった。

 それは苦しい時代にこの町を圧政から守った英雄ギョクズイとその父親である町長への敬意から、その名前を付ける事は一種のタブーとなっていた。

 奇しくも町長自ら英雄である息子の名を貰ってしまったギョクズイは特例だ。

 ギョクズイは決して何も出来ないわけでは無い。

 むしろ剣術も学問も人並より少し上といったところで、決して悪くは無かったのだ。

 だけど町の大人達から「ギョクズイだから」と希望の眼差しを向けられ「ギョクズイなのに」と肩を落とされてしまうのが嫌だった。

 子供達は何も知らないのにもっと残酷だ。周りの大人の空気を感じ取って、ギョクズイが何かに失敗すると「ギョクズイのくせにこんな事も出来ないのか」とはっきりと言ってくる。

 勝手に期待して勝手に失望するなよ、と声を大にして言いたい。

 それならば初めっから失望されている方がマシだと、ギョクズイの生活は荒れた。

 ついに保護者である町長がギョクズイを呼び出した時には、町長にまで「ギョクズイなのに」と失望されて怒られるのかと思った。


「首都に行ってみないか?」


 目茶苦茶に怒られるんじゃないかと思っていたギョクズイに、町長の言葉は意外だった。

 昔は帝国だったこの国は、今は帝政でも王政でも無い為、ただ国と名乗っている。

 昔の皇都は首都と呼び名が変わっていた。


「この町はお前には狭すぎるのかもしれない」


 首都では、十六歳年上の姉のホタルに面倒をみてもらうようお願いするらしい。

 ホタルは最近までこの国の首長を務めていたランショウに嫁いでいる。

 四年で一期として三期十二年の首長を務めた上で、ランショウは今期の選挙には出なかった。その為、今期の首長は革命軍の副リーダーだったジャモンだ。

 十二年というのは国に代わってからはずっと、という意味なので、今年初めて首長が代わったのだ。

 ギョクズイという名前のせいで同名の英雄とずっと比較されて苦しかったが、町を出るという選択肢は目から鱗だった。

 しかし、ランショウという英雄が新たに側にいるのでは、やっぱりギョクズイは生き辛くなってしまうのでは無いか、とも思う。

 結局、ギョクズイは自分でもどうしたいのか分からないまま、返事もせずに町長の部屋を出ていった。


 この十二年で大きく変わった事は沢山あるが、そのうちの一つが郵便だ。

 国営で始められたそれは、定期的に配達人が手紙を送り届けるシステムだ。

 首都並びに各地方都市を繋いでいる輪があり、それとは別に地方都市から市へ市から町へ町から村へと配達人がその地区の担当に代わっていく。

 経由地は多いがその仕組が出来て、手紙が安定して届くようになった。

 その為に道や水路が整備され、こんな片田舎の町からの手紙でも二週間あれば国中に届くようになった。


 ギョクズイが町長に呼び出されてから三日後、ランショウとホタルが町にやって来た。

 どうやら町長へ里帰りの手紙を送ったと同時に首都を出発していたらしい。

 町長がギョクズイに首都行きの話をしたのは、ホタルが帰郷する事を知らされたからだったようだ。

 二人の子供も一緒に連れてきていた。男女の双子で今年八歳になる姉のスイギョクと弟のソウギョクだと紹介された。

 ランショウの生家にはもう他の家族が住んでいるので、町長の家に泊まることになっていた。

 ギョクズイは初め、顔に一文字の傷があるランショウに怯えて、庭で遊んでいる彼らを遠巻きに見ているだけだった。

 何が楽しいのかギョクズイよりも幼い双子達は力いっぱいランショウにぶつかりに行っては転がされてゲラゲラ笑っている。

 どうやら相撲をしているようだが、スイギョクとソウギョクが二人してぶつかっても、ランショウはビクともしなかった。


「ギョクズイも来い」


 急に名前を呼ばれて恐る恐るギョクズイがランショウにぶつかると帯を持たれてふわっと体が浮いて、あっという間に地面にひっくり返された。

 ギョクズイの頭にカァーっと血が上った。今度は渾身の力を込めてぶつかりに行く。

 しかし、ランショウには軽くあしらわれてしまう。

 何度か双子達と共に転がされてスイギョクやソウギョクの笑い声を聞いていると、急に一人だけムキになっているのが可笑しくて笑いが込み上げてきた。

 見学していたホタルも含めて全員で笑ったら、いつの間にかランショウの事が怖くなくなっていた。


 翌日は、みんなで墓参りに行った。

 ギョクズイは母親が眠る墓の前で一緒に手を合わせたが、ホタルがスイギョクとソウギョクに「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにご挨拶して」と言うのを聞いてビックリした。

 母親のヒヤシンスの家系の墓という認識はあったが、ずっと参っていた墓に英雄ギョクズイが眠っているとは知らなかった。

 聞けば、首都にも英雄ギョクズイの立派なお墓はあるが、こちらの墓にも遺骨を分けて埋葬しているらしい。


「英雄のギョクズイってどんな人だったんだ?」


 生まれてから『ギョクズイのくせに』という言葉を何度も吐き掛けられた。


(一体、本物のギョクズイだったら、どうするのが正しいというのだ)


 そんな疑問から発した質問だったが、英雄ギョクズイの実の娘であるホタルはあっさりと首を横に振った。


「知らないわ」


 ホタルは今でこそ国民の誰からも英雄ギョクズイの唯一の子供だと知られているが、落胤だったのだ。

 ホタルが産まれた時には側に居なかったし、一度も会うこともなく凶刃に倒れた。

 ホタルと英雄ギョクズイが初めて対面したのは、ここのお墓にランショウが遺骨を埋葬した時だったらしい。


「…………一言でいうと、困った人、だった」


 ホタルの視線を受けて唯一この中で英雄ギョクズイを知っているランショウはそう答えた。


「困った人……」


 英雄ギョクズイに似つかわしくない単語に、ギョクズイは首をひねった。

 もっと英雄を讃える単語が出ると思っていたのだ。


「ギョクズイは博愛主義なんだと思う。優先順位の一番が常に不特定多数なんだ」


 町民を護る為に、ヒヤシンスを捨てた。

 領民を護る為に、敢えて特権階級の流儀を学んだ。

 国民を護る為に、革命軍として蜂起した。


「もしも、今ここにギョクズイがいたら、次は『世界を護る』んじゃないか」


 ランショウは茶化した口調で肩を竦めた。


「私としては、不特定の誰か、よりも身内……(そば)にいる人を護って欲しい、と常々思っていたよ。あと、ギョクズイ自身を」


 一度は恨んでいた事もあったのに、本人を前にするとどうしても恨めなくなった、とランショウは淋しげに墓石を見詰めた。

 剣術道場の兄弟子で、従姉の婚約者で、読み書きの師匠(せんせい)でもあったギョクズイを兄と慕っていたけど、兄にはなってくれなかった困った人……ランショウからすれば、そういう人だったらしい。


「へー、わたしには無理だね。だって、家族がこんなにも大事なんだもん」


 ホタルは、はははと明るく笑うと、スイギョクとソウギョクと、それからギョクズイまでもまとめて抱きしめる。

 抱きしめると言ってもホタル自体そんなに大きい方ではないから、端の二人……スイギョクとギョクズイの背中に辛うじて指が掛かっているくらいだ。

 真ん中のソウギョクといえば、きゃあと嬉しそうな声を上げながら逆に自らホタルに抱き着いている。

 ホタルの大事な家族に自分が含まれている事に、ギョクズイは狼狽えた。

 ギョクズイが、ズズズッと後退りしそうになったところを、ポンッと大きな手がギョクズイの肩に置かれて足が止まった。


「私は、君の兄になれるだろうか?」


 ギョクズイは首だけ動かしてランショウを見上げる。

 ランショウの言葉の意味が理解出来なかった。

 片親違いとはいえ実姉の旦那さんなのだから、既に義兄(あに)ではある。

 顔に大きな傷があるから一見すると強面に見えるランショウだが、見掛けによらずよく笑う。

 噂で聞くランショウ元首長は、寡黙でストイックなイメージがあったが、実物は噂とは違って見えた。

 スイギョクやソウギョクを見守る柔らかい眼差しが、ギョクズイにも向けられてた。


「ランショウの年齢だとお祖父ちゃんでもおかしくないから、兄は無理じゃない?」


 実際、成人と同時に結婚、出産する人は多いから、三十八歳という年齢だけ見るとお祖父ちゃんでもおかしくはない。


(きみ)の実弟なんだから、義兄(あに)だろう?」


 年寄りだと誂うホタルの鼻を指先でちょんと弾いて、ランショウが言い返した。


「だって、わたしだけのラン兄でいて欲しいんだもん」


 ホタルは子供達から手を放して今度はランショウに抱き着いた。


「お母さん、甘えん坊さんになってるー」


 ホタルにしがみついていたソウギョクが、手を離す事になって不満そうな声を上げた。


「そういえば、まだ赤ん坊の頃のギョクズイを抱いた時もホタルは嫉妬していたなぁ」

「ギョクズイが女の子だったら嫉妬していたって言ったけど、男の子だから嫉妬じゃないって」


 ランショウの暴露にホタルは顔を赤くして両手を伸ばしランショウの口を塞いだ。

 彼女は耳まで真っ赤にして必死に言い訳している。

 ギョクズイは自分が赤ん坊の時にランショウに抱かれた事があるなんてまったく知らなかった。

 ましてや本当の英雄の血筋であるホタルが紛い物のギョクズイである自分に嫉妬したなんて信じられない。


「お母さん、否定になってない。それ嫉妬してる」


 スイギョクの指摘にランショウがゲラゲラと笑った。

 英雄ギョクズイとは名前が一緒なだけでまったく血縁関係ではないけれど、少なくとも英雄ランショウはヒヤシンスの従弟なのだから離れてても血縁関係ではあるんだ、とギョクズイは他人事のように浮かび上がった思考が、ジワジワと()みてくる。


「ラン兄」

「どうした?」


 ギョクズイは自分の口から飛び出た呼び掛けに驚いたが、ランショウは当たり前のように返事した。

 ダメダメダメ、と抵抗するホタルの口は、さっきの仕返しと言うようにしっかりランショウの片手が塞いでる。


「俺は首都で暮らしてみたい」

「歓迎するよ」


 緊張して伝えたギョクズイの言葉にランショウは優しく微笑んだ。

 兄が出来たと双子も喜んでいる。

 ホタルだけは、ラン兄と呼んじゃダメ、と釘を刺してきた。


 ランショウ一家が首都に帰る時、ギョクズイも一緒に首都へと連れて行ってもらった。

 首都には革命に参加していた人が沢山いるから、ギョクズイと英雄ギョクズイを比較する人もいるだろう、と身構えていたが、そういうことも全然無くて拍子抜けだった。

 そもそも、ここ十二年名付けの上位は革命の英雄達の名前で、故郷の町とは違ってギョクズイも沢山いるうちの一人に過ぎなかった。

 首都に来て出来た友達の中にもギョクズイがいるものだからややこしくて『ランショウの家のギョクズイ』を略してランギョクと呼ばれるようになった。

 四つ下のスイギョクとソウギョクの双子からもランギョクと呼ばれれば、お揃いっぽい名前でちょっと恥ずかしいようなむず痒いような気持ちになったが、どこか誇らしい気持ちにもなった。


 ランショウ一家は度々、墓参りの為に里帰りをした。ランギョクにとってはあまり良い思い出の無い町だけど、それでも養父である町長には感謝している。

 だから、毎回里帰りには必ずついて行った。

 それで故郷の町の人にグサリと来る一言を言われても、ランショウが「それは私が知っているギョクズイじゃないな」と言っているのを聞けば、気に掛ける必要は無いのだと安心する。

 ホタルは「わたしも皆の言うお父さんのような振る舞いなんて無理〜」って笑い飛ばしていて、それはそれでランギョクに安心をもたらした。

 スイギョクは少し冷めた感じで「ランギョクはランギョクでしょ」って言っているし、ソウギョクは町人の発した悪意にまったく気付かず尻尾を振りまくる子犬のように無邪気だ。


 そして、いつの間にか雑音くらいにしか思わなくなっていた。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


夢で見て面白そうってなったので勢いで書いてしまいました。

正しくは見たというか、寝起きにフラッシュバックのようにバッと映ったという感じなのですが、その時は「幼女にプロポーズされて流していたのに年々流せなくなっていく男の話」くらいのふわっとしたものでした。


短編で丁度いいと思って書き始めたのに、気が付けば前作『星の烙印』の文字数を超えていました。

今更、分割するのも大変なので、一括で投稿させて頂きましたが、読むのも大変ですよね。

読んでくださった方、本当にありがとうございます。

少しでも面白いと思って頂ければ幸いです。


ちなみに登場人物の名前は鉱石の和名から借りました。

ランショウ(藍晶石/カイヤナイト)

ホタル(蛍石/フローライト)

ヒヤシンス(風信子石/ジルコン)

ギョクズイ(玉髄石/カルセドニー)

ジャモン(蛇紋石/サーペンティン)

トウキ(透輝石/ダイオプサイト)

スイギョク(翠玉/エメラルド)

ソウギョク(蒼玉/サファイア)

ランギョク(藍玉/アクアマリン)

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