悪役令嬢の通訳係
週に一度の、次期国王と次期国母のティータイム。プライベートな時間を楽しみたいと、お互いひとりしか供を連れず、一時間ほどお茶やお菓子を楽しむ。
貴族学園のなかでも、この特別室を気軽に使えるのは、このふたりだけだ。お高い骨董品が、そんなことありませんよとすまし顔で鎮座しているが、今日もこの空間を支配しているのは沈黙だ。静かすぎて耳が痛くなる。
金髪碧眼、いかにも王子様ですといったオスバルドが動くと、さらりと金色が顔を彩った。
「……来週のお茶は、王宮でどうだろうか? 用事があって来ると聞いている」
「……かしこまりましたわ」
それきり会話が終了し、また沈黙。
宝石に例えられる薄紫の瞳をわずかに伏せ、ミネルウァはため息をお茶とともに飲み込む。オスバルドよりやや薄いが、艶のある見事な金髪が、ミネルウァの顔を隠した。
ミネルウァの後ろで黙って立っていたリンジーは、こぶしを握りしめた。
この地獄のような時間が、週に一回! 一時間! 二年と半年!! 婚約から数えると6年!!
あまりに事務的な会話しかしないふたりに、不仲説がささやかれ、事実として定着して久しい。リンジーはもう我慢の限界だった。
「……発言をしてもよろしいでしょうか」
いままで一度も言葉を発しなかったリンジーに、ハッと視線が集まる。
この場で一番身分の高いオスバルドが、探るようにリンジーを見た。
「発言を許可する」
「おそれながら申し上げます。皆様方、ミネルウァ様を誤解しておられるようにお見受けいたします。わたくしが通訳してもよろしいでしょうか」
「通訳? それはどういう」
「ならば私も、オスバルド様の通訳をいたします」
発言したのは、学園でのお茶会のときはいつもオスバルドの後ろにいるアーヴァインだった。貴族にしては短く刈り上げている黒髪の下、健康的なうなじが覗く。
アーヴァインは伯爵子息ながらオスバルドが一番信頼する有能な側近だった。
リンジーとアーヴァインはこれまで極わずかな事務的な会話しかしたことがなかったが、このときは視線で通じ合った。軽くうなずきあい、アーヴァインが一歩前に出る。
「オスバルド様。おそれながら、さきほどの会話を再現していただいてよろしいでしょうか」
学園のなかでも一二を争う長身であるアーヴァインが、じっと主を見下ろす。全然おそれいってないアーヴァインに、オスバルドは文句を言うかと思いきや、数秒後に黙って口を開いた。
「……来週のお茶は、王宮でどうだろうか?」
「通訳いたします。『王宮の庭園で、ミネルウァ様がお好きな薔薇が見頃です。ミネルウァ様のために整えたので、ぜひそこでお茶をしませんか』」
「まぁ……!」
ミネルウァが息をのむ。オスバルドに目をやれば、いままでの貼り付けたような笑顔が嘘のように、頬を染めてくちびるをもにゅもにゅとさせていた。
「ミネルウァ様、どうお返事をしたか覚えておいでですか?」
「え、ええ。……かしこまりましたと、お返事いたしました」
「こちらも通訳いたします。『オスバルド様が気に入ってらしたお茶を取り寄せ、それに合うお茶菓子を新しく作ったのに、我が家に来ていただけなくて非常に残念です』」
「ミネルウァ……!」
オスバルドが感激してミネルウァを見た。ミネルウァも、先ほどまでかぶっていた淑女の仮面が砕け散り、真っ赤になって瞳を潤ませている。
「ミネルウァ様のお気持ちを付け加えさせていただきますと、『オスバルド様とご一緒できるなら場所はどこでも構いません。お誘いくださってとても嬉しいです』になります」
「こちらもオスバルド様のお気持ちを代弁いたしますと、『一流の庭師が育てた薔薇ですら、ミネルウァ様の前では霞んでしまう。庭園をどのようにするか、忙しい合間を縫って庭師と相談して作り上げたので、ぜひ見てほしい』になります」
「あ、あう……」
「『嬉しくて泣いてしまいそうです。むしろちょっと泣いています』」
「うぐ……」
「『ミネルウァ様のこんな可愛い顔を見られるなんて、今日自分は死ぬのか? あまりに愛らしすぎる』」
「あうぅ……」
「『そのようなことを言われるなんて、恥ずかしくて嬉しくてどうすればいいかわかりません』」
「……んぐう」
「『そんなこと言わず、どうかその顔をもっと見せておくれ』」
真っ赤になって悶えていたオスバルドが、涙目になりながらミネルウァの手をつかむ。耳や首まで赤く染めたミネルウァは、一筋の涙を流してオスバルドを見上げた。
さて、お邪魔虫は退散である。
そうっと外に出たリンジーとアーヴァインは、顔を見合わせた。リンジーは、令嬢にふさわしくない「してやったり!」という顔をしてアーヴァインに笑いかける。不思議と、リンジーによく合っている顔だった。
アーヴァインも、にやりと笑ってこぶしを突き出す。最初はなにかわからなかったリンジーは、少しして、軽く握ったこぶしをアーヴァインのものと突き合せた。
「あーすっきりした! ミネルウァ様ってば、ずっとオスバルド様をお慕いしているのに、口下手でうまくいかなくて……って、申し訳ありません」
お互い側近とはいえ、リンジーは子爵令嬢だ。いくら気が抜けても、伯爵令息に対する態度ではない。
「いや、いい。……実は俺も、かしこまったのが苦手なんだ。そういうふうに話してくれないか」
「……アーヴァイン様がそうおっしゃるなら。不敬だなんて言って罰さないでくださいね?」
いたずらっぽくリンジーが微笑むと、アーヴァインは虚をつかれたように動きを止め……ふうっと息を吐き出して笑った。
「この学園に通って二年と半年たつのに、お互い誤解していたことが多いようだな」
「そのようですね。ぶっちゃけますと、ミネルウァ様は婚約する前からオスバルド様をお慕いしているんです。さきほどのオスバルド様のご様子を見るに、ミネルウァ様の一方的なお気持ちではないようで安心しました」
「オスバルド様はずっとミネルウァ様をお好きだ。緊張してうまく話せないんだよ」
「ああ、好きすぎてってやつですね? ミネルウァ様も同じです」
どちらからともなく、かたい握手を交わす。
こうして「両片思いの婚約者の通訳をする会」が発足した。
・・・
リンジーは、一般的な子爵令嬢である。
ただひとつほかのご令嬢と違ったのは、親同士が親友だという理由で、幼いときからミネルウァと友人として育ったことだろう。
ミネルウァの父もうまく話せず、人に誤解を与えてしまう性格だった。それをリンジーの父がうまく気持ちを汲み、長い時間を一緒に過ごし唯一無二の親友となった。
父の性格を濃く引き継いでしまったミネルウァも、孤立しがちだった。
そこへ現れたのがリンジーだ。リンジーの父が通訳することで、他人の気持ちを察することがうまくできない幼い頃から、リンジーとミネルウァの友情は順調に育まれて、今に至る。
「リンジー、少しいいか。次のお茶会のことだが」
遠くでご令嬢が色めきたちながら様子を窺っていることに気づき、リンジーはさりげなく移動をはじめた。意をくんだアーヴァインは長い脚を持て余しながら、ちょこちょこ歩くリンジーに速度を合わせる。
「お茶会は五日後よね?」
「そろそろ俺以外の側近にも、お茶会を見せてみようと思うんだ。おふたりの不仲説は根強いからな。いくら俺ひとりが仲がいいといっても、外で見せる顔があれじゃ限界がある」
「外じゃおふたりとも、よそゆきの仮面をかぶってらっしゃるものね。オスバルド様はいいとおっしゃったの?」
「渋ってたらしたけど、このままじゃミネルウァ様が冷遇されかねないって言ったら即頷いていたよ」
「じゃあ、次はどこか別のところで……ううん、いつもの場所でいつもの様子を見てもらうのがいいかな?」
「俺もそう思う。いまからぽかんとするみんなの顔が楽しみだよ」
艶の含んだ笑い声を喉でならし、アーヴァインはリンジーへ手を伸ばした。
「どうか俺にエスコートする栄誉をくださいませんか? 一緒に、ティーフードを選んでいただきたいのです」
令嬢らしい微笑みを浮かべようとして失敗したリンジーは、開き直って輝く笑顔を向けた。
「ええ、喜んで」
五日後、特別室にいるのはいつもより3人多かった。
側近候補であるネイトは将来騎士となりオスバルドに忠誠を誓う予定で、訓練で傷だらけの手をしている。ひとりは軍事を掌握する予定のエルナンで、頭脳と剣技を磨いている最中だ。最後は内政で活躍する予定のクストディオ。眼鏡をくいくいと上げている。
正直に言って、リンジーは3人にそこまでいい感情を持っていなかった。大切な友人をちょっぴり冷遇する気配を感じていたからだ。
事実3人はミネルウァのことを、あんまりよく思っていなかった。オスバルドの気持ちを知っていながら純情をもて遊び、政略結婚だから離れられないと高を括っているのではと思っている。
3人はオスバルドの後ろに陣取り、リンジーとアーヴァインは一歩前に出た。お茶をそそぎ、そのまま待機する。
前より緊張しなくなったとはいえ、ふたりにはまだ通訳が必要だ。特にミネルウァは、あまり親しくない人間が3人もいて、かなり緊張していた。
ミネルウァは落ち着くためにお茶をひとくち飲んだ。
「……いつもより熱いのではなくて?」
3人からぴりっとした空気が漂ってくるのを感じ、リンジーはすかさず口を開いた。
「それでは、通訳をいたします。『緊張して手足が冷えているせいか、お茶がいつもより熱く感じます。このままではオスバルド様が火傷してしまうのではないかと心配です』」
アーヴァインの後ろで、新規の3人が目を大きく見開いた。
「……私はそう感じない」
「こちらも通訳を開始します。『体がほてっているので、熱く感じない。だが、緊張しているのは同じだ』」
「まだ、婚約しているからな」
「『まだ結婚していないので、みだりに肌にふれることができない。自分の手で、白く美しい手をあたためてあげたい』」
通訳がなければ、婚約に不満があるオスバルドと、お茶に文句をつけているミネルウァが仕方なく同席しているように見えるそれに、3人の口がぽかんと開く。
「よ、よくってよ」
「『どうぞ触れてください。オスバルド様にふれていただけるなんて、嬉しくて仕方ありません』」
「……汗が汚いな」
「『緊張のあまり手汗がひどく、ふれれば汚してしまうかもしれません』」
「かっ、構いませんわ!」
「……っ! ミネルウァ……!」
ふたりの手が触れ合う。頬を嬉しさで染め上げ、お互いしか目に入っていないことを確認し、リンジーはアーヴァインへアイコンタクトを送った。
硬直している3人を追い立てながら、ひっそり外へ出る。
「やっぱり最初はまだ通訳が必要ですね」
「もう数か月もすれば、最初から通訳なしで話せるようになるんじゃないか。お互いベタ惚れだし」
アーヴァインは、勝ち誇った顔で3人を見る。
「な、言ったろ? おふた方はお互い好きあっているって」
「え……え、なんだあれ……? ミネルウァ様はオスバルド様を嫌ってるんじゃ……?」
「わたくしから見れば、オスバルド様こそミネルウァ様を嫌っているように見えましたけどね」
すかさず口をはさんだリンジーに、ネイトは気まずげに口をつぐんだ。
「似たもの同士なんだよ。ふたりきりですらああなんだから、外で”理想の殿下と令嬢”を演じてるおふたりは、うまく話せないんだ」
「……ミネルウァ様を誤解していたようですね」
「噂や自分の思い込みで決めつけてかかるなんて、なんて未熟だ。あーくそっ」
エルナンとクストディオも反省したのを見て、リンジーはちょっぴり、名前を呼んでいいかなと思った。
知識として名前は覚えてはいるし、表面上はある程度仲良くしなきゃいけないのは知っている。だが、親友を嫌っている人にいい感情は抱けないものだ。
リンジーは晴れやかに笑いかけた。
「お三方、これからよろしくお願いいたしますね。おふたりの不仲説を払拭しなければいけないですもの。今まであまり接してきませんでしたが、手を取り合っていきませんか?」
リンジーが手を差し伸べる。ネイトが手を出すと、アーヴァインが割と強くはたいた。
「いって! アーヴァイン、何すんだよ!」
「……ネイト」
「な、なんだよ」
「リンジーはこんな感じだ。空気にのまれると、噂がたつぞ。俺とリンジーのように」
「ほほぉ、ほほお~? 痛っ! 思い切り叩くな!」
「うるさい。エルナンは黙って素振りでもしてろ」
「おやおや」
「クストディオは興奮すると眼鏡を上げ下げする癖をやめろ。馬鹿に見える」
「なんですと? では言わせていただきますが、アーヴァインも今の顔は、っ痛い!! 暴力に訴えるのはやめてください!」
「ふ、ふふっ、あははは!」
気取らない4人の軽口の応酬に、耐えきれなくなったリンジーが笑いだす。4人の視線を独り占めして、笑いすぎて浮かんだ涙をぬぐう。
「この通り、わたしもだいぶ気取らない性格なの。不敬だなんだと言わないでね。砕けた口調で話していいって言われてるから、文句はアーヴァインへ」
「……俺にだけそう話せばいいって意味だったんだが」
「あら、それならきっちり言っておかないと。相手にどう取られてもいいように話すのは、時と場合によるって、知らなかった?」
「……知ってた」
その時はまだ、リンジーをこんなに大切にする日が来るなんて、思っていなかっただけで。
生ぬるい視線に気づかないふりをしながら、アーヴァインは仏頂面を貫いた。首が赤くなるところは、主君と同じである。
・・・
それからリンジーたちは不仲説を払拭するべく、正反対の噂を流し、実際に仲睦まじく寄り添う様子を見せつけた。その甲斐あって、じわじわと「もしかして外では節度を持って接していただけで、本当は仲が良いのでは?」という空気が出てきた。
ぎこちないながらも、最初から通訳なしで話せるようになったふたりは、前とは明らかに雰囲気が違う。お互いを見る目にはたしかに愛情がつまっていて、見つめあうとそこはもうふたりの世界である。
しめしめ、と令嬢らしからぬ感想を抱くリンジーの耳に、ある日とんでもないうわさが飛び込んできた。
なんでも「ミネルウァが実家の権力をちらつかせ、オスバルドに仲がいいふりをしろと脅している」というものだ。ちょっとどころか、だいぶ不敬である。
「リンジー、噂の出どころを探してきた。モモ・ハートライトという男爵令嬢らしい」
「ありがとう、アーヴァイン。ハートライト男爵……確か、可もなく不可もなくって家だったよね?」
「ああ。話したことはあるか?」
「ううん。クラスも違うし」
男爵でも何かしらの才があれば一緒のクラスになることもあるが、リンジーはモモの名を聞いたことがなかった。
「男爵の家をしばらく見張らせていたが、不審な動きはなかった。モモ・ハートライトにもだ」
「オスバルド様との接触は?」
「今までない。しようとしたことはあるが、俺たちのいる階に立ち入る許可が出なかったらしい」
「まあ、それをしたらオスバルド様が襲われるかもしれないしね」
「来た理由が、殿下に手作りのお菓子を渡そうとした、らしい」
「毒殺?」
「毒は検出されなかった。だが、それもあって警戒されていた。モモ・ハートライトの足跡がわかったのは喜ばしいが……阿呆なのか一周回って賢いのか……」
「ううーん」
悩んだリンジーは、ひとまず接触してみようとした。心構えができていないときに声をかければ、とっさの表情や動きから情報が読み取れるだろう。
反対するアーヴァインを説得し、いざモモに接触! の前日。
まさかの、モモが突撃してきた。
「ミネルウァ様! これ以上オスバルド様を脅さないでください!」
学園から帰る直前、たくさんの生徒が自宅の馬車を待っているときのことだった。
オスバルドを守るようにネイトとアーヴァインが前に立ち、剣を抜く。モモは一瞬ひるんだが、薄ピンク色の瞳に涙をため、オスバルドを見つめた。
「オスバルド様がお可哀そうで、わたしっ……! お願いですミネルウァ様、いじめるのはわたしだけにしてください!」
リンジーは、すかさずミネルウァを守った。
「モモ・ハートライト。ミネルウァ様もわたくしも、あなたをいじめるどころか、直接会ったこともありません。虚言癖があると報告を受けています。この者をとらえよ!」
「事実が明るみに出ると不都合だからって、こんなことをするの!?」
成り行きを見守っていた生徒たちが、ひそひそと話し始める。モモの言ったことは事実無根だが、疑惑の種がまかれてしまった。
最近は不仲ではないとされているが、少し前まで、オスバルドとミネルウァは仲が悪いらしいと平民でも知っていたのだ。
リンジーは頭脳担当のクストディオを見たが、激しく眼鏡を上げ下げしながら困惑していた。クストディオは頭はいいが、アクシデントにはちょっぴり弱い。
「静まれ」
しん、と、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る。
オスバルドが、冷酷にさえ感じる瞳でゆっくり周囲を睥睨すると、ひそひそしていた生徒は気まずそうに俯いた。
「そのように嘘を事実として広め、我が愛しの婚約者にありもしない罪をきせるなど、言語道断。とらえよ」
「待ってください! ミネルウァ様に言わされているんですよね? 大丈夫、ちゃんとわかってますから!」
「これを捕獲しろ。吐かせるまで死なせるな」
手荒く手足を縄で拘束され、モモは意味がわからないとばかりにオスバルドを見上げた。モモの脳内では、自分のことをわかってくれると感激する場面だったのに。
静かにはなったが、ただそれだけの空間をオスバルドは見回した。
……六年だ。六年たってようやくミネルウァと心を通わすことができたのに、すべて台無しだ。青ざめた顔をして、それでも背筋を伸ばして立っているミネルウァを見て、オスバルドは意を決した。
「……ここにいる者の多くは、私とミネルウァが不仲だという噂を知っているだろう」
朗々とした声は、張り上げていないのによく響いた。何を言うかと驚く側近の制止を無視して、オスバルドは続ける。
「いま私が次期国王としてここに立っていられるのは、すべてミネルウァのおかげだ。ミネルウァのあたたかい声や、心遣いがなければ死んでいた」
オスバルドは正妻から生まれた第一子だが、王妃はオスバルドを産んで数年後に亡くなってしまった。
側妃から王妃が選ばれ、オスバルドは当然のように死を望まれた。オスバルドにとって、王宮は気が抜けないところだった。
そんななかミネルウァの家がオスバルドと婚約して後ろ盾になると公言し、オスバルドの日常にひそむ危険はずいぶんと減った。週に一度ミネルウァの家へ招かれ、毒殺の危険がないオスバルドの好物が並べられ、どれほど嬉しかったか。
感情を素直に顔に出すには、オスバルドは育ちすぎていた。ただでさえ暗殺の危険があるミネルウァを、自分が好きになったせいで更に死に向かわせるわけにはいかなかった。
「私は……ミネルウァに、王を望まれていると思っていた。王になれぬ私に価値はないと。
――だが、違った。ミネルウァは、ありのままの私を受け入れてくれる」
オスバルドは微笑んだ。
「私は……ミネルウァを、愛している」
ミネルウァは目を見開いた。オスバルドの手が伸びてきて、震える手を包まれる。
自分より大きくあたたかい手もわずかに震えていることに気づき、ミネルウァはキッと顔を上げた。
「オスバルド様は、覚えておいでですか? わたくしたちが初めて出会った日のことを」
「……覚えているよ。とても楽しい日だった」
「――わたくしが、おじい様にお願いしたのです。オスバルド様と結婚したいと。優しくて強いあの人を救いたいと。子供のわがままだと思われてもいい、権力を振りかざしていると思われてもいい! わたくしはただ、オスバルド様を、お救いしたかったのです。……オスバルド様を、お慕いしていたから……」
「……じゃあ、この婚約は……」
「わたくしの家が権力を得るためでも、オスバルド様を王にするためでもありません。わたくしが初恋の方と添い遂げる願いを、おじい様が叶えてくださっただけですわ」
しん、と静寂が下りる。
公衆の面前での、まさかの愛の告白。しかも、自分の感情を出すことを恥ずべきとしている貴族の突然のラブストーリーだ。
リンジーはいち早く我に返り、思い切り拍手した。
「おめでとうございます! おふたりとも、ついにお互いの気持ちを確かめられたのですね!」
「おめでとうございます、オスバルド様。ついに初恋の方と結ばれましたね」
すかさずアーヴァインが乗っかった。
「お似合いのふたりですね! なんておめでたい!」
眼鏡くいくいをやめたクストディオが大げさに頷く。
「よかったな殿下! これで毎日、ミネルウァ様の可愛いところを語る時間から解放されそうだ」
「今日はお祝いですよオスバルド様! おめでとうございます!」
エルナンとネイトの、ちょっと軽いけど心から喜んでいる言葉に、オスバルドははにかみながら微笑んだ。
つられるようにあちこちからまばらな拍手が聞こえ、すぐに地面を震わせるほどのものへ変わる。あちこちから祝いの声や、ふたりを羨む声が聞こえる。
そんななか、モモは必死に声を張り上げた。
「な……なんでよ! ミネルウァは悪役令嬢でしょ!? どうしてわたしに惚れないの!?」
ここまでくると、モモは頭がおかしい人に見える。さっきまで同調していた生徒は、手のひらを返し、目も合わせない。
「何をもってしてミネルウァを悪とする? 重犯罪者の牢屋へ連れていけ!」
さるぐつわを嚙まされたモモが、血走った目で抵抗しながら引きずられていく。ひとまず上々に終わったと、リンジーはちいさく息をはいた。
「それにしても、モモ・ハートライトは、どうしてあんなわけのわからないことを自信満々で言えたのかしら?」
「巷であふれている悪役令嬢の物語を、本当だと信じ込んだんじゃないか?」
「ええ? いま、悪役令嬢は勝ち確定だとか言われてるのに?」
みんな、外ではつんつんしつつ、実はいいことをするのに必死だ。
「悪役令嬢になったら、身分の高い人に溺愛されるんでしょ? どういう仕組みかよくわからないけど」
「本を読んだら、それぞれにちゃんとした理由があったけどな」
アーヴァインは、みなに祝福されながら手を振る主君を見た。死を躱しながら生き延び、必死に努力して次期国王の座をつかみ取り、愛する人と心を通わせた主が誇らしい。
「あー、と……お互い、主を守るため、最適な結婚をするべきじゃないか?」
リンジーは、わざととぼけてみせた。
「そうねえ。いま探してもらっているわ」
「その相手、案外近くにいると思わないか? たとえば、その」
こういうことに慣れていないアーヴァインが、真っ赤になってもにゅもにゅと口を動かす。リンジーはにっこり笑った。
「わたしに求婚したいなら、好きだってはっきり言えばいいのよ」
アーヴァインは驚き、愛らしくも勇ましいリンジーに見惚れる。すうっと息を吸い、歓声に負けない声を出した。
「さすがリンジー、惚れ直した。好きだ! 結婚してくれ!」
「喜んで!」
リンジーがアーヴァインの胸に飛び込む。
祝福はふたつのカップルに降り注ぐ。
それはまるで結婚式のようだったという文で、翌日の新聞は締めくくられた。わざわざその一文を指定したアーヴァインに、リンジーはくすっと笑って頬にキスを送った。