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秘密

「……で、あの生徒ときたら私に対して——」

「あの」

 愚痴が始まって、小一時間ほどが経過した頃。僕は雷坂先生の言葉を遮る。

「時間も時間なんで、そろそろ終わりにしませんか」

 いい加減日も落ちてきたころだ。ここら辺でお開きにすべきである。

「ふざけないで。まだまだ言いたい不満が山ほどあるの。それを全部聞くまで帰さないわ」

「全部聞いたら年明けちゃいますって」

「そこまでしないわよ。ちゃんと冬休みになったら帰してあげるから」

「今って確か夏ですよね?」

 半年も付き合っていられるわけない。僕は早々に帰らせてもらう。

「……今日バイトがあるんですよ」

「バイト? 貴方、ちゃんと学校に許可は取っているんでしょうね?」

 疑いの眼差しで雷坂先生は僕を見る。

 こういう場面ではちゃんと先生なのかよ。と、不都合を心の中で嘆く。

「バイトって言っても家の手伝いのようなものですから。許可を出すほどの事じゃないですよ」

「……まあ、それならいいわ」

 どうやら納得してくれたようだ。

 ストレス発散もとい会話がお開きということで、些か不服な様子だが、彼女も一人の社会人である。例えそれが家の手伝いのようなものでも、給金が発生する労働である以上は、それを私情で妨害するわけにはいかないと雷坂先生は理解しているのだ。

 仕事の重要性を十分に承知しているから、それ以上僕を引き留めるようなことはしなかった。

「それじゃあ、僕はこれで失礼します」

 僕は一礼してから、ドアノブに手をかけた。

「雨無」

 扉を開ける寸前に、雷坂先生に呼び止められる。

 その呼びかけに答えるように僕は彼女の方へと振り返る。

 すると彼女は、続けて話す。

「——また付き合いなさい」

 いつも生徒に見せる貼り付けたような笑みではなく、本音の混じる柔らかみを帯びた笑みだった。

 それに対して、僕は小さく微笑み返し、

「はいっ」

 そう頷いた。


                  ◆


 僕はとある高層マンションの部屋の前に立っていた。

そして、インターフォンを鳴らした。

 ——すると、

「おかえりっ! 漣くんっ!」

 勢いよく開かれた扉から、小奇麗な私服に身を包んだ安曇花……姉さんが満面の笑みで出迎えてくれる。

「ただいま、姉さん」

 それに応えるように僕は柔らかく微笑んだ。

「ごめん、ちょっと遅くなっちゃって」

 インターフォン越しに応答してからではなく、鳴ってから瞬時に扉が開かれたことから、玄関前で待っていたのだろう。

 約束の時間より三十分ほど遅れてしまい、その間姉さんを玄関前で待ちぼうけにさせていたかもしれないと考えると、謝らずにはいられなかった。

「ううん、いいのいいの。私も部屋の片づけとかで時間かかっちゃったから。むしろ遅れてきてくれたおかげで漣くんに汚い部屋を見せずに済んでよかったくらい」

 僕に負い目を感じさせないよう言葉選びをして姉さんは答えた。大人な対応って感じだなぁ、とまだまだ十六歳と子供な僕は感心する。

「ご飯できてるから一緒に食べましょう」

 ニコッと明るく笑う姉さんに手を引かれ、僕は流されるがまま部屋へと上がる。

 ——にしても、相変わらず広い部屋だ。

 五十階建ての高層マンションに2LDKの部屋、おまけにベランダもある。一人暮らしとしては十分すぎるほどの広さであり、家賃も相当するはずだ。

 姉さんはこれほどの部屋に住めるくらいには稼いでいるのだろう。流石、大手会社に勤めているだけはある。

 その分、苦労も多そうだけど。

「はいっ、座って座って」

 そう促されながら座った椅子の前には、食卓いっぱいに料理が並んでいた。

「ほらっ、冷めないうちに食べて」

向かいに座った姉さんに食べるよう催促をかけられる。

ってか、全部食べ切れるかな……。

ホームパーティーが開けそうな程の品数に、見ただけで満腹になりそうだ。

しかし、せっかく作ってくれたのだ。残さず頂かなくては。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「ふふ、どうぞどうぞ。いくらでも甘えてね♪」

違う意味合いも込められてそうな言葉を言いながら、期待に満ちた目で僕が食べるのを眺めている。

 若干の食べづらさを覚えながら、僕は手元から一番近くに置かれた炒飯をスプーンで掬い、自身の口へと運ぶ。

 絶妙な味付けとパラパラとした具材や米が口いっぱいに広がる。お店で出される炒飯と遜色がない程だ。

「んっ、とってもおいしいよ」

「本当?」

「嘘つくわけないじゃん。それに、姉さんの料理はいつもおいしいからね」

「そっか、なら良かったぁ」

 姉さんは安堵と褒められた嬉しさが入り混じった笑顔を浮かべ、先ほどよりも上機嫌になった様子だ。

 にしても、本当においしい。これなら毎日食べたいくらいだ。

 僕は止まることなく一口二口と食べ進めていく。それを、姉さんはニコニコした様子で眺めている。

「……」

「(じぃ~~)」

「……」

「(じぃ~~~~)」

「……あのさ。流石にそんな見つめられると食べづらいんだけど……」

 ただ僕の顔一点を見つめてくる視線に耐え切れず、スプーンの動きが止まってしまう。

「えぇ~、いいじゃない別に。減るものじゃないんだからさ」

「そんなセクハラの言い訳みたいな……。少しは被害者の気持ちも考えてくれ」

「見つめられるような顔をしているほうが悪いっ」

「とてつもなく理不尽な責任転嫁してきたぞ、このセクハラ加害者は。――見てないで姉さんも食べなよ」

「私は漣くんが食べてる姿を見れればお腹いっぱいになれるから大丈夫♪」

「僕の姿で食欲を満たさないでくれる?」

やられる側からしたら結構恐怖だから、それ。

「頼むから食べてくれよ……。姉さんが食べ始めないと僕も食べづらいからさ」

「もぉ、しょうがないな」

 渋々ながら姉さんは箸を持ち、唐揚げを掴む。

 まったく、なんで二十を超えている大人にご飯を食べさせるのにこれほど苦労しなきゃいけないんだ。しかも最終的には僕が我儘を言っているみたいになってるし。

 やれやれと、呆れ気味になりながら僕は止まっていた手を動かし、自身の口に炒飯を入れようとすると——。

「んぐっ……」

 僕の口に入って来たのは炒飯ではなく、何故か姉さんが箸で掴んでいた唐揚げだった。

「……」

「ふふふっ」

 視線を上げて姉さんを見ると、彼女は自身の口に唐揚げを放り込むのではなく、炒飯を食べようと開けていた僕の口にそれを捻じ込んでいたのだ。

 口に食べ物が入ったことにより、僕は条件反射的に咀嚼し唐揚げを飲み込んだ。

「……何するんだ、姉さん」

「あ~ん、だよ」

「それは今しがたやられたから知ってるよ。僕はどうしてそれをしたのかと聞いてるんだ」

「だって漣くんがそうお願いするから……」

「僕は食べてくれって言ったんだ。食べさせてくれなんて一言も言ってない」

「えぇー? そうだったっけ?」

 とぼけた様子で姉さんは首を傾げる。

 そしてまた「ふふっ」と笑った。

 すこぶる楽しそうだ。

 それを見て、僕も笑った。



「ねぇ、本当に良いの? 今からでも私が変わろうか?」

 姉さんはリビングのソファに背もたれの方を向いて座り、キッチンに立つ僕に尋ねる。

「いいって。流石に何もしないと僕も申し訳ないからさ」

 カチャカチャと汚れた食器を食器用洗剤が付いたスポンジで洗ってゆく。

 このような家事は不慣れなため作業スピードは遅く、姉さんは我が子の初めてのお使いを見守る母親のような心配した目で僕を見ている。

 もたついているし効率も悪い。常に家事をやっている姉さんがやった方が圧倒的に早い。

 だが、たまにはこういうことをやっておくのもいいだろう。姉さんには効果的かもしれないし。

「……ほ、本当に大丈夫? 包丁洗う時指とか切らないよう気を付けてね?」

「大丈夫だってば。一体僕のこと幾つだと思ってるのさ?」

 大人な姉さんからしたら高校生の僕なんて子供にしか見えないだろうが、それでも皿洗いくらい一人でこなせる年齢だ。

 しかし過保護な姉さんがそれをわかってくれるはずもなく、不安な様子で食器洗いをする僕を見つめている。

 僕は王族の長男でも何でもないのだから、そんな過保護にされる覚えはない。怪我をしたって自己責任の一言で済む話だ。

 別にそうされることが嫌だというわけではないのだが、年頃な僕としてはもう少し放任して欲しかったりも——。

「うぉっ」

 ドンッ。と、背後から突如衝撃を受ける。

 その直後に色白な腕が僕の腰に巻きついてきて、人肌のぬくもりが背中から伝わってくる。

 この部屋には僕と姉さんしかいない。なら幽霊の仕業でない限り、僕の背中に衝撃を与えてきたのは姉さんしかあり得ない。

「何してるんだ。姉さん」

 僕は振り返らず、抱き着いている姉さんに尋ねる。

「漣くんを守ってる」

「何から?」

「食器洗いから」

「この抱きつきでは何一つ守れてないだろ。あと、食器洗いはそんなに狂暴じゃないから」

 姉さんだって、本気で食器洗いから僕を守っているつもりなわけではない。

 ただじゃれついているだけだ。

 今こうして僕を後ろから抱きしめているのも、頬ずりをしてくるのも、「守る」と、かこつけたスキンシップに過ぎない。

 まったく、僕も子供じゃないんだからこういうことは——。

 むにゅっ。と柔らかな感触が背中に押し当てられているのを感じる。

 ——前言撤回。やはり僕は姉さんに守られるべきだ。

 食器洗いは危ないし凶暴だし、指を切ってしまうどころか命を落としかねない。

 ここはやはり、より姉さんに守ってもらうべく、強く、それはもう力の限りといった感じで抱き着いてもらうほかない。

 あくまで僕を食器洗いから守るためである。

 だって食器洗いは超絶危ない行為だからな、うん、仕方ない仕方ない。

 ……いや、他意はないよ、マジで、うん。

背中で柔らかな感触を堪能しながら、僕は黙々と食器洗いを続けていた。

感覚を背中に研ぎ澄ませていたせいか、作業効率は驚くほど悪かった。


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