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本性

「あっ、雨無君。いたいた」

 僕と雅が空き教室を出て、廊下を並んで歩いていると、僕を探し回っていたのであろう雷坂先生に呼び止められる。

「ちょうど校内放送で呼び出そうと思ってたところだったんだけど、……まさか晴家さんと一緒だとはねぇ」

 先生は疑いと悪戯っ気を混ぜた目で僕らを見る。

「もしかして彼氏には秘密で変なことしてたりしてぇ~」

 先生が冗談で言ったことは皮肉にも見事に的を射ていた。

 雷坂先生は冗談以外の何物でもないつもりでそれを言ったのだろうし、そうであることは僕と雅も理解している。

 それでもやましいことを隠している人間は図星を突かれれば、必ず動揺するものだ。

 実際、冗談とわかっていても一瞬ドキッとした。

 だが、僕と同様に図星を突かれたはずの雅は、

「もぉ~、何言ってんのさツムちゃん。そんなわけないじゃぁん」

 一切の歯切れの悪さも、臆している様子もなく、いつも通りの口調で返答する。

 一体彼女は、どんな気持ちでその言葉を口にしているのだろう。僕には当然知る由もない。

「まっ、そうよね。——それより雨無君。約束、ちゃんと覚えているわよね?」

そういえば今日は雷坂先生との「進路相談」の約束もあったんだった。

「…………ええ、覚えています」

「あれぇ? 何かなぁ、今の間は?」

 おかしな点に過敏に反応し、先生は体を前のめりにし上目づかいで問い質してくる。

「……すいません。実は忘れてました」

 わざわざ隠し通すのも面倒なので早々に自白する。

優しい雷坂先生のことだ。その程度で怒ったりしないだろう。

「ふふっ、正直でよろしい」

 柔らかい笑みでそう答え、僕の肩にポンと手を置く。

 軽度なスキンシップの一環。

 よくあるボディーランゲージの一種で、生徒と距離が近い雷坂先生にとっては珍しくないことだ。

 まあそれを嫌がる人間もいるが、僕はその類の人間ではない。それに、雷坂先生ほど美人な人に触られて嫌がる男子などそういないだろう。

 ——しかし、今の場合だと僕というより……。

「……」

 ちらっと、隣にいる雅を見る。

 怪訝そうに睨みつけたり、険しい表情をしているわけではない。だが、いつもの明るい表情もまたそこにはない。

 ただじっと、僕の右肩に触れた雷坂先生の左手を見ている。

 表情を露わにするでもなく、手を払い除けようとするのでもなく、ただじっと見ている。

 ——ちょっと、良くないな。

「じゃあ、僕はこれから先生と進路相談あるから。雅は先帰ってて」

 僕は置かれた手を優しくどかしながら、雅にそう伝える。

 すると、先ほどまで無表情だった雅の顔も明るさを取り戻す。

「うんっ。——じゃ、また明日ね! レン、ツムちゃん!」

 そう言い残し、雅は駆け足で鞄を置いた教室の方向へ向かう。

「元気ね、晴家さんは」

 小さな子供を見るような目で先生は雅の遠ざかる背中を眺める。

 確かに雅は少し子供っぽさが残る奴だし、そう見られるのは納得できないわけではない。

 ただ僕は、その言葉を否定も肯定もしなかった。

 どうせ先生も僕に答えを求めてそう呟いたわけではないのだろうから。


「——それじゃあ、私たちも移動しましょうか」

 その提案に僕は「ええ」と頷いた。


                   ◆


 ——時刻は既に十七時。

 一般生徒のほとんどが下校しており、部活のある生徒は、グラウンドか体育館で部活動に励んでいる。

 うちは他の学校と比べ、比較的部活に所属する生徒が少なく、部活生徒と一般生徒の割合は一対一ほどだ。

 よって、校舎にはほとんど人が残っていない。

 校舎全体が静寂に包まれており、午前中の賑わいは一切ない。校舎にいても聞こえてくるのはグラウンドで練習している野球部の掛け声程度だ。

 ……そんな校舎の廊下を、雷坂先生と一緒に歩く。

 そこに弾んだ会話はなく、ただ淡々と目的地である進路相談室に向かっている。

 お互いの歩幅を気にしながら歩くなんてことは一切なく、雷坂先生の早い歩みに僕が後を追うような図が勝手に構成される。

 そのおかげか、先ほどまでいた空き教室より上下にも左右にも距離がある進路相談室に一分とかからずに到着した。

 先生が手早く進路相談室の鍵を開け、我先にと入室する。

 その後を追って、僕もまた部屋に入る。

 すると、入室するや否や——。


「閉めて」


 いつも優しく、フレンドリーな雷坂先生からは想像もつかないほどぶっきら棒なトーンで僕にそう指示した。

 それに対して僕は目を丸くするでもなく、すぐさま先生の指示通りに進路相談室の鍵を閉める。

 先生はそれを確認すると、進路相談室の椅子にドカッと腰かける。

 ——その座った姿には、いつもの優しくフレンドリーな雷坂先生の姿はなく、鋭い眼光に不満が募った表情でやさぐれた態度の女性が鎮座していた。

 まるで相談室に入ってから人格が入れ替わったような豹変っぷりだ。

 そして、彼女は大きなため息をついてから、ドスの利いた声で不満を吐露する。






「……学生とか、全員死ねばいいのに」






 純度百パーセントの本音で、彼女はそう口にする。

 それを聞いている、学生の僕。

 何とも奇妙な光景だ。

 ——コインには必ず裏と表が存在するように、人にも裏表が存在する。

 裏と表にどれだけ違いがあるかは個々人によるが、些細であれど誰にだって存在するのは間違いない。

 それをギャップだとか、意外性だとか、そんな風に形容する人も多くいるが、雷坂先生に限ってはそんな生温い表現では済まされない。

……生徒が思い描く雷坂先生は、生徒と同じ目線で接してくれる優しさを持ち、誰に対しても分け隔てなく友好的な態度をとる。そんな生徒にとって理想ともいえる先生だ。

 だが、残念ながらそれは理想ではなく幻想で、実際の雷坂先生は生徒にとって理想の教師などでは微塵もない。

 むしろ、その対極といってもいい。


 なんせ、雷坂先生は大の学生嫌いである。


 学生と呼ばれる人を忌み嫌い、親の仇の如く恨む。

 ——それが、二年三組担当教師の雷坂紬の本当の姿である。

 僕がそれを知ることになったのは、……なんと言うか、偶然、のようなものだ。まあ、運が悪かったとも言うかもしれない。

 何故そこまで学生を嫌うのか。第一どうしてそんな人が教師をやっているのか。いろいろ疑問はある。

 しかし、雷坂先生はそれを教えてはくれない。

 というか、彼女は自身のことに関しては全く喋ろうとしない。

 まったく、雅といい雷坂先生といい、どうして女性は秘密にしたがるんだ。

 弄ばれているような感覚にモヤモヤを募らせる。本当に弄ばれているのかもしれないが……。

「なにしてるの。早く座りなさい」

 雷坂先生に催促をかけられ、僕は背の低い机を隔て彼女の正面にある椅子に腰かけた。

 ……もう薄々気が付いているかもしれないが、これは進路相談ではない。なんなら相談ですらない。

 進路相談での教師の開口一番があんな殺害予告染みた発言なわけないからな。

 僕と雷坂先生が、こうして定期的に行っている進路相談。これは周囲に対するカモフラージュのようなものである。

 実際に行われているのは〝ストレス発散〟だ。

 僕の、ではなく、雷坂先生の、である。

 ……先に言っておくが別に僕はこれからストレス発散という名目で、とても人には言えないような酷い目に遭わされるという。ある種、人によってはおいしい展開になるわけではない。

 僕はただ聞くだけだ。雷坂先生が抱えている不満を一方的に聞かされるだけ。

 マシな言い方をすれば愚痴の聞き役。悪い言い方をすればサンドバックだ。

「今日も一段と不満がありそうですね」

「教師なんて仕事やってて不満がたまらない日なんてあるわけないでしょう」

「それは、大変ですね」

 他人事のように答えた。実際他人事だし。

「ハァ……、ボタン一つで生徒全員を絶滅させられる道具とかないかしら」

 彼女は溜息交じりにとてつもなく物騒なことを呟く。

「ねえ、似たようなものでもいいから持ってない? そういう道具」

「持っていませんよ。例え持っていたとしても絶対に渡しませんけど」

 僕まで滅せられてしまうからな。

「使えないわね。ハァ、これだから学生は……」

「学生関係ないでしょ」

「なに? 私に口答えする気?」

 キッと彼女が睨みつけてくる。

「しますよ、そりゃあ」

 僕はそれに臆する様子もなく淡白に返答する。

「本来学生というのは教師に絶対服従の存在であるべきなのよ。口答えなんかした日には極刑に処されるべきだわ」

「独裁者もビックリな理論ですね」

「ああ、そうよ。そういう新社会にすればいいじゃない。そうすれば私は幸せに生きていけるわ」

「他は全員不幸なんですが」

「いいのよ。私さえ幸せなら」

「人格が根っこから腐ってますね」

「フフフ、この社会が実現した暁には私に対してタメ口を使ったり、ちゃん付けして読んだりする生徒を親族諸共燃やしてやるわ。そして、孫の代まで苦しみを味合わせてやるのよ……!」

「親族諸共燃やしちゃいましたから、孫の代は存在しないですよね」

「五月蠅いわね。炙るわよ」

「なんですか炙るって。燃やすより百倍苦しみそうじゃないですか」

「ええ、だからそう言葉選びをしたの」

「この教師早くクビになればいいのに……」

 ——そんな調子で僕らは会話を続けた。

 ただの八つ当たりのようなこの会話に意味はない。

 僕はこうして貴重な学生生活を犯罪者予備軍のこの教師に浪費させられているだけなのだから、そこに大きな意味もメリットも何もない。

 本当に、……運が悪い。

 ——だがまあ、僕にとっては何の意味もないことでも、雷坂先生にとっては意味のあることなのかもしれない。

 こうして僕に不満をぶつけることで、彼女は自身の暴走を抑止しているのかもしれない。

 人格が豹変するほど溜め込んでいるストレスなのだ。それが少しでも外に漏れれば、それは大規模テロを意味する。そうなれば一体何人の学生が犠牲になるか……、想像もしたくない。

 だからこうやって僕に対し言葉のみで不満を吐露することが、外に漏れないよう彼女が抑え込み続けられる理由かもしれない。

 まあ僕が愚痴を聞くだけで抑え込めるほど小さい憎悪とは思えないのだけど。

 どうせ雷坂先生は今でもまだ続けているのだろうし。

「ちょっと、聞いてるの?」

「ええ、聞いていますよ」

「……そう、ならいいわ」

 そうして彼女は話を、愚痴を続ける。

 ……ハァ、——……帰りたい。


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