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背徳

「んっ、………あっ、………、ん、………はァ、……あ、………、んっ………」

 甘い吐息が僕の口内に漏れる。

 濡れた唇が激しく重なる。

 二つの舌が艶めかしく絡み合う。

 椅子に座る僕の上に向き合って跨る彼女。

制服越しに密着する身体。

 高鳴る心臓の音が共鳴する。

 彼女が僕を強く抱きしめるように、僕もまた優しく彼女の体を抱きしめる。

 ……熱い。

 漏れる吐息も、重なる唇も、絡み合う舌も、密着する身体も、全てが熱い。

 燃え上がるように、燃え盛るように、熱い。

 でも突き放すようなことはしない。

 むしろ彼女は更に強く僕を抱きしめる。

 それに呼応するように、僕も彼女を強く抱きしめた。

 伝わってくる熱量が更に増していく。


 ——夕暮れの教室。

 カーテンの隙間から洩れる夕焼けが教室を橙色に染め上げる。

 何処か幻想的で、絵になる空間。

 そこで僕らは唇を重ねている。

 何かを確かめるように、激しく、執拗に、重ねる。

「あ、……んぅ、………ん、……はァ、……」

「…………なぁ、もう終わりでいいだろ」

「ダメまだ足りない。んっ、………」

「……待てって、ん、……。……これ結構苦しいんだよ」

「だからダメだってば。んぅ……、はァ、……」

 いくら止めようしてもと彼女は重ねた唇を離そうとしない。

 呼吸が疎らにしかできず、息苦しい。

 それは彼女も同じはずなのだが、彼女はそれを意に介している様子はない。

 呼吸をするのも忘れるほど、夢中になっているのだろうか。

「昨日、……できなかったんだから、……んっ、……いいでしょ……」

「そんな貯金システム、……、みたいなのはないんだが、……、……。いいから、一旦落ち着いて——……っ!?」

 僕があまりにしつこくやめようとするせいか、彼女はより一層激しく、そして乱雑に舌を纏わらせてくる。

 喉奥にまで舌を入れてきそうな勢いだ。

 流石にこれはまずいと思い、僕は少し乱暴に彼女を引き離した。

 重なっていた唇が離れ、互いの顔の距離も離れて彼女の顔がよく見える。

 湿った唇に、紅潮した頬、小さな口からは時折甘い息が漏れている。高校生ながら妖艶な色香を感じさせる。

 惚けていた彼女も、唇が離れたことによって少し冷静になれたようで、忘れていた呼吸をし始める。

 そんな彼女に、僕は尋ねる。





「落ち着いたか。————雅」





 僕の上に跨っている彼女、晴家雅は一度息を吸って体内に空気を取り込み、そして息を吐き出す。

「うん、……ごめんね、レン。ちょっと夢中になり過ぎちゃった」

「ああ、僕が一番よく知ってるよ」

 なんたって身を持って体験したからな。

 冷静になっても尚、雅は頬を赤らめたままだ。

 自身の暴走に今更恥ずかしさを感じたのか、それともまだ余韻に浸っているのだろうか。

「……とりあえず、降りてくれないか」

 いくら体重の軽い女の子とはいえ、長い間膝に乗られると足全体がピリピリと痺れてくる。

「……」

 そう頼むも、雅はまだ若干惚けた様子で先まで僕と重ねていた自身の唇を指でなぞっている。

「雅?」

「……、……あ、ああ、ごめん。すぐ退くね」

 ようやく言葉が届いたのか、彼女は跨っていた僕の足から降りて地面に足を付け立ち上がってから、近くにあった机の上に腰を下ろす。

 僕は雅と抱きしめあった結果若干乱れた制服を直す。

 そして、お互い一言も喋らず沈黙が続く。

 終わった直後は決まっていつも静かになる。

 

 ——これは、僕と雅の〝日課〟だ。

 ずっと前から続いている〝日課〟だ。

 放課後、人通りの少ない校舎の隅にある空き教室でほぼ毎日といっていい程、僕と雅は唇を重ねている。

 誰に強制されているでもなく、あくまでお互いの意思で、自主的に行っていることだ。


 そして当然、このことは僕の友人であり雅の恋人である浩二には秘密にしている。


 裏切り、浮気、二股。

 僕らのこれらの言動を指し示す言葉はたくさんある。だが、一つとしていい意味の言葉はない。

 僕らがやっていることは咎められるべきことで、罰せられるべきことだ。

 先に言っておくと僕はそれをわからずにこのようなことをしているわけではない。

 それでも、何故このようなことをするのか。

 それは——。

「ねぇ、レン」

 昂ぶりの熱が冷め、それでもほのかな余韻から頬を紅潮させている雅が、僕の名前を呼び問いかける。

「レンも、気持ちよかった?」

「……」

 何の感想を求められないかわからないほど、僕は鈍くない。

「……ああ、よかったよ」

 唇にはまだ湿った感触がある。

 先程の彼女の行動を真似てか、僕も自身の唇に触れてみる。

 雅と何度も重ねた唇だ。それを確認するように、指先でなぞった。

「ふふっ、だよね」

 雅は嬉しそうに笑った。

 ……一体、何が嬉しいのだろうか。

 ——この歪な関係が、まだ始まったばかりの時。

 僕は、何度も雅に同じことを尋ねていた。

 きっと彼女も耳にタコができるほどその質問をされ、うんざりするほど聞き飽きているだろう。

 そして僕も、彼女の一切変わらぬ返答を聞き飽きていた。

 いつの日か僕は聞くのをやめてしまったが、もしかすると今なら違う返答が聞けるかもしれないな。

 僕はそんな淡い期待を胸にしばらくぶりにその質問をしてみる。

「——どうして、こんなこと続けるんだ」

 こんなこと。そう表現したって問題ないことだ。

 雅からしたらこの行為は恋人への裏切りである。

 仕方なくでも強制されてでもなく、自主的に他の男と唇を重ね、しかもそこに快楽まで見出している。

 片棒を担いでいる僕が言えた義理ではないが、許されざることだ。

 その行為をするにあたって、彼女にはそれを正当化できるだけの理由を持っているのか。それが気になって僕は毎回尋ねていた。どうしてこの関係を続けるのか、と。

「……懐かしいね。その質問」

 机に腰掛け、乱れた髪を手櫛で梳かしながら雅はそう言う。

 断罪とも解釈できるこの質問に対し、彼女は表情一つ動かさない。

 ただ懐かしむだけ。その問いに対してそれ以上のものは何も抱いていない。

 罪悪感も、後ろめたさも、自罰的なことも、何も。

 そうして、雅は相変わらず答える。



「——レンが好きだからだよ」



「……」

 穏やかな口調で、澄み切った微笑みで、雅はそう答えた。

 前に聞いた時と一言一句変わらない。

 いつもだ。いつも雅はこう答える。

 それ以上は語らない。いくら言及しようと、決して語ろうとしない。

 秘密主義なのか、それとも僕をからかっているのか。どちらにせよ彼女はこれ以上を語ることは決してない。

 それが晴家雅である。


「……そっか」

 僕は素っ気なく言葉を返した。


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