理解
「一体レンは何処までどうしようもないのさ! 機嫌を上げたらその分下げないと気が済まないの!?」
「……すいません」
相変わらず椅子に座る僕と、仁王立ちで腕を組む雅。
僕は赤くなった頬をさすりながら、振出しに戻ったこの状況を悔い改めている。
機嫌も直って、浩二と雅が一緒に映画。一石二鳥のいい案だと思ったんだけどな。
「——でもさ、どうしてそんな嫌がるんだよ」
「別に嫌がってなんてないもん。レンの提案がとても気に入らないの」
「大体同じことだろ、それ。——一体何がそんなに不服なんだ」
「傷ついている時に泥を投げつけられたら誰でも不服になるでしょ!」
「彼氏とデートすることを、泥を投げると例えるなよ」
「今はそこ論点じゃないよ!」
「論点じゃなくても結構重要なとこだぞ」
僕の説得に対して、雅は驚くほど拒否反応を見せる。
そりゃあ彼氏とデートしたい気分じゃないってことだってあるだろうけど、だからと言って雅の反応のそれはとてもじゃないが恋人に向けるものではない。
いやもしかしたら僕が提案したタイミングが悪かっただけなのかもしれないが、それでも反応がマイナス方面過ぎる。まるで歯医者に行くのを提案された子供のようだ。
「レンこそ、どうして私にコージとデートさせようとするのさ?」
「なんでって言われたら、それはまあ粋な計らいとかそんな感じ……?」
「だーかーらー、なんでそんな計らいをするのって聞いてるんだよ」
なんでかって? それは浩二にも言ったとおりだ。
アイツに言ったように雅にもそう言おうとする。
「そりゃあ、友達の幸せを——」
「〝嘘つき〟」
言い終わる前に嘘であると決めつけ、彼女は僕をそう呼んだ。
「……」
「あーあ、嘘ついちゃダメなんだぁー。センセーに言っちゃおー」
「小学生かお前は。……第一、なんでそう思うんだよ」
「だって嘘ついてるってわかるもん」
「理由になってない」
「わかるに決まってんじゃん。そんな薄っぺらい言葉」
雅は嘲笑気味に、僕の友情美談を蹴飛ばす。
薄っぺらい。
「友人の幸せ」という美徳の鑑みたいな言葉をそう表現した。
綺麗事であればあるほど言葉が薄っぺらく感じられるという理屈もわからなくはない。僕は小学校の道徳の授業で、一度たりとも、一言たりとも、心に響いた経験はない。自分が冷酷非道な人間だとは思いたくはないが、確かに僕はそういう絵に描いたような綺麗事を「嘘くさい」「薄っぺらい」と感じる節がある。
その点に関しては、雅も同様のようだ。
だから僕の発言を嘘だと薄っぺらいと決めつけた。
「そういう誤魔化し用の嘘とかいいからさ。本当のこと教えてよ」
「……」
見透かしたような瞳が僕を捉える。
実際、僕の真意は見透かされている。
「腹の探り合いをするような仲でもないでしょ? とっとと言っちゃいなよぉ~」
「…………はぁ」
小さく嘆息する。
ホント、こういう勘だけは鋭いんだよな。
「おっ? 言っちゃいます? 言っちゃう系っすかぁ?」
「鬱陶しい」
「いたっ!」
じりじりとにじり寄ってダル絡みしてくる雅の頭をチョップする。彼女は「いたっ!」と言っているが、然程強い力で叩いてはいない。
「んもぉ~。女の子叩くなんてひどぉ~い!」
「雅だって僕のこと殴っただろうが」
「それはレンに非があったからいいの」
「その理屈が許されたら警察はいらないな」
振りかざされた暴論を軽くあしらう。
「——でも、暴力に訴えるってことは当たってるんだね」
「……」
軽く小突かれた頭をさすりながら、雅はほくそ笑む。
「まあいいけどね、別に。私だってレンに全部明かしてるわけでもないからね」
「……だな」
雅とは長い付き合いだ。
裏切りの片棒を担ぐような決して良い関係とは言えないが、秘密の共有をしている仲ではある。
相互理解は互いにあるつもりだ。
しかしそれでも、何も包み隠さない関係とはいかない。
大なり小なり秘密の一つや二つ、どんな関係にも存在する。違う人間である以上仕方ない。
ただ僕らと他の関係の違いは、秘密を抱えていることを容認していることだ。
勘繰りを入れてはいけないという暗黙の了解こそ存在せずとも、秘密を抱えているからといって咎めたり無理に暴こうとするようなことはしない。
だからこそ、僕と雅のこんな関係が続けられているんだ。
きっと僕らは、暴いてはいけないと何処かで理解しているんだ。
きっと、暴いたら互いが互いを失望してしまう。
相手の醜さに、汚さに、失望してしまう。
ステージ上のアイドルだけを見るのと一緒だ。アイドルの裏事情や裏営業を知ったら、きっとその人たちを知る以前のように純真無垢に見ることができなくなる。だから、ステージ上だけに目を向ける。他を見なければその人たちは綺麗なままなのだ。勝手に抱えた希望を裏切られて失望することもない。
それと同じように、僕らは秘密があることを知りながら知ろうとしない。
そういう関係が、話し合いをせずとも成立した。条約を結んだわけでもない。
自然に出来上がった関係。
勝手にそうなったのは、僕らが——。
「似てるよね」
親近感を寄せるような柔らかい笑みを雅が向けてくる。
「私たちって、やっぱり似てるよ」
「どうかな」
「そうだよ。絶対そう。実は兄妹って言われても驚かないもん」
「だとしたら困るけど」
「あはは! あのまま続けてたらキンシンソーカンになってたもんねぇ。お兄ちゃん♪」
僕は別にそういう意味で言ったわけじゃないんだが……。
まあ誤解させたままでもいいか。それほど重要なことでもないし。
「——それより、浩二とのデートの話だよ。本題はそこだろ」
脱線した話をレールに戻す。
「……あっ、そうだった。全く! ホントにレンってば酷いよ!」
思い出したように彼女が再び怒り出す。
忘れていたならこのまま黙っておけばよかった……。
言った後で藪蛇に後悔する。
「……じゃあチケット案はダメなのか?」
「当たり前でしょ! 即行没案件だよ!」
妙案だと思ったんだがな。
これはもはやケーキコースしかないのか? 僕の懐だって常に温かいわけではないし、払う料金だって小遣いでやりくりしている学生が見たら目ん玉ひっくり返る額だ。バイトしている僕にだってかなりの痛手になる。
けど、このまま雅の機嫌を放置ってわけにもいかないしな。雅の性格上、怒りの自然消滅は考えにくい。曲がったへそはケーキ出ないと元に戻せなさそうだ。
……致し方あるまい。安い買い物と思えることはないが、必要出費であると割り切ることはできる。今回は僕にも非があったわけだし。
「……なら、あそこのスイーツ屋連れてくからそれで——」
機嫌を直してくれ。それを言う前に。
「いや、ちょっと待って」
僕の言葉を遮り、少し考えこむ。
そして数秒後に、ニヤリと悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。
……なんか、ケーキ奢るより厄介なことになりそうな予感。
彼女の悪戯心がはらんでいると思われる笑みに、嫌な予感を感じる。
「やっぱり、映画行く」
「…………え、マジ?」
「マジマジ」
「…………マジか」
唐突の変わり身に驚きを禁じ得ない。
一体その数秒でどんな心境の変化があったというのだ。
「さっきまであんなに嫌がってたじゃないか。なんで突然——」
「た・だ・し! 条件がありまぁす!」
「条件?」
「そう条件。英語で言うとコンディション!」
「何故英語で言った」
「どんな言葉も英語で言えば頭良さそうだから」
「その発想が既に頭悪そうだな」
「——とにかくっ! 条件次第では映画行く案で許してあげるって言ってるの! レンにとっては願ったり叶ったりでしょ?」
「それは……」
確かにそうだが……、何か悪巧みをしていそうで、おいそれと提案に乗る気はおきない。
その提案をしたということは、何かしら雅にとってメリットや楽しめる要素を見出したからだ。それが僕のメリットにもつながるものだとは、流れ的に考えにくい。
都合のいい話ほど疑わしいものは無い。
「……なんか悪いこと考えているんじゃないだろうな?」
疑り深くそう言及する。乗った後に泥船だと気付いては遅いからな。ちゃんと船乗りに確認を取らなくてはいけない。
「ふふっ、そんなことないよぉ~」
悪戯めいた笑み。
そこに秘められた真意は知れない。
けど、僕が得をすることではないと確信はできる。
「ただちょっと、スリリングな遊びをするだけだよ♪」