機嫌
「まったく! 酷いよレンってば! 女の子にあれだけやらせといてなんもしないなんて!」
「悪かったって」
「恥をかかせるだけかかせて、それで終わりなんて! これじゃあ私、恥のかき損だよ!」
「だから悪かったって」
「謝って済むことじゃないよ!!」
「…………」
「黙ってないで謝ってよ!!」
「どうしろってんだ」
ご立腹の様子の雅は、ぷんぷんと頬が真っ赤になるほど膨らませながら僕を糾弾する。
椅子に座る僕の前に、仁王立ちで腕を組んでいる彼女の姿には、正直あまり威厳のようなものは感じられなかった。
ただ可愛らしく不満を漏らしているだけにしか見えない。本当申し訳ないけど。
——彼女が不満爆発といった様子ではあるが、一応僕らは〝日課〟を済ませた後だった。
僕から寸止めをくらい不満しかないといった様子だったが、いつもの〝日課〟だけはいつも通りきっちりと、というよりいつも以上に行った。
あの状況で〝日課〟をする僕も僕だが、〝日課〟をしようとする雅も雅である。
普通なら怒って帰るところだ。いや、怒ってはいるんだけど。
彼女は帰らず、空き教室に留まり、しっかりと〝日課〟を済ませた。
雅にとってこの〝日課〟は習慣やルーティーンのようなものにでもなっているのだろうか。
いくら不満があっても、〝日課〟を行う——いや、むしろ不満があったからこそ〝日課〟をやったのかもしれないな。
不満の原因を使って不満を解消するとは、なんてコスパの良い解決方法だ。
「もう激おこだよ私は! 激おこぷんぷん丸だよ!」
「その単語使っても怒りは伝わってこないよ」
あとそれ死語だから。
「ん? 何も手出しできなかったヘタレチキン野郎のレン君が何か文句でもあるんですか!!」
「……いえ、ないです」
全面的に僕が悪いとは思わない。
TPOをわきまえていない雅の行動にも非はあった。
けど彼女の心境を考えた時、僕は開き直ったり頭をあげられるような立場ではないと判断した。
結局、恥をかかせたことには変わりない。
多大な感情の犠牲を払った彼女に、悪いことをしたのは事実だ。
ヘタレチキン野郎という蔑称も甘んじて受けるべきである。
……まさか、少し前に浩二に言ったことを自分にも言われることになるとは思わなかったな。
結構傷つくなこれ。次会った時にでも浩二に謝っておこう。
「ふんっ!」
ぷいっと、そっぽを向く雅。機嫌は斜め45度である。
「なぁ、どうしたら機嫌直してくれるんだ?」
「自分で考えなよ! そしてずっと悩んでなよ!」
そんな冷たい対応しか返ってこなかった。おまけに目も合わせてくれない。
これは本格的にへそを曲げているな。
雅とはそれなりに長い付き合いだ。こういうことも今日が初めてというわけではない。
しかし厄介なことに、こうなった彼女はなかなか機嫌を直してくれない。
直す方法があるとすれば町中にある人気スイーツ店でしこたま奢らされることくらいだ。
いくらバイトしているからと言っても、あそこで奢らされるのはかなりの痛手だ。小さいケーキ一つで千円とか平気でする、それなりの高級店だ。そんなところで不満爆発で遠慮を知らない雅に奢ったら、それはもう大変なことになる。財布が。
だから正直、これは奥の手としてしまっておきたい。
できるだけ安上がりな方法が望ましい。
そう考えた時、僕は真っ先にある物の存在を思い浮かべた。
「——映画とかどうだ?」
「……っ」
ピクリと、彼女の耳が動いた。反応している証拠だ。
思い付きで言ってみたが、存外手応えがあったぞ。
「ちょうどチケットを持ってるんだ」
「……ほ、ほほう。ま、まあ? 聞いてやらんでもない」
いつぞやのお代官モードで更なる情報を求めてくる。間違いなく食いついてきている。
「邦画の恋愛映画で、タイトルは「姉と——」
「弟の禁断の愛2ッ!? ホント!? ちょうど私見たかったんだよ!」
齧り付いてきた。
これは間違いなく釣れた。数千円、下手すりゃ万まで言っていたかもしれない出費が、なんとかチケット一枚で収まりそうだ。僥倖僥倖。
浮いた金を考えると、思わず笑みが零れそうだった。
それに、これなら一石二鳥だ。
「私前作からのファンでね、ずっと見たいって思ってたんだぁ~」
「そうなのか」
僕はあまり面白いとは感じられなかったが、雅はドハマりした様子だ。まあ作品の完成度自体は高かったからな。
「でもなかなか友達とタイミングが合わなくてさ。——いやぁ、まさかレンの方から誘ってくれるとは思わなかったよ~」
「たまたま手に入っただけなんだけどね」
「それでも嬉しいんだってばぁ! レンとか絶対こういう映画見るタイプじゃないと思ってたから、誘うの諦めてたんだよぉ」
満面の笑みである。
完璧に機嫌が直っている。もはやさっきまでの出来事など忘れているのではないかと思うくらい上機嫌だ。
だが、なんだか先ほどから言い方が気になるな。
それじゃあ、まるで僕が雅と一緒に行くみたいだ。
あっ、そっか。ちゃんと説明してなかったな。
チケットの元手などを説明しなくては、僕の意図は伝えようにも伝わらない。しかしまず、彼女の誤解から先に解いておこう。
「いや僕とじゃなくて、浩二と二人で一緒に行かないかって提案なんだけど」
「…………は?」
あれだけ上機嫌で上ずりそうな声だったのに、その言葉を聞いた瞬間、雅の声は何オクターブも下がる。
今まで発してきた声全てが裏声なのではないかと思わせるほどに、低い声で発せられた言葉だった。
「いやな、実はこのチケット、浩二に貰ったものなんだ。正確には浩二の部活の先輩が浩二にくれたものなんだけど。まあそれはいいとして、——それでアイツも雅のこと誘いたがってたんだけど、まあいつも通りのヘタレ根性でそううまくいかずでな。なら僕が仲介して雅にチケットを渡せばいいと思ってさ。——……ん? どうした? なんでそんな怒りに満ち満ちた様子でプルプル震えてるんだ? ……お、おい。な、なんでそんなに腕を振り上げてるんだ……? そ、それじゃあまるで、これから僕が殴られるみたいじゃないか……。ちょっ、や、やめ——」