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誘惑

「……結局、チケット僕に渡すのかよ」

 手に握った映画チケットを見つめながら、僕は人通りの少ない廊下を歩いていた。

 あれだけ焚き付けておいて僕に渡すとか、やっぱりそっちの気があるんだろアイツ。

誤解のないように言っておくが、僕にその気は全く無い。僕は至ってノーマルだ。

 今後あらぬ展開へ転んでしまう伏線にならないように、そこら辺を明白にしておく。

 ……にしても、またこの映画か。なんだか、ただならぬ縁を感じるな。

 僕はチケットに書かれた作品のタイトルを見ながら、そんなことを思う。

この前振りでなんの映画なのか大体見当はつくだろうが、――僕が貰った映画チケットには「姉と弟の禁断の愛~2~」という印字があった。

貰った時点では浩二のヘタレ度合いに目がいっておりあまり触れていなかったが、この偶然は中々に触れるべき案件だったな。

姉さんの次は男友達と二人でこれを見ることになるとは……。部活の先輩に貰ったって言ってたし、映画は浩二セレクトではないためアイツの意図したところではないが、正直男友達と二人きりで恋愛映画はキツい。気まずいとかじゃなくてキツい。

でもクーリングオフするのも違うしな……。

扱いに困りながらも、現在の目的地である空き教室に着く。

いつもは開いている扉が今日は閉まっている。中から物音もしないため、無人のようだ。

いつもは雅が先について待っているのだが、今日は珍しく僕の方が先に着いたみたいだ。

〝日課〟を今日はキャンセルしたいというメールは届いてないため、今日は何か用事があって遅れているのだろう。

先に教室に入って待っているか、と思い、僕ら以外一切使用していないため施錠されていない教室の扉を開ける。

すると、

「うおっ!?」

教室に足を踏み入れた瞬間、扉の真横で待ち構えていた何者かによって、腕を強く引かれる。

 唐突に来た引っ張りにすぐさま反応できる動体視力は持ち合わせておらず、引っ張られるがまま右方向へとうつ伏せに倒れ込む。

 僕の体と相対するのは固い地面。当然バランスを崩して倒れれば痛みが伴う。

 なのだが、何かがクッションになり衝撃を緩和していた。

 僕が倒れた先には、事前に置かれていたと思われる学校指定鞄や丸めた上着などの布類が人一人分の面積に敷かれていた。

 それはまるで、予め僕が倒れることを予測して敷かれているようだった。

 ——僕がここに来ることを知っていて、尚且つこんな小学生みたいなしょうもない悪戯を仕掛ける人間が引っ張った犯人となる。前者のヒントだけで、もう僕の中で誰であるかの予想は一人に絞られていた。

「……何すんだ。雅」

 うつ伏せで地面しか見えない状態ながら、後ろにいる人物の名を呼ぶ。

「えへ♪ バレちったかぁ~」

 予想は的中した。

 うつ伏せから仰向けに切り替えると、そこにはしてやったり顔で僕を見下ろすブレザーを脱いだ雅の姿があった。

「それで、男友達を地面に叩きつけた感想はどうだ?」

「優越感」

「なかなかに最低な答えが返って来たな」

 見上げ見下ろされの状態で会話を続ける。

 起き上がってもいいのだけど……、うつ伏せから仰向けに切り替えた時クッションもどきから体が外れ、教室のタイルの上に寝転がることになったのだが、これが存外ヒンヤリしていて気持ちいい。最近暑かったからちょうどいい。というか早く衣替えの時期になって欲しい。

「お客様一名ごあんなぁ~い!」

 見下ろすことで優越感に浸っている雅は上機嫌な店員テンションだ。入店早々客をこかすなんてどんな店だよ。

 しかもあろうことかこの問題店員は仰向けになった客の上に跨り、完全に悦に入っている。

「おいこら客の上に乗るな」

早く店長呼んでこい。この店員クビにしてやる。

「当店のマニュアルではこれが正しいとされていますので」

 店長もクビにしてやる。

「そんな不届きなマニュアル作る店は潰れてしまえ」

「とか言ってぇ~、実はお客さん喜んでるでしょぉ?」

「僕を勝手に特殊性癖の人間にするな」

「でも体は正直、ってね。うりうり♪」

 調子に乗った雅は僕の上体を、粘土をこねくり回すように執拗に触る。細い指が僕の体を這う。大した力もないため、くすぐったい。

「ゲヘヘ、兄ちゃん良い体してるねぇ~」

「変態オヤジかお前は。いい加減やめろ」

 見下ろされることと体を触られる羞恥心に耐えかねて、僕は上体を起こす。

「え~、お客さんノリ悪~い。こっからが良い所なのに」

「その店員テンションもやめろ」

「——……ちぇっ、レンってばつれないなぁ」

「いいから離れてくれ」

「ぶぅー! なにさもぉー! せっかく女の子が恥を忍んでアタックしてるっていうのに、言うことはそれだけなの!」

ドライな僕の対応に不満が爆発したのか、膨れっ面で彼女はそう抗議する。

あと恥を忍んでないだろ。ずっとノリノリだっただろ。

「なんでもいいから早く離れんか。この姿勢結構きついんだよ」

 仰向けに腕で支え上体だけ起こし、しかもその上に人が乗っているのだ。腕や肩に対する負荷が重い。

「……もぉ、仕方ないな」

 渋々といった感じではあるが、馬乗りの状態から立ち上がってくれる。

 それを確認してから、僕も腰を上げる。

 すると次の瞬間。

「と見せかけて隙ありっ!」

「っ!?」

 立ち上がろうとした瞬間、またしても雅が僕の腕を引っ張る。

 しかも、僕だけをこかすのではなく、自分諸共地面に倒れるように引っ張る。

 今度は真横からではなく前方に腕を引っぱられ、油断していた僕はまた踏ん張りが効かず前方へと倒れる。

 雅自身も犠牲にして倒れたため、彼女が仰向けで倒れ、僕がその上に両膝と両手をついて四つん這いになるという、僕が雅を押し倒しているような構図になる。

 彼女は自分の力で地面に倒れ込んだため、受け身を取り、頭をぶつけるなどの事故は起こさなかった。しかし僕はこかされた側の人間であるため、咄嗟に四つん這いにはなれたが、勢い良く地面に衝突した膝小僧や掌がジーンと痛む。

「いやぁん♡ レンに押し倒されちゃったぁ」

「押し倒させたの間違えだろ」

「まぁそうとも言うね」

 変わらず上機嫌な笑みを浮かべながら、僕に押し倒されているこの状況を満喫しているようだ。

「……ったく、一体何がしたいんだよ」

 こかしたり、馬乗りになったり、体をまさぐったりして僕を弄ぶようなことをしたかと思うと、今度は雅自ら僕が彼女を押し倒すように仕向ける。

 スキンシップをしているということはわかるが、一体そこにどんな意図が介入しているのかがわからない。

 いやもしかしたら意図なんてないかもしれない。ただ単純にじゃれついて遊んでいるだけという可能性も十分あり得る。

 もとから明るいというか子供じみたというか、そういう性格のやつだ。

 こうした意味のないやり取りが雅にとってのコミュニケーションなのかもしれない。

 僕は勝手に、そう思い込んでいたのだが。

「——本当にわからない?」

 雅は少しだけ声のトーンを下げ、しかし決して厳しい言い方ではなく優しい口調で尋ねる。

「……押し倒させたりすることに何か目的でもあるのか」

「う~ん、まあそうかなぁ」

「なんでそんな煮え切らない返事なんだよ」

「ストレートに言うのが恥ずかしいからだよ! ——全く、デリカシーないなぁレンは」

 今度は冗談ではなく、本当に恥ずかしがっているようだった。

 証拠に彼女の頬は若干赤らんでいる。

 ……とは言われても本当に雅の意図が汲み取れない僕。一体何をどうしろって言うんだ。

「ストレートに言ってくれないとわからないよ」

 端的に問う。遠回しに聞くのは面倒だし。

「……レンって、結構鬼畜だよね」

「何故そうなる……」

「だって女の子に恥ずかしいことを無理矢理言わせようとするんだもん。そんなの鬼畜の所業以外の何物でもないよ」

「……?」

「…………ホントにわかんないんだね」

 呆れた様子で雅は小さく溜息を吐く。

 ——すると、

「っ!」

彼女は僕の右手をそっと取り、自身の胸に押し当てる。

 子供と称される年齢であっても、体は大人と遜色ない。

 Yシャツ越しでもわかる柔らかな感触。

 掌を通じて、彼女の鼓動を感じる。

 じんわりと掌が熱くなる。

 雅の体温が僕の掌に伝道しているのだ。

「二人きりの空き教室で、女の子がこんなにベタベタしてるんだよ」

 自身の胸に押し当てようとする彼女の手が、より力強くなる。

 そうなれば当然、僕の右手は更に彼女の胸に強く押し当てられることになる。

 彼女の鼓動が、より早さを増しているのが鮮明に伝わってくる。

「なんの下心もないと思う?」

「……」

 ——薄暗い教室。

 そこには雅と僕しかいない。

 その状況下で、彼女は男の僕に過度なスキンシップを迫る。

 男の僕にそんなことをする危険性が、わからないほど雅も子供ではない。

 彼女は意図してやっているのだ。

 企んで、掻き立てようとしている。湧き上がらせようとしている。タガを外させようとしている。

 ——雅の体に更なる熱が帯びる。

 そして、彼女は僕に後押しするように言葉を続ける。

「ねぇ、レン」

 決して言葉を濁さず、オブラートに包むこともなく、ストレートに言う。


「シて欲しいの。……エッチなこと」


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