虚言
「映画?」
椅子に座りながら帰り支度を整えている最中だった僕はそう首を傾げる。
「そっ、映画」
机を隔て向かいに屈んで目線を合わせる浩二がそう頷く。
——翌日。
いつも通りの授業が終わり、放課後。
鞄を持って教室を出ようとした矢先に、浩二に呼び止められた。
彼の用件を一言で説明すると、映画館へのお誘いだった。
「部活の先輩がさ、バイト先でもらったチケットがあるんだよ」
「それで僕を誘ったと」
「そいうこと」
浩二が持っているチケットは2枚。
実はもう1枚あってそれは隠してある、なんてことは無いだろうから、もらったのは全部で2枚なのだろう。
つまりコイツは2枚貰ったチケットを、僕に1枚寄越そうということだ。
僕に、である。
男友達の僕に、である。
「……浩二、お前実はそっちの趣味があるのか?」
「なんでそうなる!?」
「だって男の僕をそんな場所に誘うとか……、完全にそういう目的としか思えないよ」
「そういう目的ってどういう目的だよ! お前の中で映画館はどんな場所なんだ!」
「暗がりの密室空間」
「なぜわざわざ変な言い方をする!?」
「言っとくけど僕はそんなに軽い男じゃないだからね」
「知らねえし知りたくもねえ!!」
僕のボケに対し、浩二は声を荒げてツッコむ。なかなかいいコンビだと自分で思う。
まあ、コイツが本気で僕を腐の道へいざなおうとしているわけではないとわかってはいる。けど、浩二が僕を誘うのはおかしい。
一般的に友達を映画に誘うことはなんらおかしくないのだが、何故まず僕を誘うんだよ。
2枚のチケットを貰ったらまず誘うべき相手がコイツには入るだろうに。
「ハァ……、僕が言いたいのはね。——なんで彼女の雅を差し置いて僕を誘うのかってことだよ」
溜め息交じりに冗談なしで言う。
「そ、それは……」
浩二は視線を逸らす。なんともわかりやすい奴だ。
2枚のチケットを貰った時、誘う相手の候補として真っ先にコイツの頭に浮かんだのは恋人の雅だろう。部活の先輩だって、恋人と一緒に見ろという意図で浩二に二枚の映画チケットを渡したはずだ。
いくら僕が浩二と親しい友人関係であろうと、恋人関係にはそれらが越えられない親しさというものがある。
実は浩二が雅を誘っていたということも無いだろう。
昼休みは雅、僕、浩二の三人でいたから誘っていたらその場にいる僕は絶対に気づいているはずだし、ちょっとした隙間時間に雅をこっそり誘いフラれて僕を誘いに来たっていうなら、前置きの時点でそのことを言っていたはずだ。
つまり、浩二はチケットを貰い、誰よりも先に僕を誘ったのだ。
本当、そっちの気があるのではないかと本気で勘違いするぞ、マジで。
「それで? 僕はお前になんて返答すればいいんだ? ヘタレか? それともチキン野郎か?」
「ぐっ……、た、頼むからどっちもやめてくれ」
「ヘタレチキン野郎」
「合体はもっとやめてくれ……」
浩二は僕の罵倒によってライフポイントは半分を削られた様子だ。
的を射た罵倒だからこれほど効果てきめんなのだろうな。
「やめてほしけりゃちゃんと誘えよ」
「い、いやだって、いざ誘うってなるとなんかハズいっていうか……」
もじもじした様子で右手と左手の人差し指を合わせてツンツンする。やめろ、それは男がやっても気色悪いだけだ。
……なんでこんなにウブなんだよコイツは。
「お前ら一体付き合って何年だ」
「一年と半年」
「ヘタレチキン野郎」
「お願いだから二度言うのはやめてくれ!!」
一年半。もう五百日以上恋人関係が続いているのに、映画一つ気軽に誘えないとかどうかしている。もうそう言うしかない。
こんな少女漫画みたいなドギマギした関係を一年半も継続させているのである。フィクションとして見るならまだしも、現実でこんな事されたら引くレベルだ。
「お前ら、そんな友達以上恋人未満みたいな関係一年半も続けてるのか」
「い、いや、ちゃんと恋人らしいことだってしてきたぞ!」
「へぇ、恋人らしいねぇ……」
一体それが何処までの行為を指す意味なのだろうか。
手を繋ぐとかだったら殴ってやろう。
「手繋いだりとか——」
「ちょっと顔近づけろ。殴ってやる」
「ま、待て待て! そんな腕振り回して助走つけんな!」
「歯は食いしばらなくていいぞ。下顎を外すつもりだからな」
「後遺症が残るレベルの殴りをするつもりだろお前!! 頼むからガチでやめてくれ!!」
浩二は身の危険を感じてか、顔をガードしながら許しを請う。
こんな超絶弩級のピュア恋愛をリアルで見たら殴りたくもなる。最近の小学生だってもうちょっと進んだ恋愛しているぞ。
こんな幼稚園児みたいな恋愛を高校生が一年以上やっていると考えると胸やけどころか腹立たしさまで芽生えてくる。
「——と、というか! なんで俺らの恋人事情にお前がそんな突っかかってくんだよ!」
「そんなの、腹立つからの一択だ。亀みたいにノロノロした恋愛しているのが心底イラつく」
「それ結構理不尽な理由じゃないか!?」
「難癖つけられるのが嫌ならとっとと関係を進展させろ。ヘタレチキン野郎」
「お前その蔑称定着させようとしてるだろ!」
「うん」
「澄み切った瞳で肯定すんな!!」
冗談と本気半々くらい、いや3:7くらいの頷きに浩二は声を荒げる。
いい加減酷使していた浩二の喉が限界を迎え、段々声がかすれていく。絶叫ホラー映画の出演者ばりに叫んでいたから無理もない。
浩二は疲労困憊の喉を休めるため、一度大きく息を吸い一拍置く。
「……ホント、なんで俺らの関係を進展させたがるんだよ。別に漣には関係ないだろ?」
そして、コイツが純粋に疑問に思っていたことを僕に投げかける。
腹立つから、というのがその場のノリの冗談だというのは浩二もなんとなくわかっているのだろう。実のところ半分くらいは本気で思っているけど。
でも、間違ってはいない。
浩二に恋人関係の進展を唆したのも今日が初めてというわけではない。
今回のようなコイツのヘタレチキン野郎な部分が垣間見える度、僕は冗談交じりの罵倒を加えながら浩二を煽る。
それが挑発でもからかいでもないというのではなく、恋人関係進展を促すものだとコイツは直感的に理解している。
実際その直感は僕の真意を射ている。
浩二と雅の幼稚園児みたいな恋愛を、せめて小学生、あわよくば中学生くらいまでには進展させたいと思っている。
まあ、浩二が聞きたいのは何故そんなことをするのか。ということなのだろう。
別に僕にメリットがあるわけでもないし、二人のスローペース恋愛を見ていてデメリットが生じることもない。
確かにそうだが、そういうことじゃないんだ。
僕は、損得とか抜きで——。
「浩二に幸せになって欲しいからかな」
「……漣」
美しい友情に心打たれた浩二は感動のあまり涙を——。
「お前こそそっちの趣味があるのか?」
流すはずもなく、僕の発言をからかう。
「今のナイス過ぎる発言を聞いてどうしてそんな答えに辿り着くんだ」
「だってお前真顔でそんなこと言うし、ガチでその気があんのかと——」
「ねえわ。微塵もねえわ」
「えぇ~、そんな否定されると逆に怪しいぃ~」
先程の仕返しなのか、会話の主導権を握った浩二はこれでもかってほど僕をからかう。
「言っとくけどぉ、俺はそんな軽い男じゃないからねぇ~」
「僕の台詞パクんな。あと口閉じろ。もしくは縫い合わせろ」
隔てた机に身を乗り出してこのヘタレチキン野郎の口を塞ぎにかかる。
「いやぁああん! 漣に襲われるぅうう!」
「やめろおい!」
そんなふざけた、他愛のない会話をする。
いつも通りの友人同士の会話。
——僕はその中で、嘘を吐いた。