終わらない物語を紡ぐ者
非道な人体実験の末、合成生物ーーキメラとなった少女、イアは第2王子に仕えている。
同僚で悪友のノアもまた、イアと同じ実験の被害者だ。
壮絶な過去をものともせず、明るく元気にーー少々元気すぎるほど育ち、ちょっとした騒ぎを起こしながらも穏やかな日常を送っていた。
ある日イアはノアと共に主人に呼び出される。
昨日やったいたずらがバレたか、いやいや2日前のアレか……と怒られる覚悟を決めていると、主人が口にしたのは【終わらない物語】という本のことだった。
レニア国には2種類の種族が居る。
1つは人間、そしても1つは、混ざり者と呼ばれる合成生物ーーキメラだった。
その昔、精子バンクによって優秀な遺伝子をかけ合わせて子供を造り出す実験が行われていた。
実験はやがて人間と動物をかけ合わせたらどうなるのか? という非人道的なものに変わり、養護施設から里親として引き取った子供や攫われた子供の多くがその実験の被害者となった。
5年続いた人体実験が発覚した時、建物の中にはおよそ500人を超える死者が出ていた。
人間と動物の血が混ざり合うことは難しく、細胞が拒絶反応を起こし壊死していくのだ。
しかし、稀に適合する子供も現れた。
実験施設が解体された時に生きていた子供は全員が適合者のキメラであり、その数はたったの5人。
道徳に反するこの事件は世間を騒がしたが、キメラとなった子供たちの存在は隠されていた。
好奇の目を向けられることや、悪用する人間が出てくるのではと危惧されたからである。
やがて成長した子供たちは、キメラであることを隠しながら人間の生活に溶け込んでいた。
16歳になるイアは被害者の1人である。
蛇の血と混ざりあった体は人間のものとは言えず、頬にはウロコが浮き出てしまっているため常に面をつけて過ごしていた。
夜を切り取ったような黒髪は金とも白ともつかぬ色へと変わり、瞳は瞳孔が縦に裂け黄金色に染まっている。
舌が2つに裂けることはなかったが、鼻の頭をぺろりと簡単に舐めれるほど長くなっていた。
キメラとして生きてきたイアには仕える主人が居る。
幼くも賢く、その愛らしい見た目からは想像もつかないほどの毒を吐いても文句1つ言われないーーレニア国第2王子、カフルだった。
カフルの護衛として付けられたのが蛇のキメラであるイアと、犬のキメラであるノアだった。
決して大きくないとはいえ、1つの国の中で数少ないキメラが顔を合わせるのは珍しいことだった。
イアとノアは同じ主人に仕える仲間であり、悪友でもある。
いたずら好きのイアと、人を困らせて楽しむのが趣味のノアは初日で意気投合した。
せっかく城に仕えているのだから主人である王子を使って何かできないものかと日夜頭を働かせている2人だが、仕事ぶりは至って真面目だった。
時々現れる不届き者をひっ捕まえて衛兵に引き渡せばそれで仕事は終わる。
春の日差しのような暖かく心地の良い国の空気がイアにとってはどうにも苦手だ。
おぞましい実験を幼い頃に受けたせいか、イアには生に対する執着がまるで見られない。
それはノアも同じようで、何より人間ではない体は多少乱暴に扱っても壊れないのが拍車をかけた。
「イア! ノア! お前たち、何だその傷は……」
「あはは、ちょっと油断したって言いますかぁ」
「素手でも行けるんじゃないかって挑戦してみたくなったって言うか」
「お前たちは……本っ当に大馬鹿者だな!」
と、まぁ今年12歳を迎えたばかりの主人に雷を落とされたこともあった。
イアは自分の体がどこまで耐えられるのか、なんてことを思いついたからにはやるしかない。
食事を抜き水を抜き、何時間まで寝ずに生きていられるかを試したこともある。
結果としては2週間持ったわけだが、不届き者の相手をした後に限界が来て床に額をぶつけてからは2度とやらないと決めた。
大きなたんこぶが出来て恥ずかしかったし、主人に叱られて吐くほど食べさせられた記憶があるからだ。
そんなわけでかなりのヤンチャに育ったわけだが、ある日カフルに呼び出され部屋に入ると、そこには同じく呼び出されたらしいノアも居た。
最近やらかしたことは……とあまりの多さにめまいがするイアをよそに、カフルは真剣な面持ちで口を開いた。
「お前たち、【終わらない物語】という本を知らないか?」
「……はぁ。私は存じておりません」
「ーーアレは危険です、殿下。触れてはいけない、連れていかれてしまう」
「ノア? どうしたの、顔色が悪い」
「話せ、ノア。【終わらない物語】という本を、知っているのだろう」
今にも倒れそうなほど顔を青くしたノアが口にしたのは、義理の妹の名だった。
ノアの義妹はフレアと言い、たいへん愛らしい少女であったのだが、6歳の誕生日を迎えた3年前に行方不明になっている。
幼い義妹を大層かわいがっていたノアの憔悴する姿はそのまま死んでしまいそうなほどだった。
ノアは、義妹であるフレアが消えたのは【終わらない物語】という本のせいだと言う。
フレアは本が好きだった。
国で1番大きな図書館が特にお気に入りで、ノアもよく連れて行った。
しかし、ある時フレアがワクワクと輝いた目で話していたのが【終わらない物語】という本であり、その名前を聞いた2週間後にフレアは姿を消した。
偶然とは思えない、あの本は人を連れて行く本なんだ、とうわ言のようにノアは繰り返す。
「アレは生きてる人間を食うんです。そして、本の中の登場人物として閉じ込めてしまう。引きずり込まれた人間は2度と帰ってはこない。あの本はそういう物なんです」
「……そうか。僕も噂話程度でしか聞かなかったので少し気になっていたのだが……お前がそう言うのなら、手は出さない」
「ノア、水を持ってきてあげるから飲みなさい。今にも倒れそうだわ」
「ありがとう、イア」
部屋を出たイアはそのまま厨房へ向かい、水をもらって部屋に戻ろうと早足で歩く。
ゴスッと鈍い音と衝撃に襲われ、それからつむじの辺りがジンジンと痛み始める。
何事かと辺りを見渡して、床に落ちた1冊の本を見つけた。
真っ白なその本には汚れ1つなく、新品のようにキレイだった。
どうやらこの本が頭の上に降ってきたようだ。
しかし、どこから現れたのか。
見上げても天井しかない。
不思議に思いながらも、水をこぼさないようにゆっくりとしゃがみ本を拾う。
「……タイトルも何もないのね」
その本は表を見てもひっくり返しても、背表紙を見ても文字が1つも書かれていなかった。
そう、真っ白なだけの本なのだ。しげしげと見ていると、くん、と袖を引っ張られた。
イアがふり返ると、そこは草原だった。
澄み渡る青空がどこまでも広がり、気持ちよさそうに風に揺られて雲が流れていく。
頬を撫でる少し肌寒い風を感じて、これは現実だと脳が理解する。
さわさわと揺れる草は足をくすぐり、イアは言いしれぬ不安に襲われた。
「いらっしゃい」
「ーー誰?」
凛と鈴が鳴るように澄んだ声は空から聞こえているようにも、すぐそばで囁かれているようにも感じられた。
ふり返るが、そこには誰もいない。
背中を冷たい汗が流れ、ゴクリと唾を飲み込む音が耳に響く。
声の主はふっと息を吐くように小さく笑い、予め用意した内容を読み上げるように滑らかに話しだした。
「わたしの名前はエリ。幼い頃から病弱で、本だけが唯一の友達だった。自分で物語を書いてみよう、と思ったのが10歳の時。それから書き始めた物語は、わたしが12歳で死を迎えたことで未完のまま終わった……。それ以来、こうして生きてる人間を本の中に招待しているのよ。さぁ、わたしが書けなかった続きを見せて」
クスクス、クスクス、少女の笑い声が空間を揺らし、歪めていく。
地面がたわみ、大きく波打ちイアは立っていられずその場に尻もちをついた。
空はペンキで塗りつぶしたような濃い青に染まり、雲に口が生えケタケタと笑い出す。
草は高く伸び、イアの体に巻き付いてくる。
ぐるぐるとテープに巻かれるようにイアの体は覆われていき、暗闇へと意識を引きずり込まれた。
ドスン!
大きな音と、衝撃に目を開けた。
すぐそばにはフローリングらしきものが見え、イアの体は床に転がっているようだった。
遅れてやってきた後頭部の痛みに床の上で跳ね回る。
ガンガンと頭の中で小人が金槌を振っているような痛みに目尻から涙がこぼれた。
ゆっくりと体を起こすと、そこは可愛らしく飾られた子供部屋だった。
ぬいぐるみが部屋の隅のボックスにお行儀よく収まり、目を細めなければ見れないほど眩しいシャンデリアが天井からぶら下がっている。
イアはどうもベッドから落ちたらしい。
ジンジンと痛む後頭部をそっと手で触れると、ぷっくりと盛り上がりが出来ている。
中々に大きいたんこぶが出来ているようで、イアは息を吐き出した。
自分の身長から考えるとかなり高さのあるベッドに腹が立って布団を殴っていると、スリッパの音が近付いてくる。
「ミイ、起きて。朝食の支度をするから、早く降りてらっしゃい」
ミイとは誰だろう。
聞き慣れない名前に首をかしげて、はてと見上げた先に立っていたのは、口元の大きなほくろが目立つ、ノアの義妹ーーフレアだった。
6歳の頃よりずいぶんと成長し、イアと同じ16歳ほどの少女に見える。
これは一体どういうことなのか、イアの頭はだいぶ混乱している。
3年前に行方不明になったフレアは6歳だった。
つまりフレアは本の中で10年分年をとっていることになる。
成長したフレアが黙って近付いてくると、顔を寄せこう囁いた。
「イアお姉ちゃんでしょ?」
泣きそうな目をしているその姿は、紛れもなく当時6歳だったフレアのものだ。
本の世界に吸い込まれたフレアと、本の続きを紡げと呼ばれたイア。
2人は【終わらない物語】を、完結に導くことは出来るのかーー