三代目漫画家亀田F
──永遠に続く、終わらない漫画を夢見たバカがいた──
今年で連載百周年という未曾有の記録を打ち立てた少年漫画、「カルマ伝説」。その作者である亀田F──本名、坂田空は自分がその作者であることを隠している。コンビニバイトで生計を立てている漫画家志望と偽っているのだ。終わらない漫画にはとある秘密があったのである。
坂田にはある悩みがあった。新作を書こうとすると、どうしても凡庸な作品が出来てしまうのだ。しかし彼は自分の漫画が書きたかった。
彼の元にはやがて変人達が集まってきた。亀田有の敏腕担当編集、森内小夜。重度の亀田有ファンだが坂田が亀田有その人だとは知らないアシスタント、川野麻里。天才だが読み切りしか描かない漫画家、安東終夜。
坂田は自身の「カルマ伝説」という「呪い」と戦いながら、仲間と共に自分にしか描けない新作を描こうとあがき続ける。
これは「自分自身の漫画」を探求する物語。
「あと数話で最終回です」
その文を目にしたとき、読者は心のどこかで願ってしまう。
「終わってほしくない」「まだ続いてほしい」と。
だが現実は非情である。物語は永遠ではない。どんな漫画もいずれ終わりを迎える。無事に最終回を迎えられればいい方だ。人気が出ずに打ち切り。作者の突然の訃報。作者が逮捕されて連載終了……などという事件もある。
そも作者は人だ。人である以上寿命があり、それ以上に漫画の寿命が伸びることはない。
だがもし、もしも永遠に続く面白い漫画があるとすれば、それはある種、至高の漫画ではないか。そんなことを考えた莫迦がいたらしい。
そう、永遠の漫画を夢見た、これ以上ない莫迦がどこかにいたのである。
◇
「あらぁ、坂田くん。見てこれ」
レジ内の金の集計を行っていた坂田は、その声に作業を止める。コンビニアルバイトの同僚たる横の中年女性は、漫画雑誌の開封を行っていた。
その中年女性であるところの清水は、少年漫画雑誌「パンク」2061年11月9日号の表紙を坂田に見せる。いつも所狭しとキャラが詰めれているカラー表紙が、今週は少し違った色合いとなっていた。
「『連載100周年』ですって。凄いことなのねぇ」
その表紙は、ほとんどの面積をある漫画が占有していた。亀田Fの「カルマ伝説」である。劇画タッチの王道とも言えるストーリーで、根強い人気を誇る。1961年に連載開始、現在2061年に至るまで一度も休載していないという、文字通り生きる伝説だ。
「きっとこれは凄いことよ。よく分からないけど百ってのは凄いことよ」
(本当によく分かってないなこの人)
しきりにうなずく清水を、坂田は白い目で見る。連載百周年とは、物理的に不可能な領域である。作者である亀田Fは露出がほとんどなく、顔すらも公開されていない。そのため都市伝説紛いの噂はよく囁かれている。「亀田F吸血鬼説」は有名だ。
「あれ、そういえば坂田くんも漫画家志望だっけ?」
「志望というか、まぁ」
「もういい加減に諦めたら? 夢を見るのはいいけどねぇ、もう三十超えてるのにこんなコンビニバイトだけなんてねぇ、お母さんが泣くわよぉ」
清水は目の前の少年パンクをペラリとめくり、巻頭カラーのカルマ伝説を読み始める。
「こういう稼いでる人ってのはねぇ、ほんの一握りなのよ」
「そうは言うけどね清水さん。俺だってそこそこ稼いでるんすよ」
「はいはい。なら何描いてるのか言いなさいよ」
「………」
「ほらね。言えないんでしょ。いい年こいて見栄はるんじゃないわよ」
またペラリとページをめくる清水。
「清水さん、それ一応商品」
「どーせ紙の本だか雑誌だかは売れないでしょ今の時代。…………やっぱ漫画はよく分からないわねぇ」
◇
廃棄で出たコンビニ弁当を持ち、自宅へと帰り着く。レンジで温めている間に、坂田はテレビを点け適当なチャンネルに回した。
ある話題に詳しい芸人が集まりトークする番組。今回は連載100周年を迎える「カルマ伝説」であった。坂田は特に見る番組もないと、温まった弁当を食べつつ流し聞く。
あらすじ、漫画としての歴史、そして作者の謎。やがて話題は「あなたのオススメの一話は!?人気投票!!」へと移行する。ランキングに載るのは、連載開始にほど近い時代のものが多い。その中で大差をつけて一位に輝いたのは、今から十五年前のあるストーリーだった。
坂田の箸がふと止まる。
『あ〜、やっぱりこの話かぁ』
『泣けますよねぇ。僕泣きすぎて嫁に怒られましたもん』
芸人達の軽妙なトークに、MCからの裏話が差し込まれた。
『実はこの話、ネームが珍しく遅れてたらしいんです。当時の担当さんが心配して電話をかけたら、なんと亀田先生は自分で泣いていたんですね。ネームは涙で滲んでたとかで』
『はぇ〜ほんまにそんなことあるんやなぁ』
『そりゃね、あんなん作者でも感動しますよ』
「んなわきゃねーでしょ」
坂田はぼそっと呟き、リモコンに手を伸ばしてテレビの電源を消そうとした。
「……ん? あれ? うん?」
何度押してもテレビは消えない。悪戦苦闘すること2分、ようやくテレビ画面はバツンと音を立てて暗転する。不安になってもう一度電源ボタンを押せど、テレビは真っ暗なままピクリともしない。
「壊れたかな。ウン十年物だしなぁこれも。買い替え時か? しかし今のテレビってよく分からんのだよなぁ」
テレビ単独の機器など今では珍しい。テレビとパソコンが連動してるもの、その他各種端末が連携しているものが当たり前であるが、坂田には難しくてよく分からない。
空になった弁当を片付け、さあ仕事、と立ち上がったところで坂田の目にある封筒が止まる。先週出版社に持ち込んだ原稿である。バイトや仕事の合間に仕上げたそれは、ボロクソに言われて持ち帰ることとなった。
曰く、
・描きたいものがハッキリしていない。
・絵柄が凡庸で目に止まらない。
・シンプルにストーリーが面白くない。
・そもそも今の時代に紙の原稿を持ち込むことが非常識。
エトセトラエトセトラ。
「別に紙でもいいじゃんね」
坂田が口を尖らせていると、家の固定電話が高らかに鳴った。
受話器を取る。
「はい亀田です。はい、締切分かってますよ今日でしょ。大丈夫ですよもう終わりますから。はい、それじゃ」
受話器を置いた坂田は仕事場へと向かう。
所狭しと「カルマ伝説」が並ぶ部屋で、一人。
椅子に座るとギシっと音がなる。
あとは仕上げを待つだけの原稿。
父の形見の鉢巻を巻いて、ペンを持つ。
その瞬間、坂田空は亀田Fとなるのだ。
◇
永遠の漫画を夢見た、これ以上ない莫迦がいた。その名を坂田雄太郎という。坂田空の祖父であり、坂田空曰くのクソジジイは、若かりし頃夢を叶えるある手段を思いついた。
「亀田F」を世襲すればいい。
料亭の主人が息子に味を継がせるように、職人が息子に技を伝授するように。
息子に亀田Fの「カルマ伝説」を受け継がせるのだ。
だが漫画は繊細だ。親子だからといえ、同じものが描けるわけではない。どれだけ正確に真似しようと、精々スピンオフが限度だ。雄太郎には「漫画はそいつの生き様が滲み出る」という持論があった。
ゆえに雄太郎は、息子を徹底的に自分と同じにした。
利き腕、癖、道具、思想、習慣、好物、趣味。ありとあらゆる生き様を、同じとなるよう教育する。
かくして世襲は成功したのだ。
坂田雄太郎の遺した、亀田Fの3箇条。
一つ、自分が亀田Fだとは、担当以外、特に読者にバレてはならない。
一つ、息子に雄太郎式亀田F教育を施すこと。
一つ、「カルマ伝説」を終わらせないこと。
こうして「カルマ伝説」は連載百周年という未曾有の記録を打ち立てた。
坂田空は三代目亀田Fとして、今日も永遠の漫画「カルマ伝説」を連載している。
◇
『はい、原稿確認しました。……ただやっぱりスキャンが汚いので、後で回収に行きます』
「さーせん。スキャン?ってよく分からなくて」
坂田は今の道具に慣れていない。幼少の頃より昭和を今に持ってきたような、時代遅れの生活を強いられていたためである。
亀田Fの現在の担当、森内小夜は感嘆する。
『流石ですね。今週も相変わらず面白くて。まだちゃんと読み込めていないですけど、恐らく修正はないかと』
「はぁ……」
坂田空に「亀田F」となっている間の記憶は存在しない。頭が真っ白になり、意識が朧気なままペンが進む。気づいたときには、目の前に完成された原稿があるのだ。
「カルマ伝説」を読み直したところで、別人が描いたようなストーリーが続いているだけである。
「あの、森内さん」
『はい、なんでしょう』
森内小夜は有能である。その声はいつも凛としており、事務や連絡にミスはない。亀田Fの担当になるのには、相応の理由がある。
森内は坂田の声色から察したように、受話器の向こうで改まる。
「まあ、そのっすね。先週持ち込んだじゃないですか、原稿」
『知ってます。私は坂田先生の担当ではないので、まだ読めていませんが』
「それはボロクソ言われたんで別にいいんすけど、やっぱり今のままじゃ駄目かなぁと」
『今のまま、とは』
「いや、どうしても新作描くときに『カルマ伝説』が過るというか、アレから離れようとすると、どんどん作風が崩れてってですね」
『……別に無理して新作出さなくてもいいのでは?』
「なんというか、俺も漫画家ですし、『俺の漫画』を描きたいなぁって、だからその……」
坂田は意を決した。
「『カルマ伝説』、連載終了しちゃぁ……駄目かなぁ……なんて」
しばらく受話器の向こうは無言であったが、やがてガサゴソと物音が聞こえた。
『坂田さん』
「……はい」
『やめないでくださいおねがいしますなんでもしますから!!』
「うぇっ」
『「カルマ伝説」終わったら「少年パンク」も終わりなんですぅ! 土下座しますからっていうか今してますから』
「え、今土下座してるんですか!?」
『おねがいしますよおわらせないでください! なんですか私が体を売ればいいんですかはいどうぞ!』
「やめません! やめませんから!」
とうとう森内小夜は泣き出した。有能な凛とした敏腕担当編集の姿はもうどこにもない。
それからしばらく、亀田Fが担当にセクハラパワハラを行っていたなどと噂が社内で拡散し、森内はその火消しに追われるのであった。