僕らの終活は、生まれてすぐに始まっている。
人は死ぬ。
それは決して避けられぬ、この世で最も確かな事柄だ。
そして僕たちは淡々と、そして全力で日々を過ごす。
"先に見える死"に向かって。
ぼんやりと掌を眺める。それは幾度となく繰り返してきた僕のルーティン。朝起きて、眠気眼を擦りながら、真っ先にすることだった。掌……正確には掌ではなく、そこにくっきりと浮かぶ痣の様な数字。『20』と見えるそれは、僕の寿命、僕が死ぬ年齢だった。
これは僕だけが見える何かではない。この世のあらゆる人間が、生まれた瞬間から背負う確かな人生の指針だった。天から与えられた命とその終わりを認識し、悔いのない人生を歩むために、昔の人はそう言って掌の数字を崇めた。
これを疑う人間は、僕の知る限りはいない。僕のおじいちゃんは掌にあった86歳で病死し、お隣さんのおばさんも、死因は知らないが掌にあった43歳で亡くなった。僕自身も、信じている。だが、信じていることと受け入れるかどうかとは、話が違う。
僕は今年で17歳になる。つまりあと三年足らずで、僕は死を迎えることになる。小学生や中学生の頃はあまり気にしなかったが、高校に上がってからふと、僕は本当に20歳で死ぬのだろうかという考えが頭を過ってから、自らの死に向けて意識を持つようになった。
周りの友人たちは80やら90やら、果てには100まで生きる奴もいる。だからだろうか、余計に自分に与えられた時間が短く感じるのは。そして、この様なことを考えるのもまた、寿命の短さのせいなのだろうか。
そうして考え込む僕に、ふと声が掛かる。
「どうした? そんな難しい顔して」
顔を上げると、そこに立っていたのは件の90まで生きる友人、小町だった。いつのまにやら一限の授業は終わっていたらしく、皆まばらに散っている。そんな周りの状況を確認し、一つ息を吐いた。
最近、似たようなことが多い。寿命について考え、没頭し、気付けば授業は上の空。ここまで周囲を忘れて考え込むのも、他人との会話で話題にしにくい、デリケートな事柄だからかも知れない。きっと、そうなんだろう。
「いや、ちょっと考え事をな」
「ふーん。ま、何かあったら言えよ? どうにか出来るかはさておきな」
重くならない様に気を使ってか、冗談っぽく言った後、ははっと笑って小町はトイレへ向かった。言えないよなぁ、特に小町には。これまた最近増えた溜息を一つ吐き、次の授業の教科書をトントンと纏める。
「ん?」
ひらりと、教科書と教科書の隙間から、一枚の紙が落ちる。それは、ノートの一ページを切り取った紙を、折り紙の如く手紙風に仕立てた物だった。
僕はこの様な折り紙スキルは持ち合わせておらず、つまり第三者に仕込まれた物だとすぐさま察知した。
まさか恋文……? あるいはそれを装ったイタズラか。僕は床に落ちたそれを拾い上げ、さりげなく周りの様子を窺う。見たところこちらを盗み見る輩はいなかった。
「こんなの初めて見るな……」
意味も無くぽつりと呟き、破かない様丁寧に開封した。多少のドギマギを抑えつつ、じっくりと文を検める。そのつもりだった。だが僕の予想に反し、そこに書かれていたのはたったの一文だった。
『寿命について話がありますので、昼休みに三階の空き部屋に来てください』
僕は冷や水をぶっかけられたかのように、背中が冷たくなった感覚を覚える。思わず顔からストンと表情が失せた気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。
僕はその手紙を二つに折り、机の中へ戻す。行くべきか、行かぬべきか。僕の頭の中にあるのはそれだけだった。一瞬何らかのイタズラかとも思ったが、それにしてはあまりにも……寿命に触れるイタズラはあまりにもタチが悪い。どんな不良かぶれの準非行学生でも、そこに触れることは無い。しかし……。
そこでちらりと時計を見ると、もうすぐ次の授業が始まる頃だった。まだ一限しか終わっていない、考える時間はまだある。と結論付け、僕はぐっと伸びをした。
二、三限目の授業が終わり、現在は四限の半ばだ。つまり、もうすぐ昼休み。ここにきて僕は、未だ答えを決めあぐねていた。それだけ僕にとって寿命とは心の柔らかい部分なのだ。
だが、何かあるのか。もしや、いや、それはあまりにも希望的観測だが、寿命を回避……あるいは先延ばしにする方法が。……ありえない。もしそれが可能なら、そんな情報は瞬く間に世に出回っているだろう。もしくは一部の上流階級のみにしか知り得ないだろう。そんな情報を高々地方の市立高校の生徒が知っているなんて。
「……バカバカしい、か」
渦巻く思考を切り捨てる。どうせ行ったところで、寿命の短い者同士の傷の舐め合い程度にしかならないだろう。そうに決まってる。だって、これは原理も一切分からない、まさしく神の啓示。定められた運命ってやつなのだ。
気が付けば、昼休みを告げる鐘が鳴っていた。またしても上の空だったらしい。
「悩める青少年みたいだなぁ……」
実際、みたいではなく正しく悩める青少年なのだが。こういう時は気分を入れ替えて、たまには図書室にでも行ってみるか。僕はそう決め、昼食も食べずに三階へ上がる。一年生の教室がある三階は、どこか二年生の空間とは異なる、場違い感が萬栄している。僕は周りの眼を気にせず、さっさと図書室へ向かった。そう、向かったはずなのだ。
「……いやいや、何してんだろ僕」
行かないと決めたはずの三階の空き教室。僕は何故だかその前に居た。どうやら、僕の心は思ったよりも操縦が利かなかったらしい。
ガラリ、と音を立てて、悲しい程スムーズにスライドドアが開く。往生際が悪く鍵がかかっていれば引き返そうと思ったが、何かに導かれているかのように僕はその部屋へ誘われた。
中には既に先客がいた。後姿だが、その人は紛れも無く女子だった。
「来て、くれたんですね」
ドアの開く音に反応して振り返った女子がおずおずと声を掛けて来た。初めて見る顔、初めて聞く声。学年は分からないが、間違いなく面識のない相手だった。
「すいません……あんな無神経な手紙で……あ、私は一年の幸村七と申します」
「あ、いえ……僕は雪野咲です……。ところで、話って?」
距離感を測りあぐね、お互いに二歩も三歩も引いた問答をし合う。僕もまだ、彼女の意図が掴めないので、かなり様子見だ。
「はい、まずこれを見てください」
幸村さんは僕に掌を見せつけた。そこに書かれてある数字に僕は目を見開かせる。それは驚愕と、言いしれぬ憤りだった。
130……途轍もない数字だ。
「……どういうつもりですか?」
僕を呼び出したという事は、おそらく幸村さんは僕の寿命を知っている。知っている上でのこの行動は全く意味が分からなかった。最早、タチの悪い嫌がらせの様な気さえする。こう尋ねる声が硬くやや低いのは怒りが滲んでいるからだろう。
「私、信じられないんです」
「はい?」
「……一から話します」
そうしてつらつらと幸村さんは語り始めた。それを僕は淡々と聞き受ける。
纏めると、世界最高齢よりも十年ほど高い寿命に対して、強い疑いを覚えた。そしてそこから、この寿命そのものについても疑問を覚えるようになったのだという。皆が自然と受け入れているそれは、一体何なのだと。そこである時、この学校でも群を抜いて低い寿命の僕を知り、とある計画への誘いを決断した。
「それで、その計画ってのは?」
「はい、この寿命が本当の意味で何なのかを知りたいんです。そして私は皆に先立たれて孤独に生きたくない。だから一緒に謎を解き明かしませんか。そして願わくば寿命の変動の方法を」
雪野さんも、20歳で死にたくないはず。言外にそう言われたような気がした。
くだらない。そう言うだけならば簡単だ。世の高名な学者達もこのテーマを研究しているだろう。そしてその上で何も分かっていない、はず。それを高校生二人が真理に触れようなんて、夢見も良いところだろう。だが……。
ここで手を振り払うという事は、散々思い悩んで受け入れがたいと思っていた自らの寿命を諦観と共に受け入れることと同義ではないのか。そんな思いが僕の心を支配した。運命を呪ったからこそ、この直感は運命に囁かれていると思わざるを得なかった。
手段も方法も分からない。可能なのかも分からない。だからこそ、僕にとってこれが、最も悔いのない終活なのではないのか。
僕は真っ直ぐと幸村さんの眼を見定めた。早く死にたい者と早く死にたくない者。そんな二人が今、手を取り合った。
「分かった、協力するよ」
「……! ありがとうございます!」
生まれた意味を、生まれた証拠を、そして未来を生きるための道を、探し求める三年間が始まった。