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夏の幽霊

 彼女は僕が見えない。


 それを良いことに、僕はプール後に女子更衣室に侵入し彼女を盗撮したり、登下校で後をつけたり、引き出しの中に私物をさりげなくもらったりしている。


 彼女は友達が多く、クラスの上位で。

 僕は彼女とは違い、鬱屈した日々をおくっていて。


 イケナイことをするたびに自己嫌悪や焦燥感を払いのけ、心を満たす僕。

 そんな日々を彼女の友達、倉田紗枝が遮った。


 彼女は僕が見えない。

 彼女は倉田と友達で。

 そして倉田と僕は、秘密で繋がった。


 歪で鬱くしい三角関係と、

 誰もが持っている憧れと、

 傷つけあう僕たちの、


 あの夏の青春が始まる。

 プール後の生ぬるい風を女子更衣室で感じている。

 棚があるのは左手。僕たち男子が使っている更衣室と真逆の作りだ。


 彼女の香りがする。彼女の焼けた肌の色が視界にちらつく。彼女の水着姿だけが、女子更衣室にぽつん、とあった。


 僕の目の前で彼女は着替えていた。

 僕がいることなんて気にとめず。


 彼女はてるてる坊主みたいなタオルを豪快に下ろしてブラジャーをつけ始めた。フォックを後ろに持ってきて掛ける。白の布地に赤いリボンの刺繍があしらわれたブラジャーだ。プールで焼けた肌にフォックがあたりしかめつらをする。赤い肌をさすり、脇を上げる。手の甲はうっすらと焼けて、掌の指は生白く、ぐじゅぐじゅにとろけていた。


 タオルを取り出し、スカートみたいに履き始める。チャイナ服みたいな切れ目があり、そこから垣間見える太ももや、もう少しで見えそうな恥部に僕の心臓の音が早まる。自然と壁にもたれている背中に汗がぬるみ、唾が溢れ出る。


 続いてブラジャーに大きく小さくもない胸を収める。鎖骨あたりからなだらかな山のように膨れあがる肌を追うと、薄桃色の熟れていないさきっぽが現れる。胸を手で押さえてブラジャーのカップに、持ち上げてカップに、形を整える。雪山のように白い山をブラジャーの中に隠す。反対側の山はさっきより大きくない。ちょっと小さい、それを同様に絹を持ち上げるように慎重かつ丁寧に慣れた動作を繰り返す。


 カップの中に収まると今度はパンツを取り出す。パンツはてるてるチャイナ服の切れ目がある場所へ吸い込まれ、あっという間に下着が身につけられる。


 途端に、僕は無性にポケットの重さに気がふれる。ふつふつと湧き出る欲情に、いけないことだと分かっていても。


 型落ちの携帯電話を取り出した。携帯のカメラ機能を立ち上げて、ピントを彼女に合わせる。もう既に下着は着けられてしまっていたけれど。決定ボタンに伸びる指が躊躇っている。何をいまさら。僕の下半身はだるさにくわえて、やりたくてしかたない熱情を覚えているというのに。


 彼女の下着姿がカメラ越しでも存在している。カッターシャツを羽織る。ごくりと唾を飲む。まだ下着が透けて見える。震える手を押さえて。白いベールの先のブラジャーがちろちろと誘惑する。親指に力を入れる。彼女がこっちを振り向いた。シャッターをきった。彼女の表情が、写真の中で時を止めた。


「誰かいるの?」


 僕は慌てて、携帯を閉じて、後ろに体をのけぞらせて、でも後ろには壁があって、これ以上後ろに行けないことを悟って。


 彼女はカッターシャツだけを羽織ったまま、僕の前に一歩踏み出した。塩素の匂いがする。更衣室に降り注ぐ太陽光で彼女の髪がきらめている。辿っていくと、彼女のいつものシャンプーの香りがまぎれこんでいた。彼女の鼻が僕の胸元に伸びている。すんっと一息吸って、僕の匂いを吸って。


「男の子の匂いがする」


 くちずさむ、唇がまっかに熟れていて。


「ううん、気のせいか」


 思わず彼女に触れてみたくなる。手を伸ばそうとして、すぐに引っ込めて。彼女がくるりと去っていく。舞い上がった髪の毛の先をかすめて、名残惜しくなる。触ったところで僕はどうしたいのか分からないまま。

 彼女はカッターシャツのボタンをとめて、スカートを上げ、二回折って。しんなり濡れた髪のまま、水泳バックを持ち、更衣室から出ていった。


 残った彼女の写真をぱかっと携帯を開けて確認する。彼女の写真があった。驚いた表情、彼女の下着に、胸のそれ。まだ下半身にじんじんと熱がこもって暴れまわっている。僕の言うことを聞かない欲情。どうして、こんなことを。蹲って、湿った顔を腕の中に埋めてしまう。


「なにしてんだろ、俺」


 彼女に僕が見えてないからって。


 ***


 教室に戻ると、様々な香水料の匂いがした。シーブリーズに84、僕には高級品である香りをまざまざと匂がせてくる。ちょっと色めきたった女子や男子が匂いに敏感になり、あげく僕は自分の男の匂いにうなだれる。アサヒビールにストロングゼロ、アルコールの嫌な香り。


「藤本、どこに行ってたんだよ」


 と、僕によりかかる友達を一瞬見るがすぐに彼女に目が移る。彼女は友達と談笑していた。


「トイレ」


 掠れた声が僕の口から零れる。

 昨日酷使しすぎたせいだ。大声で怒鳴っても変わらないのに。高校生にもなって、なに躍起になってたんだろうか。ふっと、気をぬくとまだ昨日の扇風機の羽音が耳もとでこだまする。体の節々が痛む。蚊のような自己嫌悪。自分の心を叩き潰して、教室に意識を戻した。


 彼女の隣にいる友達の瞳の色が気にかかる。きらり、と放課後の空気を吸収して、透き通った薄茶色をしていた。彼女に話しかけるその声音は甘く、笑顔は華やかで、瞳は艶めき。見ていると僕の心が焦燥感にかられ荒んでいく。


「お前さ、櫛田のことばっか見てるよな」


 そうかな、と口で言い、そうだろうな、と彼女の名前親しみを持ち聞き込んだ。そうだろうな。だって、彼女は僕のことが……僕は手に持っている携帯を力いっぱい握りしめて考えを遮る。携帯はぬるぬると滑り気持ち悪い。


「まあ、見るのは分かるよ。櫛田はかわいいからな」

「倉田は?」彼女の隣にいる友達の名前を僕は告げる。

「倉田? ああ、あのハーフの女子。あの子もいろんなやつから告白されてるって噂になってんな」


 教室の中心で彼女たちはかしましく、今の時を生きているように思えた。僕にはない、謳歌という境遇に嫉妬すら覚える。たまに僕は彼女を殺したくなる。ふきさらしのさびたナイフを持ち、彼女のまっさらな肌に刺して。

 でも、それでも僕の目は彼女に奪われ続ける。


「ねぇ、藤本君」


 彼女の眼差しは僕に焦点を合わさないのに。


 はっと気づき、僕は彼女を見下げた。知らない間に近くに彼女と倉田がふたり一緒になって僕の前に立っていた。こんなに近くにいるのに、彼女は僕の少し隣を見ているし、僕の背よりも高いところに目を合わせている。少しだけ待って、僕の返答がきたと思う目安で、彼女は再び口を開けた。僕は何も言っていないのに。


「そうだよね、いきなり話してびっくりしたよね。えっと、その……倉ちゃんが、藤本君と話したいって」


 倉田は、僕と彼女を交互に見合い、薄茶色のボブヘアを揺らす。何かを納得したかのように、悲しげに笑って見せた。もういい、とでも諦めているかのような確信を瞳にくべる。周囲の空気がぴりついていた。澱んだ空気がとどまり、蒸し暑さが僕を苦しめる。


「放課後、いいですか」と倉田が丁寧に頭を下げた。


 近くにいる友達が告白か、と盛り上がっているし、教室の空気が僕たち二人によせられていた。僕と倉田の会話が場を支配し、僕の返答を待っている。にじりよる火の手を僕は払いのけられなかった。


「いいよ」


 教室の雰囲気が黄色くなる。湧き上がる教室の感情の波に僕は仮面に、にこやかな笑みを貼り付けた。

 こうしていれば、いつだって()はここにいられたけど、()は遠くで、教室の連中をバカにしている。こんな暑い中なに盛り上がってんの。汗がカッターシャツに張り付いて、うっとうしくてしかたなかった。


 ***


 連れてこられた場所は、意外にも校舎の最奥、階段の踊り場だった。誰も知られていない場所で、どんな音も吸収してしまうしめっけが溜まっていた。グラウンドが近く、土を整備している野球部の一年の声や、外で練習している吹奏楽部のトランペットの音が響く。照りつける太陽は赤よりも橙に濁っていた。目を細めて、薄茶色のボブヘアを見つめた。


「で、俺に何の用かな?」


「わざわざありがとうございます」と倉田は嘘くさい口調で、薄茶色の瞳を細め、大人びた笑みを作っていた。「でも、そういう演技、いいから」と、思っていたのに、すぐに顔を崩し、「あたし、知ってるんだよね」あらぬ方向へと会話が転がり、胸がきゅっと絞られる。もしかして、と思わずにはいられない。「ごめん、騙す形になって。でも、見ちゃったし、確信もって言えることだから」


 一息入れて、倉田は僕を見下す。


「あんたが女子更衣室に入っていったのを見た」


 足が床に縫いつけられる。倉田の睨めつける視線に生命活動の休止を言いわたされたみたいだった。


「でも、おかしいよね、あのとき櫛ちゃんが更衣室にいたはず。あたしたち、櫛ちゃんに先に教室に戻ってって言われてたし」

「なにかの見間違えなんじゃないか」


「あたしはずっと見てた」


 倉田の瞳に宿るくべられた炎にすくむ。


「さっきのあんたと櫛ちゃんの反応を見て分かった。

 櫛ちゃんあんたのこと見えてないんでしょ」


 それを良いことに、僕は彼女の着替えを覗いていた。


「櫛田に言わないでくれ」

「これだけは、無理」

「どうしてもか」


 倉田の顔色は変わらなかった。僕は歯をくいしばる。太陽の日差しが僕の視界に差し込む。思考が明滅する。倉田の薄茶色の髪がさらさらと流れている。震える手を前に出すと、指先に髪が触れる。今まで押し黙っていた何かが切れそうになる。トランペットの音がひそやかに語りかけた。なんで僕だけ。なんでいつも。倉田の髪の毛をつまんだ。そうしたら僕は指でちょいっとつつくように、スイッチを押していた。


 倉田の胸ぐらを一気につかむ。


「僕だって知ってるんだ。倉田、お前が櫛田のことを好きだってことを」


 倉田の瞼が大きく見開いた。


「お前は、レズなんだろ」


 胸騒ぎと自暴自棄が一緒くたになって躍り出た。

 倉田の眼差しは僕と焦点が、合っていた。

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