悪魔の子マコは悪役令嬢になりたい!〜ファンタジー作家の私と奇妙な同居生活〜
なんやかんや、ありまして。
私の作品を読んで「悪役令嬢になりたい!」と言い出した悪魔の子どもを育てることになりました。
この現代日本で。や、本当に。
背中に羽があったり。
空を飛んだり。
言ったことをなんとなくそうなのかも、という気にさせる力を発動させたり。
────人間の負の感情を、吸い取ったり。
現実ではあり得ないような現象の数々をファンタジー作家の想像力で理解し、受け入れる日常が始まった。奇妙ながらも平和な日々。
しかし私は気付いたのだ。
負の感情を得れば得るほど、悪魔は凶暴化していくということに。
保護者としてこの子を悪魔として育てるべきか、それとも……? 私は決断を迫られた。
事実は小説よりも奇なり。そうだなぁ、これが物語だったなら。
『悪魔の子どもと学生作家のハートフルドタバタ同居生活』
キャッチコピーはこれで決まりだ。
────黒い卵を拾う夢を見ている。
いや、これは走馬灯ってやつかもしれない。
……ははっ。こんな状況で出会った時のことを思い出すなんて、本気でやばい状態なのかも。そろそろ、覚悟を決めなきゃなぁ。
私の人生はまだ二十年ほどだけれど、極限状態でこの日々を振り返ることになるなんて。もっと幼い頃からのあれやこれやを振り返るものなんじゃないの? 走馬灯ってやつは。
それほど、ここ最近の生活は私にとって強烈だったということなのだろうか。騒がしくて、不思議で、面倒で、とても慌ただしい日々。
……でも。楽しくて、幸せな日々だった。
はぁ、もう少しだけこの幸せな夢に浸っていたい。あー、起きたくない。けど私は保護者だ。立ち上がらないと。
マコ、頼むよ。私の話を聞いて────
※※※
私がその卵を見つけたのは、偶然のことだった。
恐竜の卵かというほどの大きさで、どこかの温泉街で売られていそうな真っ黒さ。
「食べられるかな」
いや、無理でしょ。自分で言って脳内で一人ツッコミを入れた。一人暮らしの性である。
そもそも、なぜ私はこんな怪しげなものを部屋まで持ち帰ってしまったのか。道端に落ちていたのがよくある普通の卵だったらスルーしていたのに。いや、そこから妄想が広がる気はするな。これは作家の職業病だ。
つまり、このいかにも不審です、と言わんばかりの大きな黒卵が道に落ちていたのを見つけたならば、脊髄反射で持って帰ってしまうのもまた職業病なのだ。作家であれば誰もが同じ行動をとったはずである。間違いない。
しかし、どうしたものか。狭いリビングにインテリアとして置くには些か大きすぎる。元の場所に戻すのは、拾った以上やってはいけないことだし。警察に届け出るべきだったかな。
いつまでもこうして黒卵と見つめ合っていても時間の無駄。締め切りは待ってくれないのだから、その時間を使って一文字でも多く書くべきだ。わかっている。
一つ、大きなため息を吐いた。雑に首の後ろで束ねていた髪のシュシュを解き、ポフッと後ろに倒れこむ。人をダメにしがちなクッションが優しく身体を受け止めてくれた。いつも書き始めるまでが長いんだよなぁ。
現実逃避のために散歩へ行き、コンビニで特に必要のなかった肉まんを買い、変な黒卵を拾って帰って。私は一体、何をやっているのだか。
「……寝よ」
全ての問題を後回しにし、目を閉じた。ダメなことはわかっている。でもそれは人をダメにしがちなクッションのせいだ。
「こら!」
「んー……?」
どうやら本気で寝てしまっていたらしい。ちょっとウトウトするだけのつもりだったのに、一体、どれだけ時間を無駄にしたのだろう。時計を見るのが怖い。
「起きるでし!」
「いてっ」
目を開けられずにゴロゴロしていると、ベシッと誰かにお尻を叩かれた。おかしいな? 私以外に人がいるなんてあり得ないのだけど。ホラー?
……ネタとして、おいしいな。これは見逃してはならぬ、と私は目を擦りながら上半身を起こす。
「……へ?」
最初に目に入ったのは、おかっぱ頭の幼児の姿。
男の子にも女の子にも見えるその幼児はとんでもなく整った容姿をしていた。やや露出度の高めなパンクファッションで、ショートパンツとニーハイソックスが演出する絶対領域が素晴らしいバランスである。
そんな愛らしい幼児が、やや宙に浮きながら私を見下ろしてくる。そりゃあ、言葉を失って観察してしまうというものだ。
私が黙っていると、幼児は両腕を腰に当て、それ以上逸らしたら後ろにひっくり返るんじゃないかというほどふんぞり返る。
「やっと起きたでしね。さ、名をなのるでしよ!」
そして偉そうな口ぶりでそう言った。
見た目は五歳児くらいだろうか。口調もたどたどしく年相応。でも、どうも選ぶ単語が妙というか、仰々しいというか、キャラ感があるというか。
ふと、幼児の背でピコピコ動いているものに目を向ける。なんだあれ?
「ねぇ。背中のそれって、まさか本物?」
幼児の背中には黒い蝙蝠のような羽がついていた。洋服のデザインかな? とも思ったけれど、どう見ても動いている。
「むっ、ボクの姿に、動じぬとは……! 只者ではないでしね」
いや、これでも動じてるよ? まぁファンタジー作家だから非現実的な現象に関して想像力も働くし、察しもつくのは確かだ。でも現実にそういうことが起こるだなんて夢見ちゃいないもの。成人したばかりとはいえ大人なんだから。
けどこれは現実、なんだよね。ギュッと力を込めて抓った右頬が痛い。
「まぁよい。にんげん! ボクはいだいなる、あくまの子でし! にんげんの負のかんじょうを、たくさん吸い取り、りっぱなあくまとなるべく、ボクを育てさせてやるでし!」
「でし」
いや、語尾に気を取られている場合ではない。今なんて言った? 悪魔の子? 育てさせる? 誰が、誰を?
この子の語尾を拾ってつい口走った私に、自称悪魔の子が怪訝そうな顔を見せる。
「なんでしか?」
「いや、なんでもないでし」
つられた。
それはさておき、ちょっと作家としての脳をフル回転させて状況を整理してみよう。これが、創作物だったなら。
アレだ。あの大きな黒卵が悪魔の卵だったんだろう。たぶん。私が寝ている間に孵化し、この子が生まれたんだ。そしてこの子は悪魔として立派に成長するため、私に自分を育てろと言っている。
「ふふん。なぜ生まれたばかりで、ボクがこんなにもりゅうちょうに話せるのか、ふしぎと見えるでし」
黙々と情報整理をしていると、幼児が自慢げに胸を張ってそんなことを言った。確かに流暢に喋るよね。
「んー、そうだなー。この世界でもある程度は意思の疎通が出来るように、人間の生態や大体の知識なんかがあらかじめインプット、えっと、教え込まれているとか?」
私がありがちな設定を適当に言うと、幼児がわかりやすく狼狽えた。どうやら当たったらしい。すごいな、私。
ガーンという効果音が聞こえそうなリアクションに、反応が古いな、という感想を抱く。
「お、おぬし、まさかまほうがつかえるでしか!? にんげんなのに!」
「いや、使えないけど」
人間だからね。あっさりそう答えたら、幼児は信じられない、とまたしても大げさなリアクションを見せてくれる。なんだか面白くなってきた。
「ふしぎなにんげんでし……。でもボクを育てる者として、不足はないでし。それに、せつめいがはぶけたでし!」
アーモンド型の目がキラキラと輝いている。サラサラとした黒髪には天使の輪が出来ているし。悪魔なのに。
うん、整った容姿は様式美なのかもね。
さて。これはもう、たとえ私が拒否しても無駄なやつだ。それがお約束というもので、世界の常識である。ま、拾ったのは私だし、最後まで責任を持ちますとも。ネタにもなりそうだし。
……あ、閃いた。
「な、なにを始めたのでし!?」
勢いよくパソコンを叩き始めた私を見て、幼児は驚いて慌てふためく。
「ごめん、ちょっと暫く話しかけないで。その辺の本とか、適当に読んでていいから」
「あくまが、とつぜんほうもんしたというのに……! にんげんというのは、おかしな生き物でし……」
ごめんって。でも、せっかく執筆スイッチが入ったのだ。切れるまでの間ひたすら文字を打ち込むことだけに集中したい。
「……本、か。にんげんのことが、わかるかもしれないでしね」
しかしまさか、この子が私の書いた「悪役令嬢は遠慮を知らない」を熱心に読み耽るとは思ってもみなかった。
結果、生まれたての悪魔はこの本を読んで、人間を知った気になった。しかも何やらものすごく興奮気味である。
「に、にんげん! この『あくやくれいじょー』はすばらしいでし! 人を不幸のどんぞこにおとしいれるそのしゅわん……! 見習いたいでし!」
キリのいいところまで一気に書き終えた時にはすでに数時間が経過しており、私はこの子を放置してしまったことを深く反省した。けど、執筆スイッチが入ったら周りが見えなくなってしまうのだから仕方ない。開き直るべし。
「まー落ち着いて、幼児ちゃん」
「ようじ、ではないでしわよ!」
おっと、悪役令嬢に影響を受けてさらに妙な口調になっている。それはともかく。
「名前、ないの?」
考えてみればこの子は生まれたばかり。名前がないのは当たり前かもしれない。
「ないでしわ! そうだ、おぬしは? いい加減、名をなのるのでしわよ!」
「ああ、そうだったね。私の名前は結城夕虹。ゆうこ、でいいよ」
「ゆーこ……。で、では、ゆーこ! その、ボクの名前を、ゆーこにつけさせてやるでし……」
上目遣いでもじもじしつつ、そんな可愛らしいことを言われたら断るわけにはいかないね。
悪魔の子だから悪魔子、ってのはちょっと安易すぎるかな? んー、でも覚えやすいのがいいしなぁ。
「マコはどう? 悪魔の子だから、マコ」
「マコ……」
幼児は口の中で何度か呟くと、嬉しそうに笑って高らかに宣言した。
「気に入ったのわよ! 今日からボクはマコでし! ボクは、マコは、りっぱなあくやくれいじょーになりますわのよー!」
瞬間、幼児改めマコを中心に魔法陣のようなものが現れ、どす黒い光が部屋を包み込んだ。これは面倒なことになったな。
……けど、なかなか面白そうじゃない?
こうして作家である私と悪役令嬢を目指す悪魔の子、マコとの奇妙な同居生活が始まったのだ。