あなたが私にくれたもの
切り取った人体の一部を組み合わせて、花をモチーフにしたオブジェを残す連続殺人犯。
造花師――。
その犯行は十年前から続いており、未だに犯人は捕まっていない。
同一の事件と思われる被害者の数は三十人を超える。
慎重で計画的だが、常軌を逸した犯行を続ける造花師。
警察官である東藤高虎は、事件に巻き込まれて犯人を追うはめになった。
連続殺人犯を追う警察官の追跡劇、クライムサスペンス&ゲーム。
◇◆1◆◇
くすんだ網入りガラスの向こうから、強い西日が部屋に差し込んでくる。
手狭なダイニングキッチンは燃えるような茜色に染められていた。
高架沿い、鉄筋コンクリート製の三階建て。
最寄りの駅からは近いが、電車が通り過ぎる度にスマホの電波が弱くなるような安アパートだ。
決して住み易いわけではないが、ここら辺りの家賃相場からはかなり割安で。
それ故に離れ難い魅力になっていた。
買い物から帰宅した東藤高虎は、鍋で里芋を煮ながらピーマンの種を取っていた。
警察官になって二年目。
当番と非番、公休がローテする勤務サイクルにもようやく体が馴染んできた。
「おっ、いい匂いじゃない」
背中から伸びてきた菜箸が里芋をつまんで、手皿で口の中に放り込んだ。
「うん、味が染みてる。合格点だね」
「昔、同じことをして誰かさんに行儀が悪いとしかられた記憶があるんだが」
「マナーは周りの人と楽しい時間を過ごすための知恵だよ。きっとその人の教育が良かったんじゃないかな」
口に手を当てて少し恥ずかし気に笑う母親の東藤樹里。
夜勤のため起きたばかりのはずだが、看護師として二十年以上のキャリアを持つベテランだけに眠そうな様子は微塵も見せない。
なかなか眠れずに疲れの取れない高虎に、快適な睡眠を取るためのコツを教えてくれたのも彼女だった。
母親の左手に残った葉脈のように広がる傷跡を見て、高虎の胸がちくりと痛む。
小学生の頃、家族の乗った車によそ見運転の軽自動車が突っ込んだ。
父親は即死。身を挺して高虎を守った樹里は、左手から腕にかけて大きな裂傷を負った。
それ以来、女手ひとつで育ててくれた母親には文句のひとつも言えず。
反抗期もないまま家を出ることもなく同居を続けている。
「今日は出るのが遅いんだろ。気を付けてくれよ」
「大丈夫、大丈夫。病院は自転車ですぐなんだから」
「このところ噂になってるのを知らないのか? 近くでも殺されてんだよ、人が」
「造花師でしょう? 知ってるわよ。恐ろしい事件ね……」
→【2】へ
◇◆2◆◇
壁越しに食器が割れる音と同時にずんと微かな振動を感じた。
高虎は苦虫を噛み潰したように眉をひそめる。
怪談話をしていて幽霊を見たような怖さを感じたわけではない。
湧き上がってきたのは、またかというやる瀬無さだ。
軽量鉄筋造の壁は薄く、遮音性は高いとは言えない。
生活音はどうしても漏れ聞こえてくる。
息を潜めるほどではないが、扉の開け閉めに気を遣う程度には染みついていた。
「高虎、ちょっと見てきてよ」
「そうは言ってもな……、いつものことだろ」
「いつも大丈夫だからって放っておけないでしょう?」
隣部屋には中年の男と中学生ぐらいの女の子が住んでいた。
時々、こうして児童虐待を疑われるような騒音が響いてくる。
もちろん児童相談所には連絡しているが、女の子が保護されることはなかった。
彼らの調査では何も証拠が出てこないからだ。
もちろん当事者と疑われる女の子からの証言も得られない。
民事不介入の原則が高虎を縛っていた。
懇願するような母親の視線を受けて高虎はふうっと息を吐いた。
ガスの火を止め、サンダルを履いて外に出る。
無駄だとわかっていても諦めないことが大事だろう。
チャイムのボタンを押して少し待つと、濁ったような目付きの男が扉を開けた。
「和田さん。凄い音が聞こえましたが、何かありましたか?」
「……ちょっと、躓いて食器を落としただけだ。何でもない」
「佳那ちゃんは大丈夫ですか?」
男は黙って部屋の奥に視線を漂わせると、軽い足音が近づいて背中越しに少女が顔をのぞかせた。
病的なまでに白い肌、腰まで伸びた艶やかな黒髪。
外に出ているか怪しくなるような容姿だが、一見してわかるような外傷はない。
「大丈夫かい? 佳那ちゃん」
「ええ、心配かけてごめんなさい。もう、お父さんったらドジなんだから」
「そうか……。気を付けてくださいね」
男は無言で頷くと、話は終わったと言わんばかりに扉を閉めた。
扉を睨み付けたまま高虎は何度目になるかわからない溜息交じりの息を吐いた。
「どうだった?」
「躓いただけだってさ」
「……そう、なんでもなかったのね」
その言葉は信じようとして自分さえも騙しきれない声色で。
疑い続けて目を光らせることが正義なのか平穏な親子の生活を脅かす悪なのか。
線引きは常に曖昧で、行き着くところまで行かないと答えが出ない問いだ。
だからといってその結末を望むわけにはいかなかった。
母親の思い悩む顔がちらついて憂鬱な気分を余計に沈ませた。
→【3】へ
◇◆3◆◇
部屋の中には濃密な空気が充満していた。
体にへばりつく、ねっとりとした感覚。
藻に覆われた城の堀に落ちたときのような。
夢の中で泳ぐ夜の海のような。
手足を動かそうとしても思うように動かない。
頭では理解していても、それを認識することを心が拒否していた。
踏み出した足は遅々として進まず。
地を這う蛞蝓を眺めるように鈍重な。
それでも止まることなく、動き続けた。
目的地に向けて一歩、一歩。
そして、むせかえるような強い臭気。
咲き誇る金木犀の木の下。
荒れ果てた剣道部の部室。
夏草の中で転がる犬。
寂れた鉄工所の裏庭に積み上げられた鉄くずの匂い。
そう、これは――。
――血の匂いだ。
→【4】へ
◇◆4(初回のみ)◆◇
河原につながる土手沿いの細い道には警察車両が並び、通行止めのバリケードが敷かれていた。
普段はジョギングか犬の散歩をする人ぐらいしか通らないのどかな風景が異様な熱気で包まれている。
警察、マスコミ、どこから聞きつけたのか集まってきた野次馬たち。
誰もが捜査の行方に目を向けていた。
巷を賑わす連続殺人犯『造花師』の犯行によるものと思われる遺体が発見されたからだ。
所轄署から応援として送られた高虎は捜査の邪魔にならないように人混みを整理していた。
ビニールシートで覆われた現場には刑事や鑑識が慌ただしく出入りしている。
野次馬たちはスマホを高く掲げ、少しでもいい絵が撮れないかと苦戦していた。
「死体の手首が両方とも切り落とされてたらしいぞ」
「おそらく造花師の犯行だろ。前は耳を集めてたよな」
「ああ、耳を繋ぎ合わせて花を作るとか、イカれてるよ」
周囲から聞こえてくる会話は捜査の蚊帳の外にいる高虎よりも詳しかった。
一体どこから情報が洩れているのか首を傾げる他ない。
コンプライアンスが声高に叫ばれていても関係者からのリークは止められないのだろう。
次から次へと現れる近隣住民に事情を説明している内にもう日が暮れていた。
変化のない現場に興味を失った野次馬たちは徐々に数を減らし、今は数えるほどしか残っていない。
鑑識作業がひと段落して司法解剖のために遺体が最寄りの医科大に搬送されると、現場封鎖は解除されて高虎のお役も御免となった。
首を回して手を組んで背伸びをすると、凝り固まった筋肉がほぐれる音が鳴る。
常に気を張っていなければならない警察官の仕事は、オンとオフを切り替えられないと務まらない。
達成感を感じることは少ないが、人々の安寧を守るためには必要なことだと理解していた。
朝からずっと立ち通しで心身ともに疲れ果てた高虎は、帰ってすぐにでも布団に潜り込みたい心境だった。
時間的に母親はもう夜勤に出ているだろう。
これから夕食を作る気になれず、スーパーで弁当を買い込んだ。
鍵を差し込んで回すと、抵抗のないことに違和感を覚えた。
しっかり者の母親が鍵をかけ忘れるなんて今までなかったからだ。
体調を崩して休んでいるのかと、声をかけて部屋の中に入った。
→【3】へ
◇◆5◆◇
スタンドが照らし出すテーブルの上に綻ぶ一輪の花。
赤い薔薇の花だ。
生乾きの血がてらてらと光を反射する。
ごつごつとした太い指、すらりとした細い指、磨き上げられた爪、弛んだ肌。
老若男女、何人もの被害者から切り落とされた手首が包むように。
何枚もの花びらが重ね合わされて薔薇の花を形作っていた。
そんな花びらの一枚に見覚えがあった。
葉脈のように広がる傷跡。
二十年近く見てきて今更、見間違えることはない。
思わず手に取りそうになって僅かに残っていた理性が押し止める。
膝から崩れ落ちるようにテーブルに手を突いた。
頭がぐらぐらして立っていられない。
肺の奥の空気を根こそぎ奪うように嗚咽が漏れ出た。
――ああ、これは母の手だ……。
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