僕を殺して、僕がTS、僕ミステリー!
ある日気づくと主人公は路地裏に立っていて、目の前に死体が転がっていた。よくあるミステリー作品の始まりみたいに。何故そういう状況になっているのかまるでわからない。そしてよく見るとその死体は彼自身だった。さらに血のついた包丁を持っていたことから彼自身が犯人だとわかる。困惑する主人公の前に黒ずくめの美形――鹿苑寺聖が現れる。主人公を「お嬢」と呼んだ彼は主人公の手を引いて殺人現場を離脱し彼をアジトへと案内する。状況がわからないまま鹿苑寺の棲家へ辿り着いた主人公はそこでさらなる驚愕の事実に気づく。なんと彼は美少女へとTS(性転換:transsexual)していたのだ! ――そしてそこに忍び寄る探偵の影。
人格入れ替わりTSファンタジーコメディミステリーの開幕である。
気づいたら目の前で僕が死んでいた。意味が分からないだろう? 僕も分からない。
とにかく裏路地っぽいところに僕は立っている。記憶が混濁している。
何故僕がここにいるのか? 何故こんな小道に迷い込んでいるのか? さっぱりわからない。そして目の前には僕が死んでいる。それは何度も鏡越しに見てきた僕だった。
じゃあ、僕は誰だ? ていうか僕の名前は? あれ? ――駄目だ、思い出せない。僕は誰だっけ?
被害者の方の僕はアスファルトにうつ伏せになり、顔を少し横を向けて、胸の下あたりから赤い血液が湧き出させている。
誰だ? ――誰が殺した? 僕のことを誰が殺したんだ?
思わず手に力がこもる。正義の気持ちに駆られた主人公みたいに。
その時になって自分が何かを握っていることに気づいた。持ち上げてみると側面に血の付いた出刃包丁だった。
「――おわっ!」
アスファルトに落ちた包丁は硬質な音を立てる。乾き切らない血液を付着させたまま。
何故だか手が震えている。いや、手だけではなく足も震えていた。何かとてつもなく大きな罪を犯した後みたいに。――なるほどっ!
「これ絶対、僕が犯人じゃんっ!」
思わず声を上げた。突然喉元から飛び出したその声はいつもより少し高い声だった。
これは一体何という状況なのだ? 目の前に死体。どうやら僕は人を殺したらしい。でも前後の記憶が全くない。そして死んでいるのは――僕だ! 意味が分からない!
その時、僕の口が何かに塞がれた。後ろへぐいと引っ張られる。よろめいて後ろへと倒れそうになった体は受け止められた。
「しっ! 静かに。こんな状況で声を上げて、警察に通報でもされたらどうするんですか?」
「――んんっ!」
突然、後ろから羽交い締めにされた僕は、反射的にその拘束を振り払おうとする。でも振り払えない。なんだか凄く力が強い。――いや、違う。僕の腕の力が弱くなっている?
それでももがいて、なんとかその手を振り払うと、僕は振り向いた。立っていたのは整った顔立ちの男だった。二〇代だろうか。黒ずくめのその男は、僕より随分と背が高かった。
――いや僕だって一七〇センチ後半あるはずなんだけど? え、お兄さん、高すぎませんか?
「……お、お前は誰だ?」
僕はその涼しげな笑みを浮かべた美形を見上げる。
男は怪訝そうに眉を寄せてから、口元を少し緩めた。
「――なるほど、そうですか。私についてちゃんと説明を受けていなかったんですね?」
「……そうかもしれない」
何のことかさっぱりわからない。でもここは話を合わせておこう。
「私は鹿苑寺聖。目的を達成した貴方を私たちの棲家まで連れて行くように言われています。そして貴方をお守りするように」
「――鹿苑寺……聖?」
名前を復唱する。長身の男は無言で頷いた。なんだか物凄く由緒正しそうな名字である。そしてやっぱり背が高い。
「――とにかく行きましょう。――お嬢!」
「……お嬢?」
違和感のある呼ばれ方に僕は眉を顰める。でもそんな僕の疑問を気にする様子もなく、青年は僕の左手首を掴んだ。思ったよりもずっと強い力だった。
「――痛いっ」
「すみません。つい力が……。でもいつ通行人がやってくるか分かりません。早く行きましょう」
「何処へ?」
「私たちの棲家です。アジトと言った方がイメージがつきますか? そこで貴方を匿うように言われている」
「……言われているって――誰に?」
鹿苑寺は振り返ると、その端正な顔の眉間に皺を作った。
「覚えていないんですか?」
「……ご……ごめんなさい。なんだか記憶が混乱していて」
男は口元に右の指先を当てると一瞬思案した。
「仕方ないかもしれません。人生で初めて人を殺めたのです。混乱されるのも分かります。――それが必要なことだったとしても」
「――必要な……こと?」
腕を引かれながら頭だけで振り返る。アスファルトに倒れた死人。それは確かに僕だった。その僕を殺すことが――必要なこと? 僕は何か殺されるようなことをしたのだろうか?
「いずれにせよ殺人現場に留まるのは危険です。行きましょう!」
「……ちょ――ちょっと!」
今度は有無を言わさぬ移動開始だった。男は僕の手首を掴んだまま走り出す。つられるように僕も走り出した。
でもなんだか思うように体が動かない。走れなくはないのだけれど、どうにも体が重いのだ。――殺人で疲労したのだろうか?
二つほど角を曲がったところで鹿苑寺が立ち止まった。
「――大丈夫ですか? ペース落としましょうか」
「へ……平気」
大きく肩で息をしながら僕は首を振った。
なんだか状況はよく分からないけれど、とにかく自分が人を殺めた現場にいても通報と逮捕を待つだけなのだ。鹿苑寺の発言を信じるなら、この殺人には裏があって、どうやら正当性もあるらしい。それならば一旦この男に匿われるのも妥当な選択肢だろう。被害者が自分自身だというのは何だか腑に落ちないのだけど。
「――じゃあ、行きますよ」
「は、はい!」
鹿苑寺聖は僕から手を離すと紺のコートをはためかせ颯爽と走り出した。
僕はそれを追いかける。何だか胸の辺りが重いのと、股間に物足りない感覚があった。でもとにかく今は逃げるのだと、僕は彼の背中を追った。
☆
「さあ、着きました。入ってください」
「はい。――って、ここ何処!?」
「……私の棲家ですが、何か?」
連れてこられたのは白い塀で囲まれた閑静な住宅だった。モダンな雰囲気の門の奥には玄関へと続くアプローチが見える。門の脇には標識で「鹿苑寺」と掲げられていた。
「め……めっちゃ自宅じゃん」
「ええ、棲家だと――お話した通りですが?」
確かに棲家というのを字義通り解釈すると自宅になるのだけれど。文脈から言って絶対に隠れ家みたいなアジトとかを想像するじゃないですか? それにしても豪勢な家である。どう考えても金持ちだ。
「それはそうなんですが……。ご自宅に匿ってもらう、ということで良かったんでしょうか?」
流石に今日会ったばかりの人の家にお邪魔するのは気がひける。
「ええ、もちろん。まぁ、自宅兼オフィスですので、オフィスと言ってもいいですがね」
そう言うと鹿苑寺はポケットから鍵を取り出してインターフォン下の鍵穴に差し込む。すると上部にあるレンズが光り写真を撮るような音がした。しばらくすると別の音が鳴り門の鍵が開いた。
「何をしたの? さっき」
「ああ、網膜認証ですよ。まぁ、それなりに機密性の高いオフィスですから、セキュリティ対策は取っています」
前言撤回。めっちゃアジトでした。
「ここまで来れば大丈夫だと思いますが、追っ手が来ないとも限りません。とにかくまずは家の中に入りましょう」
「――わ、わかりました」
僕は言われるがままに門をくぐり、玄関から鹿苑寺邸へと足を踏み入れた。そこは絵に描いたような高級住宅だった。エントランスは吹き抜けで、左右には応接間とピアノ室。僕はその奥の通路から広いリビングルームへと通された。
「まぁ、ここまで来れば一旦安心でしょう。……大丈夫ですか?」
「あ……ええ、まぁ」
確かに現場からは逃げおおせたのだとは思う。でも僕にとってはこの家だってアウェイなのだ。そんな僕を見透かしたように鹿苑寺が柔らかな笑みを浮かべる。
「――しばらくはここで暮らして頂くことになります。是非気楽に我が家のように過ごしてください」
「わ……わかりました。……あの、とりあえず手とか顔とか洗いたいんですが」
「そうですね。そっちの奥に洗面所があります。タオルとかは自由に使ってください」
僕は無言で頷くと、その足で洗面所に向かった。なにせ人を殺めたのだ。――いや自分なんだけど。血は付いていないにしても、手は洗いたかった。そして水を浴びてすっきりしたかった。
洗面所で蛇口を捻り水を出す。手を洗い、顔に水を浴びせて、壁にかかっていたタオルで顔を拭いた。幾分すっきりした気分になってから、洗面台の鏡を覗き込んだ。
そこで僕は違和感――を超えたありえないものを見る。
「な……なんじゃこりゃーーーーーーっ!」
鏡に映っていたのは茶色い髪を伸ばした可愛らしい少女だったのだ。
「どうかしましたかっ!? お嬢?」
気づけば血相を変えて駆けつけた鹿苑寺聖が後ろに立っていた。
僕はその姿を鏡越しに見ながら、その男に尋ねる。
「……一つ聞いていいかな?」
「――なんなりと」
「僕って……誰?」
鏡の中にはセーラー服を身につけた美少女と背の高い美男が映っている。
「何をおっしゃっているのですか。お嬢はもちろん――花京院麗花様ですよ?」
誰……それ? 知らん。
でも一つ確かなことがある。それは僕が女の子になっているらしいことだ。
両手を胸に当てると確かにそこには膨らみがあった。何度か揉む。敏感だ。
穿いているのもスカートだった。捲る。鏡越しにに空色のパンツが見えた。
「お――お嬢っ!? 何を――」
僕――麗花のパンツを鏡越しに見て、鹿苑寺は顔を紅潮させ、狼狽した。
しかし、その声を遮ったのはインターフォンの音だった。
大きな電子音がピンポーンと部屋中に響き渡った。
「――誰か来た!? まさか、もう探偵の一味が!?」
鹿苑寺の表情に緊張の色が浮かぶ。
僕は捲りあげていたスカートを下ろす。
太もも周りはスースーしていた。