クラスメイトの大人気アイドルが、魔女な俺に助けを求めてきたのですが
土混じりの湿り気が、夜姫千秋の鼻孔をくすぐる。
それは死人の臭いだ。焼かれることなく土に還り、光なくして蘇った、よく知られた怪異の臭いだ。
「海外から密輸された新鮮な死体。その調査及び、吸血鬼化していた場合の破壊、ね。……こういうのは聖十字に依頼しろっての」
最後にぽつりと愚痴をこぼす。
高校の制服を着た、下校途中の帰り道のような姿の千秋はこれみよがしにため息を吐くと、眼前で佇む黒い肌を包帯で包み隠した死人――吸血鬼を、めんどくさそうに睨みつけた。
「死んで蘇って、最初にやることが墓地の散策とはな。知ってるか? 日本ってのは火葬文化でな、おまえがグールにできるような死体はもう残ってねえんだよ」
千秋の住む地域の墓地。寺院の管理下故、吸血鬼の対策を怠っていたらしいそこが、千秋と吸血鬼の決戦場だった。
今の時代、出向などの例外を除き、管轄地以外で依頼が来ることはほとんどない。
その管轄地で死体が吸血鬼と化したのは、双方にとっての不幸だろう。
『……なゼ、魔女がこコにいル?』
その言葉に、千秋が露骨に顔をしかめる。
――喋れている。意思疎通ができるくらいに。
吸血鬼として成長し始めているのだ。もとより死を不完全な形で克服した怪物は、初期段階でもヒトを超越した存在だ。
それがヒトの機能を取り戻している。
だからと言って、別にどうということはないが。
「イマドキ日本でも魔女はいるぜ。日本は寛大な土地だからな、変に神道連を刺激しなければやっていける。魔女狩りだっていない。アミニズム的な信仰だって残ってる。理想的だろ?」
『違ウ。おまエはそのヨうな紛イモノではない』
「紛いモノだかなんだか知らねえが」
千秋の手が炎に包まれる。
正確には彼の手を覆う白手袋、それに刻まれた山羊の紋章から炎があふれ、彼の手を取り巻いたのだ。
「ニンニク、十字架、流水、毒、聖銀、……そして炎。あいにく洗礼済みのもの持ってると我が神の機嫌が悪くなるんでね、炎だけで勘弁してもらおうか」
『魔女ならバ、毒でも薬デも思いのまマだろウに』
「馬鹿言え」
さえずる小鳥を嘲るような会心の笑み。
次いで、吸血鬼を小馬鹿にするように、渦巻く炎を相手に向けた。
「おまえごときに、お高い魔女薬を使えるかよ」
挨拶代わりに炎を放つ。湿気た空気を焼き焦がしながら、吸血鬼へと向かっていくが、速度はそれほど速くない。
対する吸血鬼は、余裕をもって横に飛んで――直後、急に軌道を変えた炎が、包帯の巻かれた腕を包み込んだ。
『グァッ!?』
死体であるのに痛覚はあるらしく、腕に纏わりつく炎を消そうと躍起になって腕を振るう。
しかしそれで消えるほど、魔女の炎は甘くない。古くは彼方、対象を苦しませて殺すための呪いに起するものである。
高々生まれて数日の吸血鬼がどうにかできるほど、その神秘は薄くはないのだ。
「昔どっかの本で読んだが、化け物ってのは喋ると化け物らしくなくなるらしいぜ」
そして吸血鬼が気付いた時には、千秋が傍らの墓石の上で、頬杖を突いて無感動的にこちらを見ていた。
吸血鬼はその目に覚えがあった。生前、自らを苦しめた違法組織どもは、こちらを見るときそんな目をしていたと。
――自らを資源としてしか見ていない、そんな瞳に吸血鬼は激しい恐怖を抱いた。
「おまえはどうなんだろうな。そんな目をする化け物は、化け物だって言えるのか? いいや、おまえは人間だよ。虐められては苦しめられて、偶然力が手に入ったらさあと意気込んで加害者に回る、ただの弱っちい人間だ」
その言い草にも、もはや怒りも起こせない。心を蝕む恐怖というのは、他の感情を喰らってさらに大きくなると、男は知っていたはずなのに。
知らず、男は手を伸ばしていた。炎に包まれた片腕を、焦がれたものへ伸ばそうとして――それが千秋に届くことはない。
全身を炎に焼かれ、下から先に崩れ落ちる。
最後に残った灰が、千秋の頬へと触れる寸前、それすら強く燃え上がった。
「そしてだからこそ、神への供物には相応しい。……安心しろ、我が神は寛大だ。その褥の中で、存分に安息に浸るといい」
墓地は墓地のままで変わらず、化け物の存在を示す残滓もまた、千秋の鼻に染みた死肉の薫りに限られる。
この場で行われた葬儀のことは、当人たちしか知ることのない、まぐわいにも似た秘め事に過ぎなかった。
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夜姫千秋は魔女である。
古くはドイツに起源を発し、魔女狩りの際に逃げ出してきた一族の、由緒正しい魔女である。
魔女とは十字に貶められた、古い神を祀る宗教家であるとも言われる。
ゆえに、と言ったら彼の家族が泣いて謝ったりしたが。
――夜姫千秋は、偶像崇拝者である。
「やっぱりさ、俺は仮初でも清純派ってのが良いと思うんだよ。俺らは彼女らのための金を出す代わり、彼女らは清純派アイドルという夢を提供してくれる。その等価交換は嘘じゃないし誰も文句は言えないんだ、なあそうだろ同士たちよ!」
「その通りでござるよ千秋殿!」
「その顔とスタイルであればアイドルの一人くらいは手籠めにできると思うがどうかな千秋殿!」
「うるせえ異教徒が!! 俺はアイドル恋愛否定派じゃないが、自分からモーションかけるほど推奨してもいねえ! もしもそんな日が来るとしたら、なんか運命的な出会いをして仲を深めてからに決まってるだろーがァ!!」
「よっ、さすが学校女子が選ぶイケメングランプリ本選出場者!」
「でも裏で『ドルオタじゃなかったらなー』と嘆かれる残念イケメン選手権優勝者ぁ!!」
「つかなんすかその髪! 染めてるでしょどー考えても!! 自白してくださいよ!!」
「残念だが後輩よ、俺の祖母はドイツ人でな……これは地毛だ」
「ちっくしょおおおおおおおお!!!」
暑苦しい集会である。
ドアの上に『われらアイドルを愛しその方向性を受け入れ口パクを許し週刊誌を殺せ』と書かれたタオルを飾った一室、通称アイドル研究部室の中でひどい演説が炸裂していた。
その中心に立つのが、茶混じりの蜂蜜色の髪をした千秋だ。彼は古めかしいアイドルの名前が書かれたうちわとペンライトをともに携え、渾身のキメ顔をかましていた。
「というか千秋殿、また新しいライブ行ってきたようですが、どうやって金を捻出したのですかな? どうルートを練っても飛行機を使うというのに」
「バッカおまえ、千秋先輩だぞ! 家が裕福とかそんなんだろ絶対!」
「残念、ちょっと変わった一般家庭だ。まあ不定期の仕事で稼いでるだけだよ……別にホストとかそんなんじゃないから勘違いすんなよ?」
魔女の家には、薬の調合などの平和な依頼も時折来る。基本的に表では出回らないものなので、必然的に値段は高くなり、その結果ある程度仕事ができるようになった段階で扶養を抜ける程度には稼げてしまうのだ。
荒事であればさらに跳ね上がるので、千秋にとって自分ひとりの飛行機代なら軽いものである。
「かーっ、やっぱブルジョワジーは違うぜ!」
「おまえ話聞いてた? って」
何かが来ることを感じ取って、千秋の顔が引き締まる。普段の陽気な顔から、冷酷な魔女の顔を垣間見せて、そして不可思議そうに歪んだ。
――部室のドアが開き、やいのやいのと騒がしかった部室に一瞬の沈黙と、それをきっかけにした驚きが満ちる。
入ってきたのが、彼らに限らず、この学校全体で良く知られていた人だからだ。
彼女は、暑苦しい連中にじっと見つめられて一瞬たじろいだものの、すぐに凛として前を向くと、その手に持ったスマホを突き出した。
『夜姫千秋君に、頼みがあります』
暑苦しい目線が千秋へと集まる。それに愛想笑いを浮かべて、千秋は携えた諸々をゆっくりと、物音を立てないように傍に置く。
先ほどまでの魔女の顔など消え失せてしまったかのように、千秋の顔は下手な笑顔を乗せている。
そしてぽかんと呆気に取られた彼女の肩を叩き、ともに部室を出ると――
「「「ふざっけんなああああああああああ!!!」」」
――憎悪の大合唱を背に、揃って何処ぞへ駆け出した。
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逃げ出した先は校舎裏である。
上手く人目に付かない場所へと隠れた二人は、外で部員が他の学生を巻き込んだ大捜索隊を結成しているのに苦笑いしながら向き合った。
「それで、頼みっていうのは――オカルト関係ってことでいいのか、鈴城天音さん」
千秋は半分確信しながら、一応の確認で問う。天音は息一つ荒げないまま頷き、それを見て千秋は人除けの呪文を唱えた。
――鈴城天音。この学校に通う今人気絶頂のアイドルで、千秋も彼女のファンである。数ヶ月前から露出が減っていることから少し心配していたが、まさかオカルトに巻き込まれているとは思わなかった。
『報酬は、前金の500万と、達成後あなたの要望を聞いた上でお互い相談して決めます。まずはこれでいいしょうか?』
「いいぜ、報酬としては上々だ。それで、依頼内容は?」
いつもより気合が入るもんだと、千秋はにやりと口角を上げ――
『内容は、私が告白するために呪いを解くこと。
……期限は、私がアイドルを辞める一年後まで。
どう、でしょg。l、』
千秋は、白目を剥いて気絶していた。
天音が誤字るくらい唐突なそれは、つまり術の無力化を意味する。
――その日、アイドル研究部室にて学級裁判が開催される運びとなった。