聖剣ぶん投げ太郎
年に一度、王都で行わなれる"聖剣祭"の日に訪れていたアーシュは、折角だからと軽い気持ちで聖剣の選定に挑戦することにした。
村へ持ち帰る馬鹿話になればいいな、なんて思いで聖剣に触れたアーシュだったが、その考えに反して誰も台座から引き抜く事のできなかった聖剣をスルリと抜いてしまったのだ。
歴史的な偉業の達成した瞬間に、周囲は白熱とした盛り上がりを見せる裏腹で、アーシュの胸中は焦りと困惑で一杯になっていた。
――俺、剣の才能が皆無なんだけど。
それでも、ただの狩人だった青年は、聖剣の担い手として使命を全うするために奔走する。
そして、今日も聖剣を振るう代わりにぶん投げる。
「聖剣が……聖剣が抜かれたぞ! 勇者の誕生だ!!」
どこからか歓喜に満ちた叫び声が聖堂中に響き渡った。
直後、大衆の視線は祭壇に集まる。
そこにあるのは、やや空色がかった水晶のように透き通った刀身のロングソードだ。
光に反射すると蒼く煌々と輝くその剣には、まるで夜空を駆け抜ける一筋の流星のような力強さが秘められている。
そして、その剣を手にしている黒髪の青年アーシュにも集まっていた。
希望、羨望、嫉妬、僻み――善くも悪くも様々な思いと共に。
この剣にはそれほどの価値があった。
聖剣――悪しき力を滅し、世界に光をもたらすとされる希望の象徴。
かつて世界が闇に覆われようとした時、その窮地を救い、後に勇者と呼ばれるようになった人物が手にしていたとされる剣である。
世界を救ってから、この神殿内の台座に突き立てて剣を残したのだが、誰もがこの剣を持てるわけでもない。
理由は単純。剣が担い手を選定するからだ。
判断基準は不明なのだが、少なくとも剣の才能ではないのは確かだ。
過去に大剣豪と呼ばれるほどの人間が何人も選定に挑んできたが、誰一人としてその剣を手にすることができなかった。
何よりその判断基準が間違っていることをアーシュ自身が証明していた。
もし彼のことを知っている人に「この人に剣の才能はありますか? 」と質問を問いかければ、本人を含めた全員が声を揃えてこう答えるであろう。
「あるわけがない!!」と。
剣を振るおうとすれば綺麗にすっぽ抜け、投げた方がマシと評される程に、アーシュには剣の才能という物は持ち合わせていないのだ。
そんなわけでアーシュはくつくつと笑いながら目の前で起こった現実を受け入れられずにいた。
刀身には反射して、引き攣った表情で乾いた虚ろな目をしていた彼の顔が映り込んでいた。
・ ・ ・
――時は三時間ほど前にまで遡る。
アーシュは"ヴィルア"王国の王都である"ヴァルクレア"を訪れていた。
村で魔物を狩った時に溜めておいた素材を冒険者ギルドに売るためだ。
建物に入りまっすぐに進んだ奥にあるカウンターで受付嬢が頭を下げて声をかける。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「魔物の素材を売りに来たんだ」
「では鑑定をさせて頂きますので、ギルドカードの提示と素材の提出をお願いいたします」
受付嬢の指示に従い、アーシュはギルドカードと魔物の素材を詰め込んだ麻袋をカウンターの上に置いた。
麻袋の中には魔物から剥ぎ取った頑丈な爪や鋭利な牙、それに魔石などが入っている。
素材を売るためにはギルドに登録する必要があるので、冒険者ではないアーシュも登録こそしているが、依頼など一つも受けたことはないからランクは最底辺の"F"である。
もっとも、素材を売るのにはランクは関係なく、ギルドカードの提示だけでいいのはとてもありがたい話であった。
「ありがとうございます。ギルドカードを確認できましたので、カードをお返しいたします。では、素材の鑑定が終わりましたらお呼びいたしますのでお掛けになってしばらくお待ちください」
カウンターの上に置いたギルドカードを回収すると、鑑定が終わるまでの間、アーシュは近くのソファに座って待つことにした。
さて、これからどうっすかな。
多分、色々と必要物資を購入してたとしても、少しは贅沢できるくらいの金にはなるだろ。
だったら、旨い飯でも食って、村の子供らになにか土産でも買ってから帰るとするか。
などとそんなことを考えていると、近くのソファで座っている冒険者達の会話が耳に入ってくる。
「そういえば今日って聖剣祭なんだろう?」
「ああ、そうだったな。なんでも勇者が聖剣を抜いたのを祝う日らしいぜ」
「そうそう。そして普段は誰にも触ることのできない聖剣に触れる唯一の日だそうだ」
「どうしてだ?」
「選定が行われるからさ。我こそはと有志を募ってな。老若男女、役職問わずーーそして抜けば勇者の誕生だ。そうなりゃ聖剣の担い手として使命こそあるけど、地位に力に名声……全てが手に入る。そこに惹かれないやつはいないだろう?」
「まあ、確かにそうだな。なら、俺も剣士の端くれ、その選定とやらに挑んでみるぜ!」
そうして、二人の冒険者はソファから立ち上がると、聖堂に向かって外に出て行った。
聖剣祭は、聖剣が奉られている聖堂を中心として祭りが行われている。
中は聖剣を抜こうとする人間とその瞬間を目に焼きつかせようとするギャラリーで熱狂し、建物の周囲には出店や屋台がずらりと並びどんちゃん騒ぎとなって賑わっている。
普段は清廉なる信仰心によって厳かな空気に満ちた空間も、この日だけは民衆の手に委ねられ喜びに溢れた狂騒な空間と化すのだった。
昔、幼かった頃にここに訪れた時のことを思い出す。
丁度、聖剣祭の日に村の大人に連れられて、村で採れた作物を売りに王都にまで来ていた。
視界いっぱいに並ぶ石造りの建物に大通りには、道行く人々がごった返して人波にのまれそうになったのを覚えている。
そして、折角王都に来たのだからと聖堂の中まで連れて行ってもらい、選定の様子を見せて貰ったのだ。
そこには様々な人間が聖剣を引き抜こうと奮闘していた。
屈強な男達に若い女性、それに当時の俺と同じくらいの子供やヨボヨボになった老人までもが台座の前に立っていた。
今となっては記念として参加していた人間がほとんどだったと分かるが、幼かったアーシュにはそんな姿ですら格好良く見えてのだ。
「まあ、もうそんな気持ちは無いんだけどな」
自分の剣の腕前でもし聖剣を振るった時の姿を想像し、フッと鼻であざ笑う。
ゴブリンにやられて終わるのが落ちであろう。
それほどまでに剣の腕には悪い意味で自信があった。
それに魔王を倒したいという強い意志も、地位や名誉が欲しいと思う気持ちもないのだ。
自分ができる範囲で守れる人を守って、ただのんびりと過ごせればそれで良いのだ。
でもさっきの冒険者ではないけども、折角王都に来たのだから選定を受けてから帰るのも悪くないだろうと、考えが頭を過ぎる。
土産話の一つにでもなったらいいや、なんてその程度の軽い気持ちで鑑定が終わったら、聖堂に行こうと決めたのだった。
・ ・ ・
それから聖堂の中に入り選定を受けるまでの順番を待ち、やっと自分の順番がやって来たのは二時間後のことだった。
それまでは遠目から選定に挑戦した人々を眺めていたのだが、相変わらず色んな人が選定に挑んでいた。
屈強な肉体を持つ冒険者、記念にと軽い気持ちで剣の前に立つ町娘、もの凄いやる気を見せてどうにか奮闘する少年――中には貴族のような装いをした青年だったり、王国軍の戦士までもが見えたのだった。
それにさっきギルドの建物内で聖剣祭について話をしていた冒険者の姿もあった。
しかし、誰一人として聖剣を抜く者は現れなかった。
むしろ、それが普通なのだと言えるのだろう。
曰く、聖剣を担うに相応しき資格を有する者、台座に突き立てられた彼の聖剣を容易く引き抜くであろう。
――そんな伝承があることをぼんやりと思い出していた。
そして、アーシュの番がやって来る。
祭壇に上がり、台座の前に立って目の前に突き立っている聖剣を見下ろす。
改めて間近で見ると、夜空を駆ける流れ星のようなその刀身の美しさに目を奪われる。
ただ眺めてばかりもいられないので、名残惜しいと思いながらもアーシュは聖剣に手を伸ばした。
さっさと抜けないことを確認してこの場を離れよう。
柄を右手で握ると、何やら変な感覚に陥った。
形容し難い違和感が全身を駆け巡ったのだ。
ただ、身体の調子は悪くはなってはいないのでさほど気に留めることでもないだろう。
そして、生唾をゴクリと飲み込んでから力をこめて聖剣を引き抜こうとしてーーその瞬間、聖剣がスルリと簡単に台座から引き抜かれた。
「……え?」
あまりにも予想外過ぎて、間の抜けた声が喉からすり抜けた。